『正義の行方』(2024年日本/木寺一孝監督)

 1992年2月、福岡県飯塚市で2人の小学生が行方不明になり、翌日に遺体で発見されるという痛ましい事件が起こった。「犯人」として逮捕されたのは、近所に住む50代の男性。彼は潔白を主張し続けるが、2006年に最高裁で死刑が確定、わずか2年後に刑が執行される──。
 死刑執行後に遺族や支援者らによって再審請求が提起されるという異例の事態となった「飯塚事件」。本作は、警察、新聞記者、弁護士と、さまざまな立場で事件に関わった人々の声を通じて、事件とそこからの30年を描き出すドキュメンタリーだ。
 捜査に携わった刑事たちは、幼い子どもの命を奪った犯人への怒りを口にし、逮捕に至るまでの苦闘を語る。遺体発見の現場を何度も訪れ、目撃者の証言を追い、まだ導入間もなかったDNA型判定を依頼し……退職した今も、毎年事件の日には現場に手を合わせに行くという元刑事もいて、たしかに彼らは彼らにとっての「正義」を追求しようとしたのだろう、と思わされる。
 しかし見方を変えたとたん、その「正義」は大きく揺らぐ。再審請求を担う弁護士たちが提示する、「詳細過ぎる」目撃者証言への違和感、別の研究者による鑑定では「(犯人と容疑者の)型が一致しない」と出ていたにもかかわらず「有罪」の根拠として使われたDNA型鑑定結果……裁判所に提出されたDNA型鑑定書の写真が検察の主張に都合よく改ざんされていた疑いや、目撃者の供述が警察に誘導されたものだったのではないかという可能性すら指摘される。
 もちろん、すぐさま「だから無実だ」となるものではないだろう。けれど、少なくともこれほど危うい「証拠」をもとに、死刑という重い判決が下されていいとは到底思えない。その「到底思えない」ことが実際に行われ、そして刑の執行までが済んでしまっているという事実に、背筋がぞっと冷たくなる。
 映画の後半は、地元紙として事件を追い続けた西日本新聞の記者たちの姿が中心に描かれる。当時、容疑者の逮捕前に「重要参考人浮かぶ」のスクープ記事掲載に踏み切ったのが同紙だった。社内でも議論があったというそのときのことを、取材班サブキャップとして事件報道に関わった元記者は「他社との特ダネ競争のプレッシャーに負けた」と振り返る。その後も同紙では、警察の発表に沿った「有罪」を前提とした報道が続いた。
 「本当にそれで正しかったのか」。検証の動きが始まったのは、事件から25年、死刑執行からも10年近くが経ってからだ。その数年前、福岡地裁で第一次再審請求が棄却されるも、DNA型鑑定結果の証拠価値は事実上否定されるという結果が出ていた。事件当時に現場を走り回っていた記者たちが、ちょうど決定権のある役職に就いた時期でもあった。彼らは「今だからこそできることを」と「検証キャンペーン」の開始を決定。事件当時の取材を知らず、先入観のない記者たちが中心となって、綿密な再取材の末に書き上げた連載記事は83回にものぼった。「自分は『ペンを持ったお巡りさん』になっていた」──事件当時、現場の最前線で取材を担当し、「特ダネ」を世に出した記者の言葉には、深い後悔が滲む。
 全編を通して見えてくるのは、「人間は必ず誤る」という当たり前の事実だ。今も「犯人」とされた男性が最後まで罪を認めなかったことを非難し、「120%犯人に間違いない」と言い切る刑事たちの言葉が、最初はあまりにも不遜に聞こえたのだけれど、見ているうちにむしろそれは、自分たちが追求した「正義」が誤っていた(可能性がある)ことを認めたくないがための、自分たちに言い聞かせる言葉のようにも思えてきた。

 西日本新聞の「検証キャンペーン」の中では、これまで知られていなかった新たな、そして衝撃的な事実もいくつも明らかになっている。そして、「飯塚事件」の第二次再審請求は今も福岡地裁で継続中だ。
 もちろん、仮に再審が認められて「冤罪だ」と明らかになれば、無実の人に死刑が執行されたということになり、司法制度全体を揺るがす大問題になることは避けられない。メディアや司法関係者はじめ、多くの人に痛みを強いることにもなるだろう。それでも、「誤ったかもしれない」という可能性から目を背けることは、あってはならないはずだ。そして、この事件のみならず、同じようなことを二度と起こさないために、「人間は必ず誤る」という前提に立った仕組みづくりに向けた議論──死刑制度の是非も含めて──が、早急に必要なのだと思う。

(西村リユ)

『正義の行方』(2024年日本/木寺一孝監督)
4/27(土)より東京・ユーロスペース、福岡・KBCシネマほか全国順次公開
https://seiginoyukue.com/

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