第261回:宗教と政治(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

公明党と自民党

 統一地方選の前半戦が終わった。様々な分析がなされているが、維新の勝利が大きく報道されている。関西地方の地域政党であったものが全国政党に躍り出た、という評価だろう。維新幹部のはしゃぎようも半端じゃない。
 自民党政府はさっそく、大阪IR計画を認定することとした。国政段階で維新との連携を図ろうという意図がミエミエだ。ほとんどがカジノ(博打場)のあがりに依拠する杜撰な計画なのだが、あっさり認めてしまった。
 なんとなくぎくしゃくし始めた公明党への、自民党からの牽制の意味もある。「あんまり突っ張ると、連立相手はアンタんとこじゃなくても他にもいるんだかんね、分かってんだろうね」という政権側の政治的駆け引きである。やることはえげつなくとも、それが政治というものだ、とニンマリする自民長老たちの顔が目に浮かぶ。
 公明党は、宗教政党である。創価学会という、日蓮を信奉する組織が支持母体になっている。その創価学会が、選挙の際には公明党との連立の見返りとして自民党候補の支持に回る。言ってみれば、自民党もまた宗教組織におんぶしてもらっているわけだ。
 しかし、自民党は他にも宗教団体との絡みは多い。いわゆる「新興宗教」のたぐいの組織票が大きな支えになっている。その意味では、自民党という政党は鵺(ぬえ)のような「宗教政党」であるともいえる。

「統一教会」を忘れたか?

 さて、その鵺の自民党とズブズブの関係にあった例の「統一教会」との関係は、今回の統一地方選ではどうだったのか。統一教会の巻き返しの激しさに驚く。
 選挙を間近に控えて、なぜかマスメディアは、すっかり「統一教会」を忘れてしまったようだ。最近はあの「ミヤネ屋」でさえ、統一教会ネタをあまり報じない。あれほど毎日のようにテレビに出ていた鈴木エイトさんの顔もめっきり見なくなった。
 人の噂も七十五日……自民党各県連などでは、統一教会との関係の調査さえしなかったところも多いのだ。それをいいことに、統一教会側は地方議員への選挙協力で、またしても草の根運動を展開した。統一教会からの協力で当選を果たしたとされる地方議員は、相当数に及ぶ。
 ある意味では、統一教会の組織戦略は、創価学会の政界進出を参考にしていたのではないだろうか。じわじわと地方に足場を築いて、気がつけば一大勢力になっている…。
 ただし、創価学会と統一教会の根本的な違いは、創価学会は自らの組織の中から議員を生み出していったのに対し、統一教会は自らは表面に出ず、選挙協力という形で議員を取り込み、いつの間にか抜き差しならぬ関係を築いていくという点だ。
 LGBTQに対する嫌悪感、家庭第一主義という名目の女性蔑視、男女平等の否定、選択的夫婦別姓制度否定、同性婚に対する嫌悪、勝共主義などを協力議員にじわじわと浸透させ、統一教会の思想を植え付けていく。気がつけば統一教会と同じ主張をしている議員がたくさん出現している。
 この選挙協力という手法は、驚くほど効き目がある。猫の手でも借りたいのが選挙だ。電話かけ、ポスター貼り、ハガキ書き、ビラまき、動員、街宣カー、ウグイス嬢など、人手はいくらあっても足りないが、さりとて金を使えば選挙違反に問われかねない。そんな煩雑な仕事を、文句も言わず黙々とこなしてくれるボランティアが(むろん無料で)参加してくれるのだから、こんなにありがたいことはない。
 いつの間にか、それなしには運動できない態勢を作られてしまう。そして晴れて議員になれば、統一教会からの要請は断れなくなる。極右的スローガンでも受け入れる。かくして、草の根統一教会的議員の一丁あがり。
 自民党議員たちの無思想性はすごい。口を開けば愛国を語るけれど、統一教会の「韓国はアダム国家、日本はアダムにかしずくイヴ国家。だから日本人信者は統一教会へ献金しなければならない」との教義には何の反発もしない。要するに、自民党議員たちが嫌う「反日教」なのに、それよりも選挙が大事なのだ。
 「アダムとイヴ」が出てくるということは、統一教会はキリスト教のカルト的分派であるということになろう。

あの「像」に怯えた小学生

 次のように書くと誤解されるかもしれないが、ぼくはキリスト教がどうも苦手である。
 遠い遠い昔、まだ小学低学年だった頃、ある友だちと一緒にキリスト教会を覗いたことがあった。ふるさとの田舎町に小さな教会があった。なんとなく都会の香りと特別な知的雰囲気を醸していたと思う。そこに「日曜学校」というものがあってお菓子を貰えるから行ってみないか、という誘いだったように思う。
 いやしんぼのぼくはお菓子に弱い。教会を訪れた。ところがそこが怖かった。なぜか、血まみれの裸像が飾ってあったからだ。ぼくはやっと7歳かそこらの子ども。恐怖した。お菓子を貰ったかどうかは憶えていない。ぼくはいやしんぼであると同時にビビリでもあったのだった。
 そんなわけで、今でもその記憶だけが残っている。
 高校生になって「人生とは何か」などと人並みに悩んだ青春期、聖書を読みかけたけれど、なんとなくあの血まみれの印象が消せなくて、ダメだった。三島由紀夫は『聖セバスチャンの殉教』の矢の刺さった男性像に性的な興奮を覚えたというけれど、ぼくはやっぱり血まみれの印象が先に立つ。
 キリスト教は、かつて血の歴史を持っていた。異教徒迫害、十字軍、異端摘発、磔刑、魔女狩り、火あぶり…血なまぐさいエピソードに事欠かない。むろん、それらを否定克服して平和な宗教として再構築していった過程は知っている。現代のキリスト教が「反戦平和」に尽くしている役割は素晴らしいと思う。けれど現在でも、アメリカの「宗教右派」の超保守的活動、それに基づくトランプ支持者たちの陰謀論等は顕著だ。
 キリスト教ほど分派を膨大に生み出した宗教もない。
 分派の中には過激になりカルト性を帯びる例もある。集団自殺を引き起こした「人民寺院」や「ブランチ・ダビディアン」の事件など、カルト化した分派は過激な結果で幕を閉じることも多い。

「一神教」と「多神教」

 「一神教」は唯一無二の神の存在を信じる。したがって他の神を否定する。他の神を信じることは一神教の教えを逸脱する。だから他を攻撃することになる。
 キリスト教もイスラム教も一神教である。起源は同根だとされるが、片やイエス・キリストの教えに帰依し、一方は唯一の預言者としてのムハンマドを崇敬する。ひざまずく対象が違うということが対立を生む。片やキリストやマリアの像を拝み、一方はすべての偶像崇拝を否定する。相容れない。
 宗教の違いが、時として戦争に至る。
 文明は多くの場合、宗教に根差す。サミュエル・P・ハンチントンが説いた『文明の衝突』論は、その意味で宗教衝突の意味を含んでいた。
 日本の場合は、神がやたらと存在する。八百万の神である。トイレの神様だっているらしい。そこに仏さんも加わって、拝む対象はそれこそ「やおよろず」なのである。「神様仏様村神様」(ぼくの少年時代は、神様仏様稲尾様だった。知らないだろうなあ…)というような例も出てくるのだから平和だ。神さま同士が争うこともあまりない。日本では「宗教戦争」はなかった。
 だが、明治以降に現れた日本の新しい宗教の一部は、あまり寛容ではなかった。
 天皇の名のもとに、国民は尊崇と服従を求められた。「天皇の兵士」は、上官の命令は天皇の命令とされ、いかに理不尽なことでも従わざるを得なかった。沖縄で起きたことも、その一例に過ぎない。「国家神道」という宗教の行き着く先だった。
 以降も、次々に現れた「新宗教」は、教祖(開祖)を唯一の崇敬対象とし、教祖の“お言葉”を信奉するという「一神教」に近いものが多い。その極北が「オウム真理教」であったことは、まだ記憶に新しい。

国はいかなる宗教活動もしてはならない

 統一教会問題を、ないがしろにしてはならない。
 政治と宗教の関係は悩ましい。だが、宗教組織が政治の中枢、安倍晋三元首相という国家の最高指導者にまで食い込んでいたという事実を忘れてはならない。その対応を間違えれば、国家の根っこが食い荒らされる。
 断っておくが、これは統一教会だけの問題ではない。あらゆる宗教は、日本国憲法にあるように「政治上の権力を行使してはならない」のだ。その条文を挙げておく。

日本国憲法
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 地方議会、国会に限らずあらゆるレベルの議員たちは、この条文をしっかり頭に入れておく必要があると、ぼくは思う。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。