笑いの力には3つがある(以下は安積中著『人生を切り開く 笑いのチカラ』幻冬舎による)。笑う力、笑われる力、笑わせる力だ。笑いには免疫作用があって、それがクスクス笑いでも、NK(ナチュラルキラー)細胞を活発化させ、身体のなかで常に生じているがん細胞を制御する。これが「笑う力」だとすれば、「笑われる力」とは自分をさらけ出すことだ。
人はどうしても笑われたくないと思う。プライドが邪魔して知ったかぶりしたり、本音が言えなかったり。そこには「人と違う」と見られることへの抵抗もある。そこで同調圧力に屈せず、笑われることもへっちゃらになれば、それが客観的に自分を知る=メタ認知につながる。ここまでくると次は「笑わせる力」だが、芸人ではない私たちが受けを狙ってもすべるのがおち。でも、心配なく。「笑わせる」を「人を喜ばす」と考えてみよう。何をしたら彼は、彼女は喜んでくれるか。「笑わせる力」とは相手を知ることで身につくのである。
ずいぶんと前置きが長くなった。本作品の中心的な人物である菅野一代さんと彼女の周りで起こる笑いはなんだろう?
菅野さん一家は宮城県気仙沼市唐桑半島にある鮪立(しびたち)で100年続く牡蠣の養殖業を営んでいた。そこへ東日本大震災が発生。すべてを津波で失うも、多くの学生ボランティアの力も借りながら再生を果たす。半壊した自宅は修復され、若者たちの常宿から民宿「唐桑御殿つなかん」になった。「つなかん」とは鮪立(まぐろ=ツナ)と菅野の頭文字からとった名前である。
ところが震災から6年後、菅野家には海難事故、さらにはコロナウイルス感染拡大などの苦難がこれでもかと続く。
打ちひしがれた一代さんは誰とも会う気持ちにならず、海を見ようともしなくなった。だが、時が経つにつれて、何かが復元してくる。一代さんが見せる前向きな姿勢、学生ボランティアから気仙沼に移住した若者たちの、自分に何ができるかを考えた末の行動、そして何よりお互いがお互いを喜ばせたいという気持ち。それらが笑いとなって現れるのである。
つなかんに若者たちが引き付けられたのは、何よりも一代さんの笑顔だった。
苦しみや悲しみを紛らわす笑いではない。逆境は人生から与えられたものだと考えることで、絶望が反転する際に生じるようなものではないか。
一代さんは「これまでは(人を)受け入れる側だったけれども、これからは自分から(人に)会いにいく」と、東京で開かれた『生活のたのしみ展』に「つなかん」のTシャツを出展し、トークショーに登壇することを決意。これまでの受け身から仕掛ける側に転じていく。
2011年3月から11年以上をかけた撮影は、学生ボランティアとして気仙沼に来て、当地で家族をもつまでになる若者たちの成長の物語にもなっている。
一代さんは「自分もよそ(岩手県久慈市)から来た者だけれど」と言いながら、唐桑に移住したいという人を受け入れる側の心構えとしてこう語る。
「安心して来て、ということ。その根拠がなくてもいい。(喜んで受け入れるという)気持ちがオーラとなって相手に伝わることが大切だと思う」
そのオーラはスクリーンからこちらにも確実に伝わってきた。
(芳地隆之)
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『ただいま、つなかん』
2/24(金)より宮城・フォーラム仙台、2/25(土)より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開
公式サイト:https://tuna-kan.com/