日野行介さんに聞いた:「電力不足」にだまされてはいけない。原発再稼働は、フクシマ直後から始まっている

2011年3月11日の福島第一原発事故から11年半が経過した今年の夏、岸田首相は原発再稼働、さらには新増設など、原発政策の転換ともとれる姿勢を明らかにしました。カーボンニュートラル、ロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー危機、原油価格の値上がりなど、「やっぱり原発がなければ立ちゆかないのか」という空気は日本のみならずヨーロッパにもじわじわと広がっています。
福島第一原発事故の反省から原発の安全基準は格段に厳しくなったはず、避難計画も何とか出来つつある、電気が足りないのなら、再稼働もしかたないのか……そんな弱気な声に警鐘を鳴らすのは、長年原発行政の調査報道を続けてきたジャーナリストの日野行介さん。「安全基準も避難計画もハリボテ。そもそもフクシマ直後から“再稼働ありき”で進んできた」とおっしゃる日野さんに、福島の教訓をないがしろにして進む原発行政について伺いました。
(タイトル写真 撮影:加藤栄)

原発再稼働を日の当たる表に出した

──原発に関してこれまで、安倍元首相ほど強硬な推進姿勢ではないのでは、と思われていた岸田首相がこの夏、「電力が足りないので原発を再稼働させる、新増設もする」と言い出しました。福島での事故を経験して原発はもうこりごり、出来るだけ早くゼロにというのが多くの国民の気持ちだと思うのですが、なぜ今突然原発推進に舵を切ったのか、急な方針転換だと大騒ぎになっています。原発に関する施策を実行してきた国や地方自治体の組織のあり方など、原発行政を取材してこられた日野さんは、このニュースを聞いてどう思われましたか?

日野 従来路線を明らかにしただけではないか。だまされるな、と言いたい。私は経済やエネルギー政策を取材してきたわけではありませんが、フクシマ以降のこの国の原発行政を見てきて、そう思います。

──私たちはだまされている?

日野 たしかに多くの新聞が「方針転換」と見出しを打ちました。「電気が停まったら困るから、フクシマの事故で停まっていた原発を動かすことにしたのか」と受け止めた人も多かったと思います。
 岸田さんは「この冬の電力危機に備えて原発を最大9基稼働させる」と表明しましたが、その9基はすべて安全審査に合格済みで、すでに再稼働実績のある原発です。
 もっと言えばその9基はすべて西日本の原発です。電力不足というなら、東日本、東北や北海道の原発を動かさなければ意味がないはずです。でもたとえば北海道の泊原発はリストに入っていない。電力不足との関係性は疑わしい。「電力不足だから再稼働する」というフィクションにだまされてはいけません。
 さらに来夏以降の再稼働を目指すと言われた7基も安全審査には合格済みで、避難計画や安全対策工事が終了すれば法的には再稼働が可能です。
 なので原子力規制委員会に対して合格を出すよう促す、あるいは既に合格済みの原発をすぐに再稼働させるよう地元自治体に了解を求めるという話ではないのです。
 7月の参院選の自民党公約でも脱炭素の名目で、「安全が確認された原子力の最大限の活用をはかる」と明言していますし、法律の立て付けもそうなっています。ですからエネルギー危機などの電力不足キャンペーンに乗じて、これまで日陰でこそこそ進めてきた再稼働を日の当たる表に出しただけの話だと、私は思っています。

──再稼働のみならず、新しく増設するとまで言っています。

日野 新増設など、あり得ない話です。私が福井県敦賀市で駐在記者をしていた20年前、日本原子力発電敦賀原発に3、4号機増設の話がもちあがり、地元自治体の了解も取り付けていますが、いまだに完成していません。需要がないのです。20年たっても出来ない原発って、意味がありますか?
 青森県六ヶ所村の再処理工場も原発行政を進めるためにはフィクションを必要とする典型例です。使用済み核燃料の使い道はあるというフィクションを作っておかないと、原発行政を正当化できないので、完成できないと分かっていても、工事は進める。
 ですから今回の「新増設」も、具体的な必要性や実現性を厳密に考えたものとは思えず、ああ、また言っているなと思うだけです。

透明なはずの会議に裏があった

──日野さんが原発に関心を持つようになったきっかけは何だったのでしょう?

日野 新聞記者になって4年目に福井県の敦賀市に駐在したことが始まりです。敦賀は敦賀原発、美浜原発、高速増殖原型炉もんじゅなど、原子力施設がずらりと並んでいる原発銀座のまっただ中で、ニュースと言えば原発関連のことばかり。すべての事柄、事件が原発につながっていて、駐在の3年間は原発報道一色でした。
 原発のある自治体は交付金をもらっているので、立派な公共施設や道路など、インフラ設備が整っています。でも、なんでこれほど国や電力会社は金を出すのだろう、金を出さなければすすめられない政策って何だろうと興味がわき追及していくうちに、原発行政という巨大なブラックホールに巻き込まれて、夢中になりました。
 そのあと大阪の社会部に異動になり、そこで3・11を迎えました。応援にかり出され、東京電力や原子力安全・保安院(現在は廃止)の記者会見などを取材して記事にしてきたのですが、これほど大きな事故があって原発はどうなるのか、発表されたことを流すだけの原発報道でいいのかという思いが膨らんで、異動願いを出して12年に東京に移りました。

──それからは国や地方自治体の原発行政の実態を、ずっと追いかけてこられたわけですね。その経験から「この国はフクシマの反省などまったくしていない。フクシマ以前となに一つ変わっていない。さも一新したように装い、なし崩し的に再稼働を進めている」とおっしゃっています。

日野 私は福島の事故後、被曝に関する健康調査、除染問題、避難者の住宅問題、原子力規制委員会、自治体の避難計画など、原発行政の調査報道を続けてきましたが、すべてが噓と欺瞞で塗り固められているという確信を持つに至りました。
 先日発足10年を迎えた「原子力規制委員会」(規制委)を例にお話ししましょう。
 福島の事故後、原子力安全・保安院と原子力安全委員会の両組織は廃止され12年に原子力規制委員会が発足しました。規制委が組織理念として揚げたのが「独立性」と「透明性」。電力会社とは癒着していません、国からも独立しています、会議の様子は全面公開して透明化しますとアピールしたのです。
 ところがあるとき、透明性が真っ赤な噓であることを示す証拠が、私の元にもたらされました。「委員長レク」と呼ばれる裏会議の隠し録音です。規制委は毎週水曜午前中に定例会合を開き、全面公開すると言っていたのですが、実はその会議の6日前に規制委員の数名が秘密裏に集まって、会議で発表する内容を内々に決めていたのです。これでは透明性は担保されません。

──その隠し録音された秘密会議では何が話されていたのですか?

日野 議題は翌週の定例会合(18年12月12日)で決定する予定の関西電力3原発(美浜、大飯、高浜)の火山灰問題への対応方針でした。
 規制委は関電の3原発に対して、すでに安全審査に「合格」を出していました。ところがある火山研究者から、大山(鳥取県)の噴火を対象とした関電の火山灰想定は過去の文献を見落としており、過小評価だと指摘する意見が寄せられたのです。想定を超える火山灰が降れば、外部電源の喪失後に原子炉の冷却機能を支える非常用ディーゼル発電機のフィルターが目詰まりを起こし、機能不全に陥る可能性が生じます。
 安全審査とは電力会社が当該の原発で生じ得る自然リスクを設定し、それに耐えられることを証明する作業です。フクシマの事故の反省から、地震や津波、火山噴火などあらゆる自然災害のリスクを想定し、電力会社に対してそれに耐えられる安全対策を実施させる。それが新しくできた規制委の役割のはずです。
 ですからこの場合でいえば、安全審査における文献の見落としを認めて火山学者の指摘通り「過小評価」とし、基準不適合と判断しなければいけないはずです。「基準に適合しているから再稼働を認める」という原則を裏返せば「基準不適合と判断したなら運転を止める」のが正論であり、フクシマの教訓を生かす姿勢だと思います。
 ところが実際には基準不適合と認めず、いかにして原発を停めないでおくか、そればかりを気にしている。
 隠し録音の中身は科学的、技術的な話なんて全然していません。法的にいかに責任逃れするか、自分たちの権威をいかに損ねないようメンツを守るか、自己保身に汲々とする小役人たちの会話そのものです。
 「基準を満たさない原発はまず運転を停める」というフクシマの教訓はまったく生かされていない。原発行政の救いようのない無責任さを見た気がしました。

──規制委は、福島のような事故を2度と起こさないために出来たのだから、専門家が科学的な知見に基づいて真剣な議論を交わしているのだろうと思い込んでいました。

日野 2度と起こさないために最も有効な方法は原発を動かさないことです。しかし原発を動かさないのであれば、規制委はいらないはずです。動かすために規制委はある。安全基準というテストは、合格を出すためにあるのです。
 そのことを思い知ったのは、あるキャリア官僚のかたから「日野さん、事故が起きた後、なぜ真っ先に規制委を作ったのだと思いますか? 原発は止められないというのが、この国の意思だからですよ」と言われたときです。

ハリボテの避難計画

──福島の事故の反省として新たに出来たとされているのが規制委の定めた新規制基準ともう一つ、「原子力災害対策指針」です。こちらのほうは大丈夫なのでしょうか。

日野 「原子力災害対策指針」は事故発生に備えて、あらかじめ取っておく被曝対策を定めるもので、原発の周辺地域ごとに策定される「避難計画」がその中核となります。フクシマ以前は「事故は起きない」という安全神話に依存して、避難計画はまともに作られていませんでした。
 新たな指針では避難計画を策定する対象地域を、以前の原発8~10キロ圏から原発30キロ圏まで拡大し、事故発生時にはPAZ(5キロ圏内)の住民がまず避難し、UPZ(5~30キロ圏内)の住民は屋内退避を経て、一定の放射線量(毎時20マイクロシーベルト)を超えたら、あらかじめ確保している避難先に向けて避難を始めるとしました。事故は起きないとする安全神話への依存から脱却し、事故が起き得る前提に方針を転換したようにも見えます。

──ところがこれもハリボテで役所は本気で作っていないと、日野さんは日本原子力発電東海第二原発の避難計画策定プロセスの調査取材で検証されました。

日野 首都圏に最も近い東海第二原発の場合、30キロ圏内に94万人が住んでいます。それだけの人を避難させる方法、受け入れ先を確保しなければならない。2018年末までに、東海第二原発周辺自治体の避難者を受け入れる避難先市町村とのあいだで、「避難協定」が締結されました。ちゃんと受け入れ先を確保しましたから、いざというときにも大丈夫ですよという話なのですが、どこどこに何人という結果が発表されただけで、どのようなプロセスを経て決まったのかが明らかにされない。
 そこで、よくよく調べてみると、一人あたり必要なスペースを2平方メートルとし、避難所に指定されている学校の体育館などの面積を2で割って、機械的に人数を割り出しているだけであることが分かりました。
 しかも、その避難所の面積というのは、トイレとか廊下、倉庫など、実際には人間が生活できるはずもないところも入れている。使えないスペースを含む総面積を元に弾き出しているので、収容人数は過大算定になります。独自に計算したところ、実際には茨城県内だけで2万人を超える避難所不足になることがわかりました。

──ほかの原発自治体の避難計画も「現実味、実効性がない。絵に描いた餅だ」とよく言われていますが、どうしてこんなに杜撰なのでしょう。

日野 本気で作っていないからです。とにかく数字上の辻褄を合わせて、それらしきものを形だけ整えればいい。絵に描いた餅、ハリボテと知りつつ進めている。そこに役所がどういう姿勢で原発行政にあたっているのかが、端的に表れています。
 安全基準と同様、避難計画も再稼働が前提なんです。原発は運転中であれば格段にリスクが増すとフクシマの事故は証明しています。極端な話、再稼働しなければ避難計画はいらない。ですが「そこに核燃料があるから、再稼働するかはさておき、避難計画は作らなきゃいけないでしょ」とだまして作らせている。
 さらに言えば、国や再稼働したい自治体にとっては、本当は避難先が確保できていなくても、まともな避難計画でなくても構わないわけです。なぜかと言えば、避難計画は再稼働のための手続きに過ぎないから。避難計画が存在すればいいのであって、本当に使えるかどうかは関係ない。ここでもフクシマの教訓が無視されています。避難計画がなくて混乱が起きたから今後はちゃんとしたものを作るという話だったのに、「とにかく計画があればいいんだろ」となっています。再稼働を後押しするだけの避難計画など、作らない方がましです。
 そうやって噓や隠蔽で、国民の望んでいないことをゴリ押しするのが原発行政の特徴です。

狂気と執念の調査報道

──日野さんは原発行政の欺瞞を、長年にわたり緻密な取材で明らかにされてきました。そして自らを調査報道記者と名乗っています。調査報道とは何でしょう?

日野 役所や企業が記者会見などで発表したことをそのまま記事にする「発表報道」に対して、独自に調べて報道するのが「調査報道」だと、一般には言われています。
 私の場合は調査報道しようと最初から思っていたわけでなく、疑問に思ったこと、知りたいことをしつこく取材していったら、その結果が新聞のスクープになった、著作にまとまった、というのが実感です。
 役所の発表に疑問を持ち、何かを隠しているのではないか、公表しないのはなぜか、うそをついてまで隠そうとするその真意はどこにあるのか、その政策が決められるプロセスを追うことで明らかにするのが、私の手法です。
 隠されていた事実を明らかにすることはもちろんですが、そこで終わるのでなく、誰がなぜ隠すのか、そこまで踏み込んで始めて問題の本質が見えてくるのだと思います。
 ちょっと大げさに言えば、意思決定過程の解明を通じて、原発という国策に秘められた冷酷な命題を暴く。国民がだまされないよう、民主主義を守るために国策の実態を暴き、権力を監視するのが調査報道の使命だと任じています。

──そのためには、公開資料の読み込み、情報公開請求、役所が隠したい事実の特定、そして突撃取材で裏取りと、大変な労力を要しますね。

日野 ある方が私の調査報道を「狂気と執念」と表現してくれたのですが、言い得て妙です。とくに原発行政の意思決定過程を暴くには、膨大な文書を読み込んで、途方もない時間がかかる。それなのにそれをやろうと考える時点で既に狂気だなと、自分でも思います。

──日野さんのご本(『調査報道記者 国策の闇を暴く仕事』明石書店、『原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓』集英社新書)には、ミステリーを読むようなワクワク感があります。役人を問い詰め証拠を突きつけて白状させるクライマックスでは、読む側もカタルシスを感じます。

日野 探偵になったつもりで、どうやって謎解きをしていったのか、具体的なプロセスを描くことで、読者に追体験してもらう。そうすることで本の説得力が増すような気がしますし、難しいテーマも理解しやすくなると思います。

──私たちは原発を停めるために、規制委に対しては「電力会社や国の圧力に負けずに、基準を厳しくして」「原子力ムラの人はいれないで」とか、避難計画にしても「避難所の一人あたりのスペースをもっと広く」「ちゃんと検証して実効性のあるものに」などと考えがちですが、日野さんは「それは再稼働を前提にした原発行政の土俵に乗った議論、だまされるな」と、おっしゃいます。なぜなら「原発推進はもはや民意に関係なく進む“国策”である」から、と。電力会社が強欲だからとか、原子力ムラの利権だとか、役人が怠けているとかいう問題ではないとすると、私たちはどうしたらいいのでしょう。

日野 難しいですね。できることは国民がフクシマを忘れないこと、傍観者にならないこと。もはや倫理、良心の問題としか言いようがありません。きついことを言えば、傍観者に戻っていたからこそ、今回の岸田首相の発表に衝撃を受けた人も多いと思います。原発行政の暴走が民主主義を壊している実態から目を背けないことが大事です。

──だまされないよう、監視し続ける。これからも鬼気迫る追及を続けてください。

(構成/田端薫)

この記事は「デモクラシータイムス」の協力のもと、番組での内容に加えて追加取材を行ったものです。
デモクラシータイムスの番組はこちら→「日野行介 原発再稼働 / 調査報道記者 【著者に訊く!】 20220914」

日野行介(ひの・こうすけ)1975年生まれ。ジャーナリスト・作家。元毎日新聞記者。社会部や特別報道部で福島第一原発事故の被災者政策、原発再稼働を巡る安全規制や避難計画の実相を暴く調査報道に携わる。著書に『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書)『調査報道記者 国策の闇を暴く仕事』(明石書店)『原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓』(集英社新書)など多数。(プロフィール写真 撮影:加藤栄)

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