『失われた時の中で』(2022年日本/坂田雅子監督)

 愛らしい双子の男の子。一人は好奇心一杯に目を輝かせて笑っているが、もう一人の表情はうつろ。そして二人の下半身はひとつにつながっている。ベトナムの結合双生児ベトちゃんドクちゃんの姿を新聞、テレビで目にしたときの衝撃は今でも忘れられない。
 ベトナム戦争時、ジャングルに潜むゲリラを殲滅するためにアメリカ軍が空から大量に散布した猛毒ダイオキシンを成分とする枯れ葉剤。その恐ろしさをまざまざと見せつけたのが、枯れ葉剤を浴びた親から生まれたこの双子だった。彼らの存在は日本でも大きな反響を呼び、多くの支援が寄せられ、1986年には容体が悪化したベトちゃんの治療が日本の病院で行われた。88年ベトナムの病院で決行されたふたりを分離する手術には日本の医師も参加、日本中がその成り行きを見守った。17時間に及んだ手術は無事成功、ほっと胸をなでおろしたものである。
 だが、日本での大々的な報道はそれっきり、枯れ葉剤被害者について語られることはなくなった。そんな中ずっと彼らの姿をカメラで追い続けている人がいる。ドキュメンタリー映画監督の坂田雅子さん。ベトナム枯れ葉剤被害をテーマにした『花はどこへいった』(2007)『沈黙の春を生きて』(2011)に続く作品であり、集大成となる『失われた時の中で』がこの夏公開される。

 坂田さんが映画を撮り始めたきっかけは、フォトジャーナリストだった夫、グレッグ・デイビスさんのあっけないほど唐突な死だった。死因は肝臓がんと知らされ思い当たったのは、ベトナム戦争激戦期の60年代末、グレッグさんが米兵として従軍し、大量の枯れ葉剤を浴びていたこと。夫の死の真相が知りたい、ただその一心でカメラを手にベトナムに向かう。そこで出会ったのは、戦後30年を過ぎてなお枯れ葉剤の影響で重い障害を持って生まれる子どもたちとその家族の姿。これは記録しておかねばと、映像制作をいちから学び、買ったばかりのビデオカメラを抱えてベトナムへ通い、その後も枯れ葉剤や核をテーマにしたドキュメンタリー映画を発表してきた。

 ベトナム戦争が終わって半世紀、ベトナムはめざましい経済発展を遂げ、都会には車があふれ高層ビルが建ち並ぶ。その中で取り残される被害者とその家族の姿は、時間の経過とともに変容する。
 たとえば1歳の時に枯れ葉剤を浴びたトゥイさんが、その被害の深刻さに直面したのは、20代で出産した時だった。娘は眼球欠損という障害を持って生まれ、二十数年間寝たきりの生活が続いている。その後離婚し、女手一つで娘を育ててきたトゥイさん。「2004年に初めて会ったときには、困難な中にも母と娘のほほえましい生活が垣間見えて、ほのぼのとした気持ちになったけれど、19年に再訪したときには、トゥイさんも50代半ば、成人した寝たきりの娘の介護の負担は重く、自分が死んだ後の娘の行く末を心配していた」と、坂田さんは語る。

 一方で時が経過したからこその新しい希望もある。母親の胎内で枯れ葉剤を浴びたホアンさんもその一人。両足が短く片手にも障害があるが、枯れ葉剤被害者の支援で知られるツーヅー病院で子ども時代を過ごし、大学に進学、今は病院で事務の仕事をしている。器用にバイクを乗り回し、市場で買い物して料理も得意、自立した生活を送っている。そしてたびたび訪米し、枯れ葉剤被害の実態を訴えている。

 世界中のあちこちで戦争が起こり、次から次へと衝撃的な事件が起こる今日、私たちは過去のことをすぐ忘れる。その中でこつこつと一つのテーマを追い続け、新たな発見や問題提起を続ける坂田さん。「戦争のアクションは誰にだって撮れる。本当に難しいのは戦争に至るまでと、その後の人々の生活をとらえることだ。その中に本当の意味がある」と手記に残した夫グレッグさんの遺志を継いだ彼女の仕事を、多くの人に見てもらいたい。

(田端薫)

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!