『夢みる小学校』(2021年日本/オオタヴィン監督)

 今、私の住んでいる地域の公立小学校において、狭い校庭の一部を削り、そこに別棟を建設する計画がある。計画が当初のものから大きく変わったこともあり、その内容や説明会のあり方について保護者から疑問の声が上がり続けている。説明会はこれまで何回か開かれたが、そうした場にいるのはもちろん大人だけ。学校を使う主役であるはずの「子ども」の姿はそこにはない。保護者たちは「子どもの立場にたった計画を!」と訴えているが、それを受け止める役所の担当者たちの言葉や態度は非常に冷たい。

 うって変わって、この映画に登場する学校「きのくに子どもの村学園」では、こどもたち自らがのこぎりやトンカチといった大工道具を握り、何やら作っている。校舎の一部を作り、椅子を作り、靴箱を作り、大型の遊び道具まで。そして、教師は先生とは呼ばれず「大人」や「元中学生」と呼ばれ、生徒たちと一緒にものづくりに励んでいる。

 この学校には宿題やテストがないだけでなく、「国語」「算数」「理科」「社会」といった教科の授業もない。時間割には「プロジェクト」という名が付けられており、子どもの主体性や個性を重んじた、いわゆる「体験学習」。ここで先ほど紹介した木工製品も完成させたようだ。

 学校というのは、もちろん「学び」の場であるが、ここで教えているのは「一番の価値は『自由』だ」ということ。教室では、それをそのまま体現しているような光景が繰り広げられる。授業中に先生の膝の上に乗ったままで授業を受けている子どもの姿にはびっくりしたが、ふざけたりだらけている、というのともまた違っていて、とにかく「自由なスタイル」。子どもと大人が対等な関係でいる、という印象を強く受けた。

 そして「通知表」はない。数字による評価はしない。「通知表」は必ず出すように学習指導要領などに入っているかと思っていたが、そんなものはなく、公立校でも「通知表」無しにはできる。実際にそのような公立の学校についても映画の中で2校が紹介されている。

 60年以上も通知表なしを実施している長野県の公立小学校や、全校生徒の議決により「定期テスト」と「校則」をやめた東京都内の公立中学校の例から、「公立学校の可能性」を大きく感じたし、「指導要領に縛られていたわけでもないのなら、いったい誰が誰のために制限をしていた? やろうと思えば自由にできるじゃない」とも思った。

 この映画に先立ち、オオタヴィン監督のオンライントークライブも拝見した。そこでは、これからの新しい「学校」のあり方や「公教育」をみんなで考え作っていくためにも、この映画の上映会を地域の学校でやって、生徒や保護者、地域の人らみんなで話し合うのはどうでしょう、という呼びかけもされていた。民主主義を学ぶためにも、それはとてもいいアイディアと思う。学校は地域の「公共財産」でもあるのだから。

 「子どもファースト」でこれからの未来を考えるための一助、ツールとなる映画である。

(塚田ひさこ)

『夢みる小学校』
(2021年日本/オオタヴィン監督)

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