第584回:なぜ、扶養照会は強行されたのか 杉並区への抗議・要請書。の巻(雨宮処凛)

 「コロナで住む場所なくしたり、お金がなくなった時、親に知られたくないのはわかります。大変な時に、人生詰んだ、終わりだって考えてほしくないから、杉並区の行政にはいい仕事をしてほしいです」

 50代の男性・高木さん(仮名)はそう口にした。

 2月4日、東京都杉並区・荻窪にある福祉事務所に私はいた。この日、困窮者支援に取り組む「つくろい東京ファンド」と「生活保護問題対策全国会議」が杉並区に抗議・要請書を提出したからだ。

 事の発端は、2021年7月に遡る。

 失職し、生活に困っていた高木さんは杉並福祉事務所(荻窪事務所)に生活保護を申請。その際、扶養照会(役所から高木さんの家族に連絡が行き、「面倒を見られませんか」と聞くこと)をされたくないと思い、それを止めるための「申出書」 と「添付シート」をダウンロードして記入したものを持参した。高木さんの両親は地方在住ですでに80代。父親は心臓の手術を何度もし、母親は要介護状態。老々介護状態で暮らす親に心配をかけたくないという思いだった。

 ちなみにこの申出書はつくろい東京ファンドが作ったもの。21年3月、厚労省が出した通知がきっかけだ。通知内容は、本人が扶養照会を拒む場合、丁寧な聞き取りをし、扶養が期待できるか検討すべきというもの。これまで、扶養照会は「家族に知られるくらいなら生活保護は受けない」と申請の壁になっていたが、それが改善されたのだ(完璧にではないが)。

 が、通知が出ただけで現場がすぐ変わるとは思えない。ということで、つくろい東京ファンドが作成したのがこの申出書・添付シートである。

 誰でも使えるようにネットに置かれた申出書・添付シートはこれまで数多くダウンロードされ、全国の福祉事務所に提出されて照会を止める役割を果たしてきた。福祉事務所の職員からは「手間が省ける」など感謝の言葉もあったという。何しろ、扶養照会をした結果、家族から経済的支援を受けられるケースはごくわずか。17年の国の調査では1.45%にすぎないのだ。これではほとんど意味がない。

 しかし、杉並区の対応は驚くべきものだった。なんと高木さんが提出した申出書と添付シートを受け取らなかったのだ。

 「これは受け取ることができないのでお持ち帰りください」

 「なぜですか? この書類は法的にも認められた意思表示で、受け取ることでそちらが困ることはないと思うんだけど……。公共の福祉事務所で、受け取りたくないとかじゃないでしょ?」

 そんな押し問答が続けられた果てに、信じがたいことが起きる。職員は「どうしても受け取らせようというのなら、手続きは進められません」と言い放ち、銀行の通帳や年金手帳など、高木さんが持参した申請関連の書類をすべて机の上に並べて退席してしまったのだ。扶養照会をしないでほしいという書類を出すのであれば、生活保護申請は受け付けない。これはまったくもって完全に完璧に、どう考えても違法な対応である。

 一人、面談室に取り残された高木さん。抗議・要請書提出のあと、その時を振り返った。

 「意思表示さえ拒まれるのは屈辱でした。申請自体が屈辱なのに、こういう屈辱を受けなきゃいけないのか……。テレビや新聞、雑誌で『扶養照会が嫌だから生活保護は受けられない』って言っているホームレスの方の言葉を聞いたこともあります。人の命に関わることで、ここで引き下がりたくないって思いましたが、申請しないと生きていけない状態で、背に腹はかえられないので妥協しました。『俺の負けだから誰か来て』って言ったら、すぐに人が来ました」

 そうして面談は再開され、申請手続きは完了した。

 その後も高木さんは「扶養照会はしないでほしい」と訴え続けた。が、数ヶ月後、扶養照会は強行される。生活保護手帳別冊問答集では、扶養が期待できない場合の例として、「概ね70歳以上の高齢者など」と記載があり、高木さんの両親はまさにあてはまる。なのに、まるで嫌がらせのように強行されてしまったのだ。

 一連の事実は、高木さんがつくろい東京ファンドに経緯を伝えたことで発覚した。この件について、区は強行した扶養照会を「本人も了承した」と言っているという。が、事実はどうなのか。高木さんは言う。

 「扶養照会する前に、『照会しますよ』と電話が来ました。『俺、嫌って言ってますよね? やらないでください』って言ったんですけど『それでもやります』と。その時、『どうせ嫌だって言ってもやるんでしょ? 勝手にしろよ』って捨て台詞で言ったかもしれません。それを『了承した』と言ってるんだとしたら……」

 なんだか悪い冗談のような話である。

 それにしても、高木さんはよく途中で「もういいです!」と席を立たないで我慢してくれたとつくづく思う。そんなことからふと思い出したのは、昨年末、大阪で起きた放火事件の61歳の容疑者だ。雑居ビルのクリニックに放火して25人が死亡した事件の容疑者は事件後に死亡。以前から生活に困窮し、生活保護の相談に役所を2度訪れていたが受給には至っていなかった。申請手続きは途中で止まり、「もういいです」と辞退したこともあったという。

 高木さんだって、席を立とうという思いが何度も頭をよぎったはずだ。しかし、なんとか踏みとどまった。だからこそこうして今、支援者につながって声を上げてくれている。

 翻って、大阪の事件の容疑者は役所を訪れた後、より孤立と困窮を極めていったのではないだろうか。残念ながら「途中で席を立たせる」ようなやり方は、ある意味で福祉事務所の常套手段になってしまっている。最後のセーフティネットにひっかかることができず、自暴自棄になったことが事件の遠因になっていたとしたら。役所の罪はあまりにも重い。

 この日、高木さんは何度か「これからコロナで住む場所なくしたりする人たちが増えると思うから、その人のためにもちゃんとしてほしい」という内容のことを口にした。自分のことだけでなく、これから困窮する可能性のある人のことを常に気にしている姿が印象的だった。

 抗議・要請書には、2月末までに本人も交えて話し合いの場を設定すること、昨年4月以降、扶養照会を拒否する人にどのような対応をしてきたのか調査・検証・公開することなどが盛り込まれている。

 杉並区では、第537回で書いた「一度路上に出た人のアパート転宅に難癖をつける」など他の事例の対応も問題となっている。現場では生活保護利用者に寄り添い、頑張っている職員もいる。そのような人たちのやる気が削がれないよう、改めて、注視していきたい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。