アメリカで黒人女性として初のピューリッツァー賞を受賞した著者が、米国が同時多発テロの報復としてアフガニスタン、そしてイラクに対して行ったすさまじい攻撃に対する衝撃から紡ぎ出したメッセージを、画家が豊かな想像力をもって具象化した。
人間は自然が発する色以外を想像できない、と思う。木漏れ日が指す森のなか、太陽が反射する海面、あるいは昆虫の発する光が暗闇を照らす夜……。既存の言葉で表現のしようのない色合いに出会うと、人間は自然には敵わないことを思い知らされる。
本書が描くアフリカやアジアを思わせる水田やジャングル、牧草地や農村は彩り鮮やかな世界だ。
一方、人間が生み出す戦争は、最初は迷彩色を身にまとって紛れ込み、豊かな天然色の諸々を戦争の目で見つめる。本来は人が生きていくためのものを、人を殺すために使おうと品定めする。
その視界には、池に浮かぶ葉っぱの上で雨季に入る前の準備をするカエル、ロバのたづなを握って、わら束の上にのんびりと座っている少年、子どもにおっぱいを飲ませながら優しい声で子守唄を歌う母親の姿は入ってこない。
世界を抽象的にしか見ようとしない戦争は、青空を灰色で覆い、大地に茶色い煙を舞い上がらせ、川を流れる水をどす黒くする。すべてをモノトーンの世界へと変えようとする。
私たちの生活の基盤となるものを破壊するのが戦争だ。病院や学校、劇場などを標的にするのは、その目的を果たすためである。戦争が大地を破壊し尽くした跡には、戦争の排せつ物が垂れ流され、それは地下へと沁み込んでいく。
その汚染された水を飲むのは私たちだ。
しかし、戦争を遂行する者たちは、なぜか自分がそれを飲むことを想定していない。せいぜい敵国の兵士や市民、あるいは自国の名もなき民衆くらいだろうと高をくくっている。自らは身の安全なところにいて、人間を駒のように動かすので、自分たちもそのなかの一員だと思わないのである。
そんな感覚を許してしまう戦争は、だからよくないのだ。
(芳地隆之)
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