日本列島で暮らすのも大変だ(芳地隆之)

日本列島で暮らすのも大変だ

 と、つくづく思う。阪神・淡路大震災から29年目に当たる1月17日、神戸市では当時のことを忘れず、未来に語り続けることを目的とした「つどい」が開かれ、能登半島地震で被災した方々に思いを寄せて、灯籠による「ともに」の文字がかたどられた。3月11日には東日本大震災から13年目を迎えることになる。東北から北陸へ励ましや慰め、連帯のメッセージが送られるだろう。それぞれ「1・17」「3・11」とも称されるメモリアルな日であるが、それに1月1日が加わる。さすがに「1・1」とは呼ばれないだろうが、これからは新年を迎えるたびに能登半島地震に思いを巡らすことになる。

 ぼくたちは非常時をどこかで感じながら平時を過ごしているといっていい。

 治にいて乱を忘れず、ということわざがある。「平穏無事の世の中にいても、つねに乱世のことを考えて、準備をしておかなければならぬ」という意味だ。出典は「易経」(四書五経と呼ばれる儒教の経典のひとつ)。作家で精神科医の故なだいなださんが、エッセイで結婚式における新郎新婦に送る言葉として取り上げていた。いまはラブラブかもしれないが、長年夫婦をやっていれば、修羅場も起こる。その時に取り乱さないよう、備えておくべしという年長者からアドバイスだ。ぼくはそれを座右の銘にしている。

 先日、マガジン9(マガ9)の編集部による少し遅めの新年会があった。その際、スタッフ間で、いま自分がマガ9の読者だとして、憲法9条を守ろうというマガ9にカンパするか、能登半島地震の被災者のために義援金を送るか、をてんびんにかければ、後者の方に傾くだろうなあという話になった。無茶な例えのような気はするが、編集部の核となって、毎週、取材、編集、更新に尽力している(しかもかつかつの活動費で)スタッフの気持ちはとてもよくわかる。一方で、新年から能登半島地震による災害の後方支援をしている自分には、物事をてんびんにかけるという状態自体がよろしくないとも思う。

 災害支援活動をしていて、何が情けないかといえば、自分にそのための知識や技術が欠如しているのを思い知らされることだ。作家の髙村薫さんは脳腫瘍になった弟さんの看病やご両親の介護について、「気持ち五割、技術五割が大切」ということをエッセイで書いておられた。片方に傾くと精神的、身体的にダウンしてしまうという髙村さんの言葉にも通じるかもしれない(髙村さんは阪神・淡路大震災の被災者だ)。「気持ち」の方にてんびんが傾いているぼくは、この過程を記録して、今後も日本各地で発生するだろう自然災害に対する支援のマニュアルをつくることを自らに課した。

 歴史として語り継ぐというものとは違う。できるだけ多くの人が生き残るためにはどうしたらいいか、どちらかというと即物的な内容であるが、それを続けていると、日本列島で暮らすこと自体、自然のリスクを伴っているのに、人為的な戦争なんてやってられないという思いが肌になじんでくるのである。

 マガ9の前身である「マガジン9条」が立ち上がってまもなく、メインコーナー「この人に聞きたい」のインタビューを集めた『みんなの9条』(集英社新書)が刊行された。それを繙くと、「戦争をしない。軍隊をもたない」とうたう9条が、たとえば、外交能力の問題として(橋本治さん)、異文化共生の手段として(辛淑玉さん)、経済成長神話の限界として(辻信一さん)、生きにくい時代の閉塞感として(雨宮処凛さん)、実に様々な語られ方をしているのがわかる。しかし、様々な語られ方をされるということは、平和というものがふわっとつかみどころのないものになっていることにも等しいのではないか、との思いも拭えない。

 さて、どうしたものか、と故なだいなださんがとりあげた「治にいて乱を忘れず」に話を戻せば、人が起こす戦争は人の手によって回避できるとも解釈できるわけで、でも、残念ながら、起こらなかったことは評価されにくいのが現実だ。それが平和の置かれた辛い立場であり、理想論だ、何だと、心ない言葉を浴びることもあるが、非常時が起こらないこと自体ありがたいと思える地震大国に生きているぼくらは、平時のありがたさを理解できる国民ともいえる。したがって、平和という立場に寄り沿って、来年には設立20周年を迎えるマガ9にも「ご苦労さま」と慰労の一言くらいはかけていいのではないかと思ったのである。

(芳地隆之)

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