第216回:後ろ向きの世界(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 世界が、総じて後ろ向きになっているような気がする。
 21世紀が始まったころ「20世紀は戦争の世紀だったが、21世紀は冷戦後の融和の世界が幕を開けるだろう」と言われた。そうなることを、世界中の(支配層を除く)人々が感じていたに違いない。しかし、幕が上がった21世紀の舞台の上で繰り広げられているのは、独裁者たちの強権政治、自由の抑圧、そして戦争だった。
 人々の願いは踏みにじられていく。

 もし、日本が島嶼国家ではなく、アジアの片隅で他国と地続きの国だったらどうなっていただろう。最近は、しきりにそんなことを考える。同じ島嶼諸国でも、オーストラリアやニュージーランド、更にはインドネシアやフィリピンでさえ、日本よりは毅然とした外交政策をとっているような気がして仕方がない。ことに、対米政策に関してはそう思う。
 対米従属という政策一本やりで戦後77年を過ごしてきた日本は、この先、アジア諸国の中でさえ指導力も影響力も失っていくのかもしれない。
 アジアでは、独裁的な長期政権の強権政治が続いている国が多い。日本も、次第にその域に近づいている。

 民主主義の代表のような顔をしているアメリカだが、実は一皮むけば現在も強権政権の名残りが幅を利かせている。むろん、トランプ政権の置き土産だ。このところの時代錯誤、後ろ向きの 米最高裁の判決が、それを示している。

 妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を、米最高裁が48年ぶりに覆して、6月24日「中絶の権利は認めない」との判断を下した。まさに、女性の権利を根底から否定するものとして、全米各地で大きな抗議デモも起きている。
 また、その前日の23日には「銃の携行を規制する州法は違憲である」との判決も出している。これほど銃乱射事件が多発し、多くの犠牲者が出ている現状でもなお、銃規制には反対の立場をとる。銃規制派からは激しい批判が起きている。
 まるで、時間が100年ほど退行してしまったような判決が続く。

 まだある。米最高裁は6月30日、「連邦政府の環境保護局(EPA)には二酸化炭素など温室効果ガス排出量を規制する権限はない」との判断を下した。つまり、バイデン政権の環境政策を全否定したに等しい。
 これもまた、温暖化対策に後ろ向きの判決だ。自国さえよければ他国のことなど知ったことか。トランプ氏の「アメリカ・ファースト路線」そのままである。

 なぜ、こんな前近代的な判決を、米最高裁は連発するのか。それがトランプ前大統領の置き土産なのだ。
 米最高裁判事は9名。かつては保守派、リベラル派、中道派がバランスよく混在していた。米最高裁判事は終身制。死亡するか本人が退任を申し出ない限り、代わることはない。一度任命されたら、構成は変わらない。
 トランプ政権下で、3名が交代した。ゴーサッチ判事、カバノー判事、バレット判事がトランプの指名によるもので、いずれも保守派とされている。

 このうち、エイミー・バレット氏は、リベラル派で国民的人気も高かったルース・ギンズバーグ判事の死去に伴う後任。しかし、バレット氏は人工妊娠中絶などに反対する超保守派の女性だったことから賛否両論の的となった。しかし、トランプ氏が強行して判事につかせた。
 かくして、米最高裁判所は6名の保守派、3名のリベラル派という偏った構成になってしまった。それが前述の「トランプの置き土産」の意味である。
 米最高裁は判事が終身制であることから、これからもかなり前近代的な判決が続くことは間違いない。アメリカが後ろ向きになっていくひとつの原因である。

 しかし、日本だってあまり他国のことは言えない。
 前のコラム(第214回)で触れたから詳しくは書かないけれど、日本の最高裁判事は15名。アメリカと違って定年制だが、この15名すべてが「安倍政権下」の任命であることに注目してほしい。しかも判事には、弁護士枠、検事枠、学者枠などの暗黙の約束があったにもかかわらず、安倍政権はそれも無視した。
 日本の最高裁が、このところ続いて「後ろ向きの判決」を下しているのには、こんな事情もあるのだろう。

 裁判所だけではない。世界は“強権化”しつつあるように見える。
 プーチンによるウクライナ戦争は、誰がどう考えても許されるべきことではない。武力をもって他国を併合するなど、まるで世界大戦のころの列強の植民地強奪競争のようだ。そしてロシア国内の政府に批判的なメディアは、プーチン政権によってほぼすべてが沈黙させられている。

 中国支配の凄まじさは、香港を見ていれば背筋が凍る。香港がイギリスから中国へ返還されて25年が経った。7月1日、その記念式典に習近平主席が出席「愛国者による香港統治が実現されなければならない」と演説した。
 自由を認める「一国二制度」は50年間の取り決めだったが、半分の25年で、習近平氏によって完全に壊滅させられた。香港市民は口をふさがれ、民主派議員は一掃され、自由な新聞やテレビは閉鎖されて沈黙した。なにが「一国二制度」か。

 北朝鮮の独裁政治は、もはや行き着くところまで来た。人民の飢えは災害規模に達しているというが、頭領さまは人民の空腹よりも、ミサイルや核開発に資金をつぎ込む。独裁の極北に至った。

 フィリピンでは、かの独裁者マルコス元大統領の息子のフェルディナンド・ロムアルデス・マルコス・ジュニア氏が大統領に選ばれた。その彼が就任後、最初にやったことは、ノーベル平和賞受賞者のマリア・レッサ氏が編集長を務めるニュースサイト「ラップラー」の閉鎖命令だった。「ラップラー」は、ドゥテルテ前大統領の腐敗政治を果敢に批判することで知られていたが、マルコス新大統領は「政権批判は許さない」との方向性を明確にしたのだ。

 ミャンマーのクーデター後の軍事独裁ももはや1年以上が過ぎた。民主派の象徴だったアウンサンスーチー氏はついに刑務所に収監された。ここでも、自由なメディアは次々に弾圧され、他国に逃れた記者たちが細々と状況を伝えてくれるだけだ。
 追いつめられた学生や労働者たちは、辺境の地で武器をとって、少数民族の武装勢力などとともに抵抗運動を続けている。
 このミャンマー軍事政権に、日本はきちんとした制裁を加えないどころか、裏で今でも交流を続けている。ウクライナへの支援やロシアへの制裁に比べれば、明らかなダブルスタンダートである。

 米軍が、後始末もせずに撤退したアフガニスタンでは、タリバン政権の女性差別が、これ以上ないほどに深刻だ。女性の学校教育は否定され、数世紀前のような女性差別が今でも行われているのだ。

 トルコのエルドアン大統領の強権政治も続いている。国家をもたない最大民族といわれるクルド人の存在を許さない。クルド人組織は、エルドアン氏の弾圧に対し、国境地帯で武装闘争を止めない。
 エルドアン氏がフィンランドやスウェーデンのNATO加盟に難色を示していたのは、この両国がクルド人組織を“人道的に支援”していたことに反発したからだ。

 イスラエルのパレスチナ人に対する弾圧は「圧倒的な非対称」と言われる。強力な武器を振りかざしてパレスチナ人の追い出し、本来、自国領土ではないヨルダン川西岸に、ユダヤ人の入植地を次々に建設していく。
 反対するパレスチナ人のデモは、強圧的に粉砕される。投石と機関銃。それがこの両者の「圧倒的非対称」の象徴である。ナチスの大虐殺を受けたユダヤ人の、パレスチナ人に対するやり方は、どうしても同じ民族だとは思えない。

 日本では参院選が終盤である。
 各報道機関は「与党圧勝」の報道でほぼ一致している。ぼくはそうならないことを心から願っているが、図に乗った自民党の候補者や議員たちの、冗談にもならない妄言暴言が、街頭やSNSで繰り返されている。
 麻生太郎、山際大志郎などの現役幹部は言うに及ばず、井上義行比例区候補、いくいな晃子東京選挙区候補など枚挙にいとまがない。それに輪をかけて「神道政治連盟国会議員懇談会」での差別とヘイトに満ちた文書の配布。
 ほんとうに、こんな政党が政権を握ったままでいいのだろうか?

 ぼくは決めた。
 選挙区ではあの党の人、比例区では女性候補。
 少しでも、この国の未来が明るくなってほしいから。
 ぼくにはもう、あまり遠い未来を見通す時間はないのだけれど…。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。