近未来の姥捨てを描いた衝撃作『PLAN75』の公開2日目、映画館に入って驚いた。ほぼ満席、観客の8割は私と同年代の中高年女性。そういえば数年前に見た吉永小百合と二宮和也主演の映画『母と暮せば』の客層もこんなふうだった。あのときは、吉永小百合に感情移入したおばさんたちのすすり泣きと、妻のお供でついてきたであろうおじさんのいびきの二重奏で、映画に集中できなかった記憶がある。今回は一転、館内はしわぶき一つせず、ひりひりするような緊張感が上映後明るくなっても消えなかった。
「PLAN75」とは、75歳以上の高齢者に自らの最期を選ぶ権利を認め、国が支援する(具体的には安楽死させる)という架空の制度。本作は、その制度が「国会で可決されました。高齢化問題の解決の糸口になると期待されています」というニュースから始まり、世知辛い世の中でつましく生きる老人たちと、その制度を支える側の若者たちの葛藤を淡々と描いていく。
主人公角谷ミチは78歳。夫と死別し、子はなく、ホテルの客室清掃の仕事をしながら古い団地の一室でひとり暮らしている。同年代の仲間とおしゃべりしたり、カラオケに行ったり、助け合いながら働いていたのだが、ある日突然解雇される。折しも団地の建て替えが決まり、終の棲家も失いそうになる。仕事と住まいを探して彷徨うミチ。行き着いた先は「PLAN75」の申請窓口だった。
もちろんフィクションなのだが、ディテールの描写がリアルすぎて恐ろしいほどだ。例えば制度のCM動画。赤ちゃんのあどけない笑顔からはじまり、品のいい老婦人が語る。「人間生まれるときには選べないけれど、死ぬときくらいは自分で選べたら安心でしょう」。〈未来を守りたいから〉〈あなたの最期をお手伝い〉〈75歳以上なら、どなたでも無料で申し込めます〉といったキャッチフレーズも、どこかの保険会社のコマーシャルかと錯覚しそう。
これに申し込むとまず一律10万円がもらえる。生前整理、葬儀や墓の手配、死後の手続きなど「終活のトータルサポート」もしてくれる。豪華ホテルに家族と一泊二日して思い出作りできるプラチナプランもある。作り話と分かっていても、当事者ならつい身を乗り出してしまいそうな、“お得なプラン”だ。
政府は高齢者が集まる場所でこのCMを流すだけでなく、生活困窮者支援の炊き出し会場に出向いてのぼりを立て、申し込み窓口を設置する。そこには「住民票がなくても申し込めます」との文字が……。
CM動画が流れるモニターのコンセントを引き抜いたり、勧誘ポスターにカラーボールを投げつけたり、この制度に反発する人もいるが、彼らの顔は写らない。「孫のことを考えたら、こういうのもありかもね」というミチの友人の言葉に、おし黙る老人たち。そして「政府はさらに制度利用者の年齢引き下げを検討中」というニュース音声が流れる。
「PLAN75」に誘導される老人と対比して描かれるのは、制度の実務に携わる若者たち。さりげなく制度利用へと話を進める窓口担当の市職員ヒロム、申し込んだ高齢者が心変わりしないよう、やさしく話し相手になるコールセンターの瑶子、心臓病の子どもの治療費を稼ぐため、安楽死施設で感情を封印して黙々と働くフィリピン人介護ヘルパー、マリア。生活のための仕事と割り切っていた彼らだが、生身の老人たちと関わるなかで、やがて制度への疑問を抱くようになる。
どきりとするエピソードがある。市職員のヒロムが公園のベンチに仕切りをつけるため、業者とやりとりするシーン。周知のようにベンチの仕切りは、ホームレスが寝られないようにするための“排除アート”だが、ヒロムに悪意はない。いかに効率よく忠実に職務を全うするか、ただそれだけ。それがどれほど残酷な仕打ちか、想像力が及ばない。そのヒロムの心は、偶然窓口に申請にやってきた叔父との再会を機に、次第に揺らぎ始める。そして迎える意外なラストは、本作の見所の一つだ。
主演は今年81歳になる倍賞千恵子。寅さんシリーズの妹役“さくら”として親しまれた彼女の、年月を刻んだ風貌に息をのむ。照明とメイクであえて強調したしわの陰影には、他人に頼らず、社会のお荷物にならないよう、仲間と助け合って懸命に生きてきたミチの矜持がしのばれる。そんな彼女に「PLAN75」を選ばせてしまう社会の非情さに慄然とする。
新型コロナウイルスの流行時、大阪府の吉村知事は、感染死者数発表のあと、言い訳のように「死者のほとんどが80歳以上の高齢者」と付け加えた。事実を言ったまでかも知れないが、「80歳以上? それじゃしょうがないよね」という暗黙の了解を促しているように思えてならない。
本作は果たして近未来のディストピアを描いた寓話なのだろうか。否。今この国で起こっている現実そのものではないか。障害者の大量殺傷事件、「病気や貧困は自己責任、自業自得」と言ってはばからない政治家。「尊厳死」「安楽死」「死の自己決定」「自分らしい最期」など、もっともらしい言葉で不条理な死を称揚する空気。「PLAN75」はもう始まっている。
(田端薫)
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『PLAN75』(2022年日本・フランス・フィリピン・カタール/早川千絵監督)