伊藤千尋さんに聞いた:国境を越えて、すべての人の命を守る。「侵略を起こさない」仕組みづくりを日本が主導しよう

ウクライナ危機の影響もあって、「防衛費の増額」が争点の一つになっているともいわれる今回の参院選。与党・自民党はこれまでの防衛費増額路線を継続し、敵基地攻撃能力の保有も目指すとしています。しかしそれが、果たして本当に日本の進むべき方向なのか。紛争地を含む世界82カ国を取材してきたジャーナリストで、著書や講演を通じて憲法9条の重要性を訴え続けている伊藤千尋さんにお話をうかがいました。

「国を守る」という発想自体が時代遅れ

──5カ月前に始まったロシアのウクライナ侵攻以来、「憲法9条では国を守れない」などとして、改憲や軍事力増強を訴える声が急速に強まってきたと感じます。まもなく投開票の参院選に際しても、自民党や維新の会が防衛費増額の必要性を明言していますが、伊藤さんはこうした状況をどう見ておられますか。

伊藤 まず、すごく不思議だと思うのは、なぜウクライナの問題と憲法9条を結びつけるのかということです。ウクライナは9条を持っていたわけではなく、戦力を備えていたけれど攻められたという話ですよね。もちろんロシアにも9条があったわけではない。軍事力を持っている国同士の戦いなのに、突然「9条では国は守れない」と言い出すのは、まったく論理がつながらないと思います。
 そして、もう一つ気になるのが、こういう話になるとなぜかみんな「国を守る」という言い方をすることです。「人を守る」ではなく。

──たしかにそうかもしれません。

伊藤 それを聞くたびに、みんな自分が首相か大統領にでもなったつもりなのかな、と感じます。そして、この「国を守る」という発想自体から、私たちはもう脱却するべきではないかと思うのです。

──どういうことでしょう。

伊藤 「国を守る」というときには、どこかに国境線を引いて、この線の内側は仲間、守るべき存在だと規定するわけですよね。そして、その線の向こう側の人たちは国民ではないから守る必要がないという考え方が前提になります。
 けれど、こちらがそう考えれば、当然向こう側の人たちも同じように考えるでしょう。向こう側の人たちからしたら、こちら側の私たちは守らずに切り捨てていい存在だということになる。そして、国同士の関係性がおかしくなったときには「あいつらは敵なんだから殺していいんだ」となって、戦争へとエスカレートしていくわけです。
 つまり、国境線を引き、こちら側の自分たちだけを守ると考えること自体が、戦争を引き起こすともいえる。「力と力でぶつかって強い方が勝つ」のが当たり前だった帝国主義の時代ならいざ知らず、グローバル化が進んだ今の時代に、そうした発想は時代遅れも甚だしいと言うべきではないでしょうか。日本国憲法前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とあるように、自分たちが生きるためには相手も生きる、自分たちの命だけではなくすべての人の命を守る。そのためにはどうすればいいかという発想をしなければいけない時代になっているんだと思います。

──ただ、今回のウクライナ侵攻にあたって、軍事力増強を主張する声が強まったのは、自分たちだけがそう考えていても、向こう側──たとえばロシアや北朝鮮──が攻め入ってきたらどうするんだ、と考える人が多いからではないかと思います。

伊藤 まず認識しておく必要があるのは、ロシアは何の理由もなくウクライナに攻め入ったわけではないということ。その「理由」が正当であるかどうかは別にして、「ウクライナはもともとロシアの一部だ」という主張が、ウクライナ攻撃の大義名分とされました。そのように今の時代、他国を攻撃するというときには必ず大義名分が必要です。ロシアや北朝鮮に今、日本を攻める大義名分はありませんから、今回のウクライナのように攻め込まれることはまずあり得ないといえます。
 そして、ロシアのように突然隣国に攻め入るようなことをする国が世界の大勢かといえば、そんなことはありません。国連でロシアに即時撤退を求める決議が採択されたときには、193の加盟国中141カ国が賛成し、反対したのはロシアを含む5カ国のみでした。つまり、ロシアのような侵略を許してはならないということを、大半の国々が明確に主張している。帝国主義の時代から、人類は少しずつでも進歩して、そういう共通認識をつくり上げてきたんです。
 もちろんそれでも、侵略や戦争を防ぐための仕組みはまだ完璧にはほど遠い。だからロシアのような国も出てくるわけですが、だからといってこれまでの進歩を全否定して、「力と力」の時代に戻ろうというのは、乱暴で野蛮な発想というよりほかありません。それよりも、世界はこれを教訓として、同じようなことが起きないような仕組みづくりをしようという方向に向かうべきではないでしょうか。

終わりのない軍備増強で、人の生活が破壊される

──しかし、日本政府はウクライナ問題を機に、軍備増強を加速させようとしています。第二次安倍政権の時期から防衛費は増加の一途をたどってきましたが、今年6月に閣議決定された「骨太の方針」でも、防衛費を現在の国内総生産(GDP)比1%から2%程度に増額するとの方針が示されました。

伊藤 GDP比2%というのは北大西洋条約機構(NATO)加盟国が国防費の目標として示している数字ですが、これはトランプ前米大統領が言い出したものです。つまり、NATOにおけるアメリカの負担軽減のために、各国の国防費を増強しろということで持ち出した数字だった。それを、NATO加盟国でもなくまったく無関係な日本が持ち出して防衛費増額の理由にするというのは、単なる便乗としか思えませんね。

──自民党の政治家からは、「(防衛費について)必要なものを積み上げれば10兆円規模になる」という発言もありました。

伊藤 「必要な」と言い出せば、10兆円なんてものじゃ済まないですよ。抑止論の立場に立てば、「必要」の範囲は絶対数ではなく相対的に決まるものです。だから、敵に対抗するためにはもっと必要だ、と言っているうちに、どんどん増えていってしまう。
 たとえば今、日本が仮想敵国と見ているであろう中国の国防費は現時点でも27兆円。さらに、習近平主席は「アメリカに追いつく」と言っていますから、いずれはアメリカと同じ100兆円規模にまで膨らむかもしれない。それに対抗しようというのであれば、日本の年間国家予算がちょうど100兆円強ですから、それをほとんど全部軍事費につぎ込むのか、ということになってしまいます。

 これは極端な例かもしれませんが、いずれにしてもそうして軍備を増大させる方向に持って行けば、国民が生きていくためのお金がどんどん削られていってしまう。戦争で国が滅ぶ前に、みんながまともに生きていけなくなりますよ。
 それをやったのが、冷戦時代の旧ソ連です。大量の核弾頭を所有し、ロケットや人工衛星を飛ばして……と、アメリカとの軍拡競争に莫大な予算をつぎ込んだ結果、国民にパンが配れなくなった。そうして食えなくなった国民の不満が、1991年のソ連崩壊へとつながったわけです。日本が今やろうとしているのは、それと同じことではないでしょうか。ただでさえ今、コロナ禍もあって生活の苦しい人が増えているというのに、「抑止力のため」といって使いもしない武器に予算をつぎ込んでどうするんだ、と言いたいですね。

──しかも、防衛費を増やせば本当にその分「安全」になるのか? という疑問もあります。

伊藤 もちろんです。日本が防衛費を増大させれば、当然ながら周辺諸国の不安も高まります。日本がそれだけ軍備増強するなら、こっちももっと軍事費を増やそう、ということにもなるでしょう。いわゆる「安全保障のジレンマ」ですね。不安を解消するための軍備拡張だったはずが、不安を増殖していくことにしかならないわけです。
 北朝鮮がミサイルを発射してきたからといって、「こっちもミサイルを発射しろ」という形で反応すれば、本当に戦争になってしまいます。そうではなく、うまく説得したりなだめたり、対話でなんとか解決しようというのが賢い対応というものではないでしょうか。

「武力ではなく対話を」という風潮を

──先ほど、今回のウクライナ侵攻を受けて、軍備増強ではなく同じようなことが起こらない仕組みづくりのほうへ進むべきだとおっしゃいました。具体的にはどのようなことでしょうか。

伊藤 一つは、独裁国家をなくし、世界中に民主主義を広めていくことでしょう。ロシアや北朝鮮もそうですが、侵略行為のようなことは独裁的な体制の国で起こりやすい。民主的な体制が確立していれば、誰か政治家が「ここの国に攻め込むぞ」なんてことを言い出したとしても、「それはおかしい」という声が国内から出てくるはずだからです。
 そしてもう一つ、「何か問題があったら、武力ではなく対話で解決しよう」という世界的な風潮をつくっていくことだと思います。

──そのためには何が必要でしょうか。日本が果たせる役割はありますか。

伊藤 最初のところで「国境線を引いて、自分たちだけが生きのびる」という発想自体が時代遅れだと言いました。その「国境線」をなくそうという試みが、ヨーロッパにおけるEUの創設です。
 ヨーロッパにおいても、20世紀前半は戦争が繰り返された時代でした。そこで第二次世界大戦後に、再び同じようなことを起こさないために、戦争に必要なエネルギーと鉄を共同管理下に置こうというアイデアが生まれた。そして1958年に成立したのがヨーロッパ石炭鉄鋼共同体です。ここから徐々に経済や政治面でのつながりを強めて、ヨーロッパ経済共同体、ヨーロッパ共同体などを経て、92年のEU成立に至った。今では、域内の移動にはパスポートもいらなくなっている。つまり国境がなくなってきているわけです。
 そのようにヨーロッパでできたことが、他の地域でできないわけはありません。アジアやアフリカ、中南米でも、同じような試みを進めていく。そして日本は、そのアジアでの試みを主導する役割を果たしていくべきだと思うのです。

──まず、何から始めればいいのでしょう。

伊藤 ヨーロッパで共同体をつくろうという試みが前に進んだのには、二つの背景がありました。一つは、ホロコーストなどの戦争犯罪についてドイツが明確に謝罪したこと。そして、ドイツとはずっと犬猿の仲だった隣国のフランスが、すかさず「謝罪を受け入れる」と表明したことです。この連携があって初めて、共同体の設立は可能になったのです。
 アジアでも同じでしょう。日本がきちんと過去の過ちを謝罪する、中国や韓国がそれを受け入れる。そうした連携ができるような関係性を、まずはつくらなくてはなりません。

──現状のように、政治家が過去の自国の戦争犯罪を否定するような発言があってはならないわけですね。

伊藤 もちろんです。そんな発言があったら、まず日本国民が許さないとはっきり示さなくてはならない。そしてそれを第一歩として、EUのアジア版、あるいは北東アジア版をつくろうという試みに取りかかるべきだと思います。
 一からつくらなくても、アジアにはすでにASEANがありますから、それを下敷きにするという形でもいい。一番いいのは、日本が中国や北朝鮮を説得して一緒にASEANに加盟することでしょうか。それによって、アジアの中ではどこかの国がどこかの国を侵略するといったことは起こらないような仕組みをつくっていく。その取り組みの先頭に日本は立っていくべきだと思います。

──それが結局は、国民の安全を高めていくことになる……。

伊藤 もちろん、すぐには無理でしょう。でも、EUだって成立までには50年がかかりました。アジアも、50年先には同じところまで行けるかもしれません。それに向けて、一歩でも二歩でも前に進めていく。まずは始めないと、何も動き出さないのですから。
 ウクライナの問題を見ていると、世界はすべて悪い方向に向かっている、と思ってしまいがちです。でもたとえばつい先日、国連の核兵器禁止条約をグアテマラが批准しました。これで中米諸国はすべての国が批准したことになります。あるいは、世界各地で今「非核地帯条約」が生まれていて、その加盟国数は116。国連加盟国の半数以上が「非核地帯」に参加しているのです。
 そういうところに目を向ければ、やはり世界は、人類は少しずつでも進化して、戦争をやめようという方向に進んできていると感じられます。あるいは、今回のウクライナ侵攻に反対して世界中で起こったデモでも、ウクライナ国旗とともに「NO WAR」の言葉を掲げる人をたくさん見かけました。侵略された立場に立ちながらも、ただそちらの国を応援するというのではなく、戦争をやめて命を守ろう、国を守るのではなく人を守ろうという考え方が広がっているように感じます。
 こうした「進化」に目をやることなく、ただ「やっぱり軍事力がないと……」などと言い出すのは、あまりにも人類の歴史を冒涜しているといえるのではないでしょうか。

(取材・構成/仲藤里美)

(いとう・ちひろ) ジャーナリスト。1949年、山口県生まれ。東京大学法学部卒業。1974年、朝日新聞に入社。サンパウロ支局長、バルセロナ支局長、ロサンゼルス支局長などを歴任。2014年に朝日新聞退職後も、フリーのジャーナリストとして世界各国の取材を続け、精力的に執筆と講演を行っている。『13歳からのジャーナリスト』(かもがわ出版)、『活憲の時代』(シネフロント社)、『燃える中南米』(岩波新書) 、『非戦の誓い──「憲法9条の碑」を歩く』(あけび書房)、『9条を活かす日本──15%が社会を変える』『連帯の時代──コロナ禍と格差社会からの再生』(ともに新日本出版社)など著書多数。

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