女性が動けば変わる! 愛媛県・愛南町と東京・杉並区で起きたこと

金繁典子さん

女性議員の少なさなどが長く指摘されながらも、日本の政治の「男社会」の状況はなかなか変わりません。そんな中で、以前マガジン9にコラム『女性と政治と社会のリアルな関係』(2013年)を連載し、シリーズ「女性が動けば変わる!」(2014年)の企画にも参加していた元NGO職員の金繁典子さんは現在、故郷の愛媛県・愛南町で町議として活動中。町政にさまざまな変化のきっかけをもたらし、まさに「女性が動けば変わる」を実践してみせてくれています。
昨年の秋、そんな金繁さんに、リアルな「女性と政治」の話を聞いてみよう、という勉強会が都内で開催。地方政治に関心のある女性たちが集まり、活発に意見交換を行いました。ここでは、その内容の一部をご紹介します。今年4月には統一地方選挙。各地で起きている「女性が動けば変わる!」を、マガ9も引き続き応援していきます。

■第一部 議会へ女性を! すべての人が暮らしやすいまちを目指して──金繁典子さんのお話

 前半では、愛媛県・南宇和郡愛南町で町議会議員を務める金繁典子さんに、ご自身の経験をお話しいただきました。

金繁典子(かなしげ・のりこ) 1963年愛媛県愛南町生まれ。国立公園に囲まれた生態系豊かな自然のもとで、農家の「嫁」たちから女性の自立の大切さを伝授されながら育つ。国際NGO職員をしていたときに福島原発事故が起き、持続可能性とジェンダーバランスについて考えるようになり、調査のため2012年夏にスウェーデンに滞在。持続可能な社会づくりにはあらゆる意思決定の場にジェンダーバランスが重要であることを学ぶ。2015年に故郷にUターン。女性議員がゼロだった愛南町議会に2017年に立候補・当選し「女性一人議会」で奮闘。現在2期目。

故郷の魅力を再発見してUターン

 私が生まれ育った愛媛県南宇和郡愛南町は、美しいリアス海岸の足摺宇和海国立公園に囲まれた自然豊かな町です。ただ、子どもの頃から「女性はこうあるべき、男性はこうあるべき」「嫁だから」「長男だから」といった考えにしばしば触れて育ち、自分はもっと自由な生き方がしたいなと思うようになって、遠く離れた関西地方の大学に進学しました。
 8年前まで、国際NGOに勤務し東京でマンション暮らしをしていましたが、東日本大震災の原発事故をきっかけに暮らしを見直すことに。職場と自宅の往復がほとんどの毎日で近所づきあいもない、お金がなければ立ちゆかなくなるコンクリートに囲まれた都会の暮らし。とても持続可能とは言い難い状態に疑問を感じるようになり、幸せとは何か、このままの生き方でいいのかなと、考え始めました。ちょうどそのころ、高齢の母を見守るために2ヶ月に1回ほど帰郷するようになり、それまではお正月かお盆頃にしか帰らなかった故郷の四季折々の自然と美味しく豊富な食べ物、温かい人たちといった故郷の魅力と向き合うことができました。
 海と山に囲まれた愛南町の食糧自給率は236.7%(※)。近海には珊瑚礁が広がり多種多様な海洋生物が生息しています。陸も温暖で、農業は柑橘類だけで20種類以上、野菜も果物も一年中収穫できる環境です。仕事でオランダやドイツに行くことが多かったので、自然の多様性、資源の豊富さという面から見た故郷の素晴らしさを再発見し、第二の人生をここで始めたいと思い2015年に34年ぶりにUターンしました。

※「永続地帯2021年度版報告書」(千葉⼤学倉阪研究室、NPO法⼈環境エネルギー政策研究所)

 しばらく暮らしていくうちに、こんなに豊かないいところなのに、町政と住民の意識がかい離しているのではと感じるようになりました。人口(約1万9千人、2020年)は減り続け、若者が町から出ていく、魚が捕れなくなった、農業の継ぎ手がいないなど……人々の暮らしは先細っていくばかり。だからこそこの右肩下りの町をどうするのか、どうすれば課題を解決できるのか、住民との対話や参画、そこからの実践が重要となるはずなのに、あまりされていない。議会を傍聴に行ったら議員16人全員が50代以上の男性で、女性議員はゼロ。山の尾根を削って巨大風車を建設するなど漁業への影響が心配される話をしていて、とてもびっくりしました。
 もともとは、政治家は自由が制限されるというイメージでやりたくないなと思っていたのですが、住民と町政との間の媒介になれればと、17年4月の町会議員選挙に立候補する決意を固めました。16年10月頃のことです。

「熱」が広がった選挙運動

 高校卒業までしか地元にいなかったので、地盤(組織)も看板(知名度)もありません。同じ女性なら応援してくれるのではないかと、友人、知人に相談したところ「出ても絶対無理だよ一、町議はしがらみでだれがなるかはもう決まっているから」とか「ポッと帰ってきた人に入れるような浮動票は一票もない」などと言われてがっかりしました。
 このままではいけないと思っている人は少なからずいると感じていたので、やってみようという気持ちは揺らぎませんでした。しかし表立って応援するとなると話は別。最初はごくわずかの人(ほとんど女性)で集まり、その年の暮れから活動を開始しました。
 最初はわからないことばかりでしたが『市民派議員になるための本』(寺町みどり著、上野千鶴子プロデュース)を読みながら数人で話し合いをスタートしました。リーフレットを作成し、リュックを背負って自転車に乗って一軒一軒、リーフレットを届けて会話することから始めました。寒空の下、心細さを感じながら続けていると、間もなく近所の高齢の方たちが見るに見かねて手伝ってくれるようになりました。「一人で回っていても何にもならんよ。にぎやかに行かんと」と、友人らに声をかけて一緒に行く人のローテーションを組んでくれて、少しずつボランティアをしてくれる人々が集まり始めました。
 地元でずっと70年以上暮らしてきた方たちがいっしょだと、本当に心強い。幼なじみとか仕事仲間だったとか遠い親戚だとか、山奥の家を訪ねても遠い海辺の集落に行ってもどこかでつながっていて、つながりがわかると顔がほころび、話を聞いてもらえました。
 そうこうしているうちに17年の3月末、投票日の2週間ほど前から「女の人も(議会に)一人くらいおらんとなぁ」という声が聞こえてくるようになり、雰囲気が変わってきたのを感じました。
 それは握手のときの手応えからも分かりました。滋賀県知事だった嘉田由紀子さんが「選挙は熱伝導」とおっしゃっていましたが、「こういう町にしたい」という熱意をもって動いていると、握手を通して相手に伝わる気がしました。
 それでも開票結果が出るまで当選するのか不安でしたが、開けてびっくりトップ当選でした。私も支援者の人たちも思わず叫び声を上げたほどです。
 考えてみれば、これまで愛南町では当選する人はなんとなく決まっていて、選挙運動といえば「情熱」とかなんとかひと言添え書きした名刺を、知り合いなどに配って頼むのが主流でした。議員になったら何を実現したいのか、自分の思いや考えを表明する選挙公報もなく、リーフレットを作成して配布する候補者もほとんどいませんでした。
 町をよくしたいと願う人たちが集まり、一緒になって動くことができた。男性にも何人も協力してもらうとともに女性たちにも口コミで広げて動いてもらえた。表立って手伝ってくれる人だけでなく、水面下で動いてくれた女性たちや、人には言わないけれど内心では支持して投票した女性たちがたくさんいたんです。
 嘉田由紀子さんは滋賀県知事選挙の際、特に女性たちに「鉛筆一本の勇気を持って!」と訴えたそうです。女性たちは通常、選挙のときも夫や地元の組織などに遠慮して候補者を選んでいたのだそうです。でも記入台ではだれも見てはいませんから、鉛筆一本の勇気を持って自分の意思を表そう、と伝えたのです。その結果、嘉田さんが当選した。同じようなことが愛南町でも起こったのかもしれません。

町民に開かれた議会を目指して

 町議になって1期目は、まだ本会議以外の会議(全員協議会や委員会)は非公開が原則でした。会議では、他の議員が意見を言うと同じ内容でも賛成されるのに私が言うと否定されるなんていうことも。また、議会事務局に「過去の議事録を出してほしい」と頼んでも、男性議員ならすぐ対応してもらえるのに、私にはなかなか出してもらえなかったりと、気持ちがふさぐことも多々ありました。そんなとき支えになったのは町の人たち。励ましてもらい、さまざまな経験を持った方たちからアドバイスを受け、助けてもらいました。
 選挙のとき「議員が、議会が何をしているのかわからない」という声をたくさんの町民から聞きました。16年ほど前から全国的に広がっている「議会改革」というものが、まだこの地域では始まっていないことも、議会に入って間もなくわかりました。議会改革とは住民に開かれた、住民とともに歩む議会を目指し、住民に積極的に情報を提供するのはもちろん、住民の声を直接聞き、参加してもらい、住民の福祉のために政策提言できる議会、二元代表機関として首長と政策を競い合う「善政競争」ができる議会になることです。
 町民への情報提供が乏しければ「議員が、議会が何をしているか」わからなくて当然。そこでまず情報提供、「議員が、議会が何をしているか」知ってもらうことから始めようと思いました。
 1回目の議会から議会ごとに議員通信を作って(政務活動費はないので自費で)、町で、議会でこんなことが起きている、こういう課題があると発信し続けると、まわりの人たちが知り合いに渡したり、ポスティングしてくれたり、議会報告の「お話会」に友達を連れてきてくれたりして広げてくれました。「へぇ、そんなことが起きているの、全然知らなかった!」といった声をたくさんいただきました。
 私が議会内で提案したのは、議会改革を始めること。議員の皆さんも賛成して「議会活性化特別委員会」が出来ました。委員会のメンバーになった議員全員で県内だけでなく九州にも視察に行き、議会改革の先進議会に触発されました。
 視察を終えて、実践へ。まず町民との意見交換会(議会報告会)が始まりました。「議会だより」を発行することには賛成少数でしたが、それならインターネット中継を開始しましょうと提案すると賛成多数ですぐに実現しました。また、それまでは「議会で議決されるまでは町民に見せてはいけない」と注意されていた行政側からの議案が、事前に議会のホームページに掲載されるようになりました。そして「議会基本条例」(※)が制定され「すべての会議を原則公開とする」と明記され、すべての会議の議事録も公開されるようになったのです。

※議会基本条例:地方分権推進に伴い、議会活性化、議会改革を目指して議会の組織及び運営の方針と基本ルールを定める条例

議員の役割は「きっかけ作り」

 議会の情報が増えたことで、町民の意識も変わってきているように思います。たとえば一般質問で何度も取り上げた図書館建設問題。町長は9億円かけて図書館を建てたいと主張していたのですが、私は「この町にはすでに全国平均の約3倍の公共施設があり、その維持費だけで現在・未来の町民に膨大な負担となる。図書館はすでにある建物を利用してはどうか。まず町民に説明を」と言い続けました。
 これらの情報が町民の知るところとなり、「それはおかしい」と考える人が増え、「図書館建設について説明会を」求める住民の署名運動も起きました。町は説明会を開かざるをえなくなり、図書館新築の話は棚上げになっています。
 議会の情報が増えることで町の人々の話題となり町の計画が変わってきた。それは私が変えたのでなく、住民が動き、議会が動いたから。私はきっかけのひとつを作っただけで、実際に町の計画を棚上げにすることができたのは町民の力なんです。
 ですから一議員である私の役割はきっかけ作り、時には危険(課題)を知らせる炭鉱のカナリアのようなものだと思っています。知らせるだけではなく何かを変えることができるときも、議員は釘のようなもので、それを頑丈な金槌で力強く打ちこむのが市民の力、そんな関係なのだと考えています。

すべての人が暮らしやすいまちへ

 こうして波瀾万丈でしたが実りもある1期目が終わり、一昨年4月の2期目の選挙では、私と新人の女性が1、2位で当選しました。複数の女性議員が誕生するのは、町政史上初めて。2期目の選挙のときは、女性が中心のボランティアの方たちが集まって料理して食べておしゃべりして笑ってと、すごく楽しかった。女性は水平なネットワーク作りがほんとうに得意ですね。
 1期目に比べると、2期目はさらに仕事にやりがいが出てきました。町民からより話を聞かせてもらえるようになり、行政の情報もより幅広く持つことができるようになるので、課題解決に向けた話ができて、政策実現に向けて動きやすくなったように思います。
 すべての会議が公開されるようになって、町民の方たちが「本会議より議員の考えがわかり面白い」と、委員会などにも傍聴に来てもらえるようになりました。
 議会改革は先進地に比べるとまだまだこれからですが、議会を公開し、より身近に感じてもらえることで議会も町の雰囲気も変わってきているのではと思います。男性ばかりの(もちろん女性ばかりの場合も)多様性を反映していない議会は民主主義とは言い難いと思います。1期目の選挙のときたくさんの町民の方達から聞いた「女の議員も一人くらいおらんとねぇ」の声が、2期目に入り「女の議員がもっと(できれば半数)ほしいねぇ」という声に変わってきたのをとても嬉しく思うと同時に、実現を願うばかりです。
 今後も「議会へ女性を」、そして「女性が動けば変わる」をライフワークに、がんばっていきたい。それが結局、男性を含むすべての人にとって暮らしやすいまちづくりにつながると思うのです。

■第二部 政治は地方から変わる──東京・杉並区長選の体験から

 後半では、2022年6月の杉並区長選で当選し初の女性区長となった岸本聡子さんの選挙ボランティアとして活動した2人の女性、ペヤンヌマキさん(劇作家・映像監督)と中村ゆりさん(市民政党ボランティア)が登壇。豊島区議会議員の塚田ひさこさんが司会を務め、金繁さんとともにそれぞれの体験や思いを語っていただく座談会形式で進行しました。

「みんなでつくるみんなのまち」

ペヤンヌ 杉並区に20年以上住んでいるのですが、これまで区政にはあまり興味がありませんでした。それが3年くらい前に、中杉通りの延伸(都市計画道路補助133号線)計画により私が住んでいるところが道路延伸に伴う立ち退き予定地になっていることを知り、区政に関心を持ち始めました。調べてみると区内のほかの地域でも再開発計画があり、児童館廃止などいろいろな問題があることがわかりました。
 また、その時点で3期12年の間、区長の座にいた田中良氏の公私混同、住民無視の政治姿勢もひどいもので、区民の声を聞かない区政に、怒りがわきました。このままではいけない、区長を変えなければ、次の区長選ではボランティアをやろうと、候補者も決まっていないうちに決意しました。
 その後、2022年4月に公共政策研究者でNGO研究員の岸本聡子さんが立候補することが発表され、岸本さんが初めて朝街宣に立った時にビラ配りのボランティアに参加しました。岸本さんご本人と「面白い選挙にしよう」という話で盛り上がり、私がこれまでやってきた演劇や映像、クリエイティブ方面のスキルを生かして何かできないかと考え、選挙活動の動画配信を思い立ちました。動画を見てもらうことで、岸本さんの知名度を上げ、これまで30%台だった区長選の投票率も上げられるのでは、と思ったのです。
 5月頭から撮影を開始、6月1日から19日の投票日まで計9本の動画を岸本聡子公式YouTubeチャンネルで配信し、怒濤の1ヶ月半でした。これらの動画に未公開映像を加えて、90分くらいのドキュメンタリー映画として劇場公開に向けて現在絶賛再編集中です。4月の統一地方選挙前に何としても公開したいと思っています。

塚田 候補者が決まっていないうちに「応援しよう」と決めたのはすごいですね。

ペヤンヌ そうですよね、とにかく道路拡張を止めたい一心でした。道路拡張の問題は阿佐谷のほか西荻窪や高円寺でもあり、他にも児童館やゆうゆう館(高齢者向け施設)の廃館問題など、杉並区のあちこちで住民運動があって、「いまの区政を何とかしたい」「住民思いの区長を」という機運が高まっていたんですね。

金繁 そこがすばらしい。候補がいないのに住民が率先して運動を始めるという下地があったからこそですね。やはり住民がそこまで意識を持って動いたことが首長を変える原動力だったんだと思います。

中村 私は杉並区民ではないので、候補者が決まるまでは静観していたのですが、岸本さんが現れて心が動きました。まず40代の女性であること、そしてミュニシパリズムという市民主役の自治の考え、ヨーロッパの街での実践があることを知って、これは応援しなければと動き始めました。

塚田 政党が仕切るのでなく、住民の側から盛り上がったというところがすばらしいですね。

ペヤンヌ 岸本さんは杉並区に縁がなく、突然ヨーロッパからやってきた、いわば究極の「落下傘候補」ということで、初めは心配する声もあったのですが、実際に本人に会って話を重ねるうち、どんどん支持者が広がっていったんです。
 というのも、岸本さんが一方的にしゃべるのでなく、みんなにどんどん質問して対話を重ねて、「ではこうしたらどうだろう」と提案してくる。そういうスタイルがとても新鮮だったんですね。
 選挙って、立候補者が自分のことを一方的に主張して、市民はそれを聞くだけだと思っていたのに、岸本さんってこんなにみんなの声を聞いてくれるんだと、びっくりしました。上から押しつけるのでなく「みんなでつくるみんなのまち」というキャッチフレーズそのものだと実感しました。

それぞれが「やりたいこと、やれること」で支えた選挙

中村 街頭でもマイクを握るのは区民、岸本さんは地べたに座ってそれを聞いて拍手してと、これまでの選挙では見たことのない光景でしたね。

ペヤンヌ 確かに最初は岸本さんも、駅前広場でただ黙って聞くだけの人々に向かって一方的に演説する日本式の選挙スタイルに戸惑っているようでした。
 それが小規模なお話会を重ねるうち、どんどん変わっていって街頭演説もすごく上手になって、短期間で急速に盛り上がりましたね。選挙戦後半には支援がどんどん広がるのが実感できて、その勢いには鳥肌が立ちました。

中村 岸本さんが革ジャンにショートパンツ、ブーツスタイルで街頭に現れたときにはびっくりしました。これまでの政治家と全然違う、私たち市民のひとりという感じが、めっちゃかっこよかった。

ペヤンヌ 選挙応援に集まったボランティアは女性が多く、ずっと地域で住民運動をしていた人もいるし、そうじゃない人が初めて個人で参加するなど、さまざまでした。運動のやり方もそれぞれがやりたいこと、やれることを手作りで提案して自発的にやるというかんじでした。
 例えば「ひとり街宣」。区内に20近くある鉄道の駅前にボランティアが一人で立つ。のぼりを持ったり、サンドイッチマンみたいにポスターを首からかけたり、好きな格好をして言いたいことを話す。黙って立っているだけでもいいのです。誰がいつどこに立つかローテーションを組んで、やりたい人が手を挙げる。それを1週間毎日続けました。誰かが仕切ったり、割りふりしたりとかがまったくない、自然発生的な草の根の運動だったのですが、みな楽しんでやっていたし、投票率を上げる効果もあったと思います。

中村 選対会議も、毎回メンバーが入れ替わるなどゆるいつながりで、効率はよくないかもしれないけれど、おしゃべりしながら自然と信頼関係ができてきたという雰囲気でした。

ペヤンヌ 会議でも、主役は主に女性。男性はサポートにまわって黙々と実務をこなしてくださっていた印象でした。

金繁 私も国政選挙のお手伝いをしたことがあるのですが、そのとき感じたのは男性中心の選挙、つまり組織票重視の選挙なんだなぁということでした。でも組合などの組織は先細り状態。女性や非正規の若者など、しがらみのない個人が政治に関心を持ち選挙に関わるようになれば政治は変えられる。今はそのチャンスだと思います。

市民の力で、政治を変える

塚田 報道によると、野党共闘がうまくいったから勝てたという見方もあるようですが。

中村 今回は立憲、共産、れいわ、社民などの野党が協力して岸本さんを推薦しました。国政では難しい野党共闘ができたのも、市民ボランティアが中心になって動いたことが功を奏したのだと思います。

ペヤンヌ 私の印象では、従来からあった複数のコミュニティごとの市民運動が、岸本さんの登場でひとつになり盛り上がって、そこに政党があとから乗ってきたという感じです。
 選挙戦後半には野党の大物議員が勢揃いして野党共闘の候補者と印象づけられたかもしれませんが、実際にはちょっと違ったと思います。でも、地元の経験豊富な野党議員さんたちが協力してくださったりして、市民と議員が一体となって選挙を盛り上げていたと思います。

金繁 人口の少ない地方の町では、住民が顔見知りだったり人づてに知り合いだったりするので口コミで伝わりやすく、住民の意識が変わる可能性が高いんです。また地方は国レベルほど利権が巨大ではなく、民意が反映される許容性がより大きい。だから政治を変えようと思ったら地方から変えるほうが早いのではないでしょうか。そして地元でまちづくりに参加した市民が町議になり、じゃあ次はこの人を県議に、この人を国会に……とつなげていけると市民社会が成熟し、民主主義が実現するのではと思います。
 東京も杉並区という身近な自治単位から変わっていってほしい。岸本さんが区長になってこれからが正念場ですね。区民が区長をサポートするというより、一緒にまちづくりするくらいでないと……。

ペヤンヌ そうなんです。今、選挙応援した人々が中心になって、区民として区政に関わろうという動きがあり、まず手始めに議会の傍聴にいこうと呼びかけています。9月の区議会では傍聴席は満席になりました。

塚田 岸本さんが区長になって初めての議会ですね。いかがでしたか?

ペヤンヌ それがひどい。選挙で負けた恨み辛みというか、これまで男社会だったところにいきなり海外からやってきた女性が入ってきてトップに立つとは何事か、みたいな雰囲気を感じて、びっくりしました。
 政策論争なんてそっちのけ、住民のことを全然見ていないじゃないか、と怒りがわいてきて、この実態をまず区民に知らせなければと痛感しました。「区長一人では止められない、区民ががんばらないと」「次の地方選ではちゃんとした人をよくよく見極めて投票しなければ」など、仲間と話し合いました。

金繁 傍聴して、口コミなどで広める。女性の拡散力はすごいですね。
 選挙前に言っていたこととまったく違うことを選挙後にやり出す政党もありますが、市民の力が強くなれば政党もそんないい加減なことが出来なくなります。「政党凧」の糸を市民がしっかり持って、変なところに行かないようにしっかり引っ張ることが大事ですよね。
 議会と住民、そして行政と住民の関係も鏡のようなものだと思います。どちらかが一所懸命汗かいてやっているのに、片方がそれを無視しているということはない。市民が政治に関心を持ち、声にしたり参加したりしていけば、議会も行政も動く。暮らしやすい町になっていく。市民、とくに女性の力がカギだと思います。ともにがんばりましょう。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!