映画『NO 選挙, NO LIFE』公開記念インタビュー:選挙は楽しいスポーツ。競技人口を増やさなければ、政治のレベルは上がりません(畠山理仁さん×浜田未貴さん)

国政から地方選、海外まで、選挙と名がつけばどこへでも。選挙取材に人生を賭けて25年、フリーランスライター畠山理仁さんの人と仕事を追ったドキュメンタリー映画『NO 選挙, NO LIFE』が劇場公開され、話題を呼んでいます。「選挙に立候補する人は公共心あふれた義勇の志士、民主主義の宝、立候補してくれてありがとう」の思いから、「候補者全員取材」を鉄則とし、いわゆる「泡沫」候補も含めた大勢の候補者たちを、寝食を忘れて追いかける畠山さん。映画を見て、ぜひお話を伺いたいと名乗り出てくださったのは、NPO法人DAKKO理事・浜田未貴さん。若者の政治参加、主権者教育に携わる浜田さんが畠山さんに、選挙のおもしろさ、大切さについて聞きました。

18歳選挙権から7年、されど投票率は低迷

浜田 畠山さんの映画『NO 選挙, NO LIFE』、きのう映画館で拝見しました。おもしろかったです。お客さんもいっぱいでした。

畠山 うれしいです! ありがとうございます。

浜田 政党などに所属していない独立系のユニークな候補者が、こんなにいるんだとびっくりしました。

畠山 それを上回る奇天烈な人物が僕だって、思いませんでした?

浜田 はい(笑)。立候補者全員を取材するために睡眠時間2時間とか、20秒のコメントをとるために東京から長野県まで行くとか、脚立を背負って駅の階段を駆け上がる後ろ姿とか、この人、尋常じゃないな、と……。

映画『NO 選挙, NO LIFE』より

畠山 僕はこれまで自分のことを普通の人だと思っていたのですが、映画を見て相当変人だなと、我ながら思いました。

浜田 とても評判がよくて、上映館も広がっていると伺いました。

畠山 映画がヒットしても僕が儲かるわけではないんです。でも、僕一人しか見てこなかった風景を多くの人に見ていただき、選挙っておもしろいなと、少しでも関心が高まったらいいなと思っています。

浜田 私は大学生のころから選挙管理委員会といっしょに学校を回って選挙に関する啓発活動をするなど、主権者教育に関わってきたのですが、なかなか成果が上がらず、ちょっと心が折れかけています。私たちがやっていることは意味がないのかとか、こんなことやっても無駄なのかな、とか……。どうしたら若者に選挙や政治に関心を持ってもらえるか、今日は畠山さんにアドバイスいただけたらと思っています。

畠山 いやいや、無駄だったなんて思わないでください。やらなかったら投票率はもっと下がっていく。やり続けることが大事なんです。

浜田 そう言い聞かせてがんばってはいるのですが……。2016年に選挙権年齢が18歳に引き下げられ、若者の政治参加を促すいろいろな活動が行われましたが、未だ投票率も低迷しています。SDGsなど、若者の政治や社会に対する関心は高まってきてはいるのですが、それが投票に結びつかないのはどうしてなのか……。

畠山 だいたい日本の選挙の投票率はおよそ50%で、固定化されています。支持政党があって投票先がだいたい決まっている人しか投票に行かない。制度的にも意識の問題としても、それ以上に広がりにくいという問題があります。
 若い人に限らず、投票に行かなかった人に理由を聞くと、「投票したい人がいない」という答えが一番多いんですね。若い人にしてみれば同世代の候補者が少なく、自分たちの代表と思える人がいないのだから、投票に行く気がしないというのも分かります。やはり今の公職選挙法には問題がある。選挙権年齢の引き下げに伴って、被選挙権年齢も引き下げなければおかしいですよね。現在、被選挙権を引き下げようという運動がありますけれど、僕も賛成です。

NPO法人DAKKO理事・浜田未貴さん

選挙は政策の見本市、4年に一度の政策オリンピック

浜田 「投票率を上げるためには、立候補者を増やせ」と、畠山さんはおっしゃっていますね。日本は立候補へのハードルが高くて、立候補する人が少ない、と。

畠山 そうです。僕は俳優のシュワルツェネッガー氏が当選した2003年のアメリカ・カリフォルニア州知事選挙を取材したことがあるのですが、そのときは135人が立候補していました。1人しか当選しないのに、一所懸命推薦人を集めて立候補する人がこんなにいるのかとびっくりしました。日本だったら「当選するわけないのに、変な人」と言われがちですが、アメリカの有権者には「被選挙権は立派な権利。自分と意見が違っても、選挙活動は尊重しなければいけない」という候補者へのリスペクトがあるんですね。これが民主主義かと、感心しました。
 日本では選挙に出ることのハードルがものすごく高くて、立候補するのは特殊な人という印象がある。だから政党の後ろ盾のない無所属の人を変人扱いしたり、バカにしたりする。そうすることで立候補する人が少なくなって、投票したいと思える人がいなくなる。最終的に立候補者がいなくなれば、無投票当選ということになり、民主主義が細って、ゆくゆくは自分たちの首を絞めることになります。
 だからまず「誰もが立候補できる」環境が大事。そうすれば「立候補してくれてありがとう」という気持ちも生まれ、政治への関心が高まって、したがって投票率も上がる。長いこと選挙取材してきて、投票率を上げるためには、立候補へのハードルを下げることが大事だと痛感しています。

浜田 今回の映画を見て、独立系の候補者の方への見方が変わりました。今まではなんだか変わった人、ふざけているのかな、という印象でしかなかったのですが、自分はこういうことで困っている、こういう問題がある、世の中をこうしたい、と皆さん明確な主張や政策を持っていらっしゃる。参院選でバレエダンサーへの支援を訴えている方もいて、とても特殊な個人的な問題に見えるけれど、皆に一緒に考えてもらいたいという思いから立候補されているのだということが、よく分かりました。
 主権者教育の現場では、その主張が「自分のわがまま」ではなく、「皆のため」のものであるか考えよう、ということを強調しがちなのですが、独立系の立候補者の政策のように、一見個人的なことでも、それを議論の場にあげることで、政治的なトピックになっていくことがあると思うと、まずは個人の思いを声に出してみることも大切だと感じました。

映画『NO 選挙, NO LIFE』より

畠山 公職に就く人は税金から歳費をもらうわけですから、「皆のために」という意識は持ってもらわないといけないとは思います。それを前提として、さまざまな政策提言があっていい。
 選挙って、政策の見本市、4年に一度の政策オリンピックだと思うんです。世の中にはこういう課題がある、こう解決したらいいというアイデアを持っている人が立候補して、皆に知らせてくれる。普段はそんなに政治のことに関心がない人も、選挙期間中に立候補者がずらっと提示してくれる政策を見れば、へえ、そうだったのかとか、そうだよなあとか、気づく。政治オタクのような人が毎日考えていたことに、1週間くらいの選挙期間で追いつける。それが選挙だと思うんです。
 選挙に出るからには勝たなければ意味がないといわれます。確かに議員になれなければ自分で政策実現することはできないけれど、当選した人が落選した人のいい政策をパクることもある。他の人の政策を取り上げて実現させてもかまわない。だから、どんな政策であっても立候補して訴えることは大事で、その声を届けるのが僕の仕事だと、「全員取材」を自分に課しているわけです。

浜田 私は主権者教育をやりながらも、どこか選挙戦というものに苦手意識がありました。とにかく勝つことだけが目的で、政治の陣とりゲームをしているだけじゃないか、とか。でも今回の映画を見て、人間ドラマとしての選挙戦のおもしろさに気づきました。主権者教育では政策の読み込みに力を入れるのですが、立候補している人のストーリーを追ってみるのも、ひとつの見方かなと思いました。

畠山 選挙は政策で選ぶべきか人柄で選ぶべきかと、よく聞かれます。もちろん両方大事なんですが、実は僕、政策ってそんなに吟味されていないんじゃないかって、疑いの目を持っているのです。というのも度々こういう経験をしているからです。
 僕は各地の学校とか選挙推進協議会とかで講演をするときに、その地域で行われた直近の選挙の公報を持っていって、ブラインドテストをやるんです。名前と顔写真を隠して、政策だけ見せて、「さて誰を選びますか」と問いかける。その結果は実際の選挙結果とは大違い、真逆だったりする。
 たとえば2019年の群馬県知事選は、自民党、公明党推薦の山本一太さんと共産党推薦の石田清人さんの一騎打ちで、結果は山本さんがトリプルスコアで圧勝しました。ところが、ある地元の高校で政策ブラインドテストをやったら、8割の生徒が石田さんの政策を支持すると表明してくれました。実際は山本さんが圧勝したんだよと話したら、生徒たちは「なんで?」という顔をしていましたね。「うちに帰ったら、お父さんお母さんになぜ山本さんに投票したのか、聞いてみてください」と、投げかけました。だから選挙って、候補者のキャラクターによるところが、ある意味、政策以上に大きいのですよ。

選挙事務所に行ってみよう

浜田 誰に入れるか、選挙公報とか政見放送だけでは決められませんものね。でも人柄を見極めるのも難しい。

畠山 やっぱり自分の目で確かめて、勘を働かせることって大事だと思います。街頭演説を遠くから眺めてみるだけでもいい。この人と友だちになれそうかな、困ったときに電話できそうかなとか、この人に任せてもいいかなとか、何となく分かるものです。
 また、もう一歩踏み込んで選挙事務所を訪ねてみるのはどうでしょう。日本の選挙事務所って、鉄の扉に閉ざされた感じで入りにくいじゃないですか。海外取材の経験からいうと、外国の選挙事務所はガラス張りで外からも中の様子が見えるところが多い。おしゃれなソファがあって、いろいろな人がおしゃべりしたりお茶を飲んだりしてくつろいでいる。楽しそうだな、入ってみようかなという気持ちになれるんです。
 日本の場合、気軽に選挙事務所を訪ねるという習慣がないから、行くほうも迎えるほうもとまどってしまう。ではどうしたらいいか。「〇〇さん(立候補者)のこと事を知りたいので資料をください」と言えば、大歓迎してくれます。そして次に「(ライバル候補の)××さんの評判はどうでしょう」と聞く。そうすると待ってましたとばかり、うれしそうに悪口を言う(笑)。おもしろいですよ。そうやって支持する側、対立する側双方の話を聞くと、候補者に対する解像度が上がり、納得のいく投票ができると思います。

浜田 選挙事務所に行ってみたいという気持ちはあるのですが、なんだか怖い。丸め込まれるというか、からめとられるというか。後援会に誘われて逃げ出せなくなったらどうしよう、とか。

畠山 内心の自由をちゃんと意識していれば大丈夫。押しの強い人がいて、ボランティアさせられそうになったりするかもしれないけれど、最終的に誰に投票するかはあなたの内心の自由です。誰に入れたか、投票の秘密も守られます。選挙においては自分が主役、誰からも強制されないという意志さえ持っていれば、怖いことはありません。

浜田 そうですね。やはりリアルに体験してみることは大切ですね。

畠山 選挙事務所って、一日座って観察しているだけでもおもしろいですよ。人生をかけてやる「選挙」というイベントの醍醐味が分かります。事務所で人生のパートナーと出会ったり、就職先を見つけたりする人もいます。僕自身も選挙事務所でアルバイトしたことがきっかけで選挙に興味を持って、こんなにはまり込んでしまったんですから。

フリーランスライター畠山理仁さん

「かかりつけ」の政治家を探そう

浜田 他に、投票する政治家を決めるときの基準って、ありますか?

畠山 僕は、政治家は自分と公をつなぐ人だと思っています。ですから誰を選ぼうかというときに思い浮かべて欲しいのは、自分の「かかりつけ」になってくれそうな人かどうかということです。かかりつけ医のような「かかりつけ政治家」ですね。私たちは「ちょっと熱っぽいかな」というときに、とりあえず近所のかかりつけのお医者さんに診てもらうじゃないですか。それと同じように、困りごとがあったときに気軽に相談できる議員さんがいるといい。とくに地方自治体の選挙では、この人は自分と行政の架け橋になってくれるかな、という視点で選ぶのがいいかと思います。もちろん自分が投票していない議員に相談してもいいんです。当選した以上は「公の人」ですからね。

浜田 「かかりつけ政治家」がいるといいですよね。でも実際には、政治家って気軽に電話したりできない遠い存在に思えてしまいます。

畠山 たしかに、セミみたいな政治家もいますからね。

浜田 セミ?

畠山 ずっと地下にいて、数年に一回の選挙期間中だけ地上に出てきてうるさく鳴いて、あとはまた地下にもぐってしまう。選挙期間中もオープンな街頭演説をしなかったり、演説会も支援者にしか知らせなかったり、連絡先を公表していなかったり。でも、政治家が市民から見えないところにいては、意味がない。有権者がそれを許してしまっては、いけないのです。

浜田 地方選挙では身近に候補者がいますが、国政選挙ではなかなか会えません。そのため政党で選びがちです。

畠山 公認、推薦の政党名だけで判断するのは、実は危ないと思っています。たとえば、自民党から出ているのに「社民党の人みたい」と思うような人もいます。どの政党かという先入観より、個々の政策、人柄を見て、私たちの声を聞いて、その声を政治に反映してくれるかどうかで判断したいですね。

浜田 小選挙区制では1人しか当選しないので、自分がいいと思う人でなく、勝たせるべき人に票を集めて……という「選挙戦略」が必要なこともあるのでしょうか。

畠山 う〜ん、どうでしょう。選挙戦は競馬ではない、勝ち馬を当てるゲームではないと言いたいですね。
 何年かに一回開かれる政策見本市なのですから、有権者一人ひとりが考えて、この人に任せたいと決めて投票すればいいと思います。事前予想して誰が勝ちそうだから、誰と誰に票を集めるぞみたいな、戦略的なゲーム感覚ももちろんいい。でも、それだけではもったいない気がします。

浜田 自分が入れた人が落選してしまうと、私の一票は無駄だった、自分の声は届かなかったとがっかりしてしまうという声もよく聞きます。。

畠山 いや、「死に票」って言われますけれど、決して無駄にはなっていません。有権者が一票に込めた思いは候補者にしっかり届いています。たとえば落選した人に「この前の選挙では7200票くらい入りましたね」と言うと「7207票です」と、1の単位まで覚えています。自分への評価が数字として出る。厳しい結果でもあるのですが、それに勇気づけられて再チャレンジする人もいる。落選しても、主張する政策が支持された数が具体的に出る。これは政策実現の可能性を高めるものです。だから当選にはつながらなくても、せっかくの一票を捨てるのは本当にもったいないと思います。

浜田 そうですね。税金を収めているのに、その使い道に関して無関心ではいられませんよね。

畠山 現在私たちは税金と社会保障で、収入の46.8%を国や自治体に納めていますよね。そのお金を何に使うかを決めるのが政治家、その政治家を選ぶのが選挙。金額で表すと基礎自治体の選挙の場合、だいたい一票には200万円の行方を決める価値がある。その一票を捨ててしまうなんて、もったいないでしょう。

映画『NO 選挙, NO LIFE』より

デジタルネイティブの若者に追い風

浜田 この1、2年の選挙では、現職の年配の男性が落選して、女性や若者の新人が当選するという現象が、あちこちで起きています。保守一強だった日本の選挙に変化が起きているのでしょうか。

畠山 コロナ後の選挙を見てみると、政党の支援を受けていない独立系の候補者の得票数が確実に増えています。たとえば今年の2月にあった愛知県知事選挙。知事選挙の場合、6人立候補するような選挙だと、最下位の候補者の得票はせいぜい数千票レベルでした。しかし、この時の愛知県知事選挙では、最下位の人でも約8万8981票も得票をしています。これまでは見られなかった現象です。
 コロナで対面の活動が制限されて、既存の組織や政党は大きな打撃を受けました。その一方で無所属の若い人たちが、インターネットやSNSを使って自由に発信するようになった。また有権者のほうも、クリック一つで情報にアクセスできるようになって、選挙戦の様相が変わってきました。近年ネットの発達で、デジタルネイティブの若い世代に追い風が吹いていると思います。

浜田 若い人にしてみれば、今の政治家は自分たちのために何もしてくれていないとの思いがあります。ならば自分が出てみようか、組織やお金はないけれど、得意なSNSスキルを使って新しい選挙のやり方にチャレンジしてみよう、という人が増えることを期待したいです。

選挙漫遊、選挙小屋……選挙を楽しむあの手この手

浜田 主権者教育をやるときにはこうしたらいいとか、何か具体的なアイデアはありますか?

畠山 主権者教育では「選挙に行きましょう」ってよく言いますよね。だけど、もう一段レベルを上げて「選挙に出ましょう」って言うのがいいと思います。僕は講演とかイベントのときには、よく選挙で使われるタスキを持って行くんです。そして参加者に「これを掛けて写真を撮ってみませんか。候補者コスプレをやってみませんか。選挙に出てみたくなるでしょう?」とやっています。
 最初のほうでも言いましたが、日本は立候補する人が少ない、選挙が限られた人だけのものになってしまっている。だから投票率も上がらない。そこで会う人ごとに「選挙に出ませんか」「出ましょうよ」とけしかけているんです。友だちが出たら、応援したくなりますものね。そうやって選挙が身近になっていければいいなと。

浜田 教室での座学だけでなく、現場に出て行ってリアルに体験するのもおもしろそうですね。

畠山 東京の国分寺市では、選挙管理委員会や明るい選挙推進協議会が駅前などに投票箱を置いて、模擬投票イベントをやっています。たとえば「おでん総選挙」と銘打って、「おでん種(だね)ではどれが一番好きですか?」とやる。大根、たまご、こんにゃく、ちくわ、さつまあげとか候補を書いて、実際の投票箱や記載台を使って選挙を疑似体験してもらうわけです。国政や自治体選挙では、投票の仕方が分からないから選挙には行かないという人も、結構いるんですよ。地元の若者グループが選挙の時に全候補者インタビューをして発信するなどの取り組みもしています。このグループも街中で模擬投票のイベントをやっています。

浜田 選挙に慣れるということも大切ですね。北欧などでは、選挙前に公園など一カ所に各候補者がテントを出して市民と交流する「選挙小屋フェス」というのがあります。最近日本でも行われたようですが、楽しそうですね。

畠山 僕は今「選挙漫遊」という企画をやっているんです。どこかよその選挙を物見遊山で、参加者といっしょに見に行く。候補者の演説を聞いたり、事務所を訪ねたりする。そしてその土地のおいしいものを食べたり、温泉に入ったりして観光も楽しむんです。

浜田 へえ、参加してみたいです。

畠山 僕は、選挙はスポーツのようなものだと思っています。「選挙運動」ですからね。競技人口を増やさなければ、政治のレベルはあがらないし、私たちは幸せになれない。あの手この手で選挙を楽しんでください。

浜田 最後に再び映画を見ての質問ですが、誰もやらなかった候補者への「全員取材」を実践して見えてきたことって、どんなことでしょう。

畠山 世の中本当にいろいろな人がいるなあという感慨ですね。自分のそれまでの常識がちっぽけに見えて、もっと広くて豊かな世界が広がっているんだということを教えてもらいました。僕の選挙取材は、これまでその存在すら知らなかった宝探しをしているようなものです。候補者に会うと元気になるし、僕も何かを発信することで誰かを勇気づけることができるかもしれない。それが全員取材を続ける原動力ですね。

浜田 ありがとうございました。これからもいろいろ工夫して主権者教育を続けていきたいと思います。

(企画/塚田ひさこ、構成/マガジン9編集部)

『NO 選挙, NO LIFE』
https://nosenkyo.jp/
ポレポレ東中野(東京・中野区)ほか、全国順次公開。

はたけやま・みちよし●フリーランスライター。1973年愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部在学中の1993年より、雑誌を中心に取材、執筆活動を開始。第15回開高健ノンフィクション賞受賞作『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』(集英社)著者。同書は「咢堂ブックオブ・ザ・イヤー選挙部門大賞」「日隅一雄情報流通促進賞奨励賞」「及川眠子賞」「角岡伸彦ノンフィクション賞」など5賞を受賞した。2021年10月に出版した『コロナ時代の選挙漫遊記』(集英社)も「咢堂ブックオブ・ザ・イヤー選挙部門大賞」を受賞。他の著作に『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社新書)、『領土問題、私はこう考える!』(集英社)などがある。

はまだ・みき●NPO法人DAKKO理事。1993年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了(修士 教育学)。早稲田大学在学時に、模擬選挙の活動に関わったことをきっかけに主権者教育に関心を持ち始める。院生時代はNPO法人YouthCreateでインターンを行い、若者と政治をつなぐ活動に従事した。現在はNPO法人DAKKOの理事として、選挙啓発にとどまらない主権者教育を推進することを目的に、政治家と若者が語る「Voters Cafe」をはじめとした、「”わたしたち”の社会を創る対話の場」を全国に広げる活動を行う。

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