神奈川県川崎市の「子どもの権利に関する条例」に基づいて2003年にできた、約1万㎡の敷地をもつ「川崎市子ども夢パーク(ゆめパ)」。ここは、泥んこになったり、焚火をしたり、ゴロゴロしたり、どんな子どもも自由に過ごせる遊び場です。その一画には、学校に行っていない子どものための「フリースペースえん」もあります。ここに通う子どもたちを撮影した映画『ゆめパのじかん』を中心に、監督の重江良樹さんと、子どもの養育環境がご専門の臨床心理士・武田信子さんに対談していただきました(※撮影時のみマスクを外してもらいました)。
「小さいときに、ああいう場所があったら」
――まず最初に、監督から映画『ゆめパのじかん』を制作されたきっかけを教えていただけますか。
重江 前作『さとにきたらええやん』で、大阪の釜ヶ崎にある児童館「こどもの里」を舞台にした映画をつくったんですけど、ここは、子どもたちの居場所になっているんですよね。いろんな家庭の事情をもつ子どももいて、親にとっての休息場所にもなっている。この映画を上映したときに、「小さいときに、ああいう場所があったら、こんな大人がいたら、もう少し楽やったかもしれん」とか「私の子どもには、こんな場所はなかった」とか、そういう感想があったんです。
一方で、いじめや虐待、ひきこもりや自死……子どもに関する悲しいニュースって減らないじゃないですか。安心できる場所や信頼できる大人を必要としているのに、周りにそれがないという子が多い。そう考えていくなかで、また「子どもの居場所」のことを伝える映画をつくりたいなって思うようになりました。
映画『ゆめパのじかん』より©ガーラフィルム/ノンデライコ
――今作の舞台は「川崎市子ども夢パーク」(ゆめパ)です。ここは川崎市が制定している「川崎市子どもの権利に関する条例」をもとにつくられた場所で、だれでも自由に遊べるプレーパークエリアなどのほか、学校に行っていない子どもが通う公設民営の「フリースペースえん」もありますね。
重江 制作にあたって、いくつか子どもの居場所を取材・見学させていただいたのですが、ゆめパの理念みたいなものが、「こどもの里」と一緒なんですよね。常に子どもを真ん中において、子どもの最善の利益を考えている。上から子どもを見るんじゃなくて、同じ目の高さで話し合う、そういう“子ども観”をもった大人がいる場です。
「こどもの里」とゆめパは、形態は違うんですけど、子どもにとって安心できて、信頼できる第三者の大人がいるという点では同じ。だから、ここで撮影しようと決めました。
川崎市子どもの権利に関する条例
第27条 子どもの居場所子どもには、ありのままの自分でいること、休息して自分を取り戻すこと、自由に遊び、若しくは活動すること又は安心して人間関係をつくり合うことができる場所(以下「居場所」という。)が大切であることを考慮し、市は、居場所についての考え方の普及並びに居場所の確保及びその存続に努めるものとする。
子どもたちの目から見た「ゆめパ」の存在
――臨床心理士の武田さんは、子どもの養育環境がご専門です。ご著書『やりすぎ教育 商品化する子どもたち』では、不適切な教育が不登校につながりやすいことや子どもの「遊ぶ権利」の重要性などを指摘されています。ゆめパのことは以前からご存じだと思いますが、映画をご覧になってどんなご感想をもちましたか?
武田 ゆめパにあるような「プレーパーク(冒険遊び場)※」自体は、いま日本全国に400カ所以上あるんですよね。でも、ゆめパのようにほぼ毎日朝から夜までやっているところは少ないと思います。私も何度かゆめパには行ったことがあるので、映画に出てくる風景は見知ったものではあったんですけれども、とくに印象に残ったのはあそこで高齢の男性が木工をされている様子でした。
※プレーパーク:禁止事項をなるべく設けず、工作、焚火、水遊び、木登りなど、すべての子どもたちが自由にのびのび遊ぶことを保障する「遊び場」
木工ボランティアの福峯さんとミドリ。映画『ゆめパのじかん』より©ガーラフィルム/ノンデライコ
重江 木工ボランティアの福峯衆宝さんですね。通称「師匠」です(笑)。
武田 福峯さんにはお会いしたことがあるのですが、人生経験豊かな魅力的な方ですよね。子どもの居場所と呼ばれるところに、人生をある程度過ごしてきた方がいて、子どもたちと一緒に静かに木工をやっている。その姿がすごく残りました。キラキラしている大学生のお姉さん、お兄さんがいる居場所はたくさんあるんだけど、自分が生きていって歳をとったあと、「こういう生き方もあるんだ」という姿を見せてくれる人が身近にいることは、子どもにとって大きな意味があると思います。
きっと、ゆめパではもっと「派手なシーン」も撮れたはずだと思うんです。そういうなかで、福峯さんと子どもたちとの様子を選んで撮影された着眼点が、とても面白いと思いました。全体的に淡々とゆめパで過ごす子どもたちの様子を映していますよね。
重江 そうですね。最初から思っていたのが、「ほら、子どもって素敵でしょ!」っていう映画にはしないでおこうということでした。僕は、子どもは可愛いだけの存在じゃなくて、いろんな面をもつ一人の人間だと思っているんです。その子どもたちの目とか言動を通して、ゆめパがどんな場なのかを浮かび上がらせたかった。映画の印象は見た人に委ねますけど、僕としては白身魚のような映画だと思っています(笑)。トロみたいな派手さはないけど、噛んでたらじわじわくる、みたいな。
武田 あはは、いいね、面白いなあ(笑)。
臨床心理士の武田信子さん
「勉強が好きだと言えなかった」
――ゆめパの一角にある「フリースペースえん」に通うミドリさんの「勉強そのものは嫌いじゃない。学校でノートに写すだけの勉強が嫌いだった」、リクトさんの「そんなバンバンやらされても、逆に覚えないと思うんだよね」といった、不登校になった子どもたちの言葉に学校教育の問題点が的確に表れているようでハッとさせられました。
武田 あれは、ゆめパが子どもたちにとって安全な場所だからこそ言うことができた言葉だと思うんです。以前、私の大学のゼミで、ある学生が「自分は勉強が好きだった」って泣き出したことがありました。「でも、勉強が好きだって言ったら優等生みたいで、周りの子たちから浮いてしまうから勉強が好きだって言えなかった」って。
本来、勉強は深めていくと遊びのように楽しいもののはず。でも、いま学校でやっていることは、なにか違うし、おかしい。そのことに子どもたちは気づいているんじゃないかな。でも、それは学校の中にいたら言えないこと。ゆめパには理解してくれる大人がいて、自分の思いを話しても安全だという確信があるからこそ、本音を出せたのではないでしょうか。
重江 おっしゃる通りだと思います。ミドリは、ちょうど僕が撮影を始めたときと同じ時期にゆめパに初めて来た子で、最初はなんだか暗い顔をしていました。僕は週2ペースくらいでゆめパに通っていたんですけど、会うたびにミドリの表情がどんどん明るくなって、周りの友だちと遊ぶようになり、木工にはまりだしていったんですよね。
映画『ゆめパのじかん』より©ガーラフィルム/ノンデライコ
「遊び」を通して生きていく力を学ぶ
――ほかにも虫をずっと観察する子がいたり、植物図鑑を調べたり、子どもたちの過ごし方にも個性がありますね。こうした「遊び」に夢中になる時間は、子どもの成長にとってどういう意味をもつのでしょうか。
武田 そもそも人間は遊ぶことによって自分を知り、他人を知り、どうコミュニケーションをとればいいのか、自分や他人の感情とどう付き合っていくのかを知っていくんです。そういう発達の基本にあるのが「遊び」です。生きる能力を獲得していくために必要な「学び」は、同時に「遊び」でもあるんですね。
でも、日本では「遊び」というと、「ゆとり」や「いやし」みたいな、プラスアルファのものみたいに思われているところがある。十分に遊ぶことで基礎をつくっておかないと、学びがその上にのっからないというのが発達心理学の基本ですが、これは教育熱心な人ほど知っておいてほしいことです。
最初から自分が正解だと思うことを「子どものために」教えてあげようと考える大人もいますが、子どもが自分自身で試行錯誤して失敗することで学ぶものは大きい。そして、そうした失敗がもっとも許されるのが遊びの世界です。ただし、遊びによって自己肯定感や協調性、創造力といった非認知能力が高まるという話が知られるようになったことで、今度は「非認知能力をつける塾」も出てきているんですよ。遊びまでも効率化や管理の対象になってしまっています(苦笑)。
映画『ゆめパのじかん』より©ガーラフィルム/ノンデライコ
重江 大人の「よかれ」が、結局子どもの考える力や失敗する機会とかを奪っていますよね。ゆめパの子どもたちは自分でいろいろ工夫して遊んでいるけど、いまの子どもたちを見ていると整備された遊具とかゲームとか用意されたもので遊ぶパターンが多い。
ゆめパの子どもではないのですが、僕が子どもたちと原っぱに行って「遊んできいや」と言ったら、「何して遊んだらいいん?」って聞くんです。棒切れ一本、石ころ一個だけでも遊べるのに、そういう自由な発想が奪われているというのは感じます。遊びながら考えて、工夫して、失敗して。そうしていろんな思考を働かせて子どもは育っていくものですよね。
武田 ズルの仕方とか、失敗の言い訳とか、遊びながらいろんなことを覚えるわけですよね。この言い訳は通じたけど、こっちは通じないぞとか(笑)。
ありのままの子どもを受け止める
――この映画のテーマでも「子どもの居場所」という話がありましたが、子どもの居場所に必要な要素とは何だと思われますか。
重江 最初に言ったような、子どもが安心できて安全でいられる場所と、信頼できる大人がいること。そして子どもが真ん中であることが大事だと思います。どんな形態であれ、その子ども自身が「ここが私の居場所だ」って感じられることが、やっぱり一番なんじゃないでしょうか。
武田 私が教えている大学院生が、居場所が子どもたちにどんな役割を果たすのかを調査していたことがあるので、その内容を少し紹介しますね。
世の中には「子どもの居場所」とされる場所はいろいろありますが、たとえば、そのなかには「勉強ができるようにしよう」、「就学や就労ができるようにしよう」とか「精神的な問題を治療していこう」とか、何か子どもに「不足している」部分があって、それに対して支援をしようというアプローチのところもあります。
一方で、ゆめパのフリースクールのような居場所で行われているのは、学習支援でも治療的な支援でもなく、ありのままの子どもを受け止めて、安心感を高めることに集中してエンパワメントしていく支援と言えます。長い間傷ついてきた子どもが「自分はこのまま生きていていいんだ」と思えるまでには、やっぱり時間がかかる。大人や社会への不信感を解消して、人との関係を少しずつもてるようになって、それからようやく自分の持つ本来の力が発揮できるんです。調査は、こうした段階と居場所のかかわりを示したものでした。
ちなみに、この調査をした学生は、いまはゆめパのスタッフになっているんですよ。
重江 ああ、そうなんですね! たしかに、ほんまに最初はみんな死んだような顔でゆめパにたどりつくんですよね。学校とかに居場所がなくて子どもは不安で、その親もやっぱり不安のオーラを出している。だけど、ゆめパに通ううちに、「大丈夫、大丈夫だ」って子ども自身が思えるようになってくるのがわかるんです。
そういう意味では、ゆめパには自分たちが持っている好奇心の力をいかんなく発揮できる機会があります。「こどもゆめ横丁」というイベントでは、子どもたちが自分で小屋を建てて、何を売るかのアイデアを出して、失敗する子がいても、大人は必要以上の手出しを決してしない。
そうやって時間を過ごしているうちに、映画に出てきたサワのように「自分はどう生きていくのか」とか、将来のことを考え始める子どもが出てくるんですよね。そして、その姿を見て、ほかの子どもたちも影響を受けるんです。ゆめパには異年齢の子どもが集まっているから、自分より上の世代の子たちが目標を見つけたり、バイトや仕事を始めたり、高認(高等学校卒業程度認定)を受けたりとかするのを見ていて刺激し合っているところがある。そういう化学反応も、すごく面白いなあって思いました。
映画『ゆめパのじかん』より©ガーラフィルム/ノンデライコ
「ダメだったら次」という選択肢が必要
――木工が大好きなサワさんが、宮大工の学校に行くのか、ある程度名の知られた一般の大学に行ったほうがいいのか悩むシーンがありました。はたから見ていると夢を追ってほしいと思ってしまうのですが、将来のことを考えると「そんな簡単じゃない」という彼女の気持ちもとてもわかります。
武田 子どもたちに見えている人生って単線なんだと思うんです。ひとつきりのレールしかなくて落ちたら沼、みたいな感じでイメージしている。大人たちもそう思っているんじゃないですか?
でも、デンマークとかに行くと、高校卒業後にすぐ大学に行く人は本当にいなくて、1年間プラッと世界を旅したり、バイトしたり、勉強したい人は勉強したり、いろいろなことをやってから、大学に入りたいと思ったら大学に入るんです。だから、20代後半になってから大学生になったりするんですよ。でも、それで勉強してみて違ったら、また違う道に行けばいいという考え方なんです。
10代くらいで2つの選択肢から確実に将来を選びなさい、なんてそもそも無理なことですよ。本当に宮大工になれるのかどうか誰にもわからないし、大学に行けば幸せになれるってわけでもない。「宮大工がだめだったら次に行けばいいじゃん」とか、「大学行ってみてダメだったら1年でやめればいいじゃん」とか、そういう選択肢を子どもも、大人も必要としているのに、いまの日本社会ではそれが難しい。だからみんな、綱渡りみたいなんですよね。
重江 ひとつ間違えると、ほんまに人生おわりなんじゃないかってなってしまう。それはなんででしょうね?
重江良樹監督
武田 現実として、日本では成績とか学歴や仕事とかで判断される場面が多いし、そういうやり方で成功した人たちが社会を仕切っているからじゃないでしょうか。本当は、多様な生き方をしている人たちが社会にはたくさんいるんだけど、それが子どもたちから見えにくい。大体、社会科の教科書に出てくるのは下克上で勝ってのし上がった武将とかで、しかも男ばかりでしょ(笑)。
大学生に「子どものころ、周りに大人って誰がいた?」と聞くと、「家族」、「親戚」、それから「学校の先生」って言うんですよ。それから、あとはユーチューバーくらい。家と学校の往復だけで地域の人との出会いがないから、「普通の大人」を身近に知らない。だから、ゆめパにあの木工ボランティアのような方がいることが大事なんですよ。
むかしは地域全体がゆめパのような場所だったんです。でも、いまはそういう場所がないから、ゆめパが必要になる。本当はもっと小さな規模でいいから、こういう場所が徒歩や自転車で行ける距離にたくさんあってほしいです。
重江 教科書の話、たしかにそうだなと思います。たとえば、めっちゃうまい野菜を作っている農家の人がいても、そういう生き方を子どもたちが知る機会ってあんまりないですもんね。
「子どもの権利」を認めるとわがままになる?
重江 僕はこの映画を、こういう場所があるとか、子どもに権利があるとか、自分も意見を言ってもいいんだってことを知らない子どもたちに届けたいと思っているんです。
武田 子どもの権利については、まだまだ知られていないですね。今年3月に、セーブ・ザ・チルドレンが教員向けに国連の子どもの権利条約に関するアンケート調査をしていますが、「子どもの権利を知っていますか?」の質問に「内容までよく知っている」と答えた人は2割だけでした。だけど、「学校生活で子どもの権利を尊重していますか?」という質問には、「尊重している」と「ある程度尊重している」をあわせて9割以上だったんです。つまり、先生たちは子どもの権利の内容は知らないけど、「自分はちゃんと尊重している」って思っているわけです。そのギャップがすごいですよね。
ゆめパは、川崎市で制定された「子どもの権利に関する条例」に基づいてできた場所で、子どもの権利について知らせようとしているところも大きな特徴だと思います。ただ、日本では「子どもの権利」に反対する人も少なくない。その理由は「わがままになるから」です(苦笑)。義務と権利がセットだと思っている人も多いんですよ。
川崎市子どもの権利に関する条例
第2章 人間としての大切な子どもの権利1.安心して生きる権利 2.ありのままの自分でいる権利 3.自分を守り、守られる権利 4.自分を豊かにし、力づけられる権利 5.自分で決める権利 6.参加する権利 7.個別の必要に応じて支援を受ける権利
――そうした意見について武田さんは、どう思われますか?
武田 誰にとっての「わがまま」なのか、なんですよね。「子どもはこうあるべき」と思っている人たちからすれば、自分の理想や自分の権利を脅かすものは「わがまま」です。そういう人たちには、「自分が権利を奪われたらどうなるのか」ということをぜひ考えてほしいのだけど、自分たちは安全なところにいるので、なかなか気づきません。これは、ほかの社会問題についても言えることだと思います。
以前、ある学校から相談を受けたことがあるんですが、その地域では学年ごとに「こうあるべき」というスタンダードが決められていて、みんな大人の言うことをよく聞いて、不登校もなくて、すごく良い子に育っていると言うんです。「ただ、主体性がないことだけが問題なんです」って。それを聞いて「うわあ…!」って思いました。その教育では主体性は育たないですよ。
ルールを守って、他人と仲良くして、成績もよくて、先生の言うことを聞いて、意見を求められたときだけ手を挙げて意見を言う。それが「いい子」だと思っている大人は、実は多いんじゃないでしょうか。もし、子どもたちを商品のように考えるなら、停滞や失敗などの無駄をなくして最短で効率的に「いい子」に仕上げることが大切でしょう。でも、本来の子どもたちは、もっと多様で豊かな存在です。
木工に夢中になるサワ。映画『ゆめパのじかん』より©ガーラフィルム/ノンデライコ
子どもがもつ力を、安心して発揮できるために
重江 大人は「よかれ」と思っていても、実は子どもの力を奪っているということはありますね。
武田 ただ、これは学校が悪いとか、家庭が悪いとか、個々に責任を押し付けても解決しない問題で、私たちの社会の価値観から根本的に変えていく必要があります。しかも、トップダウンで一気に変わることは期待できないので、気づいた人から少しずつ動いていくしかありません。
重江 社会の空気というか認識を変えていかないと学校も変わらないですもんね。僕には映画をつくるくらいしかできませんけど、映画を見た人に「こういう場所もあるんだ」、「こういう考え方があるんだ」と周りの人に共有してもらうことが大事かなって思っています。この映画を撮影しながら、安心できる場所があって、過度に干渉せずに見てくれる大人がいたら、子どもは自分で育っていける力をすごい持っているんだな、と感じました。その力をちゃんと発揮できるようにしないといけない。
僕は最初に、ゆめパで子どもたちのミーティングに参加して「みんなには当たり前にゆめパがあって、フリースペースえんがある。でも、こういう場所が近くにない子どもも日本にはたくさんいる。この場所を紹介することで、必要としている子に同じような場所ができたらいいなと思っているので、ここで映画を撮らせてください」と話したんです。
その後、映画が完成して試写を見てもらったときに、サワからは「私たちの大切なゆめパのこと、たくさんの人に伝えてくださいね!」って言われました。本当にみんなにとってゆめパは大事な場所だし、こういう場所がみんなにあってほしいと思います。
(構成/中村未絵)
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重江良樹(しげえ・よしき) 映像制作・企画「ガーラフィルム」の屋号で活動中。大阪市西成区・釜ヶ崎を拠点に、映画やウェブにてドキュメンタリー作品を発表すると共に、VPやネット動画など、幅広く映像制作を行う。子ども・若者・非正規労働者・福祉などが主なテーマ。2016年公開のドキュメンタリー映画『さとにきたらええやん』は全国で約7万人が鑑賞、平成28年度文化庁映画賞・文化記録映画部門 優秀賞、第90回キネマ旬報ベストテン・文化映画第7位。
武田信子(たけだ・のぶこ) 臨床心理士。一般社団法人ジェイス代表理事。元武蔵大学人文学部教授。臨床心理学、教師教育学を専門とし、長年、子どもの養育環境の改善に取り組む。東京大学大学院教育学研究科満期退学。トロント大学、アムステルダム自由大学大学院で客員教授、東京大学等で非常勤講師を歴任。著書に『やりすぎ教育 商品化する子どもたち』(ポプラ新書)、『教師の育て方』(共著、学事出版)など。