栗田路子さんに聞いた:海外から見た日本の結婚と姓の問題

日本で夫婦別姓を求める運動が起こり始めてから、すでに30年以上の月日が流れました。結婚しても、生まれたときからの姓名をずっと名乗りたいという声はますます高まっているのに、国会も裁判所もいっこうに動かず、ついに日本は世界でただ一つの「夫婦同姓を法律で強制する国」になってしまいました。そんな日本は海外からは、どう見えているの? 日本の姓名に関する常識って、世界では通用しない? そんな疑問への一つの答えが、欧米、アジア計7カ国の結婚と姓をめぐるレポート『夫婦別姓—家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)にあります。海外からみた日本の選択的夫婦別姓問題について、執筆者代表としてベルギー在住の栗田路子さんにお話を伺いました。

姓名に振り回された人生

──栗田さんが夫婦別姓をテーマにした本書を企画されたきっかけは、何だったのでしょうか?

栗田 選択的夫婦別姓の問題は、私自身の30年来のライフテーマそのものです。私が大学を卒業して外資系企業に就職したのは、日本にも夫婦別姓を求める声が起こり始めた1980年代。そんな世の中の流れを感じつつ、80年代後半に結婚しました。そのときは多少のためらいはあったものの、世の慣習に従って「栗田」から夫の姓に変えたのですが、その違和感といったらなかった。
 銀行や役所の窓口で夫の姓で呼ばれることで、これまで「栗田さん」「はい!」と答えてきた二十数年の無形遺産を奪われたような喪失感を覚えました。
 何より大変だったのは、もろもろの名義変更手続き。給与振り込みの銀行口座、クレジットカードの名義、健康保険証、運転免許証などです。緊急度の高いものから手続きをしていくのですが、ほかのものと変更時期がずれると整合性がとれなくなるので、ややこしいったらない。そうして、パスポートなどは期限が切れて更新するときに変えればいいか、など考えているうちに、なんと夫が急逝してしまったのです。結婚して3年足らずでした。

──それは予想もしない大変なことに……。

栗田 その時点で姓を変えたものと旧姓のままのものとまちまちで、私のアイデンティティはバラバラになってしまいました。そのまま日本で生きていくことに耐えられず、アメリカの大学院へ留学を決意したのですが、その手続きでまたまた大混乱がおきました。
 パスポートは旧姓、口座名義やクレジットカードは結婚姓、TOEFLなどの共通テストの証明書も結婚姓、日本の大学の卒業証明は旧姓、願書や航空券はパスポートに合わせて旧姓、支払い名義は結婚姓……。
 日本国内だったら、事情を説明すれば何とかなりますが、戸籍制度も夫婦同姓もない外国人に、結婚すると姓が変わるとか、旧姓と結婚姓のふたつを使っているなど、理解してもらうのはほぼ不可能です。

──その後、ベルギー人のかたと結婚されたわけですね。

栗田 アメリカ留学後、今の夫と再婚することになったのですが、その前に一度実家に戻って欲しいという母の希望で、日本人の前夫の姓から「栗田」に復氏することにしました。ちなみにベルギーでは、婚姻は姓に何の影響も与えないので、これで私の姓名は「栗田路子」ひとつになった。やっとややこしい手続きから解放されて、ブラボー!と心の中で叫びました。ところが復氏と再婚の届け出を同時に出したせいか、戸籍謄本がこんな記載になってしまったのです。

戸籍筆頭者 栗田路子

昭和x年x月x日 父からの出生届により入籍(この間の出来事は無記載:栗田注)

平成3年y月y日 ベルギー人◇◇◇△△△(再婚した夫の姓名)と結婚届。○○□□(前夫の氏名)戸籍から入籍

平成3年z月z日 婚姻前の氏に戻す届け。○○(前夫の氏)路子戸籍から入籍

 意味、わかります? わかりませんよね。最初の結婚で前夫の戸籍に入ったことも、その夫が亡くなったことも書かれていないので、どこの誰かも分からない人の戸籍から入籍して結婚し、その上で結婚前の姓に戻したようになっている。戸籍法のルールに従えば、これで正しいのだそうですが、意味不明ですよね。ましてや戸籍というものがない外国でこれを見せたら、公文書の改竄や隠蔽ではないかと勘ぐられてもおかしくありません。
 それが現実になったのは、養子縁組をしたときです。私たち夫婦はベトナムから養子を迎えたのですが、そのときに私の日本の戸籍を、ベルギーの公用語の一つであるフランス語に訳して提出しなければならず、ここでまた一悶着。この意味不明の戸籍をそのまま訳しても、だれも理解できない。ベルギーの役所が認めるわけがない。法廷翻訳家は字句通り訳すのが仕事ですから、よけいな説明や注釈はできない。そこをなんとか、と無理をお願いして切り抜けました。
 個人的な体験を長々とお話ししたのは、外国での結婚や離婚、再婚も含めた国際結婚が珍しいことではなくなっている今日、私ほどではないにしても困る事例が続出するだろうと、心配になるからです。

姓名を巡る「トリビア」なエピソードも

──夫婦同姓のために、これほど苦労するとは……。それなのに未だに変わらない日本の現状に業を煮やして海外在住のお仲間に声をかけた、というわけですね。

栗田 この本を企画した直接のきっかけは、昨年6月の夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定を「合憲」とした最高裁判所の判断でした。法律の問題だから国会で決めればいいとさじを投げてしまったことには、本当にがっかりしました。
 原告たちは、25年を経過しても国会が動かないからこそ、仕方なく司法の場に訴えたのに、「人権」に関わる問題だからこそ、多数決の国会でなく、裁判で判断すべきだと主張してきたのに……。
 これはなんとかしなければいけない。海外にいるからこそ出来ることって何だろうと考え、私がこれまで培ってきた在留邦人のライター・ジャーナリストのネットワークを通じて、それぞれの国の結婚と姓、家族の事情をレポートして1冊の本にまとめようと呼びかけました。
 夫婦同姓を法律で強制しているのは日本だけ。一歩外に目を向ければ、こんなに多様な家族や結婚、姓のあり方があるということを、かたくなに夫婦同姓を守ろうとする一部の日本人や、この問題に先入観のない若い人に知ってほしかったのです。
 執筆を担当したのは、その国に根を下ろして生活している人たち。生活者の目線で自身の体験をふくめて市民の声を集めることができ、さらには歴史的政治的背景にも言及できるスキルのある人ばかりです。結果として、執筆者全員が国際結婚経験のある女性ということになりました。

──エッセイとしてもおもしろく、楽しく読めました。

栗田 今の内向き傾向のある日本では、海外からのレポートというと煙たがられる傾向があって、しかもフェミニズム的なテーマの本と思われると、敬遠される恐れがありますよね。ですから、なるべくとっつきやすく、個人的な体験談やおもしろいエピソードをちりばめて、読みやすくしようと知恵を絞りました。
 たとえばドイツの前首相メルケルさんの話。メルケルという誰もが知る姓は、実は離婚した前夫の姓なのです。彼女は23歳でメルケル氏と学生結婚して5年後に離婚したのですが、その姓で物理学の博士号を持つ研究者としてキャリアを積んでいたので、旧姓に戻さなかった。そして45歳の時に今の夫であるザウアー氏と結婚、姓は変えず別姓結婚したため、メルケル首相としてその名を歴史に残すことになりました。
 あるいは放射線研究でノーベル賞をとったキュリー夫人。キュリーは夫の姓で、彼女の本姓名はマリア・サロメア・スクウォドフスカといいます。それなのにずっとマダム・キュリー、つまり「キュリー氏の妻」として偉人伝に残るなんて、おかしいですよね。

姓名のあり方は多種多様

──拝読してまず感じたのは、世界には姓名にまつわるこんなにも様々なルールがあるのか、という驚きでした。

栗田 姓名に関しては何の決まりもなく改名もいつでもネットでOKのイギリス、「姓名不変法」により出生届けの名前が生涯唯一の本名というフランス、婚姻は個人の姓名に何の影響も与えないベルギー、男女平等すなわち夫婦別姓の中国、儒教的父系血統主義の伝統による絶対的夫婦別姓の韓国など、驚くほど多様です。姓名についてのルールもさまざまなのですが、本書ではそれを統一して便宜上次のように名付けました。

 出生姓 出生時に登録された姓。
 連結姓 二つの姓をハイフンなど記号を入れてつなげる
 併記姓 二つの姓を記号を入れずにつなげる
 合成姓 二つの姓の一部を用いて新しい姓を合成する
 創作姓 二つの姓とはまったく関係のない新しい姓を採用する

 夫婦同姓といっても、日本のように妻が夫の姓に(あるいはその逆)変えて同じ姓を名乗るケースだけでなく、上記のような方法で互いの出生姓でない姓を決めて、それを二人で名乗る同姓もあります。
 あるいは、一方はそのまま、他方が相手の姓を自分の姓につなげて連結姓にする。そういう夫婦別姓もあります。
 出生姓を残し、なおかつ相手の姓も入れる方法としては、「ミドルネーム」もよく使われます。例えばジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻の場合。小野洋子さんはYoko Ono Lennonに、ジョンはOnoをミドルネームに加えてJohn Winston Ono Lennon(Winstonはもともとのジョンのミドルネーム)にしたそうです。結婚に際してお互いの姓を尊重して取り入れながら、合意できる案を模索したのでしょう。
 私がすてきだなと思ったのは、フランスの通称。「姓名不変法」のあるフランスでは出生姓が唯一の本姓なのですが、そのほか4種類の通称が合法化されています。その中の一つに「出生姓と、継承されていなかった親の姓をハイフンでつなげる連結姓」というのがあります。継承されなかった親の姓とは、多くの場合母親の姓ですよね。失われた母親の姓を子どもが復権させる、なかなかいいアイデアだと思いません? それにならって私も、母の旧姓をペンネームで使うことがあります。

日本の当たり前は、世界の常識ではない

──世界を見渡せば、必ずしも結婚したらどちらかが、自分がそれまで慣れ親しんできた姓を捨てなければならないということではないのですね。自分の姓かパートナーの姓かの二択ではなく、いろいろな可能性がある。さらに言えば、結婚したら姓が変わる、というのも、当たり前ではないのですね。

栗田 そもそも、結婚は姓に影響しない、婚姻と姓名は無関係という国のほうが多いのです。
 もっと言えばイギリスのように、姓名に関して「こうしなくてはいけない」という規定そのものがない国もあります。姓名に関することは個人の事情であって、国が関与すべき事項ではないというコモン・ロー(判例法)の考えに基づくものです。

──日本人が常識だと思い込んでいる姓名や家族についての考え方は、世界では通用しないのですね。

栗田 その通りです。今回の取材で、それぞれのライターが周りの人に「日本では夫婦同姓が法律で義務づけられている。姓が違うと、家族の絆が保てない、社会が混乱するから」という話をしたところ、はあ? 何それ、とポカンとされたと皆口をそろえます。
 今回の執筆陣の中には、別姓はもちろん、片親、子連れ再婚同士、事実婚、同性結婚など、何でもありの社会で暮らしている人も多いけれど、家族のつながりは日本以上に濃厚なところもいっぱいあるし、日本の別姓反対派が恐れているような混乱は起きていませんよと、語っています。

選択制でも夫の姓を名乗る妻が多数派

──しかし、選択的夫婦別姓が認められている欧米でも、実際には夫の姓に変える、あるいは夫の姓を付け加える、通称として夫の姓を使うなどのケースが多く、自身の出生姓を貫く女性は少数派なのですね。また子どもには父親の姓を継がせるケースが圧倒的など、男性優位の現実には考えさせられました。

栗田 今回、7カ国の姓名を巡る物語を見渡して思ったのは、古今東西に及ぶ家父長制の根深さについてです。その背景の一つにはキリスト教の伝統があります。わかりやすい例をあげれば、教会での結婚式で父親が花嫁をエスコートしてバージンロードを歩き、新郎に引き渡すセレモニーが行われるでしょう。あれは父から夫への女性の所有権の移管を表す儀式だったのです。女性は男性に守られるべきものという家父長制の伝統は、人々の意識や社会の通念として根強く残っているのだなあと、今回改めて思わされました。
 それでも近代に入ると、働くことで経済力をつけ始めた妻たちは、さまざまな理不尽に気づき始めました。夫の姓でないと銀行口座が開けないとか、選挙人名簿に登録できないのはおかしいなどと声を上げはじめ、それが少しずつ広がっていった。こうした女性たちの努力の積み重ねの上に今日があるのだと、胸が熱くなる思いがしました。
 日本では「抗議する女性」への拒否感が強いけれど、小さな声でも必ず力になって歴史を動かす。フラワーデモなど、声を上げる若い人たちにエールを送りたい気持ちです。

──韓国、中国など、アジアの家父長制に基づく姓名の歴史も興味深かったです。

栗田 中国は一貫して夫婦別姓ですが、建国前と後では、その意味は真逆です。長い間儒教思想と父系家族主義の風習に縛られていた中国では、嫁は子孫繁栄のためによそから来た人で、家系図にもその姓も名も残らない、婚家の姓を名乗ることは許されないよそ者だった。つまり男尊女卑の極みとしての夫婦別姓だったのです。それが革命後は一気に男女平等ゆえの別姓へと転換した。歴史のダイナミズムを感じますね。
 韓国も同様の理由から絶対的夫婦別姓ですが、現在は日本支配の残滓である戸籍制度は廃止され、個人単位の登録制度に代わりました。こう見てくるとアジアでもアップデートされ続けているのに、日本だけが置き去りにされているみたいで、なんだか寂しいです。

旧姓って何? 通称使用拡大の問題点

──日本では今、夫婦同姓は堅持したまま、旧姓の通称使用を拡大することで問題解決しようという妥協案がでています。問題解決になるでしょうか。

栗田 旧姓を通称にと言われますが、旧姓って何でしょう? 婚前の姓と言われますが、結婚は一度きりとは限りません。再婚の場合は出生姓? それとも最初の結婚で改姓した姓? あるいは結婚でなく、養子縁組で姓が変わった人もいます。だから旧姓一つとっても定義が曖昧なのです。
 それに旧姓通称が通用するのは日本国内だけの話。一歩外に出れば、大変なことになるのは、最初にお話しした私の経験からも明らかです。夫婦同姓を定める現行民法750条に明確に違反している通称使用を、外国で法的に説明する根拠はありません。
 今はパスポートに括弧付きで旧姓を記すことができますが、これもパスポートの国際的な記載ルールにはありません。デジタル社会ではICチップに入っている姓名はただひとつ。入国審査にひっかかって、別室に連れて行かれ、うまく説明できなくて公文書偽造、偽名を使う理由のある怪しい人物と疑われたらどうしますか? それを一介の旅行者でしかないあなたが、説明しなければならなくなるのですよ。
 通称を使いたいのであれば、フランスのように出生姓を唯一無二の姓名とする。その上で、必要であれば家族共通のファミリーネームを通称として使う。そのほうがすっきりします。

──結婚と姓を巡って日本はこれからどのようにすべきか、具体的な提言はありますか?

栗田 日本が明治時代、民法制定の際にお手本にしたといわれるドイツでは、しばらく前までは夫婦同姓が法律で決められていましたが、1990年代初めに撤廃、現在は同姓、別姓、片方だけが連結姓(どちらかの姓を「家族の姓」とし、「家族の姓」のほうはそのまま、他方は自分の姓に相手の姓、つまり「家族の姓」をつなげる)と3つの選択肢から選べるようになりました。これもひとつの参考になるでしょう。
 どこの国でも、困っている人の声を聞きながら、その国の実情に合わせて少しずつ段階的に変えています。それで不都合が出てきたら、さらに改正する。その積み重ねが、よりよい社会を作っていくのだと思います。
 今の別姓反対派の意見を聞いていると「別姓にすると家族の絆がそこなわれる、子どもがかわいそう」など、仮定に基づく感情論ばかりです。それに対して実際には同姓であることによって困っている人、つらい思いをしている人がいるのが事実です。「かもしれない」ことと実際の現実問題と、どちらを優先すべきでしょうか。
 どういう制度にするにしても、これだけは言いたい。結婚しても出生姓を持っていたいという人が少数でもいるのであれば、それは保障されるべきということ。少数派なんだからがまんしなさいというのは、民主主義に反します。人権に関わることを多数決で決めないで。これだけは譲れません。
 ヨーロッパで暮らしていると市民の「エンパシー」、つまり当事者でなくとも、困っている人がいるのならその立場に立って共感する力を実感します。エンパシーは、「自分に危害を加えないことであれば、他人の自由に口を出さない」「自分の好みやイデオロギーを押しつけない」ことでもあります。日本では多様性が育たないと言われますが、金子みすゞさんの詩に「みんなちがって、みんないい」というすてきなフレーズがあるではありませんか。
 日本の若い人たちのジェンダーに対する意識は確実に変化しています。実情にあわない制度や法律を改正する日は近いうちに必ず来る。それを後押ししようというのが、本書の執筆者全員の思いです。ですからこの本はぜひ若い方、特に中高生、男性に読んで欲しいと思っています。

──栗田さんの三十数年来の、そして多くの女性たちの願いがかなう日が、一日も早く来ることを願っています。ありがとうございました。

(構成・田端薫)

『夫婦別姓 ――家族と多様性の各国事情』
(栗田路子、冨久岡ナヲ、プラド夏樹、田口理穂、片瀬ケイ、斎藤淳子、伊東順子/ちくま新書)

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くりた・みちこ●ベルギー在住30年。コンサルタント、コーディネーター業の傍ら、論座、PRESIDENT ONLINEのほか、環境や消費財関係の業界紙などに執筆。得意分野は人権、医療倫理、LGBTQ、気候変動など。海外在住ライターによる共同メディアSPEAKUP OVERSEAsを主催。共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)がある。

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