本作の劇場公開からタイムラグを経て、権力の中枢にいる者たちが裏金づくりと脱税という国民の財産をネコババしていた(彼ら、彼女らの常とう句「国民の命と財産を守る」が質の悪い冗談に聞こえる)事実が明らかになった現在に見ると、その茶番性がより際立つ。
タイトルの通り、安倍晋三元首相の国葬が行われた日、日本列島で人々はどのような反応を示したかを記録した作品だ。
大島監督は「国葬に反対」の立場であることは明言しているが、当日の空気感を忠実に再現しようと努めている。「安倍さんの功績を考えれば国葬は当然」とブライダル会社の社員が語る札幌から、「沖縄の民意を踏みにじり続けている人の国葬は断固反対」と辺野古基地建設反対のデモ参加者が語る沖縄まで。しかし、全体を通して見ると、スクリーンに登場する人々の熱量は低い。「大統領が亡くなったのだから国葬もありかな」という人と「今日は何の日か知らない」という人の間に大きな違いはなく、国葬への賛成派と反対派に国論が二分されたというよりも、無関心な人がこんなに多かったのかという印象だ。
それは、己の確たる信念もないまま、国葬を決めてしまった(ように見える)岸田文雄首相の姿勢にも重なる。ふわふわした、なし崩し的な判断によるものであったから、「(国葬には各国の首脳が訪れるのだから)重要な外交の場ともなる」を決定理由のひとつに挙げながら、G7の国家元首が誰ひとり訪日しなかったことに対する無念の言葉も、どうしてこのような結果になったかの検証もない。ただやりすごすだけ。同じようなことが辺野古の基地建設、大阪万博の会場建設でも繰り返されるのではないか――憂鬱な未来が見えるようだった。
同じ時期に記録的な水害に見舞われた静岡県静岡市清水区で復旧のボランティアを行っていた清水東高校のサッカー部員の姿に希望を見る思いだったのだが、国葬の日、所用で九段下にいたぼくは不思議な人を見た。神保町方面から武道館に向って進む国葬反対デモとつかず離れずの距離で、初老の男性が「祝 国葬」という幟の上に縦半分に切った日章旗を掲げていたのである。弔意を示す半旗は一度旗を旗竿の最上部まで掲げた後、数メートル下げることをいう。彼のそれは日の丸が真っ二つの「半旗」なのだ。国葬賛成を装いつつの反対という高等戦術なのか、それとも彼なりの弔意の表現なのか。アコーディオンを肩から下げていた彼がその場で歌うことはなかったが、この日の儀式のちぐはぐさを象徴するようなパフォーマンスだった。
(芳地隆之)
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『国葬の日』(2023年日本/大島新監督)
公式サイト https://kokusou.jp/