2023年7月10日、仙台高等裁判所で原発避難者追い出し裁判の第1回控訴審が開かれ、傍聴してきました。
※この裁判については第7回 、第43回 、第48回などを参照ください。
原発避難者追い出し裁判とは
この裁判は、2019年9月、国家公務員宿舎東雲住宅(東京都江東区)に避難している5世帯に対して、福島県が住宅の明け渡しと家賃未納分の支払いを求めて2020年3月に福島地裁に提訴したことで始まった。
福島県は2015年6月に、区域外避難者に対する無償住宅提供打ち切りを発表した。その後、不十分な住宅支援策により他の公営住宅への入居ができず、病気をしたりして経済的困難に陥る中で、2年限度、有償で国家公務員住宅への入居継続が可能になる「セーフティネット契約」も結ぶことができなかった人たちは、このままでは行き場に困ると福島県や東京都、復興庁と交渉を重ねたが、福島県は一方的に提訴強行に踏み切った。
そうした「追い出し」の一方で県は、国に対して国家公務員宿舎の使用継続のための許可申請を行なっていたことが明らかになった。これは、県が裁判の当事者として訴える「資格」を得ようと申請したものだが、「追い出す一方で住み続けさせるための申請を出す」という、矛盾した行為だった。
控訴審までの経過と一審判決
「追い出し」をめぐる経緯を振り返ってみよう。2011年3月の福島第一原発事故の後、厚労省は福島県全域に災害救助法を適用し、4月から避難者の東雲住宅への入居が始まった(国有財産法に基づき東京都が財務局から住宅の使用許可をとり、被災者に無償で提供)。
2015年6月15日、内堀福島県知事は2017年3月末で区域外避難者への無償住宅提供を打ち切ると発表した。2016年7月から8月にかけて、東京都は区域外避難者向けに都営住宅300戸の入居者を募集し、142世帯が入居したが、年齢や家族構成などの条件が合わず、申し込みができなかった人も多くいた。12月、県はセーフティネット契約の意向調査を開始した。
2017年3月、東京都は東雲住宅を含む国家公務員宿舎入居者に供与終了を通知。福島県は継続入居者への対応のため、財務省に国有財産使用許可を申請し、許可された。4月、福島県は希望者とセーフティネット契約手続きを結んだ。
2019年3月、福島県はセーフティネット契約を結ばなかった人たちに、契約切れを理由に退去届提出を迫る。9月には福島県議会は未契約状態にあった5世帯に対し、調停不調を理由とする明け渡し訴訟の実行を議決した。
2020年3月25日、福島県は5世帯のうち4世帯に対し、明け渡しと損害賠償を求めて福島地裁に提訴した。被告とされた避難者AさんとBさんは、福島から現在暮らす東京への裁判移送を要求したが却下された。2021年5月、福島地裁で第1回期日。2022年7月26日の第8回期日で結審し一審は終了となった。
2023年1月13日、福島地裁小川理佳裁判長は、「国は被告(避難者)らに対し、所有権に基づく明け渡し請求権を有し、原告(福島県)は、国から使用許可を受けた賃借人として、占有権限なくして占有する被告らに対し、国の明け渡し請求権を代位行使することができるというべきである」として、福島県の主張を認める判決を下した。
虚偽の判決
しかしこの判決には嘘がある。福島県は建物(国家公務員宿舎)について使用貸付契約により国から使用許可を受けていると主張するが、貸付の目的は「避難者の居住の用に供する」となっているのに、実際には現に居住している避難者を追い出そうとしている。つまり福島県は、避難者を追い出すために国と契約を結んでいるわけだ。そして、建物の所有者ではない福島県には追い出しの権限がないし、国が避難者たちに退去を通知したことが一度もない以上、県がその「代位行使」をすることはできないはずだ。
昨年9〜10月に国連人権理事会特別報告者のセシリア・ヒメネスダマリー氏が来日し、「福島原発事故から11年経った今も避難生活を送る避難民、特に脆弱な人々への住宅支援と生活の状況、基本的な支援を継続すべきである」とコメントしている。しかし福島地裁は判決の中で、国際人権規約の「社会権規約」は「政治的責任を負うことを明言したものであって、具体的権利を付与すべきことを定めたものではない」として、国際人権法上の権利を認めなかった。司法の場で全く議論せずに国際人権法を無視した判決を下した裁判所の姿勢が問われる。
一審判決を受けて控訴
一審判決が出てから1週間後の1月20日、被告とされた避難者たちは仙台高裁へ控訴し、3月に控訴理由書を提出。5月に原告答弁書が提出された。そして7月10日、仙台高裁民事第3部で控訴審第1回期日が開かれることになった。
2023年7月10日第1回控訴審
仙台高裁101号法廷で開廷(裁判官は3名:瀬戸口壯夫、綱島公彦、北川瞬、書記:阿部裕恵)。約40人の傍聴者が見守る中で始まった。
瀬戸口裁判長は開口一番、こう述べた。「意見陳述は予定していなかったが、わざわざ(控訴人が)遠くから来られているので、反訴原告(ここでは控訴人のこと)からの意見を聞きます」
そして控訴人のAさんは証言台に進み、そこで意見を述べ、次に柳原弁護士が、控訴人席で控訴理由を述べた。
控訴人意見陳述:Aさん
私は3・11当時福島県いわき市に住んでいました。当時働いていた工場は東日本大震災で閉鎖されてしまいました。地域は大きな打撃を受けており、工場再開の見通しはなく、再就職も展望はありませんでした。離婚をしていて賃貸住宅での一人住まいだったので、一挙に私は仕事も故郷も何もかも失ってしまいました。
避難先の東京都内では、紹介されたホテルで生活し、ハローワークに通い詰めて、何とか仕事を見つけました。しかし、半年働いたところでその会社も倒産してしまいました。ホテルも使えなくなり、追い詰められてしまいましたが、翌年2月に何とか東雲住宅に入ることができました。
このようにして住宅は無償で提供されたので、仕事を失っても、預金を切り崩しながら何とか生活をしてきました。
しかし先行きを考えると不安で夜も眠れず、すっかり体調を崩してしまいました。病院にかかるとバセドウ氏病と心臓病でした。この発症には、避難から2年間の強い精神的ストレスが関わっていると診断されました。一時入院もしました。不安に襲われ悩むと、体が動かない状態でした。このため、その後はなかなか定職に就けませんでした。
やっと生きて、生活している状態でしたが、突然、「2017年3月一杯で、住宅の無償提供が打ち切られる」と聞かされました。私は、避難生活を続けるうえで、住宅がなければ路頭に迷うことになるので、大変な不安に襲われました。
東京都や福島県の職員に相談し、「他に行き場が見つからない」「精神不安で職が安定せず、経済的にやっていけない」と訴え続けました。
東京都が避難者向けに都営住宅を300戸用意した話は聞きましたが、しかし私は単身だということで、入れませんでした。県の職員から「単身では難しい」と言われ断念しました。県からは、「民間住宅への引越し」の話しかありませんでした。しかし民間賃貸住宅に引っ越しても、家賃を支払い続けるお金はありませんので、すぐに追い出されてしまうことが目に見えていました。行き場の目処が立たないことが明らかでした。
そんな時、「2年間は国家公務員宿舎に継続入居できる」という(セーフティネット契約意向)調査の手紙が送られてきました。2年後のことは絶望的でしたが、しかしとりあえず継続入居の意向を伝える以外選択はありませんでした。
2017年4月が過ぎてから、契約書が送られてきました。が、内容がよくわからない点がたくさんありました。しかし、契約内容について県からは全く説明はありませんでした。
私は行政に対する不満が募りました。また、体調不良で無職だった私は、2年後に引っ越しの目処が立てられるのだろうかと、再び強い不安が襲ってきました。結局、契約書にサインする自信がありませんでした。
私は、避難者支援団体の方に相談しました。すると、都営住宅をなぜ希望しなかったのかと問われたので、理由を話したところ、「あなたなら精神障害者保健福祉手帳が取得できるはずだ。そうすれば、都営住宅の300枠に入れた。職員からそういう助言はされなかったのですか」と言われました。そのような話は全く初めてで、本当に驚きました。
その後、支援者の方が精神科病院に同行してくれ、それで手帳を取得しました(2017年10月)。それで都営住宅入居の資格が得られたので、早速応募しました。
一方、県の職員からは、「契約書へのサイン」をしつこく迫られましたが、私は「都営住宅に当たったら引っ越すので待ってくれ」と頼みました。
また、「民間でも安い物件があれば、引っ越すことも考える」と伝えてきましたが、代替案は何もないまま、一方的に裁判所の調停にかけられました。調停の場で、福島県の代理人弁護士からは、4つの引越し提案がありました。それは「都営住宅・雇用促進住宅・UR賃貸住宅・民間賃貸住宅に当たれ」というものでした。
しかし、都営住宅は応募しているものの、落選続きでした。雇用促進住宅やUR賃貸は民間賃貸住宅より高く、しかも家賃の3倍の収入がないと入居資格がないので到底無理でした。
民間賃貸に期待して東京福祉士会に行くと「不動産屋への同行や、敷金礼金をとらないようにしたり家賃を安くしたりするのは我々の仕事ではない」と言われ、見せられたのは、インターネットの賃貸住宅情報で打ち出した物件データの束でした。月4万円の物件は〈10平方メートル、風呂なし、築40〜50年、駅までバス〉といったものばかりでした。
また、都営住宅の当選はものすごく難しく、2021年3月には14回目の落選通知が届きました。倍率の低いところや事故物件など探して、これでもかこれでもかと粘って応募してきましたが、その度に期待は外れ、疲れ果ててしまいました。私の願いは、せめて都営住宅に当選して、公営住宅が確保されるまでは国家公務員宿舎に居させて欲しい、ということでした。
調停で県は、契約書へのサインと損害賠償金の支払い要求を繰り返すだけで、代替措置や安い物件が示されたわけでもなかったために、不調に終わりました。
県の職員に、「(最初に県に)相談したときに、精神障害者保健福祉手帳取得のことを助言してくれれば、都営住宅に入れていて、こんな状態にはならなかった。謝ってください」と言ったところ、「当時の担当者はいない」「私たちは専門家でない」「残念には思う」と、まるで他人事の返事でした。怒りがこみ上げました。調停委員さんからは「大変な状況はよくわかります。県職員も大変な事情はわかると言っている。まさか、追い出すことはしないでしょう」。裁判官からは「気持ちはよくわかる。この件を問題にするなら改めて裁判をやる形になろうかと思う」と言って、話を締めくくりました。
ですから、私も県がまさか明け渡しを求めて提訴をしてくるとは思いませんでした。そのことで、また強いプレッシャーを受け、精神状態は悪くなりました。が、理解してくれる支援者の皆さんのおかげで、何とか踏ん張れているのが現状です。
その間にも、県職員は代替措置や安い物件の話を持ち掛けてくるわけではなく、「サインしなさい」「お金を支払って」「いつ出るのか」と迫るだけでした。ストレスが溜まり、精神科に通院して、やっと対応していました。
15回目の応募でようやく都営住宅に当選しました。私は、「やっとこれで、安定した住居を確保できた。何とかして生きていける」と喜びました。
同時に、ここまで、福島県は何もしてくれなかったこと、就労あっせんも、福祉の紹介もされず、全て個人任せにされたことが悔しくてなりませんでした。偶然に当選したから良かったものの、もしまだ落選が続いていたら、もう精神が壊れてしまっていたのでは…と思うとゾッとします。
調停の場にいた弁護士や県職員が、私の個別の事情や努力を上司や県会議員に正確に伝えてくれたのか、全く疑問です。訴訟を検討した県議会では、私はわがままで居座っていると、個人責任だと伝えられていたのではないでしょうか。今でも、裁判ではなく、あくまで話し合いで解決してほしいと思っています。
そもそも、避難者として公営住宅に入らせてくださっていれば、今のような問題は起きていません。私は、原発事故避難者に対する住宅確保が今の法律や制度には無いための犠牲者ではないかと思っています。その意味で、これは私一人の問題ではないと思っています。
控訴人代理弁護士控訴理由:柳原敏夫弁護士
最初にはっきりとさせておきたい事実を述べる。
まず、控訴人が福島原発事故を起こしたわけではなく、控訴人は原発事故の純然たる被害者であり、原発事故の加害責任を負うのは国と東京電力である。そして控訴人は東雲の国家公務員宿舎に無断で侵入したのではなく、国から提供された避難住宅に適法に入居したのであり、この時点で国際人権法の立場からは、「国内避難民に関する居住権」が実現したのである。
にもかかわらず、2017年3月末をもって、いきなり控訴人は一方的に不法占拠者として扱われ、福島県は立ち退きを迫ってきた。そして原判決もまた、控訴人をただの不法占拠者として扱って、立ち退きを正当化してみせた。
福島県も原判決を書いた福島地裁も、本裁判の本質を全く掴んでいない。本裁判の真の主題は(初めに県が提訴した)訴状や原判決が考える「建物の使用をめぐる所有者と不法占拠者の問題解決」というようなことではない。これは「原発事故発生により避難を余儀なくされた避難者が避難先で宿舎を国から提供されて入居し、ようやく手にした居住権に対し、原発事故の加害責任を負う国が避難者に提供した宿舎の所有権を理由に避難者に立ち退きを求めるという居住権と所有権の対立、衝突を、どう調整するか」という、平時ではあり得なかった、原発事故が起きて初めて出現した非常事態のもとでの極めて複雑で過去に前例のない人権問題である。
本裁判の主題を解決するために、はっきりとさせておくべき基本原則の第一は、憲法が保障する基本的人権は平時のみでなく、原発事故発生という非常事態下でも途切れなく続くということ。第二は原発事故発生という、かつて経験の無い非常事態下の人権問題を、従来の「所有権の絶対・万能」という原理で形式的に解決することはできず、この複雑な状況に向き合って、憲法が採用する公共の福祉の観点から、被害者・避難民である控訴人が置かれている困難な状況を十分に斟酌した「人権の実質的公平な保障」を考えるべきであるということ。
これに対して原判決は、控訴人が置かれた困難な状況を踏まえて人権保障を確保しようという姿勢も配慮も皆無で、あたかも原発事故の被害者・避難民である控訴人には人権は無く、国家の命令に隷従する旧時代の臣民であるかのようである。そして原判決は平時の不法占拠者に対するように、控訴人の立ち退きを単純に「所有権の絶対・万能」原理で形式的に解決する態度を鮮明に示した。原判決には被害者・避難民に「人権の実質的公平な保障」を確保しようという弱者保護の姿勢は無く、「強きを助け、弱きを挫く」、見事なまでの強者保護の姿勢である。
一審で控訴人は基本原則に沿って次の主張をした。
控訴人には原発事故発生という非常事態の下でも途切れることなく人権が保障されるべきで、その第一の理由は、国際人権法が保障する「国内避難民の居住権」である。もし福島県が、国の所有権を理由に原発事故の被害者・避難民である控訴人たちに建物明け渡しを求めるなら、それが正当化される必要があり、そのためには国及び県は被害者・避難民が生活再建を果たし仮設住宅から退去できるだけの体制が整うよう、就労支援をはじめとする生活再建策を掲げ、実行する必要があった。しかし福島県は就労支援・生活再建の呼び声とは裏腹に、帰還を望まない控訴人に対し、就労支援も生活再建策も全く提供せず、国連の特別報告者ヒメネスダマリー氏が最も警鐘を鳴らしている、強制避難者と自主避難者との「差別的取り扱い」を行なっている。
仮設住宅無償提供打ち切りを決めた2015年6月の県知事決定が違法ではないとして正当化されるためには、「判断過程審査」の手法で、これがいかなる判断過程を経て決定されたのかを具体的に明らかにして、その「判断過程」の各局面で看過し難い過誤があったか否かを解明する必要があった。今、東京地裁に係属の同種の立ち退き裁判(「住まいの権利裁判」)では、この論点が本格的に審理されている。しかし福島地裁は、一審で、控訴人のこの主張に対し反論はおろか認否すらしなかった。
控訴人のこれらの主張に対し、原判決は、国際人権法が保障する「国内避難民の居住権」について、国際法の直接適用ばかりか間接適用までも認めず、否定した。しかし、国際法の間接適用とは何かの理解もないまま否定しており誤判である。国際法の間接適用に関する速やかな誤判の是正が望まれる。国際法の直接適用についても、これを否定した判例をそっくり踏襲し、控訴人が提出した最新の知見に基づく申惠丰教授の見解に対して、完全に無視という独善的な態度に出た。福島県の建物明け渡しの正当化理由になる「被害者・避難民の生活再建に向けた、国及び県が提示する生活再建策」について、全く何一つ言及せず、正当化の理由など不要というあからさまな弱肉強食の態度を明らかにした。
福島県知事決定の「判断過程審査」の手法による裁量権の逸脱・濫用の判断も、控訴人が主張したような吟味は行わず、「原告知事に裁量の逸脱濫用があるとは言えない」と判断した。これは最高裁でも採用されている「判断過程審査」の手法による裁量権の逸脱・濫用の判断すら不要というものである。強者の行政に追随し、弱者の被害者・避難民を挫く判断であり、ヒメネスダマリー氏が公式報告書で警鐘を鳴らさずにおれないのは当然である。
本裁判の最大の謎は、立ち退きを求める原告が福島県であることだ。建物の持ち主でもなく、また控訴人への建物提供者でもない者が、しかも、県民に寄り添い県民を守る立場にある福島県が、なぜ原発事故の被害者・避難民に明け渡しを求めて提訴するのか? そのなりふり構わない提訴の仕方は人道的に理不尽であるだけでなく、訴訟手続き上も違法と言わざるを得ない。
これに対し福島県は「債権者代位権の転用」を主張するが、それはもともと一般財産保全の制度を例外的に拡張するもので、おのずとその適用要件は厳格でなければならない。しかし本件では、第一に「自己の債権を保全するため」という要件が欠けている。本件の使用許可により福島県が国に対して有する債権は「控訴人を建物に住まわせること」だが、控訴人が入居中だからこの債権はすでに実現しているので保全の必要はない。第二に、福島県はこれまで、建物について国との間で「賃貸借契約」と主張したことは一度もない。国有財産有償貸付契約を締結していないからである。したがって、「賃貸借契約」でない関係に、例外的措置の「債権者代位権の転用」を認めることは許されない。
控訴人が本件裁判で主張しているように、過去に前例のない過酷事故である福島原発事故により発生した事態は、過去の前例のない全面的な「法の欠缺(けんけつ)」である。その認識がないまま控訴人が置かれた困難な状況を十分に斟酌した「人権の実質的公平な保障」を確保することは到底不可能だ。法の欠缺に対応するためには欠缺部分の補充作業が不可欠であり、この補充のために本件では法律の上位規範として国際人権法がある。国際人権法は全面的な「法の欠缺」状態にある本裁判にとって、避けて通れない上位規範である。
生活保護は立ち退きを余儀なくされた避難者のセーフティネットにはならない。日本の生活保護の実態がそれを許さないからで、その実態については控訴理由書の26ページ以下に詳述したとおりである。原判決はここに示された現実を何一つ踏まえない空疎で観念的な言辞にすぎず、立法事実の検証の必要性を説いた薬局距離制限事件最高裁判決から逸脱することも甚だしい。
さらに原判決は、ではいったいどのような社会保障制度があるのか何も説明しない。また、〈本件各建物を明け渡すことにより、被告らは、福島県に帰還する以外にも、社会通念上選択可能な複数の方策が存在するといえる〉と判示するが、そうした方策が現実に存在するのかも何も説明しない。
これらは全て控訴人の主張を退けるために新たに持ち出された判断である。にもかかわらず、その証拠はおろか具体的な説明すら何一つしないのは「理由不備」も甚だしい。
以上の点だけでも、原判決は破棄されるべきである。
怒号に包まれて閉廷
柳原弁護士が「原判決は破棄されるべきである」と言い終わるやいなや、瀬戸口裁判長は、「弁論を終結します」と宣言。大口昭彦弁護団長が即座に立ち上がって抗議した。傍聴席からも「審議してください!」「高裁の存在意義がないぞ!」「憲法違反だ」の声が上がり、裁判長の「判決日は……」の声も聞き取れないまま、裁判長は用意された文を読んで怒号の中をそそくさと退廷した。傍聴席は誰も席を立てず、まだ法廷に残っていた書記に向かって「裁判官を呼んでください」「戻るように言ってください」という声が飛んだ。また県代理人も直ぐには立ち去れず、様子を窺っていた。書記は傍聴者たちに退廷を促し、やがて大口弁護士と柳原弁護士が椅子から立ち上がると、傍聴者たちも腰を浮かせた。県代理人も退廷しようとした時、たまりかねたように控訴人のAさんが県代理人に、「県弁護士、何か言え! 何か話せ!」と詰め寄ったが、裁判所職員たちがAさんを抑え、県代理人は逃げるように去った。
報告集会
閉廷後、仙台弁護士会館で、報告集会がもたれた。参加者一人ひとりが感想や意見を出し合い、誰もが「絶対にこれで終わらせたくない」との思いを吐露した。同様の裁判を仙台地裁で闘った体験者からは、最高裁まで闘うつもりなのか、あるいは和解という選択肢はないのかと意見が出されたが、今後の行動については三者(当事者、弁護団、支援会)会議で議論し、支援者たちにはメールなどで連絡することとなった。いずれにせよ、仙台高裁の結審強行を許さず、原発避難者の住まいと権利の保障に向けて最後まで闘うことが確認された。
その後のこと
その後、弁護団は仙台高裁に対する抗議声明を発し、5名の弁護士(大口昭彦、柳原敏夫、古川健三、林 治、酒田敬人)連名で「弁論再開の申立書」を仙台高裁に提出した。
「7月10日第一回弁論だけで審理終結した、仙台高裁第3民事部に抗議する」として発せられた抗議文は、福島原発事故の避難者を避難先の国家公務員宿舎から追い出そうとする今度の裁判は、放射能汚染で避難した住民の生命、健康、暮らしに直結した「住民の人権はどのようにして守られるべきなのか」が正面から問われた、過去に前例のない原発事故による被害者・避難民の人権裁判であることを、まず述べている。
そしてこれまで一審で、また控訴理由書で主張してきた「法の欠缺」状態の日本では、上位規範である国際人権法による解釈が達成されるべき裁判であったことも記された。折しもこの5月に、原発事故避難民の人権状況を、昨秋来日し調査してきた国連特別報告者ヒメネスダマリー氏の公式報告書が国連人権理事会に提出され、そこにはこの裁判に警鐘を鳴らす記述もあり、この裁判は人権に関する世界の関心事ともなっていた。
本来なら控訴審で十分な時間をとって国際人権法の原則が解明され、正しい裁きがなされるべきであったにもかかわらず、仙台高裁第3民事部の瀬戸口裁判長は、一回だけの30分足らずの短い審理で、突如「審理終結」を宣言した。
「これは『裁判の拒絶』であり、憲法が保障した『裁判を受ける権利』の侵害である」。抗議文はこのように述べて、「私たち控訴人、代理人、支援者一同は、仙台高等裁判所が避難者の『裁判を受ける権利』と『国際人権法が保障する国内避難民の人権』を侵害したという誤りを改め、『審理の終結を撤回し、速やかに弁論を再開し、国際人権法に基づいた徹底的な真相究明を行うこと』を心から強く求めます」と結んだ。
支援団体からの抗議
支援団体の「原発事故避難者の住宅追い出しを許さない会」も抗議声明文を出し、他の支援団体にも呼びかけて、裁判所への抗議・弁論再開の要請ハガキ投函にも取り組んでいる。下記のチラシにお目通しいただき、ご協力をお願いします。葉書の宛先は、下記です。
〒980-8638宮城県仙台市青葉区片平1丁目6−1 仙台高等裁判所第三民事部
瀬戸口壯夫裁判長 殿