第268回:「骨太」「異次元」なんて使うなっ!(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 「ほんとうに頭を抱えてしまうような国会だったのう」とご隠居さん。
 「あんなんだったら、オレにだって国会議員ぐれえ務まるってなもんだ」
 「そうだそうだ、こっけえ議員だ」と八つぁん熊さん。
 もう、ぼやき漫才の世界である。

 ほとんど審議らしい審議もせずに、重要な法案がどんどん可決成立してしまう。それも、自民公明の与党の賛成だけではなく、維新や国民民主も乗っかるのだから始末が悪い。それをなんとなく見過ごしてしまう有権者というのも、なんとかならないものかと思う。
 でもよく考えてみたら、そんな政府のやり方を伝えるマスメディアの表現の仕方の問題に辿り着く。そうは思いませんか、みなさん?

だいたい「骨太の方針」ってなんだよ!

 新聞を見ると「骨太の方針」という大きな文字が躍っている。それは政府の言い方じゃないか。なのに、何の疑問符もつけずにそのまま新聞は見出しに掲げ、テレビニュースは第一項目に取り上げる。マスメディアが「骨太」を容認しているように見える。
 「骨太」って言葉は、「これはいいものだよ」という形容に使われることが多い。「骨太な男」「骨太な表現」「骨太の作品」…などなど、ほとんどが褒め言葉として使われる。だから、新聞やテレビで「政府による骨太の方針」という言葉が使われるたびに、それを見聞きする人たちは「おお、政府が何かいいことをしてくれそうだな」と思い込んでしまうという仕組みだ。
 マスメディア所属のジャーナリストたちは、頭脳明晰のはず(!)である。だから彼らは、自分たちがその言葉を使うことによる影響など、とうの昔にご存じだろう。それでも政府発表に唯々諾々と従って「骨太」を使い続けるのは、結局、政府のやり方を是認していることになるのではないか。
 なぜ、疑わないのか?
 これはほんとうに「骨太」なのかと、なぜ検証してみようと思わないのか?
 「骨太と政府は言うけれど、いったいどこが骨太なのか?」
 「骨太の方針を検証してみれば、まったく骨太ではなく中身はスカスカだった」
 「したがって当社では、これ以降『骨太』という言葉を検証なしには用いない」というような記事が、なぜまったく出てこないのか? ぼくにはそれが疑問なのだ。このままでは、マスメディアは政府の「骨太の方針」の片棒を担ぐ共犯者になってしまうよ。

 例えば、こんな記事(毎日新聞6月14日付)。

女性役員3割を明記
プライム企業 政府が骨太決定

 政府は13日、全閣僚で構成する「すべての女性が輝く社会づくり本部」(本部長・岸田文雄首相)などの合同会議を首相官邸で開き「女性版骨太の方針2023」を決定した。東京証券取引所の最上位「プライム」上場企業の役員について、25年をめどに女性を1人以上選任し、30年までに女性比率を30%以上とする目標を明記した。(略)
 会議に出席した岸田首相は「多様性が尊重される持続的な社会の実現のため、政府を挙げて取り組みを進める」と述べた。(略)

 だいたい「すべての女性が輝く社会づくり」などというのが薄気味悪い。岸田首相の言葉の軽さをいまさら指摘しても仕方がないけれど、いったいこの内容のどこが「骨太」なんだ! とぼくは思う。
 プライム企業というのは、特別な大企業のことである。その役員に女性を増やすことに、ぼくは別に反対しないけれど、それが「骨太の方針」だと言われれば、ちょっと待てよ、とクレームをつけたくなる。
 実際に辛苦しながら日々を過ごしている女性たち(男性だって同じことだが)にとって、プライム企業の役員人事なんか、雲の上の話だろう。岸田首相の言う「多様性が尊重される持続的な社会の実現」には、実際の労働現場の女性たち(これも女性に限ったことではないが)の生活の質の向上を図ることが優先されるべきだ。
 プライム企業の女性役員の増加に異存はないが、「女性版骨太の方針」を掲げるなら、まず挙げる項目の順序が違うと思うのだ。初めに現在の女性たち(しつこいが女性だけじゃない)が置かれている状況をみて、それをどう改善していくかを論じて、次にプライム企業が出てくる、という順序でなければおかしい。
 だって、圧倒的多数の女性にとって、プライム企業の女性役員の数など「何のことですか?」なのだから。そこを、記者たちには突っ込んでほしいのだが…。

「刷り込み」の怖さ

 なんの疑問も持たず「骨太の方針」や「異次元の予算案」などと書けば書くほど、見ている人たちには、政府そのものが「骨太」に見えてくる。
 それを「刷り込み」という。
 いつの間にか「なんだか政府はいいことをやってくれているらしい」と刷り込まれ、いずれそのおこぼれが回ってきて、自分たちの暮らしもいい方向へ改善されていくだろうと思わされる。安倍元首相が言いふらしたデマ「トリクルダウン」というのがそれだったではないか。
 結局、マスメディアが意図してかどうかは分からないけれど、「骨太」などという言葉で有権者を“洗脳”している。

 政府の「骨太」という言い回しが目につくようになったのは、小泉純一郎首相時代(2001年~)のころだろう。
 「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれた小泉氏の政治手法。とにかく短い言葉のキャッチフレーズを連発し、それが新聞の見出しやテレビニュースの項目に並ぶ。例えば「私の政策に反対するものは抵抗勢力」「自民党をぶっ壊す」「人生いろいろ、会社もいろいろ」「自衛隊のいるところが非戦闘地域」などなど、ほとんど無意味なフレーズを並べ立てて有権者の注目を浴びた。むろん、それを増幅したのはマスメディアだった。
 その小泉氏が言い出したのが「骨太の政策」だったと思う。それに有権者たちはやんやの拍手喝采を送った。そして政治が壊れていった…。踏襲したのが、小泉氏に続く歴代の自民党政権だ。とくに安倍政権に顕著だった。そして、それに無批判に乗ったのがマスメディアではなかったか。
 なぜ、政府が言う「骨太」の中身を検証しないのか。これが「ほんとうに骨太なのか」と、なぜ問わないのか?

「異次元」も聞き飽きた!

 「異次元のナントカ」というのも聞き飽きた。何なんだよ、これは?
 このところよく聞くのは「異次元の少子化対策」だ。日本の出生数が毎年のように下がって来ていて、2022年にはついに78万人になってしまった。これをなんとかしなければ、日本は衰退してしまうと、さすがの岸田内閣も焦った。そこで出てきたのが「異次元の少子化対策」というフレーズだ。
 ところが中身を見てみると、どこが異次元なの? である。
 東京新聞(6月14日付)に、こんな解説コラムがあった。

こども未来戦略方針

 政府が少子化対策として、2024年度から3年間を「集中取組期間」と位置づけ、経済的支援強化や保育の拡充、男性育休推進などを盛り込んだ。予算規模は年間3兆5000億円としたが、財源の詳細は盛り込まなかった。財源は年末までにより具体的な検討を始める。

 ここでも「こども未来戦略」などと、軽い言葉が躍っている。花火はぶち上げたものの、実際の裏付けはないものだから、パッと開いて後は散るだけ。
 岸田首相は、「新たな国民負担は求めず、財政改革や無駄な公費の節約等で財源を確保する」というのだが、実は保険料への上乗せか、社会保障費の歳出削減でなんとか金を捻出しようと目論んでいるのは明らかだ。それがうまくいかなければ、消費増税や国債発行という最後の手段に打って出るだろう。
 さらに同記事では、こうも書いている。

少子化対策 閣議決定
「負担議論先送り」鮮明
給付抑制・保険料増 言及せず
「社会保障費 歳出減で捻出」

 政府は13日、児童手当の拡充など子育て世帯の支援策を盛り込んだ「こども未来戦略方針」を閣議決定した。必要となる追加財源は年間3兆5000億円で、岸田文雄首相は国民に実質的な追加負担を求めないと主張し、社会保障費の歳出削減で財源を捻出する方針。給付抑制や利用者の負担増を行えば国民の暮らしに影響するが、政府から明確な説明はない。防衛増税の実施時期も従来より遅らせる検討をしており、国民負担の議論を先送りする姿勢が鮮明になっている。(略)

 つまり、「異次元の対策」は、まるで財源の裏付けのない「絵に描いた餅」なのだ。ただ「異次元」と言われれば、なんとなく頑張ってくれるんだな…となる。その「なんとなく効果」で国民の目をごまかし、結局は保険料を値上げし、利用者の負担増を強いるしか方策はないのだ。
 何度も何度も使い古された自民党政権の常套手段。それでもなお「異次元の…」などと言われれば“なんとなく”受け入れてしまう従順な羊の群れ。
 これを多用したのは安倍元首相だった。黒田東彦前日銀総裁と組んだあの「異次元の金融緩和」と「アベノミクス」は、今の日本にいったい何をもたらしたか。結局、いつまで続くか分からない物価の高騰と、実質賃金の目減りを我らに強いただけだった。
 銀行預金の利子はほとんどゼロに等しい。小金持ちは金を銀行に預けず自宅の金庫にしまい込む。老後が不安だからなるべく金を使わない。よって金は世間に回らない。最低賃金の仕事で苦しむ若者たちの一部は、闇バイトに手を出して、暴力に訴えて裕福そうな人家や宝石店を襲う。
 それが今の日本の実態ではないか。岸田首相はそれを押し進めているだけだ。

 「骨太」も「異次元」も無内容だ。
 そんな言葉を、マスメディアは禁句にすべきだ。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。