平井美津子さんに聞いた(その2):教員の分断、競争原理の導入──教育現場で今、起こっていること

平井美津子さんに聞いた(その1):「慰安婦」問題と学校教科書

ドキュメンタリー映画『教育と愛国』にも登場する平井美津子さんは、大阪の公立中学校の社会科教員。長年、日本軍「慰安婦」の問題を通じて、生徒たちに戦争の本質について考えてもらう授業を続けてきました。ときに激しいバッシングにもさらされながら、なぜこのテーマにこだわり続けてきたのか。それを通じて、子どもたちに何を伝えたいのか。大阪の、そして日本の「教育」の場で起こっていることについてもお話を伺いました。

SNSでのバッシングから、政治家による攻撃へ

──映画『教育と愛国』でも描かれていましたが、「慰安婦」に関する授業をずっと続けてこられる中では、日本の戦争責任を否定しようとする人たちからの攻撃やバッシングもあったようですね。

平井 最初に在特会(在日特権を許さない市民の会)が学校に乗り込んできたのは2009年ごろだったと思います。平井という教師が「慰安婦」問題、それから沖縄戦における「集団自決」や731部隊、南京大虐殺などについて教えているという情報が、私の教えている生徒の通っていた学習塾を通じて流れたようなんですね。
 それである日、校長が「保護者の関係者やっていう人が、平井さんの授業のことで何か話があるって来る」と言ってきて。私は「先生、それ相手にせんほうがいいと思いますよ」と言ったんですけど、学校というところは「保護者」という言葉を使われると弱いんですよね。結局校長はその人たちを学校に入れてしまった。そしたら、在特会のよくやる手法ですけど、ビデオカメラを出して撮影しながら、私が授業で使った元「慰安婦」の女性についてのプリントをこちらに突きつけて、「こんな嘘つきババアのことを生徒に教えてるなんて問題やろ!」と怒鳴ってきた。あれが最初の本格的な攻撃でした。

──そこから、バッシングはさらに広がっていったのですね。

平井 インターネットとSNSの力が大きいですね。在特会の動画も、ニコニコ動画などにアップされてどんどん拡散されていきましたから。
 さらに近年は、在特会のような市民団体ではなく、政治家自身がヘイトや歴史歪曲をまき散らして攻撃してくるようになりました。16年には自民党が、学校教育において「政治的中立を逸脱するような不適切な事例」があったときは報告してくれと、密告を奨励するようなサイトを開設したこともあります。もはや在特会なんか出番がない、といえる状況になっていると思います。
 今では自民党だけではなく維新の会、あとは先日の参院選で議席を獲得した参政党とか、平気で歴史を歪曲する言説を垂れ流している政党がたくさんあります。そして、そういう党の地方議員が議会の中で、「こんなひどい教育が行われている」「偏向教師は許さない!」といって攻撃してくる。在特会がどんなに大声でわめいていても世の中での影響力はそれほどありませんが、議会で取り上げられると、多くの人が「ああ、あの先生何か問題なんやな」という見方になっていきかねません。

──どんなめちゃくちゃな主張でも、なんとなくちゃんとした理由があるように見えてしまうわけですね。18年には平井さんも、大阪府議会などでの激しい攻撃にさらされました。

平井 私が「慰安婦」についての授業をやっていることについての記事が、新聞に大きく載ったのがきっかけです。特に、今の大阪府知事、当時は大阪市長だった吉村洋文さんが、自分のツイッターで私の授業を批判し、「犬笛」を吹いたことが大きかった。吉村さんのフォロワーは何万人もいますから、その「犬笛」はあっという間に拡散され、「こんな教師は許せない」とか「学校まで行くぞ」といったツイートが大量に発信されました。これは私のミスですが、記事に学校名が出てしまっていたので、抗議の電話も何本も入ったし、直接乗り込んでくる人がいるかもしれないと、学校としてもかなり危機感を持たざるを得ませんでした。
 同時に、府議会や市議会でも維新や自民の議員たちが、私に対する激しい非難を繰り返しました。本来、政治家は教育の内容については距離を置くべきだと思うのですが、いまや維新などは距離を置くどころか、自分たちこそが教育を変えるんだと主張しています。

──そうした激しいバッシングを受けたことで、学校内部から「もうあんな授業はやめろ」という声が上がるようなことはなかったのでしょうか。

平井 その18年のときは、校長や教頭から「もう二度と慰安婦については教えないでください」と言われました。学校に誰か乗り込んできたり、変なビラをまかれたりしたらどうしようという不安があったようなんですが、教育基本法第16条※にある「不当な支配の介入」にあたるという認識がなくて、どう事を収めるかしか考えていないと感じました。もちろん、私は憤慨して、その指示には従いませんでしたけど。
 他の先生方にも、問題になった新聞記事を見てもらいましたけど、「なんでこれで攻撃されるの?」ときょとんとしている人が何人もいました。「教えるのは当然でしょう」ということではなくて、なぜ問題になるのかが分かっていないんですね。そもそも「慰安婦」のことをよく知らないという教員も今は少なくないですから。もちろん、きちんと理解した上で「この問題を教えるのはおかしいことじゃない、平井先生が責められることじゃないよ」と言ってくれた先生もいましたけど……。

※教育基本法第16条:「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」

教育現場に持ち込まれる「競争原理」

──それを聞いても、教育の場の空気はこの数十年で相当に変わってきたのではないかと感じます。学校現場にいる平井さんの目から見て、そのきっかけになったのは何だと感じられますか。

平井 1999年に、「日の丸」「君が代」を国旗・国歌として定める「国旗国歌法」が成立しました。当時の自民党幹事長だった野中広務さんは、「この法律ができたからといって国旗掲揚や国歌斉唱を強制するものではない」と明言しましたが、実際にはそこから、学校現場などでの強制が始まっていきました。ただ、それでも大阪は、そういうことに抵抗する素地がもともと強い場所だった。しばらくは、それほど「強制」は広がらなかったんです。
 ところが「維新の会」が登場し、2008年に橋下徹さんが大阪府知事になると、教育に関わる様々な条例が次々に作られていきました。その一つとして、11年に全国初の国旗国歌条例が成立し、式典で君が代斉唱の際に「口パク」をしている教員がいないかを校長や教頭が見張っている、なんていうことが起こるようになった。今に至るまで10年以上続いている維新府政・市政が、本当に大阪の教育のあり方を変えてしまった、という認識があります。

──国旗国歌条例の他には、どんなことが行われてきたのでしょう。

平井 たとえば、教員に対する「兵糧攻め」です。今、私たち教員は、その能力を「SS、S〜C」の5段階で評価される仕組みになっています。表向きは「評価・育成システム」といわれていますが、実際には育成なんてまったくされていなくて、評価のみ。そして、その評価が給与などに反映されるんですね。
 結果として、これは教職員を分断することにつながりました。昔なら、ボーナスの季節になると、職員室でもよくその話題になったんですね。先輩教師に対して「先生、年いってるからたくさんボーナスもらってはるでしょ? うちらまだこんな少ないですよ」なんて、無邪気に話していたんです。でも今は、職員室でボーナスや給与の話は誰もしません。その金額で、付けられた評価が分かってしまうからです。
 さらに、評価がとても低い場合には研修を義務づけられたり、ひどい場合には分限免職になることもあります。そうなれば当然、校長や教育委員会の言うとおり、従順にふるまっておいて、早く管理職になろう、と考える人が増えますよね。職員会議の場で出された案に誰かが異を唱えたりすることも、とても難しくなっています。

──「もの言わぬ教師」が作られていっているという感じでしょうか。

平井 そう思います。あと、公立高校がどんどん潰されていっていることも大きな問題です。大阪では今、私立高校に通う子どもがいる保護者には授業料の支援補助金が出るので(所得制限あり)、授業料負担における公立との格差が縮小して、どんどん私立校に子どもが流れているんですね。公立の中でも特に「底辺校」といわれるような高校、場所が不便な高校などは、なかなか子どもが集まらなくなっています。
 ところが、12年に制定された府立学校条例では、3年連続で定員割れした府立高は「再編整備の対象とする」と書かれています。これによって、すでにいくつもの学校が「再編」されて姿を消しました。
 でも、その中には経済的、家庭的、あるいは学力的にしんどい事情を抱えているような子どもたち、放っておいたら自暴自棄になってしまうかもしれないような子どもたちと、丁寧に向き合ってきた学校がいくつもあったんです。そうした教職員の努力をまったく見もせず、ただ「定員割れしてるから」と潰してしまう。そこに通っていた子どもたちの自尊感情を、激しく傷つける行為だと思います。
 一方で、子どもが集まってきた私立校のほうは、校舎が足りなくなってプレハブを建てたり、教員が不足して臨時の非常勤講師を入れたりしている。こちらはこちらで、果たして丁寧な授業を受けられる状況なんだろうか、と疑問に思います。

──教育の現場に、いろんな意味で競争原理が持ち込まれているように見えます。

平井 橋下さんの口癖は「切磋琢磨」でした。おっしゃるとおり、維新府政・市政になって以降、教師も生徒も、とにかく何かに追いかけられるように競争させられている。でも「競争する」ということは、絶対に勝者と敗者を決めるということになるわけでしょう。私は子どもたちの中に敗者なんて作りたくない。負けたら終わり、負けるのは自己責任でしょ、という社会では、周りが敵だらけになってしまう。みんながギスギスした、生きにくい社会になってしまうのではないでしょうか。

「一緒に社会を作っていく仲間」として、子どもたちに伝えたいこと

──そうした問題は、いまや大阪だけではなく全国に広がっているように感じます。教員不足も全国的な問題ですね。

平井 そのとおりです。たとえば妊娠した先生がいても、産休に入るまで十分な時間があったはずなのに、代替の先生が見つからない。同僚に迷惑をかけられないから、本当なら産休に入る時期なのに無理して働くしかない、なんてことが起こっています。私の同僚でも、休めないままハードな仕事をこなしていて、切迫流産しかけるような状況になってから周りの説得でやっと休みに入った先生がいました。それでも本人は「他の先生に申し訳ない」って言うんですよ。そんな思いをなんでさせなあかんのかな、と思います。
 あるいは、心を病んで休んだ先生がいたけれど、やっぱり代替教員が見つからなくて、その先生が教えてた子たちはずっと毎日自習プリントをさせられている、という学校もあります。こんなの、子どもの学ぶ権利も奪ってますよね。子どもが教育を受ける権利は日本の憲法で保障されてるはずですけど、本当に保障できているとはとても思えません。
 私は今、大学で教員を目指す学生を教えているのですが、「教師になろうと思ってたけど、今の学校を見てたら先生たちが命をすり減らしてるみたいに見える。自分がそんなところで働いて、ましてや結婚とかできるとは思えない」と言って、教員採用試験をあきらめた学生もいましたね。本当に今の日本の教育は、恐ろしい状況にあると思います。

──そうした状況を変えていくには、何が必要なのでしょう。

平井 抜本的には、まず1クラスの人数を減らす。そして、少子化を理由に教員の正規採用数を絞っているのをやめて、門戸を広く開けてたくさんの先生を正規採用する。そうすれば、先生の負担も減るし、休む先生がいてもすぐにカバーできます。
 本来、学校の先生ってすごくクリエイティブな仕事だと思うんです。ただ学習指導要領通りに教えるだけではなくて、子どもたちに伝えたいこと、学んでもらいたいことを自分で考えて、授業に組み込んでいく。学校教育というのは、そういう寛容さを持ったものであってほしいと考えています。
 でも実際には、先生たちも業務に追われてゆとりがなくて、指導書頼りの授業になってしまっている。文科省は「主体的・対話的で深い学び」なんて言ってますけど、そんなもの全然なくて、文科省が決めたことをそのまま教えることを余儀なくされている先生が多いのが現状です。
 だから、もっと私たち教員にゆとりを与えてほしい。文科省や教育委員会は教育の条件や環境を整えることに徹して、教育の中身については私たちのフリーハンドな部分をもっと広げてほしいと思います。
 本当は、教師を目指す若い人たちにも、「教師って面白いよ、だから教師になって一緒に頑張ろう」と言いたいんですよ。今のように、「教師になってほしいけど、大変やからなあ」って言わないといけないような状況は、つらすぎます。

──その「つらい状況」で、さまざまなバッシングも受けながら、それでも教師というお仕事を続けてこられた原動力は何でしょうか。

平井 やっぱり、目の前に子どもたちがいるからですよね。子どもたちに「人間って面白いよ、素晴らしいよ、楽しいよ」って伝えたい。「教える・教えられる」関係というよりも、一緒に私たちの社会を作っていく仲間として、「もっといい社会にしていくために一緒に頑張ろう」と呼びかけたい。それができるのが、教師という仕事の魅力だと思ってるんです。

──子どもたちに、一番伝えたいことは何ですか。

平井 子どもたちには、勉強ができるようになるよりも、経済界が求める「勝ち抜ける」人材になるよりも、人間的に寛容で、強い人も弱い人も、いろんな状況にある人たちと、互いの違いを認め合いながら共生していける社会を作ろうと思える人になってほしい。自分もこの社会を作っている仲間の一人なんやって、誰もが思える社会にしていこうと考えられるようになってほしいと思っています。
 今、経済的にも苦しい状況で暮らしている人が多くて、なかなか自分や自分の家族のこと以外を考えるのは難しいかもしれません。でも、この社会が「どんな人でも受け入れる」社会でなかったら、自分や自分の家族も幸せな人生は送れないんじゃないかと思うんです。
 自分の子どもが仮に「勝ち組」になったとしても、「勝ち組」「負け組」なんて、いつひっくり返るか分かりません。そのときに、「自己責任やから知りません」じゃなくて、「負け組」になってしまった人にも手を差し伸べる社会、ひっくり返っても安心と思える社会であってほしい。そうであれば、たとえば子どもが不登校になってしまったとか、壁にぶつかることがあったとしても、何年かしたらまた違う人生を歩いたり、新しい道を見つけたりしていける、と思えるはず。そんなふうに、誰でもやり直しができるような社会であることが大事だと思うし、そういう社会を作っていきたいと思うんです。
 そのためには、やっぱり教育が重要です。でも、悔しいことに今の教育は全然そうなっていないから、せめて自分の授業では、子どもたちにそういうことを考えさせたい。そう思って、ごまめの歯ぎしりかもしれないと思いながらも、あがき続けているんです。

(取材・構成/仲藤里美)

(ひらい・みつこ) 1960年生まれ。大阪府大阪市出身。立命館大学文学部史学科日本史学専攻卒業。奈良教育大学大学院教育学研究科修士課程修了。大阪府公立中学校教諭、大阪大学・立命館大学非常勤講師。子どもと教科書大阪ネット21事務局長。大阪歴史教育者協議会常任委員。専門は、日本軍「慰安婦」問題、沖縄戦。著書に、『教科書と「慰安婦」問題  子どもたちに歴史の事実を教え続ける』(群青社)、『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』(高文研)、『生きづらさに向き合うこども  絆よりゆるやかにつながろう』(日本機関紙出版センター)など著書多数。

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