『ジェンダー目線の広告観察』(小林美香著/現代書館)

 昨今、首都圏の電車に乗ると乗客のほぼ全員がスマホを見ている。かつてはあらゆる空間を埋め尽くしていた車内広告など誰も見ていない。それでもしつこく語りかけてくるのは転職サイト、婚活サイト、進学塾など人生の岐路に迷う人々へのささやき。そして医療脱毛、制汗剤、化粧品、フィットネスジムなどの身体に関わる広告だ。著者の小林美香さんは「痩せろとか、毛を抜けとか、汗を抑えろとか、女の身体にいちいち介入するのはやめてほしい」と嘆息しつつ、写真研究家としての専門性とジェンダー目線で、それらの広告を詳細に観察しはじめる。
 そうしたら興味深い発見の連続で、ついには「脱毛広告観察 脱毛・美容広告から読み解くジェンダー・人種・身体規範」と題する論考をまとめるに至った。そこに「デキる男」像についての論考や性感染症予防啓発ポスターの観察・分析を加え、広告業界で働きながらSNSなどでフェミニズムについての発信を続ける笛美さん、前衆議院議員の尾辻かな子さんとの対談をまとめたのが本書である。
 小林さんが「脱毛広告観察」を始めた2018年頃、主流だったのは白人女性を理想像とするコンプレックスあおり型広告。ブロンドの白人女性がノースリーブや水着、ミニスカートなど露出度の高い服をまとい、手入れされたむだ毛のないすべすべ肌を誇示することで、体毛の濃さや量に悩む女性のコンプレックスを刺激するという古典的定番手法だ。それらは「むだ毛を処理することは女性のたしなみ、マナー。脱毛しないなんて恥ずかしいこと。同性からも異性からも疎まれる。就職面接でも恋愛でも不利になる」と、「女の人生、脱毛一択」を迫る。
 このような規範性を強圧的に打ち出すコンプレックス商法の問題点の一つは、若者、子どもへの波及だ。現に「毛深いと同級生にからかわれる、いじめの原因になる」としてジュニア、キッズ脱毛が登場し、思春期の少年少女や親の関心を集めているという。さらには高齢者には、介護が必要になって下の世話をされる時に備えて陰毛を処理する「介護脱毛」まであるのだとか。体中の毛をむしられるブロイラーの気分になる。
 しかし、こうしたコンプレックスを執拗にあおって需要を作り出す商法は、フェミニズム、SDGsなど、従来の価値観を見直し、多様性の尊重を促す時代の空気を反映して変容していく。他人からどう見られるかでなく、大事なのは自分の気持ち。コピーは「肌がきれいになると自信が持てる、前向きになれる、自己肯定感が高まる」といった能動的でポジティブな口調にかわり、アイコンとしては人形のような美女でなく、渡辺直美、ローラなど前向きな強さを感じさせる個性派タレントに取って代わられた。
 さらに東京オリンピックと連動するかのように、「キレイは強い」など美しさと強さを結びつける表現が増え、またコロナ禍の閉塞感を打ち破るように、「私らしさ」「自分らしさ」という言葉を頻用することで女性の自意識や自発的な意志を強調する自己啓発系の広告も巷にあふれた。
 ことほどさように変容してきた脱毛広告のあり方は、広告が身体をどのように表現し、世論を一つの方向に導くプロパガンダとして機能してきたかを物語っていて興味深い。
 小林さんの観察は男性脱毛広告にも向くのだが、それがさらにおもしろい。観察眼、分析力、命名力がずば抜けていて、思わず笑ってしまうような記述が続く。テレビ等でおなじみのコマーシャルを俎上にあげての考察は小気味よく、膝を打ったり溜飲を下げたり目からウロコが落ちたり、頁を繰る手が止まらない。
 電車に乗っても街を歩いてもスマホを見ても目に飛び込んでくる広告の洪水の中でいかに正気を保つか、現代人必読の書である。

(田端薫)

『ジェンダー目線の広告観察』
(小林美香著/現代書館)

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