第591回:戦争が生み出す「未来の自殺者」〜「独裁から人々を解放し、民主主義をもたらす」戦いのため戦地に赴き、「良心の傷」に悩まされる彼。の巻(雨宮処凛)

 「私たちがイラクからアメリカに帰国した時、まるでロックスターのような扱いを受けました。国中の人が私たちを英雄と称賛し、私たちのファルージャでの作戦がどれほど偉大かを語りました。正直、私たちは戸惑いました。何度も『英雄』という言葉を信じようとしましたが、心の中は引き裂かれていました。同じ部隊の人たちは酒やドラッグに溺れるようになり、イラクから帰還して1年も経たないうちに、半数が薬物使用を理由に軍を除隊になりました」

 この言葉は、イラク戦争に行ったアメリカ海兵隊員、ロス・カプーティさんのものだ。14年に来日した彼に聞いた話を、私は2015年に出版した『14歳からの戦争のリアル』 (‎河出書房新社)にまとめている。2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受け、改めて、彼の言葉を読み直した。

 なぜなら、彼はイラク戦争について、「サダム・フセインの独裁からイラク人を解放し、民主主義をもたらすための戦い」と言われ、それを信じて戦ったからである。しかし、現実はまったく違うものだった。

 翻って現在、ロシア兵はどのようなストーリーを信じているのか。侵攻当初、プーチンはロシアの防衛、そして「虐殺に遭っている人たちを守る」ため、「ウクライナの非ナチ化のため」といったことを主張していた。そのようなストーリーがどれほどの信頼度でどれほど共有されているのかは未知数だが、アメリカの主張を信じて戦争に参加し、そのことを悔やみ続ける元海兵隊員の声に、今、耳を傾けるべきではないだろうか。

 ここでロスさんの経歴を振り返ろう。

 彼が生まれたのは1984年。平均的なアメリカ人として育ったというロスさんは高校卒業後に軍隊に入隊。「女の子にモテる」「弟たちに尊敬される」「地元でずっと暮らすのは窮屈」という、10代の若者らしい動機からの軍隊入りだった。

 しかし、そんな彼が入隊した頃のアメリカは対テロ戦争に突き進んでいた。

 2001年に起きた9・11テロを受け、10月、アメリカはテロの首謀者であるアルカイダの引き渡しに応じなかったとしてアフガニスタンへの空爆を開始。その翌年には「イラン・イラク・北朝鮮」を大量破壊兵器を有するテロ支援国家として「悪の枢軸」と名指しで批判。03年3月、アメリカはイラクへ侵攻。イラク戦争が始まった。しかし、ロスさんは「私は自分の国がやっている戦争について、何も知りませんでした」と語る。軍隊にいながらだ。

 「ただ、戦争に行きたかった。行く理由はなんでもよかったんです。自分の人生を変える機会になればと思っていました。戦争に行って、自分が誰と戦うことになるのか、そしてその国に住んでいる人たちがどうなるのか、そんなことは一瞬たりとも考えもしなかったんです」

 そうして二十歳そこそこのロスさんは04年6月、イラクに派遣される。03年に始まったイラク戦争は同年5月には終結宣言が出ていたものの、現地は混乱の中にあった。その時に上官から聞かされたのが、自分たちの「使命」だ。

 「サダム・フセインの独裁からイラク人を解放し、イラクに民主主義をもたらすための戦いと言われ、それを信じていました。最初のうちは軍隊が大好きで、イラクに行くことにワクワクしていました。イラクに着いてからは『ランボー写真』をたくさん撮りました。できるだけ多くの武器を肩にかけて撮る写真をそんなふうに呼んでいたんです」

 しかし、ロスさんが派遣されたのはイラクのファルージャ。イラクの中でももっとも米軍に対する抵抗運動が激しかった地域だ。ロスさんが行く3ヶ月前には4人のアメリカ傭兵が殺され、遺体が焼かれて橋に吊るされた。アメリカはそれを受けて報復攻撃をし、約700人の民間人を殺害。同時期にはアブグレイブ刑務所での米軍兵士によるイラク人への拷問や虐待の写真が公開され、反米感情はこれまでにないほど高まっていた。しかし、ファルージャに入るにあたり、ロスさんたちはそのようなことを何も知らされていなかったという。

 「当時の私は、頭にスカーフを巻いて私たちを攻撃してくるイラク人たちはみんな悪い宗教に洗脳されていて、アメリカ人と見れば理由もなく殺そうとしてくるのだと思っていました」

 しかし、ファルージャに入って数週間後、彼は「なぜ、イラク人が米軍に抵抗するのか」を突然理解する。村に戒厳令を敷き、武器がどこかに隠されていないか探す任務をしていた時だった。ロスさんはある民家で錆びついた地雷を発見。彼はその家の住人に手錠をかけ、頭から袋をかぶせて連行した。

 錆びついた地雷がなぜそこにあったのかはわからない。しかし、当時の彼は、怪しいと思っただけのイラク人を連行できるだけの力があった。一方で、連行されたイラク人がどうなったかはわからない。

 「この出来事で、私たちはイラクで全権を握っていて、イラクの人たちにはまったく権利がないということに突然気づきました。私たち米兵は、警察であり裁判官であり陪審員であり刑務所だった。イラク人たちが私たちに抵抗するのは当然だったんです」

 心の中で突如芽生えた「自分が参加している戦争」への疑問。

 しかし、一兵士が命令に逆らえるはずもない。その直後、ロスさんの部隊に命じられたのは「第二次ファルージャ攻撃」だった。「ファルージャをテロリストの支配から解放するため」というのがアメリカの攻撃理由だった。しかし、この攻撃はのちに「米軍によるイラクでの最悪の虐殺」と呼ばれるようになる。それはどのようなものだったのか。

 「ファルージャは30万人が住む街です。まず私たちは総攻撃の前、女性と子どもを街から強制的に出しました。それによって、一瞬で20万人が難民となりました。(中略)その後、私たちは15〜55歳くらいまでの戦闘可能な世代のすべての男性を街の中に閉じ込め、六個大隊で包囲し、何週間も無差別で爆撃しました。そうして最後に戦車と地上部隊を投入しました」

 この攻撃で命が奪われた民間人は4000〜6000人と言われる。ロスさんは無線係だった。

 「私が命令した空爆によってたくさんの人が亡くなったのです。この爆撃は無差別に行われたもので、私はそれに加担しました」

 罪の意識を抱えて帰国したロスさんたちを待ち構えていたのは、「第二次ファルージャ攻撃」を熱狂的に讃えるアメリカの人たちだった。混乱し、自分が英雄だと信じようとしたが、無理だった。

 「帰国後が一番大変でした。イラクにいた時には、アメリカがどれほど悪いことをしているのか、イラクの人々をどれほど傷つけているかなんて考えませんでした。しかし、帰国して、あの戦争はイラクの解放のためでもなんでもなかったことを知り、うちのめされました」

 同じ部隊の友人たちは酒やドラッグに溺れ、うつになる人もいれば、自殺する人も出た。

 ホームレスになった友人は、ファルージャで民間人を殺していた。パトロール中、お年寄りが手榴弾を持っていると思い込み、撃ち殺したのだ。しかし、遺体を確認すると、持っていたのは数珠のようなものだった。彼は帰国して6年、ヘロインとコカインに溺れ、毎晩悪夢を見てホームレスとなったという。

 帰還兵たちはPTSDにも苦しんだ。それだけではない。イラク戦争では、「モラル・インジャリー」(良心の傷)という新しい診断名も注目された。モラル、道徳に反することをしてしまったと感じる時に起こる病だ。しかし、PTSDと違い、治療は難しいという。退役軍人用の病院はPTSDには対応できるが、国の戦争を正しいと主張する軍の病院ゆえ、帰還兵が恥の意識や罪の意識を持つことを認めるわけにいかないからだ。

 ロスさんは、自分を取り戻すために国内外で自分の経験を話し、またイラク戦争の犠牲者に対する「償いプロジェクト」を設立。イラクの難民などへの支援をしている。

 償いをしているのは彼だけではない。アメリカ国内ではイラク帰還兵たちが集まり、毎月もらう軍人恩給の一部をイラクの人々への支援に充てている人たちもいるという。

 しかし、ロスさんたちの傷が完全に癒えることは、おそらく一生ないのだろう。それほどに、彼らは取り返しのつかないことに加担してしまった。「女の子にモテたい」という気持ちで入隊した10代の若者は、まさかこんなことに自分が加担するなんて、そしてこんなふうに人生が変わってしまうなんて、思ってもいなかっただろう。

 そして彼らの加害は、今も続いている。

 「我々の使った武器で街が汚染され、今も多くの子どもが先天性異常を持って産まれてきます。ファルージャで産まれる子どもの14.7%が先天性異常を持っているのです。異常を持って産まれてきた子どものほとんどは、だいたい数時間以内に亡くなっています。(中略)また、がんにかかる確率も他の地域の12倍高いのです」

 このような被害は、いったいいつになったら終わるのだろう。

 さて、ここで現在に目を向けよう。

 この原稿を書いている時点で、ウクライナの民間人の死者は2万3000人を超えるという。一方で、ロシア軍の死者について、ロシア国防省は3月25日時点で1351人と発表している。10代、20代の若者の死が目立つというから痛ましい。ちなみに欧米では、ロシア軍兵士の死者を最大1万5000人と見ているようだ。

 今も続くこの戦争、もしどちらかが「勝った」としても、失われた命は二度と戻らない。それだけではない。手足を失った人たちの身体は二度と元には戻らないし、破壊された街は決して元通りにはならない。また、破壊された心を癒すには膨大な時間がかかる。

 戦争が続いているということは、今、毎日毎分毎秒、そういった人々が増やされ続けているということだ。

 前々回の原稿でも、『帰還兵はなぜ自殺するのか』(デイヴィッド・フィンケル著・古屋美登里訳/亜紀書房)の言葉を引用した。

 「イラク・アフガン戦争から生還した兵士200万人のうち、50万人が精神的な傷害を負い、毎年250人が自殺する」

 戦争は、未来の自殺者を確実に増やす。その家族にも、社会にも大きな影響を与える。

 だから、本当に一刻も早く終わってほしい。ただただ、そう祈ることしかできない。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。