石井眞紀子さんに聞いた:子どもの福祉を守るために必要なのは「共同親権」導入ではない

今年11月、親が離婚したあとの子どもの養育をめぐる制度の見直しに向けて、国の法制審議会がまとめた中間試案が公表されました。現行の、父母のいずれかだけが親権(子どもを養育する親の権利であり義務)をもつ「単独親権」を維持する案の他、父母の双方が親権をもつ「共同親権」を導入する案が示され、現在パブリックコメントも募集中です(2023年2月18日まで)。
導入することで、離婚後も父母双方が子育てに関わっていけるという意見がある一方、DV被害者などの安全が守られない可能性があるとして、反対の声も多い「共同親権」。導入によって何がどう変わるのか、変わらないのか。それは、子どもの権利や福祉を守るために必要なものなのか。弁護士として、多くの離婚事件を扱ってきた経験を持つ石井眞紀子さんにお話をうかがいました。

「子どもと会えない」のは「共同親権ではないから」ではない

──現在、法制審議会がまとめた「共同親権」導入についての中間試案に対するパブリックコメントが実施されています。石井さんはこの共同親権導入には反対の立場だとお聞きしましたが、そもそもなぜ今回、「導入すべきだ」という話が出てきたのでしょうか。

石井 なぜその法律が必要なのかの前提となる社会的事実を「立法事実」といいますが、共同親権導入の立法事実としてよく挙げられているのは、日本では離婚後、単独親権しか認められていないために、子どもと一緒に住んでいない親(別居親)が、親権を持って子どもと一緒に住んでいる親(同居親)に拒否されて、子どもになかなか会えなかったり、関わりを持てなかったりしているということだと思います。離婚しても親は親なのにおかしい、そうした状況を変えるために共同親権が必要なんだというわけですね。
 ただ、本当にそういう状況があるとは、私には思えないのです。

──どういうことでしょう。

石井 親権のない別居親が子どもに会えない状況があるときには、現状でも家庭裁判所(家裁)に「面会交流調停」を申し立てて審理してもらうという手段が認められています。特に大きな問題がなければ、そこで面会交流の実施が決定され、会える可能性が高いんです。
 もちろん、実際に会えるまでにかなり時間がかかる、時間が経つと子どもとの間に距離が出来てしまい、子どもが会いたがらなくなるといった問題が起こることはあります。特に最近は、父親の子育てへの関わりが増えたことの影響か、面会交流調停の申立がすごく増えていて、家裁のキャパシティも予算も足りていませんから、なおさらです。ただ、家裁の判断が不満だ、おかしいと感じる人がいるのであれば、それは家裁の運用を改善するべきという話であって、親権の問題ではありません。

──面会交流調停を申し立てても会えないケースはあるのでしょうか。

石井 もちろん、ゼロではないです。だから、「会えない」という人に対して「家裁に申し立てれば絶対に会えますよ」と言う気はありませんが、家裁の判断は、同居親が「会わせたくない」と言ったからといって、「じゃあ会わせないでおきましょう」というような単純なものでもありません。「特に大きな問題はないし子どもが嫌がっているわけでもないけれど、ただ会わせたくないんだ」というケースであれば、弁護士も家裁も「いや、そう言っても子どもにとっては親なんだから、そこは分けて考えましょう」と説得するし、最終的には会わせなさいという命令も出るでしょう。
 むしろ、この10年くらいは、家裁は「原則として面会交流は実施する」という方向で進んできています。同居親が「会わせたくない」と言っても粘り強く説得しようとしますし、子どもが「会いたくない」と言っていてさえ、「短い時間ならどうか」「こういう形ならどうか」と粘って、なんとか会わせようとすることもよくありました。つい最近になって、「それが本当に子どもの福祉に叶うのか」「親の希望よりも子どもの福祉を一番に考えるべきではないか」という議論が出てきて、少し変わりつつあるとは言われているんですが……。

──でも、基本的には「面会交流はやりましょう」という方向性なんですね。

石井 はい。ですから、同居親が「会わせたくない」と言っても、それだけで「面会交流なし」とはなりません。家裁で「会わせない」という判断が出るとしたら、同居中にほとんど育児に関わっていなくて子どもとの関係性が築けておらず、子どもが会いたがらないとか、DVや虐待があったとか、何らかの理由があるからだと考えるべきでしょう。共同親権になれば、そうしたケースでも面会交流を強制されるようになる可能性が出てくるのではないかという懸念があります。
 あとは、婚姻中にDV加害者の側が子どもを連れ去ってしまい、完全に子どもを囲い込んで配偶者に会わせようとしない、子どもも会いたいと言えないというケースもままあります。そのまま離婚に至って、親権をDV加害者の側に取られてしまう場合もあり、もちろんこれはこれで大きな問題として、何らかの手当が必要でしょう。ただ、共同親権を導入することで何かが改善するとは思えません。そう主張している法律家もいますが、じゃあDV加害者である配偶者と離婚後も一緒に子どもを育てていくのか? という話だと思います。

「共同監護」も、現行法で問題なくできる

──面会交流だけではなく、離婚後も子育てに関わりたい、そのために共同親権が必要なんだという声も聞きます。

石井 離婚後も、子どもが父母双方の家を行き来するなどして一緒に子どもの面倒を見ていく、いわゆる「共同監護」ですね。でも、これもまた「単独親権だからできない」という話ではなくて、双方の親が合意すれば単独親権のままでも問題なくできます。民法766条には、「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める」とありますから、「協議で定め」ればいいのです。
 私の依頼者でも、国際結婚のカップルですけれど、単独親権のまま子どもが両親の家を行ったり来たりしているケースはありますよ。「行ったり来たり」が子どもにとっていいかどうかはケースバイケースでしょうが、「共同親権でないとできない」わけではないのは明らかです。

──「監護権(子どもと生活をともにして面倒を見る権利)」という言葉もありますが、これは親権者が自動的に持つというわけではないんですか。父母双方が共同で監護権を持つこともできるということでしょうか。

石井 基本的には、親権を取れば監護権も得るということになると思います。でも、だからといってその二つを分けることができないというわけではありません。特に少し前には、親権者は父親、でも実質的な子育てを担っていたのは母親なので、そのまま母親が監護権を持って子どもと一緒に暮らすという例もよくありました。親権と監護権を分離させたわけです。
 だから、双方の合意さえあれば、どちらかが親権を持って監護権は共同で行使するということももちろん可能です。そういう内容の離婚合意書を、公正証書の形で作ったという人もいますよ。

石井眞紀子さん

──進学や就職、手術を受ける際などの決定権、同意権はどうですか。これは親権者のみに認められると考えていいでしょうか。

石井 民法上は、一応はそういうことになると思います。ただ、これも正直なところ関係性さえよければ、日常生活においてはあまり意味がありません。子どもに関することに同意する際に、「保護者ですか」とは聞かれても、「親権者ですか」と聞かれることなんてまずないからです。私も夫とは事実婚で子どもの親権者は私ですが、親権のない夫も普通に親として、子育てに関することは何でもやってきました。
 逆に、関係性がよくない場合は、共同親権になったらなおさら大変です。何でも双方の合意がないと決められないということになれば、子どもが進学先を決めたり習い事を始めたりするたびにもめることになるかもしれない。教育観や人生観が合わなくて離婚したカップルなどは、本当に大変なことになると思います。「もめたら家裁に決めてもらえばいい」という主張もありますが、家裁にそんなマンパワーがあるとは思えない。さらに言えば、いちいち裁判所を関与させるのであれば、弁護士が雇える経済力がある人のほうが圧倒的に有利だということにもなってしまいますよね。

DVの本質は支配。そのことを、裁判所も理解できていない

──ここまでのお話だと、「共同親権でないとできない」と言われていることは、現行法でも問題なくできるということですね。では逆に、共同親権導入によって起こりうる問題点としては、どういうことが考えられますか。

石井 弁護士として離婚事件を扱っていて思うのは、夫婦間のハラスメントは非常に多いということです。少なくとも、弁護士に相談して、裁判所の力を借りなければ離婚を成立させられない夫婦の場合は、経済的・性的・精神的なものも含めたDVが本当に多い。もちろん女性が加害者のケースもありますが、多くの場合は男性側が加害者です。日本は特に、男女の経済力に差がまだまだあるということもあって、家庭内に支配関係が生まれやすいのだと思います。
 ところが離婚したあとも、共同親権だと「別れたのに別れていない」状況が続くことになりますよね。やっとのことで離婚までこぎ着けたのに、少なくとも子どもが大きくなるまでは、支配関係が続いてしまう可能性があるわけです。

──先ほどのお話のように、進学や就職のたびに連絡を取らなくてはならなかったり、子どもが嫌がっても会いに行かせなければならないかもしれない……。

石井 そうなると、「離婚しても関わり続けなくてはならないのなら意味がない」と、DV被害者が結婚生活から抜け出すのを我慢してしまうこともあるでしょう。そのまま、一方の親の支配的な環境で子どもが育つことにもなって、子どもにとっても非常によくないことになると思います。

──共同親権を導入しても、DVや虐待がある場合は単独親権にすればいいという声もありますが……。

石井 私は、そんなことは不可能だと思います。現状ですら、「DVがあったかどうか」を裁判所がきちんと判断できているとは、とても思えないからです。以前、DV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)に基づく保護命令を申し立てたあるケースでは、夫に殴られた妻がなんとか反撃してドアで夫の手を強く挟んだと聞いた裁判官が、「あなたもやり返してるんですか。それはちょっと……」と、保護命令を出すのに難色を示した、なんていう話さえありました。「いや、殴られてるんだからやり返すのは当たり前ですよね?」と思うのですが、被害者なんだから怖くてやり返せないはず、と思いこんでいる、その程度の理解しかない裁判官が本当に多いんです。
 また、今回の法務省の共同親権に関する試案やその補足説明を読んでいても、DVイコール身体的暴力と考えているのでは? と感じますし、裁判官の理解も同じようなところで止まっているところがあると思います。身体的な暴力さえなければそれで「大したことはない」として、DVとして認定されないことが非常に多いんですね。現在のDV防止法自体が、ほぼ身体的暴力のみを対象とした内容になっているので、それが諸悪の根源ともいえるのですが……。
 でも、DVの本質は身体的暴力ではなく「支配」です。身体的な暴力をふるわなくても、精神的、経済的な暴力を通じて苛烈な支配をすることも当然ありえる。職場でのパワハラなどを考えても同じですよね。特に最近は、「殴ったらまずいことになるから」と、身体的な暴力だけはふるわず、精神的、経済的に支配していくケースも多い。それなのに、「DVとは何か」ということすら正しく理解されていない状況で、「DVや虐待がある場合は除外する」なんてできるはずないじゃないか、と思います。

「例外」であっても、共同親権を認めることの危険性

──海外の国々はほとんど共同親権だ、とも言われますが、これについてはどうなのでしょうか。

石井 特に日本では「親権」の概念自体が非常にあやふやなところがあって、海外でいう「親権」が日本でいう「親権」と同じとは限らないんです。私もすべての国を調査したわけではありませんが、日本で今言われているような、「進学や就職などの重要決定事項に同意する」意味での親権を共同に、と定めている国はほとんどない、と指摘している研究者もいます。共同監護を原則にしている国はたしかにたくさんありますが、これは日本でも、現行法の単独親権のままで何の問題もなく行えるということは、すでにお話ししたとおりです。
 そして重要なのは、共同親権(監護)を原則にしている国々では、DVがあったにもかかわらず裁判所に共同監護や面会交流を命じられて、大変な思いをしている方──多くの場合は母親です──がいるということです。私がチェックできているのは英語圏での動きだけですが、それでも多くのケースを見聞きします。「家庭裁判所の判断基準を変えなくてはならない」という運動が起こっている国もありますし、人権、特に女性の権利を守りたいと考える人たちの間では、共同親権というのは非常に残酷な制度だというのが一致した見方だと思います。

──すでにそうした先例があるわけですね。ただ、今回の法務省の試案では、共同親権を原則とする案の他、「原則は単独親権だけれど、一定条件のもとで例外として共同親権も認める」という案も出されています。たとえば、父母が同意したときのみ共同親権ということであればどうでしょう。

石井 それにも私は反対です。いくら「同意したときのみ」と言っても、「嫌だ」と思っている人にも共同親権が命じられてしまう可能性はやはり残るからです。先ほどお話ししたように、家裁がDVの本質をきちんと理解しているとはとても言えませんから、「身体的な暴力はないんだし、共同親権で」となり、本人も拒否しきれないということは十分にあり得ますよね。
 もう一つ、例外とはいえ「共同親権」という選択肢ができることで、間違いなく夫婦間の交渉材料に使われてしまうだろう、という懸念もあります。

──交渉材料ですか。

石井 離婚を拒否している側が「共同親権にするなら離婚してやる」「家から出て行ってやる」などと言って、離婚したがっている側を脅すというパターンですね。私も国際結婚カップルのケースで目にしたことがあります。DV加害者の夫に出ていってほしくて「共同監護にします」という書類にサインしてしまい、離婚後も元夫との関係性が切れないことに非常に苦労されていました。
 親が子どもに会えないことは、たしかにある種の悲劇でしょう。ただ、これはメディア報道の責任もあると感じますが、「親なのに子どもに会えない人がいるんだ、かわいそうだね」という感情論だけが先行して、「共同親権が必要だ」という結論になってしまうことには違和感しかありません。ここまでお話ししたように、今問題だとされていることはほぼ現行法で、あるいは家裁の運用見直しなどで対処できるはずです。
 共同親権というのは、つまりは法的に人間関係を強制するということですから、そこには多くの弊害があります。子どもの福祉を守りながら親子関係を維持することを目指すのであれば、安心して面会交流を実施できる場の整備や第三者機関の充実、離婚家庭の子どもを継続的に支援する心理専門家体制の整備など、公的支援の充実こそが早急に必要なのではないでしょうか。

(取材・構成/仲藤里美)

いしい・まきこ 東京大学法学部卒業後、子育て期間を経て2007年に弁護士登録。2014年から1年間、アメリカのWashington College of Law LL.M コースに留学(ジェンダー法専攻)。2016年、「石井法律事務所」設立。2016年から2017まで、外務省領事局ハーグ条約室勤務。

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