第260回:レクイエム(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

悲しくってやりきれない…

 しきりに「訃報」が届く。
 つい最近、ぼくの30年来の友人でTVジャーナリストの川村晃司さんが亡くなられた。ぼくも加わっている市民ネットTV「デモクラシータイムス」の関係者としては、早野透さんに続いてのご逝去。さびしくって仕方ない。
 今回は、川村さんの思い出を書こうと決めていた。
 そう思っていたら、3日の朝刊を開いて悲しくなった。
 坂本龍一さんの訃報が載っていたからだ。大江健三郎さんに続いて、坂本さんの死。世界的に著名な文学者であり音楽家であったけれど、おふたりともその分野にとどまらず、積極的に社会活動にも参加した。ジャン=ポール・サルトルが提唱した「アンガージュマン」の素晴らしい体現者でもあったのだ。
 世が変わる。その変わり目に、こんな大事な方たちの死が続くとは、何か不吉な予感がして仕方ない。

「花家」で一献

 川村さんの思い出を書こう。
 川村晃司さんとは、ぼくの会社の同僚の紹介で知り合った。その同僚の大学時代の先輩ということであった。知り合うと、なぜかぼくとウマが合い、よく一緒に酒を飲むようになった。ぼくが週刊誌編集部のころである。川村さんは、よくぼくの会社のある東京・神保町までやって来て、ぼくが行きつけだった小料理屋「花家」で一緒に杯を傾けた。
 時々は、こちらが川村さんの会社のテレビ朝日のある六本木まで出かけた。でも川村さんは、六本木のいいかにも流行最先端という佇まいはあまり好きじゃなかったとみえて、暇ができると神保町へやってきた。
 テレビ朝日のカイロ支局長やニューヨーク特派員などを歴任し、久米宏さんの「ニュース・ステーション」のディレクターも務めていたのだから、どうやってあんなにうまく暇を作れるんだろう、とぼくは感心していたものだった。
 カイロ支局時代にけっこう重篤な病を得て、その回復には相当な手術や日時もかかったようだった。一度、ぼくは入院先の病院へお見舞いに行ったこともあった。美しいお連れ合いとはその際にお目にかかった。

情報交換という名の飲み会も…

 さてその後、ぼくは新書編集部の立ち上げに参加、その超多忙の時代でも、川村さんとはよく会っていた。貴重な情報源だったからだ。新書編集部でぼくは『新聞記者という仕事』という新書を担当した。著者は朝日新聞論説副主幹の柴田鉄治さんだった。ぼくは柴田さんとも親しくなった。
 そこでどういうきっかけだったか忘れたが、「3人会」というものがいつの間にか出来上がった。新聞・テレビ・出版と分野の違うメディアの情報交換会(という名目の飲み会)を、数カ月に一度ずつ行うようになったのだった。飲みながら、それぞれのメディア分野の出来事、最近起きたニュース、ことに日本の政界情報などはぼくのまったく知らない分野、おふたりから得た情報が新書編集に大いに役立ったのは間違いない。
 しかし、柴田さんはご高齢(1935年生まれ)だっただけに、次第に3人会の回数は減っていった。そして2020年、柴田さんは亡くなられた。自然に「3人会」も消滅した。それでも、ぼくら有志が設立した市民テレビ局「デモクラシータイムス」へ、川村さんの出演をお願いしたら、川村さんはすぐにぼくの依頼に応じてくれた。まだ海のものとも山のものとも分からない小さな局の「ウィークエンドニュース」の準レギュラー・コメンテーターになってくださったのだ。
 ようやく軌道に乗りかけ、少しずつ増えていたチャンネル登録者数にも、川村さんの果たしてくれた役割は大きい。感謝の言葉しかないのです。
 だから、4月1日の「ウィークエンドニュース」は、冒頭で同人からの感謝と哀悼の言葉で幕を開けた。
 少し首をかしげながら、明瞭な言葉できちんと情勢分析を語り、政府批判も臆せず口にする稀有なTVジャーナリストだった。その早逝は惜しまれてならないけれど、それよりも、ぼくは個人的に楽しい飲み相手を失ってしまったことが、ほんとうにさみしい。だって「3人会」がひとりぼっちになっちゃったじゃないか…。

鈴木邦男、「マガ9」への登場!

 懐かしい人、大事な人が次々に去って行く。
 鈴木邦男さんも、そのおひとりだ。
 4月2日、東京一ツ橋の如水会館で「鈴木邦男さんを偲び語る会」という集まりがあった。参加者がすごい。当日、会場で配られた案内状を見れば、その交友関係の広さに誰もが目を剥くだろう。これが自称「右翼」だった邦男さんの真骨頂なのだった。
 雨宮処凛さんと篠田博之さん(雑誌『創』編集長)の司会で始まった会では、たくさんの邦男さんとゆかりのあった方々が挨拶なさった。田原総一朗さん、佐高信さんら「長老」から、松元ヒロさん、武田砂鉄さん、それに松本麗華さん、そしてなんと山口4区の衆院補欠選挙に緊急立候補、安倍晋三後継候補に一騎打ちを挑んでいる有田芳生さんまでが吉岡忍さんとともに登場して、会場を沸かせた。
 第2部では、金平茂紀さん、白井聡さん、辛淑玉さん…。
 これだけをみても、邦男さんという人が左右などという垣根をひょいと軽く飛び越えて、あらゆる人と平場で付き合ったことがよく分る。
 この「マガジン9」でもずいぶん長い間、コラム『鈴木邦男の愛国問答』を書き続けてくださった。そのコラムでは、いろんな方と、それこそ左右の壁を超えて対談もされていた。
 「マガジン9」は、2005年3月の創刊。創刊時のモットーは「憲法9条の精神を守る」というたった一点だったから、当初は「マガジン9条」と名乗った。しかしその後、環境、原発、人権、労働、貧困、ジェンダー…と、スタッフの問題意識が広がり、「マガジン9条」から「条」を除いて「マガジン9」と改称して現在に至る。それでも「9条の精神は守り抜く」という意識は変わらない。
 だから、邦男さんの登場には、読者の一部から「マガ9は大丈夫か」との声も聞こえてきた。しかし、邦男さんは「不自由な自主憲法より、自由な押しつけ憲法のほうがいい」と明確に語っていた。それなら「マガ9」の方向と何ら矛盾しないではないか、ということで連載をお願いしたという経過だった。



『腹腹時計と〈狼〉』

 ぼくが邦男さんに注目したのはずいぶん古い。1975年に出版された邦男さんのほとんど最初の著作『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)を読んでいたのだ。これは、いわゆる新左翼系から派生し、「東アジア反日武装戦線」〈狼〉〈大地の牙〉〈さそり〉を名乗り爆弾闘争へ突っ込んでいったグループへの、ある意味での哀惜を込めた批判の書だった(注・「腹腹時計」とは、爆弾の製造法を記した文書。彼らが使用したもの)。
 邦男さんが、後にいわゆる右翼のしがらみから脱して行く萌芽がここに見える。邦男さんは、あとがきにこう記している。

(略)「それでも民族派か」などと言われかねない。又、実際そう言われたし、「〈狼〉に同情的すぎる」などとも言われた。確かに「同情」はしている。しかしそれはあくまでも「時代の犠牲者」としてである。それは今も変わらないし、個人を越えた価値を追求すること自体が〈犯罪〉と見なされかねない〈時代〉の方こそが加害者であるという確信にも変わりはない。これからも〈狼〉の諸君のような犠牲者の死を〈時代〉は要求してゆくのであろう。
 民族への愛情も誇りも持てないような教育が、政治がまかり通る。国家は企業的になり、商社、企業が国家になりかわろうとする。国家目標も世界観も喪失して、それでも国家だと居直っている。一切の問題はそこにある。(略)

 右翼陣営からの批判を胸で受け止め、それでも敵対するグループの思想を、同情をもって理解しようとする。そして、左右の壁を越境する。
 邦男さんは、大学生のころは激情型だった。しかし、それを表に出すことは次第に影を潜め、やわらかな温かい雰囲気で人に接していく。しかし「言論の覚悟」は最後まで捨てなかった。例えば、映画『ザ・コーヴ』を反日映画と決めつけ、劇場公開を阻止しようとする右派グループに邦男さんは敢然と立ちふさがって「まず映画を観てくれ、その上で議論しよう」と論戦を挑む。徒手空拳の闘いである。
 そんな邦男さんだが、ぼくらの「マガ9忘年会」には、必ず顔を見せてくれた。そして、ちょっと口を尖らす独特の東北訛りで、調子っぱずれのギャグを飛ばして座を白けさせていた。「マガ9忘年会」は、先ほど紹介した川村さんや柴田さん、それに雨宮処凛さんや山本太郎さん、それにその時々の飛び入りも含めて数十人が集まることもあったのだ(ここ数年はコロナ禍で中止している)。邦男さんは、ほんとうに楽しみにしてくれていたようだった。

 邦男さんも柴田さんも川村さんも、もういない。
 今年の忘年会は淋しいだろうけれど、「マガジン9」はまだまだ頑張っていくらしい。
 ぼくはそろそろ引退間近…。


 

デモクラシータイムス出演 

川村さんからいただいた今年の年賀状。
時代を憂える文面。元気でしたのに…

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。