第118回:いったい誰が私の子の命を守るのか?~母親からの問いかけ~(三上智恵)

 7月11日、最新の沖縄の新聞はこう伝えている。

 「米軍 久米島で訓練」「空自基地でオスプレイ運用」「新作戦の一環」

 今月15日から3日間、米軍は射爆撃場以外に自前の基地を置いていない久米島で初めてオスプレイを使った訓練を実施するというニュースが1面に躍った。しかしこれは、単なるオスプレイの危険性の話でもなければ、演習で負担が増えるという話でもない。その意味は、再三マガジン9でも伝えているのでお分かりと思うが、台湾有事を想定したアメリカ軍の新しい作戦「EABO(遠征前方基地作戦)」の一環として、40の島々を攻撃拠点にしながら小規模部隊が移動していくフォーメーションの演習が、いよいよ有人島を使って始まるという局面なのである。

 南西諸島の軍事要塞化が進むにつれ、胸がつぶれるような情報は次々に入ってくる。が、私でも、心のどこかには、本当にこの島々を使って戦争をする気なのか? 杞憂なのでは? と疑いたい気持ちもある。でも、この新聞報道のように、危惧していたことが実際、次々と本当に実現してしまう。日々そういう現実に接している私たちと、「日本が戦争するなんてありえないよね?」と他人ごとで過ごしている人たちとのギャップはどんどん開いていく。

 そのギャップは沖縄県内であっても拡がっていると思う。みんなが好きなニュースだけを選んで見てしまっているインターネット時代。同じ空間にいてもパラレルワールドに生きているようなものだ。基礎認識が違う中で同じものを見ても、見えているものは違ってくる。だから今こそ、アナログに顔と顔を合わせて情報交換をすることが、これまで以上に大事になったと思う。集会を開けなかったコロナ禍の数年で、人と実際に会って情報を受け渡しする、その重要性はさらに認識されたはずだ。

 誰かが自分の顔も名前も晒して、面と向かって語り掛けてくる言葉こそ、まず受け取るべき情報である。趣味嗜好をAIに盗み取られ、データ化されて見せられているネット画面はまず疑うべきだ。が、信じられないことに、ネットの都合のいい情報を信じて目の前の人間を疑う人が増えている。まるで逆だ。

 私が講演会などで必死に南西諸島でのこの数年の変化について危機を語っても「戦争が近づいているとは、(ネットで)見たことがないから実感できない」などと感想を言われてしまう。私は顔も名前も出して半生かけて取り組んできたことを語っているのに、「きっとネットには違うことも書いてあるだろう」という思考の癖を持つ人が増えた。脱力する。でもそれでも私は生の声、生の言葉を届け続けるしかない、と思い直して撮影とリポートを続ける。例えば5月の平和集会のこんな声を聴いて、皆さんはどう受け止めるだろうか。

 「国が私の子どもを守らないというなら、いったい誰が守るのか? 私以外にない!」

 「島に住むある女性が言っていました。花を植える時、この花が咲くころ私は与那国島にいられるのだろうか? と」

 「同世代の若者たちへ。平和運動の中核をずっと島の先輩方にお任せしていていいのでしょうか。ずっと子や孫のために運動を続けてきた先輩方を休ませてあげませんか?」

 今回の動画は、少し前になるが5月21日に開かれた「島々を戦場にするな! 沖縄を平和発信の場に! 5.21平和集会」の様子をまとめた。マイクを握る若い世代の発言が強いインパクトを残した集会だった。定番の赤いハチマキやシュプレヒコール、空に突き上げるこぶしはなくても、強い危機感と、ひるまずに暮らしを守ろうというバイタリティーが集会参加者の気持ちを揺さぶった。これまでと違う流れ、新しい形が確実に輪郭を現してきた感がある。

 今年2月、1500人を超える大きな集会となった「島々を戦場にするな! 沖縄を平和発信の場に! 2・26緊急集会」についてはここでもお伝えしたが、5月の集会はその第二弾にあたる。動員は2100人だが、これを多いとみるか、少ないとみるかは見方が分かれそうだ。

 そもそも、このうねりは馬毛島などの薩南諸島や奄美大島を含む南西諸島が戦場にされるような国防計画が進んでいることを止めるために起きてきたもので、目標は「私たちの島で戦争をしないで」と訴える数万人規模の大会を沖縄で開くこと。それを可能にする太いネットワークを持つ新たな組織を立ち上げることだ。そんな大集会を今年の夏にも開く! という意気込みからすれば、5月に2000人台という数字は、やや心許ないかもしれない。

 しかし、言うは易し。これまで沖縄で開催されてきた数万人規模の県民集会は、いずれも行政や力のある団体がバスを出して動員する形で成功させてきたが、今回の集会の持ち方は、個人も団体も関係なく、右も左も思想も度外視して「ここを戦場にしない」、その一点のために集まろうという初めての試みだ。2月の集会も、実は500人も来てくれるか心配されたほど動員が読めなかったのだが、ふたを開けてみれば1600人だった。実行委員会も参加者も予想を上回る熱気に手ごたえを感じていたし、次の集会はもっともっと大規模にやれるかもしれない、と希望が膨らんだ。

 ところが2回目の準備も容易ではなかった。梅雨時期の沖縄では雨天対策が必須だが、仮に雨になった場合に2000人も収容できる屋根付きの施設はなかなかない。またそこまで大きな駐車場も確保できないから、各団体でバスを出すか、シャトルバスを運用しなければならないのだが、そんな資金があるわけでもない。車社会の沖縄では常に会場と駐車場の問題が悩ましく、場所もなかなか決まらなかった。

 また、若手の実行委員は「どうやったらもっと同世代に来てもらえるのか」を一生懸命考えて提案するのだが、ファミリーが参加しやすい空気を作るためにキッチンカーやマルシェで集客を図るというアイディアに、シニア世代はなかなか首を縦にふらなかった。

 「なぜ屋台を出す必要があるのか」
 「お祭りではない。切迫している状況が伝わらない」

 「キッチンカー」と「屋台」という言葉に、まず大きな世代間ギャップがある。最近は、人気のグルメが厨房ごと自分の街まで来てくれるというキッチンカーが大ブーム。イベント会場にずらり並ぶキッチンカーの回りは家族連れがわんさか集まってくる。その光景を見ている20代30代は、子どもたちも喜んでくれるキッチンカーが来てくれれば反対運動のイメージも変えられるとプラスに考える。しかしそういう場に縁がない世代には、屋台? そんなところで商売をされても困るわ、と感じてしまうのも無理はない。

 従来の反戦平和集会が若者に敬遠されているとしたら、じゃあどうするのか。ただひたすらにイベントのカラーを明るくポップにすればいいのか。現状を知ってもらい、危機感を共有する目的がかすんでしまっては本末転倒ではないのか。

 その試行錯誤の結果が、今回の動画にあるような状況なのだ。芝生に座って思い思いのプラカードを書くテントがあったり、PFOS汚染の問題を知ってもらうブースがあったり、並んだキッチンカーから美味しそうな匂いが漂う会場にはたくさんの子どもたちの姿があった。骨太な言葉が躍るのぼりがはためく中でこぶしを振り上げる「抗議集会」「反〇〇集会」とは一味も二味も違った場が北谷町の北谷球場前広場に拡がっていた。

 前回と違う点は、そんな空気で家族連れの姿が格段に増えたことだけではない。前回は招待できなかった奄美大島や種子島からも代表を招いて、各離島から現状報告をしてもらえたこと。そして壇上に上がる若い人の姿が格段に増えたことだった。

 小学1年生の母親である沖縄市のGさんは、弾薬庫建設に反対している。そして沖縄戦を身近に感じるようになったと声を詰まらせていた。

 「昭和19年、沖縄を守るためと言って第32軍が沖縄に入ってきたように、ついに平和だと思っていた沖縄市にも、自衛隊が弾薬庫を作ろうとしています。沖縄に生まれ育った人なら、たぶんその恐ろしさをわかってくれる。政府が、国が、日本国が私の子どもを守らないというならいったい誰が守るのか? 私以外にない! 多くの沖縄県民の子どもたちのために一緒になって、協力してください。よろしくお願いします」

 中でも強く響いたのは、集会の運営に携わってきた石垣市出身のAさん、25歳の言葉だ。

 「同世代の若者たちへ。平和運動の中核をずっと島の先輩方にお任せしていていいのでしょうか。ずっと子や孫のためにと自分の時間を削って運動を続けてきた先輩方を休ませてあげませんか? 軍拡で幸せな生活が脅かされたり、自然が壊されたりすることも国の専権事項だからしょうがないよねと見過ごすのでしょうか。一緒に行動を起こしましょう。島々を大切にしたい、戦場に巻き込まれたくない、平和に暮らしたい、そういった気持ちを小さな行動でも表明していきましょう。
 島々の先輩方へ。若者が関心がないからといって責めないでください。私たちは関心はあります。周りにも基地問題や環境問題などに関心があって勉強している人がいっぱいいます。だから私たちを信じてください。次に大きな県民大会があると聞いています。その時はもっと若者が主体となって実施していきたいです。任せてください! 厳しいアドバイスをいただきつつ、私たちの動きを温かく見守ってください」

 彼女の言葉を聞いて目頭を押さえていた先輩方が会場に何人もいた。この言葉は翌日も新聞で大きく取り上げられた。一方で、まだ時期尚早、運動が弱体化しては困る、など心配する声も起きてきた。いずれにせよ、大きな波紋を広げるような問いかけができる若い世代の人材が登場してきたことを私は素直に喜んでいる。

 しかも、これは沖縄だけの動きではないと思う。同じころ都内で行われていた入管難民法の改悪に反対するデモや集会でも、若者世代の活躍が目立った。それこそデモの隊列も「連」のように趣旨を変えて、スタンダードにシュプレヒコールを上げながら歩く人々のほか、手を振り、パフォーマンスをしながら歩く人たち、サウンドデモのように音楽を大音量で流すチーム……と棲み分けていたりして、自分がなじみやすい形が選べるのは新鮮だった。そんな風に世代やテイストが違っても、同じ目標に向かって同時にそれぞれのやり方でアピールできるようなイベントの形もあっていいはずだ。

 終盤には、戦争は嫌だ。普通に、隣の国と仲良くしたい。ここからミサイルを向けるなんて望んでいない、というシンプルな思いが、届きやすい言葉で大会宣言に盛り込まれた。

〈大会宣言〉

 「わたしたちの願いは一つです。これからの子どもたちのためにも、戦争のない平和な世界を残すことです。隣国に向けるものは、ミサイルではなく、平和です。日本全国で、日中の平和外交、民間交流へ推進の声を上げていきましょう。未来の命に促され、過去の命に励まされて、大きな力を恐れず、勇気を得て、私たちは、私たちの島々を守っていきましょう」

 優しい言葉でも、彼らはちゃんと戦争が迫ってきているという厳しい認識を持っている。その言葉を聞きながら、私はこんな妄想を抱いた。

 たとえば数年後に、近くで軍事衝突が起き、あっという間に島が戦場と化したとする。私たちはきっと、逃げまどいながらもなぜこんなことになったのか、いつなら止められたのかと自問するだろう。もしかすると彼らはその近未来から、まだ止められる時期を選んで、タイムマシンで時代をさかのぼって今日のマイクを握っているのかもしれない。そんな妄想だ。

 未来の命に促されて、今、戦争に向かう国を止めようと頑張る。またご先祖や、戦争の犠牲となった過去の命たちに励まされて、潰されそうな力に向き合う勇気をもらう。過去・現在・未来と連なるいのちのバトンの主役は、今この令和5年を生きる私たちなのだ。向き合うべき課題から目をそらし、上の世代や下の世代になすり付けるのではなく、正面を見据える。そういう力のある人たちが、北谷の会場にはたくさん押しかけていたと思う。

 今を見つめて目をそらさない力を持つ人たち。動員ではなく、自分の目で見て判断して動ける人たちが2100人も立ち上がってきたなら、その数はあなどれないだろう。県民大会がどんなふうに開催できるのか、2023年の後半はどうやらもう一つ山場が見られそうだ。

 ところで今回は極力、動画と文章から個人名を消した。目立つことをすれば必ず、違う思想のグループからだけでなく、同じ立場と思える人たちからも個人攻撃がある。指先一つで人をディスるような行為にいそしむ人はどの世界にでもいるのだろうが、年々辛辣になっていくそうした副反応も覚悟のうえで人前に立つ人たちに、動画に名前を残すことでさらに負荷をかけたくはなかった。もちろん検索すれば、すぐに記事は見つかるだろうが、ならばせめて、その人の情報を多角的に調べてよく考えてから発言してほしいと願う。ネット上の誹謗中傷は人を殺すことすらある凶器だという認識を、私たちは改めて肝に銘じるべきだと思う。


三上智恵監督 最新作『沖縄、再び戦場へ』(仮題)
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https://okinawakiroku.com/

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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)