シリーズ「興亡の世界史」の第5巻として本書が刊行されたのは2010年5月(文庫化は2016年6月)。いまあらためて読み返すと、本書のもつアクチュアリティはより高まっていることを実感する。
大日本帝国が中国東北の地につくった満州国の中枢で経済官僚として辣腕を振るった岸信介、朝鮮半島の寒村で生まれ、立身出世を目指して満州に向かった朴正煕という2人の対照的な足跡をたどるのが前半だ。
1879年、山口県官吏の佐藤秀助・茂世の次男として生まれた岸信介は中学3年生のとき婿養子だった父方の岸家に養子に出された。外務大臣や満鉄総裁を務めた松岡洋右は母方の義理の叔父に当たる。
岸が山口中学、旧制一高から東京帝国大学法学部に入学したのは1920年。第一次世界大戦後、そしてロシア革命後の内戦の最中だった。東大卒業後、商工省に入省したのは、世界が総力戦の時代に入っていくなかで、経済体制を自由方針から統制型へと転換する必要があると考えたからだ。
1917年、日本統治下の朝鮮・慶尚北道善山郡の貧しい農家の五男二女の末子として生まれた朴正煕(パク・チョンヒ)は、1932年に植民地師範教育を担った大邱師範学校へ入学。1937年に聞慶(ムンギョン)普通学校の教師となったが、このままでは差別される立場から脱却できないと満州国へ。
同国では日本人、朝鮮人、漢人、満州人、蒙古人ら、民族の違いを超えて平等にチャンスが与えられると思っていた。しかし在満朝鮮人は満州国の人民ではあるにもかかわらず、大日本帝国の臣民として日本国籍を有する義務が課された。朴は高木正雄を名乗り(後に岡本実に改名)、満州国陸軍軍官学校にて優秀な成績を収めたことで、日本の陸軍士官学校に編入。陸士を卒業後、見習士官として関東軍に配置され、再び満州国に戻る。
後半は戦後史だ。そこで岸と朴の接点が生まれる。
日本の敗戦時に満州国軍中尉に昇進していた朴は、満州から朝鮮半島を南下。南朝鮮は米国の占領下にあったが、米国は対ソ防衛のため訓練された帝国軍人を必要としていたことから、韓国国軍に入る名誉が与えられた。
岸はA級戦犯として巣鴨プリズンに収監されていた。こちらも冷戦下の米国による極東戦略により、釈放。1957年2月に首相となる。
そこで彼が導入したのは満州国時代に未完に終わった国家統制型の経済体制である。民間所有でありながら国家が主導するいわゆる「日本型株式会社」が生まれた。
1961年に軍事クーデタを起こした朴は1963年10月に韓国大統領に就任。国内の民主化運動を徹底的に弾圧しながら、国家総動員、開発独裁型の経済体制を確立していく。
本書のテーマは1945年8月15日の大日本帝国の敗戦を区切りとみていない。
岸信介の孫である安倍晋三は生前、「戦後レジームからの脱却」を訴えていた。彼は日本国憲法を変えることでそれが実現すると考えていたようだが、その「レジーム」、実は戦前から連綿と続いているものだとすれば、なんとも歪んだ歴史といわざるをえないのである。
(芳地隆之)
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