『メルケル 世界一の宰相』(カティ・マートン著/倉田幸信・森嶋マリ訳/文藝春秋)

 アンゲラ・メルケルは1990年3月、政治家を志し、東ドイツにおける最初で最後の自由選挙に臨んだ。そして勝利。それまで国内の民主化運動とは距離を置き、政治に影響を受けないという理由から理系を専攻していた彼女の「機を見るに敏」な転身だった。
 生まれて間もなく、父親が牧師として西ドイツから東ドイツへ移住するという家庭事情から、メルケルには若いころから慎重な態度や言動が身についていた。民主化運動に身を投じるという選択肢のなかった彼女にとって、ベルリンの壁崩壊は政治家転身のための唯一無二のタイミングだった。
 彼女の政治的な嗅覚は、ドイツ統一後、自分を政権の要職に引き上げてくれたものの、後に汚職疑惑をかけられた元首相のヘルムート・コールを切り捨てる際にも発揮される。「機を見るに敏」というよりも、注意深く、できる限りの情報を収集し、状況を分析。方向性を定めたらすばやく決断する。ただし大言壮語はしない。
 たとえば、バラク・オバマとウラジーミル・プーチンとのやりとり。若くて弁舌鮮やかな米国大統領をメルケルはそうであるがゆえに信用していなかった。政治は美辞麗句よりも結果だという信念の彼女には、オバマの演説は口先だけと聞こえたのである。メルケルが聴衆を陶酔させるような演説を行わないのは、ドイツの過去の歴史を繰り返さないという意志もあるのだろう。メルケルはその後、オバマに対する評価を見直し、2014年におけるウクライナ東部の親ロシア分離派によるマレーシア航空撃墜事件の際には、連日、米国大統領に「アンゲラに電話をつないでくれ」と言わしめる関係を築いていた。
 その事件の元凶であり、自己を正当化するためには嘘や恫喝も厭わないプーチン大統領に対しては、ときに彼の発言を単純化して「あなたの言っていることはこういうことなのですね」と問い返した。それによってプーチンに自分の言っていることの稚拙さを自覚させるためだ。プーチンはメルケルとの会談の場に、彼女の嫌いな犬を放つといったいやがらせをしたが、東ドイツの末期にKGBとして同国に勤務していた彼は、同じ時代を生き、お互いの母国語(ドイツ語とロシア語)で対話ができるメルケルの言葉には必ず耳を傾けた。
 大国とのタフな外交は、かつての西ドイツの首相、故ヘルムート・シュミットの回想録(『シュミット外交回想録 上下』『ドイツと隣人たち──続シュミット外交回想録 上下』ともに岩波書店)を想起させる。シュミットはドイツ社会民主党、メルケルはキリスト教民主同盟と所属政党は違い、時代は冷戦とその後と異なっても、外交の根本に民主主義を置く姿勢は共通している。
 もしメルケルがまだ首相を続けていたら、プーチンとの間で、戦争回避の落としどころを見つけることができただろうか──そんな自問もしながら読んだ。

(芳地隆之)

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