中学の野球部に入って野球が嫌いになった。部員は全員五分刈り以下の坊主頭で、上下関係は絶対。学校内外を問わず、先輩を目にすれば遠くからでも大声で挨拶し(先輩は返さない)、練習でたるんでいるとみなされると、ロッカー室で「ケツバット」(上級生が下級生を中腰の態勢にさせてバットで尻を叩く)の制裁を受ける。12歳だったぼくは、それが理不尽であることをわかりつつ、何も口にできなかった。先輩らに対する嫌悪の気持ちを募らせ、自分が出場できない試合は、「さっさと負けねえかな」と思っていた。スポーツとの不幸な出会いだった(ぼくらが3年生の時、ケツバットが担任の教師に発覚し、禁止された)。
2013年に15名の女子柔道選手が日本代表監督やコーチから受けていた暴力やパワハラを告発した告白した際、ぼくは自身の苦々しい記憶を思い出した。と同時に、日本の女子柔道のパイオニア的な存在である著者が、指導者の交代を含めた対処を、旧態依然の男性優位の体質であろう全日本柔道連盟(全柔連)に直訴したことに驚いた。
全柔連が厳重注意で事を納めようとすると、著者は選手に「自分たちでどうするか考えて」と話したという。自ら声を上げることの大切さを伝えたのである。選手たちはJOC(公益財団法人日本オリンピック委員会)への告発を決断する。JOCの対応は鈍いものであったが、メディアが大きく報じたことで組織の改革は進んだ。
忖度をせず、筋を通す。著者は一貫している。本人は自分の考えを表明し、議論を求めているだけという趣旨のことを話しているが、コロナ禍で東京五輪を強行開催しようとする流れの中で、JOC理事として唯一延期を訴える態度は際立っていた。
この国ではスポーツが何かの代替として語られがちである。国の名誉やメンツとして、感動や勇気の物語として、あるいは経済効果として。
それはアスリートにとってもいいことではないだろう。想像を超えるような身体の躍動、思いもよらないチームの連携プレーなど、人間の秘めた能力を形にする行為たるスポーツを、聞こえのよい表現だけで消費すると、著者が冒頭で指摘するように、スポーツによる感動の多くは、打ち上げ花火のようにすぐに消えてしまう。
アスリートは自分の言葉をもとう。スポーツは戦争、人種差別、ジェンダー不平等などとは相いれないものなのだから。そして、ぼくたちはそうした存在としてアスリートを見ていこう。
言葉をもたず、何にもアクションを起こせなかった中学生の自分に対する忸怩たる思いは変わらないが、高校時代に水泳に転向し、個人競技でありながら、選手間で互いを高め合う環境に巡り合うことができた。
スポーツによる幸せの記憶も身体が覚えていることも付け加えておきたい。
(芳地隆之)
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