第266回:子どもがいなくなる、日本崩壊…(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 前から指摘されていたことだが、それが統計上で明確に示された。日本という国が、衰亡の一途を辿っている、という事実だ。もう止めようがない。簡単に言えば、子どもがいなくなる、ということ。

財源不明の「やるやる詐欺政策」

 かつて『トゥモロー・ワールド』という映画を観たことがあった。近未来、なぜか女性から出産能力が失われ、世界はほとんど滅亡しかけている時代のロンドンが舞台。なにしろ子どもが生まれないのだから人類は滅亡するしかない。ところが、ある黒人女性(不法滞在者)が妊娠していることが分かる。その女性を守るために主人公のクライヴ・オーウェンやジュリアン・ムーアが政府やテロ組織と闘う…といったストーリーだった。ずいぶん昔に観たので、詳細は憶えていないが、おおよそそんな映画だった。
 なかなかにスリリングで面白い映画だったという印象が残っているが、観た時には荒唐無稽なSF映画だと思っていた。けれど、最近の日本の状況を見ていると、まんざらあり得ないことでもないな、と思い出したわけだ。この“不法滞在者”という設定、現代の日本を彷彿とさせる…。
 いわゆるグローバルサウス(いつからこんな名称になったのか?)と呼ばれる国々の中には人口増に悩んでいる国もあるけれど、先進国は押しなべて人口減の状況だ。中でも、とくに日本と韓国の人口減が顕著である。そして中国もまた、その仲間入りしつつある。
 日本の状況については各紙が報じているが、朝日新聞(6月3日付)には以下のような記事が載っていた。

出生 最小77万人
昨年 出生率も最低1.26

2022年に生まれた日本人の子ども(出生数)は77万747人で、統計を始めた1899年以降で最少となり、初めて80万人台を割り込んだ。1人の女性が生涯に産む見込みの子どもの数を示す「合計特殊出生率」は1.26に落ち込み、データのある1947年以降では2005年と並んで過去最低の水準。少子化の加速が止まらない状況だ。(略)

 誰の目にも少子化の波は止まらないように見える。政府も焦り始めている。しきりに「少子化対策が喫緊の課題だ」と叫びたてる。
 「こども家庭庁」なる珍妙な名称の官庁を新設し、少子化対策に大きな予算を投入する、と宣言した。とりあえず3兆5千億円という規模だという。ところがこれも、例によって岸田政権の行き当たりばったり政策だ。
 茂木敏充自民党幹事長は6月3日、熊本での講演会で「少子化対策の安定財源確保には、数年はかかる」と、あっさり先送りの観測気球を上げた。3兆5千億円という数字だけが独り歩きしているのに、財源確保の目途なんか立っていないのだ。あの「防衛費倍増予算」とまるで同じ。
 自民党お得意の、選挙対策用「やるやる詐欺政策」に過ぎない。

高齢者の労働なしでは立ち行かない

 少子化が進めば、当然のことながら労働人口が激減する。そうすれば、高齢者にも働いてもらうしかないし、外国人労働者にも頼らざるを得なくなる。ところが自民党政治は、それに完全に逆行している。
 あの成田悠輔という人物の「高齢者は集団自決を」というトンデモ発言と、それに拍手喝采で群がる大バカどもが、なぜか肩で風切ってSNS上を跋扈する。テレビは面白がってそんなヤツを出演させる。最悪である。
 高齢者が今、実際にどれくらい働いているか知っていての発言なのだろうか。本来なら、数十年間の仕事を終えて、年金受給で静かな老後を…という人生設計だったはずの人たちが、年金の目減りと物価高騰で否応なく労働現場に出ているのが現状ではないか。そのような人たちに「集団自決を」と口走る“学者”と、それに賛同する連中。日本人の感性がここまで劣化するとは…と、ぼくは天を仰ぐ。
 総務省統計局の資料には次のようにある。

 2021年の高齢者の就業率は25.1%となり、前年と同率となっています。年齢階級別にみると、65~69歳は10年連続で上昇し2021年に初めて50%を超えて50.3%となり、70歳以上は5年連続で上昇し2021年に18.1%となっています。
 また、男女別にみると、男性が34.1%と前年に比べ低下、女性が18.2%と10年連続で前年に比べ上昇しています。このうち65~69歳の就業率をみると、男性は2014年に50%を超え、2021年には60.4%となっています。一方、女性は2014年に30%を超え、2021年は40.9%となっています。(以下略)

 人数でいえば、現在の高齢者雇用数は909万人である。政府の統計を見ても、日本の現在の企業は相当部分が高齢者の労働によって支えられていることが分かる。多分、短期雇用やアルバイト労働を含めたら、その数はもっと多くなるだろう。
 もし成田某が言うように「老人が集団自決」してしまったら、現在の労働環境は壊滅し、人手不足で倒産する企業が続出するに違いない。大企業は大学生を積極的に採用しているから、当面はなんとかなる。だが多くの中小企業は新卒を採用できず、かなりの部分を高齢労働者に頼っているのが現状なのだ。そこから高齢者が「集団自決」していなくなったらどうなるか?
 彼らの高齢者バッシングはまったくの感情論、単なる差別意識の裏返しに過ぎない。こんな世代間の分断を煽って、いったい何が面白いのか、誰が得をするのか。そんなヤツを視聴率がとれるというだけの理由で持ち上げるテレビの醜さ。

“不法滞在者”とは、どんな人か?

 労働力の問題で、それに輪をかけるのが「入管法改定」だろう。
 ひたすら“不法滞在者”を日本から追っ払おうという改定(改悪)である。懸命に働いていた外国人が、なんらかの理由で“不法”と認定されれば、待ったなしで追い出される。例えば、日本で生活の基盤を築き、結婚して子どもまでいる外国人でも、さっさと追いだしてしまうというのだ。
 子どもと切り離し、親だけを追放する。逆に、日本で生まれ、日本語しか話せない子どもをむりやり親の国へ送還する。こんな非人道的な措置があるか。
 ロシアがウクライナに侵攻し、占領した地域のウクライナ人の子どもたちを拉致してロシアへ送った、というニュースに激怒してみせた日本人愛国者たちが、ほとんど同じように親子を切り離す入管行政を、知らん顔で受け入れるのは矛盾の権化だ。

 日本が少子化で労働力を失いつつある中で、なぜこんな外国人差別が罷り通るのだろうか。
 「外国人犯罪者を日本から追い出すのは当然、何が悪いのか」と、居丈高でツイートする連中も、けっこう多い。しかし、“犯罪者”と“不法滞在者”とは明らかに違うのだ。ぼくは、この“不法”という言い方にも大いに疑問を感じるが、彼らの多くは日本でなんらかの“犯罪”を犯したわけではない。
 そういう人がまったくいないとは言わないが、ほとんどの人は、期限切れや手続きの不備で“不法”のハンコを捺されてしまったに過ぎない。彼らを犯罪者扱いにするやり方が、はたして正しいのだろうか。
 しかも、一旦は仮放免されても「働くことは禁止」「県境をまたいで移動してはならない」などの制約がつく。こんな非人間的な扱いがあるか!
 働くということは賃金を得ること。金を稼がずに、どうやって暮らせというのか。働きたくても働けない。一方で労働者不足に呻吟している労働現場。どう考えても、これは理屈に合わない。
 日本人と結婚していても、在留許可が与えられない例は多い。一方、入管庁が2009年に定めたガイドラインには、次のような規定がある(東京新聞6月5日)。

日本人と結婚した在留資格のない外国人に在留資格が与えられる場合の基準

積極要素として
•夫婦として相当期間共同生活している
•夫婦間に子どもがいるなど婚姻が安定していること――などを考慮

 この東京新聞の記事では、マユミさんという方の例を挙げて、現状を説明している。マユミさんと夫のマモさん(トルコから迫害を逃れてきたクルド人)は、結婚してすでに8年にもなる。だが在留許可は得られないままだという。その上、今回の改定入管法案では、難民申請が3回を超える場合は「強制送還の対象」となる。
 結婚して8年になり、共同生活を維持し、それなりの暮らしをしている夫婦に、ガイドラインがあるにもかかわらず、なぜ在留許可を与えないのか?
 つまり、ガイドラインなどまるで守られてはいないし、入管庁は守る気もないというわけだ。

難民認定の怪

 急に脚光を浴びているのが、柳瀬房子氏という人。NPO「難民を助ける会」の名誉会長だという(注・この「難民を助ける会」は、憲政の神様とも呼ばれた政治家・尾崎行雄の三女の相馬雪香が創設した団体。柳瀬氏はその後を継いだ人)。
 柳瀬氏はその経歴を買われて、入管庁が指定する難民審査参与員になり、多くの難民申請者の調査を行ってきた。
 ところが柳瀬氏は「年間1000件もの難民申請者の面談調査を行ったが、難民と認定できる申請者はほとんどいなかった」と発言、これを入管庁が都合よく利用したのだ。
 当然、これに対して大きな批判が湧きおこった。
 さまざまな人や団体が指摘しているが、この時間とこの人数では、ひとり当たりの調査時間は15分ほどしか取れないことになる。そんな短時間で、故国での迫害の状況や逃亡の理由、家族状況などを把握できるはずはない、というわけだ。たった15分で、申請者の生死を左右するような決定が行われていいのか、という批判である。
 普通に考えれば、当然の批判だと思う。他の参与員が、年間での面談調査は10~50人がやっとだというのに、この柳瀬氏のスピード感たるや、もはや超人的である。“難民認定界のスーパースター”出現、といったところであろうか。

マスメディアの報道姿勢

 こんなわけだから「入管法改定案」に反対の声が高まるのは当然だろう。
 6月5日の夕刻には、国会前で「入管法改定反対」を訴える大きなデモが行われた。月曜日にもかかわらず、5500人(主催者発表)もの人が参加した。目立ったのは、とても若い人が多かったことだった。
 ところが、このデモの様子は、マスメディアではほとんど報道されなかった。ぼくが見落としたのかもしれないが、扱ったのは東京新聞、TBSくらいか。とくに、NHK の無視っぷりは、むしろ称賛に値する。政府に都合の悪いことは、ことが大きかろうが小さかろうが、一切報道しない。ここまで徹底すれば、アンタはエライ!
 それに反して、NHKを筆頭にマスメディアが大々的に取り上げたのは、降って湧いたような「ガーシー元議員逮捕」だった。
 「あんなもん、SNS上に咲いた醜悪なあだ花じゃないか」
 「入管法反対の大きなデモよりガーシー逮捕を大きく報道する、こんなメディアの『報道の価値観』がぼくには理解できない」
 ぼくはこんなふうにツイートした。
 同調者がとても多かった。多くの人が感じていることを、日本のマスメディアはなぜ感じ取ることができないのか? その感受性に鈍さには反吐が出る。

 ぼくはこのコラム(第263回)で、新聞の重要性を書いた。
 いまもそう思っている。
 けれど、こんな報道姿勢が続けば、ぼくだって考え込まざるを得ない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。