リーガルマインドを携えて 多様なキャリアを切り開こう! 講師:菅野 志桜里氏

衆議院議員時代、憲法、外交から待機児童問題まで、国会で舌鋒鋭い質問を時の総理に突きつけていた菅野志桜里さん。議員になる前は検察官、そして現在は弁護士、一般社団法人国際人権プラットフォーム代表理事として、幅広く活躍されています。その菅野さんが一貫して胸に抱いてきたのは「リーガルマインド」。それは人間が人間らしく共に生きていくために欠かせないものであり、国際社会の多様な問題解決にあたる際のヒントになりうることを、自身のご経験から語っていただきました。[2023年3月18日@渋谷本校]

検事時代に学んだこと

 私が大学卒業後、最初についた職業は検事でした。検事になりたいと思ったのは、将来の進路に迷っていた高校時代、裁判を傍聴したのがきっかけです。当時はまだ裁判員裁判も始まっておらず、裁判といえばドラマの中の出来事という感覚だったので、実際に手錠をかけられた被告人を目の前に見たときには衝撃を受けました。
 裁判の様子を見ていて、検事は被害者の代弁者、声を上げられない人のために声を上げる役割という印象を受けました。裁判官は検察、弁護側双方の証拠をもとに判断する受け身の立場だけれど、検事はより主体的に判断して動ける、依頼者からお金をもらわず正義の仕事ができる、と高校生の私は感じたのです。
 こうして検事を目指して司法試験に挑戦すること7回、2002年に合格し翌年に司法研修所に入所しました。当初から検事一筋ではあったのですが、必ずしも検事=正義の味方とは限らないことは感じていましたし、(最近再審開始が決定した)袴田事件で明らかなように今もなお深刻な問題が続いています。
 あるとき、司法修習で出会ったひとりの検事の方に「もし、起訴した事件がいろいろ調べていくうちに無罪だと思ったときは、どうしますか」と聞いてみたことがあります。するとその方は間髪入れず「そのときは無罪の論告を書くだけです」と淡々とおっしゃいました。
 実際にその先輩が自分の哲学を現場で貫けたか、他の大多数の検事がおなじ哲学を持って仕事をしているかどうかは問われるべき問題ですが、当時の私はその言葉に背中を押され、検察庁入庁を決めたのでした。
 2004年に検察官任官し、東京、千葉を経て、2006年に名古屋地検岡崎支部に着任しました。期待通り検事の仕事は楽しく、職場の雰囲気も明るく、体育会系の雰囲気も私にとっては居心地はよく感じました。
 同時に検事という仕事の重みも痛感しました。検事は、人の記憶に残った痕跡としての供述と、ものに残った痕跡としての証拠物で、それらの点と点をつなぎ、過去に起きた出来事を冒頭陳述として再現します。神様でもないのにそんな大それたことをするなんて、なんて怖い仕事なのだと、身が引き締まる思いでした。
 であればこそ、常に謙虚であらねばならない。人間は不完全な生き物で、だれでも間違えることはある。「謙虚であれ」という検事時代に学んだ姿勢は、政治家になってからも肝に銘じてきました。
 そして人間の弱さ、ずるさ、暴力性など、負の面をどうにか統制しながら、人間が人間らしく生きていくための道具、それが法律なんだということも、検事時代に体感しました。

自己責任社会のひずみは弱い人に集中する

 もともと私は政治的関心の低い一市民で、選挙演説している人がいても足早に過ぎ去る、チラシは受け取らない、そんなノンポリでした。それなのになぜわずか4年で検事をやめて、政治家に転身したのか。そのきっかけとなったのは、検事になって3年目、一人で重たい事件を扱うようになったころ担当したある強盗致死事件です。
 被害者は河原で暮らしていた60代のホームレス女性、犯人は3人の中学生と30代の無職の男性の4人組でした。まだあどけなさの残る普通の中学生3人の犯行は、初めは神社の賽銭泥棒から始まりました。それからコンビニでの万引き、さらにひったくり、そしてついに人の命を奪うまでに至ったのです。
 暗いところで、被害者の顔の見えない小銭をこそこそ盗むところから、明るいコンビニで商品を盗む。そして生身の人間から実力でものを奪う、ときには怪我もさせる。こそ泥から窃盗、強盗、殺人へとエスカレートするまでに、家庭も、学校も、地域もだれも止められなかったのかと、暗澹たる気持ちになりました。
 親分格の30代の無職の男性に対しても、「働かないでぶらぶらしているだめなやつ」と、社会は突き放してきたのではないか。その結果をもろに負わされたのが、ほかでもない被害者の女性だったのではないか。
 人間は結果を自分ひとりで引き受けられるほど強くないはずなのに、自己責任と言われ、その自己責任社会のひずみは弱い人に集中する。自己責任を標榜する政治を変えなければ、と思い至ったのです。

法曹資格をもつ政治家として

 こうして2009年、民主党(当時)の衆議院選候補者公募に応募し出馬、初当選し、ほどなく法務委員会で活動することになりました。やはり法曹資格を持つなど専門性があると、1年目から仕事の場が与えられやすく、政治家として即戦力になりやすいことを実感しました。
 法務委員会で取り組んだテーマの一つ目は「時効廃止」です。一般的に時効の根拠としては、「証拠の散逸」「処罰感情の沈静化」「時間の経過による社会的制裁」の3つが挙げられますが、私はこれには以前から疑問を持っていました。とりわけ処罰感情の沈静化については、司法試験勉強中から、凶悪事件の被害者やご遺族の処罰感情の行方を一方的に定型化して犯人の不処罰と結びつけるロジックに大いに疑問を持っていました。

 そして2010年4月27日、殺人などの凶悪犯罪の公訴時効の廃止や延長を盛り込んだ改正刑事訴訟法が成立。司法試験の勉強中から疑問に思っていたことを立法府において法律を変えることで是正できた、法律を使う立場から作る側へ立てた、これこそ立法府の醍醐味だと思いました。
 取り調べ可視化の義務づけ等を含む刑事訴訟法の一部改正を巡る与野党の攻防も、印象に残る仕事でした。当時は予算委員会で安保法制を巡る議論が白熱していた時期で、ニュースも安保法制一色だったのですが、実はその裏側の法務委員会では取り調べの可視化と司法取引を巡って激しい議論が続いていたのです。
 与野党それぞれの主張がぶつかり合い、最終的には「一部の司法取引を認めつつ取り調べの録音録画も一部義務化する。見直し条項を入れることで次の検証機会を確保し、更なる改善を目指す」という決着をつけました。
 与野党どちらにとっても100点ではないけれど、国民の前で正々堂々と議論を重ね調整し、妥協点をさぐりあいながら60点にまで仕上げていく。完全ではないけれど、よりよい方向への道筋をつけるために前進する。その不断の営みが立法という仕事なのだと学びました。
 こちらの主張に100%達していないうちはあくまで反対するのか、唇をかんででも60点で妥協して、少しでも前へ進めるのか。政治の場では常に求められる難しい判断です。
 司法試験を目指して勉強中の皆さんに関心が高いテーマである修習給付金についても、触れておきましょう。司法修習生が修習期間はできるだけ修習に専念し、法曹としてのスタートラインで必ずしも借金を負うことなく、ひいては金銭面のみに捉われないキャリア選択を可能にするためには、給付制度が欠かせません。ところがこの給付制度は2011年に、政府の財政緊縮政策の一環として廃止されてしまいました。これは日本の正義にもとる問題だとして、多くの弁護士さんたちが懸命にロビー活動を展開してくださり、私も微力ながら質問などに立ち続けました。完全な形ではありませんが、2017年には給付金制度が復活し、正義の土台を一定程度取り戻すことができました。
 もうひとつ、力及ばず残念な結果になってしまったのが2018年の入管法改正です。改正案審議中の大きな社会問題が外国人技能実習生の失踪問題。ところが法務省は技能実習生がなぜ失踪するのか、その根本原因に真摯に向き合わないまま、特定技能という新しい制度を「2階建て」の形で重ねる提案をしてきました。実習生は最低賃金割れの低賃金や悪待遇に耐えかねて逃げたのに、更なるお金目当てに失踪したかのような言い方を続ける政府に怒りを覚え、改善策を模索したのですが、問題の多い改正法の成立を当時阻止することはできませんでした。これは議員時代にやり残した「宿題」として、今後も民間の立場で取り組んでいきたいと思っています。

政治を市民社会に開く

 議員活動の後半、私が目指したのは「当事者と連携することで政治を市民社会に開いていく」ということでした。
 そのひとつが「保育園落ちた、日本死ね」という匿名のブログがきっかけとなって浮上した待機児童問題です。あのブログが話題になっていたころ、私は予算委員会で安倍総理に質問する機会に恵まれ、なにを聞こうかと思案していました。そこで事務所のインターンの女子学生に、あなただったら総理にどんな質問をしたい? と尋ねたのです。すると彼女たちは「保育園落ちた」ブログとそれに対するSNS上の反応を集めた資料を揃えてくれて、「私たちも将来は仕事も家庭も両立させたい、待機児童問題は人ごとではない。この問題を是非取り上げてください」と言いました。
 そうか、若い人にとっても待機児童問題は自分ごとなのだ、予算委員会で取り上げるべき大事なイシューだと勇気をもらい、2016年2月29日の衆議院予算委員会委員会で、取り上げることにしました。
 しかし総理との30分のやりとりは、自分の声がかき消されるほどの野次を浴びせられる中、水掛け論に終わりました。このブログは一人だけの呟きでなく、日本の多くの子育て世代の叫びだ、政治がしっかり取り組むべき課題だと訴えたかったのですが、総理の答弁も野次も、「誰が書いたのかわからない匿名ブログなど相手にできない」という反応に終始しました。
 ところがその後「#保育園落ちたの私と私の仲間だ」というネット署名活動が広まり、約2万7,000筆の賛同者が集まるという思わぬ展開を見せます。そして赤ちゃんを抱いた女性たちが厚労大臣に署名を手渡し、その様子がメディアに取り上げられたことで、待機児童問題が一気に注目を集めることになりました。
 署名サイトを立ち上げる人、デモに参加する人、プラカードのデザインをする人、それをコンビニで印刷できるようにする人……そうした連携プレーが自然発生的に生まれ、大きなうねりとなって政治を動かしたのです。
 私の質問が契機となったのであれば光栄ですが、私はたまたま国会議員として、総理に直接問題をぶつけただけのこと。当事者が動き、その主張に多くの人がなるほどと納得し、社会、そして政治が動いたのです。市民とつながれば野党であっても政治を動かすことができると、自信をもって発信できるようになりました。
 今振り返ってみてもあのブログは、それまで政治課題としては端っこにあった待機児童問題、子育て支援をいきなり政治のど真ん中に持ち込む力を持っていました。そして私にとっては「当事者と、市民とつながることで、政治を動かすことができる」と学んだ貴重な経験でした。

法律家は「通訳」の役割を果たす

 記憶に新しいところでは、黒川弘務・東京高検検事長(当時)の定年延長と検察庁法改正問題も、ネット署名活動が政治を動かした好例です。
 これは、政治の側が特定の検察官の定年を延長させて人事介入を強めようとしたという問題ですが、私にとっては批判の対象となるべきは個人でなく、改正のプロセス、システムそのものに他なりませんでした。噂レベルの個人批判で耳目を集めるやり方は好きでなかったし、有効だとも思いませんでした。
 そこで週末に一人で事務所にこもってパソコンを開き、過去の議事録をたどるうち、「検察官には国家公務員法の定年制は適用されない」とした1981年の人事院答弁を見つけたのです。「やっぱりあった!」と心の中で叫びました。この答弁を根拠に、今回の定年延長はこれまでの政府見解と矛盾する、おかしいではないかと法律論で追及しようと考え、実際にそうしました。
 私は議員として、このようなアプローチで攻めたわけですが、政府が定年延長を正当化するために持ち出してきた検察庁法の改正断念まで政治を動かしたのは「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグデモに集約された民間の力だったと思います。
 考えてみれば、検察官人事など一般の人の暮らしには直結しない地味な問題です。それを社会全体の大きな問題と認識してもらうには、リーガルマインドを持った法律家の存在が欠かせません。検察官人事に政治が介入することがどれだけ民主主義、法の支配に反する禁じ手かということは、法律家にはピンときますが、一般市民はそうではない。そこで法律家が間に立って説明したり発信したりすることで、多くの人々に「なるほど、そういうことか」と納得してもらう必要がある。その「通訳」の役割を果たすのが法律家。政治を市民社会に開いていくキーパーソンになれるのはやはり法律家なのです。

民間人として政治に関わる

 こうして10年政治家をやったところで、今後は国会の外で政治をするルートを作りたい、民間人として政治に関わりたいと思うようになり、2021年に年政治家を卒業しました。そしてほどなく民間人として政策形成に携わるチャンスに恵まれました。2022年8月、旧統一教会問題を巡って消費者庁が立ち上げた「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」の委員就任です。
 私以外の委員は皆さんこの問題のプロフェッショナルで、ずっと旧統一教会被害者の救済に関わってきた弁護士さんや消費者問題の専門家ばかりです。その中で私が貢献できることは何かと考えたとき思い浮かんだのは、理想と現実の間で悩んだ野党時代の経験でした。大事なのは100点でなくとも60点70点を目指して、少しでも物事を前へ進めること。理想をまとめた提言書が実現不可能として反故にされることのないよう、理想と現実の差をできる限り埋め、確実に法案を作り、政策として実行可能なものにする、その役割を自分の課題としました。
 委員会はフルオープンで審議され、委員以外の多くの方の意見も反映した報告書をまとめることができました。その結果、被害者救済新法が成立、問題解決へ第一歩は踏み出せたかなとは感じていますが、もちろんこれで終わりにしてはいけません。います民間人として政治に関わった初仕事でしたが、当事者、支援者とつながり、そこに弁護士など法曹人も関わることで社会を変えるチームワークが生まれることを学びました。

リーガルマインドは「人間性そのもの」

 「当事者とつながる」ことで、解決への道筋がつけられると言いましたが、それが難しいのは憲法、外交、皇室など、国家的課題とくくられがちなイシューです。これらは国民全員が当事者ではあるのですが、それがかえって一人ひとりに当事者意識を感じさせにくくしています。市民生活から遠い大問題と構えず、もっと気軽に市民が参加できるようにするにはどうしたらいいのでしょう。
 例えば、まもなく開かれる広島サミットに向けて、国民が意見を提案する場があればいい。私だったら、サミットでは欧米先進国だけでなく、ASEANを中心としたアジアのリーダーたちと同じテーブルを囲んで、人道、人権、法の支配、民主主義などについて議論してはどうか、と提案してみます。
 ですが今の日本には、こうした大きなイシューに市民社会からコミットするルートがほぼなく、いきおい国家、つまりは内閣が決めることになりがちです。そしてますます政治が国民から遠ざかってしまう。こうした問題を市民にオープンに開いてこそ、社会は成熟するのではないかと思っています。
 そんな思いから私は憲法については「立憲的改憲」——国家権力をコントロールするという立場で、憲法の行間が勝手に変えられるような余地を一定程度文字で埋めるための改憲——を提案しています。また保守の専売特許と考えられがちな対中政策や皇室問題についても、リベラルな立場からの取組みを続けたいと思っています。今後の日本は、人権人道国家としてアジアから国際規範のルールメークを担っていくべきだと考えて、この春から国際法を学ぶため大学院に入学しました。
 こんなふうに私は、ありがたいことに、いくつかのキャリアを経験し、今もなおその変化の途中にあります。今日の話を聞いていただき、皆さんにもそのプロセスを追体験していただくことで、社会の問題解決に参画する多様なルートを知ってもらえらえれば嬉しいです。

 私にとってリーガルマインドとは人間性そのもの。弱肉強食の世界をなんとか封じ込める蓋であり、人間が人間らしく生きていくために欠かせないものです。ぜひ皆さんにも、このリーガルマインドを携えて、さまざまなキャリアの可能性を切り開いていってほしいと願っています。

かんの・しおり 仙台生まれ、東京育ち。社会人デビューは少女時代の初代「アニー」役。東京大学法学部卒業後は検察官に任官。2009年より3期10年衆議院議員を務め、待機児童問題・皇位継承問題・憲法問題・人権外交などに取り組む。現在は弁護士、一般社団法人国際人道プラットフォーム代表理事、消費者庁「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」委員、その他「人権外交を超党派で考える議員連盟」アドバイザー、対中政策に関する列国議会連盟IPAC(Inter-Parliamentary Alliance on China)日本コーディネーター。

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