第81回:トークの会「福島の声を聞こう!」vol.45報告「帰りたくても、帰ることをとまどう地域もある」(渡辺一枝)

 東京電力福島第一発電所の事故から、13年目の春を迎えます。漁業関係者との約束を果たさないまま、そして多くの市民の反対を無視し、また諸外国からの抗議にも耳を貸さずに、東電は汚染水を海洋放出し続けています。こうして汚染の被害は拡散されて見えにくくされ、いつしかなかったことにされていく……。
 どうか忘れないでください。福島の事故は終わっていません。福島の声を聞いてください。
 そんな思いから、2月4日に「トークの会 福島の声を聞こう!vol.45」を、いわき市の丹治杉江さんをゲストスピーカーに迎えて、神楽坂のセッションハウス・ガーデンで開きました。

丹治杉江さん プロフィール

 1956年群馬県生まれ。大学卒業後、宮城県庁勤務を経て東京の映画会社で働いた後、福島県いわき市で家庭を持つ。2011年の原発事故により、終の棲家と思っていた自宅を追われ群馬県へ避難。2012年、原発事故の原因究明と適正賠償を求めて、「群馬訴訟」(福島第一原発事故損害賠償請求事件)」原告代表となり前橋地裁へ提訴、2022年6月17日、最高裁は「原発事故に国の責任無し」と判決し、11年間闘った裁判は敗訴した。
 2022年12月に急逝した福島県楢葉町・宝鏡寺の住職、早川篤雄氏が遺した原発と戦争を伝える「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」で、翌年6月からボランティア事務局長兼館守として福島被災の伝言活動に携わる。また、「ALPS処理汚染水海洋放出差止訴訟事務局長」として、全国支援拡大の活動も進めている。

◎丹治杉江さんの話

なぜ「伝言館」か

 楢葉町の600年続く浄土宗宝鏡寺の庭に造られた「伝言館」は、福島第一原発事故を伝える資料館だ。ただし、正式名を「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」と謂っているように、原発事故だけを伝えるものではない。なぜこういう名なのか、ぜひ来館して確かめてほしい。
 今日は原発事故について話すが、原発はある日突然造られて、ある日突然事故を起こしたわけではない。
 そこになぜ原発が造られたのか。戦争があって侵略戦争があって、原子爆弾が落とされて、核の平和利用などと言われて……という流れのことなど、私が説明するまでもないと思うが、その流れから、「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」の名になった。長野県に「無言館」があるが、あちらは戦没画学生ら、亡くなった人たちの絵画・遺作で戦争を伝えている。しかし私たちは原発事故後の世界を生きているわけだから、「歴史の証言者として」言葉で伝えていかなければいけないということで、「伝言館」とし、原発事故被害の実相を伝え、またなぜ原発が建設されたのかを皆さんに知って欲しく、活動している。

原発の立地

 原発を考える前提として、立地場所のことを知ってほしい。
 原発は、人口が少なくて産業も無い場所に造られる。福島第一・第二原発が造られた地域もそうだ。福島第一原発は、海抜30mの崖を切り崩して10mにして建てた。冷却に必要な水の取水という、経済的な理由による。わざわざ海面に近い場所をつくって建てられたのだ。
 たとえ一人でも命に危険が起こるようなものを、人口が少なくて産業がなければ、造っても良いのか。この施設は被害が起こる、迷惑をかける施設である、そういうことがわかっているから、政府は電源三法で地元への交付金を用意した。過疎地域の経済発展の夢が語られ、みんな騙された。
 汚染水放出もそうだ。放射性物質を含んだ水を海に捨てるなんて、そんなことしちゃダメでしょう。でも、漁業関係者への影響がわかっているから、最初から「賠償金はしっかり用意しましたから」と言って、汚染水放出を決める。ダメでしょう。
 原発事故から13年経とうとしている。あの日から「原子力緊急事態宣言」は発せられたまま、福島だけ(避難指示解除などの基準である、年間の空間放射線量)20ミリシーベルト受忍のまま、廃炉は見通せず、被災者は今も苦しみ続けている。この塗炭の苦しみをみなさんに知ってほしい。
 「復興のために」とか「復興が進んでいる」とか色々言われているが、とんでもない。「伝言館」に来ていただくとわかると思う。国、東電が、いかに住民に対して出鱈目なことをしてきたのか、したのかということを伝えている。
 例えば福島第二原発建設時に、公聴会をやった。第1回は、それが日本で初めての公聴会だった。応募が、なんと16,000人もあったという。楢葉町の人口は7,000人しかいないのに、その倍以上の応募があった。おかしいでしょう? 楢葉町の人に聞くと「応募なんかしていないのに、参加してください、当選しました、なんて通知が来た」ということも聞いた。いかにいい加減で、ヤラセやアルバイトを使ったり、住民の台帳を使っての公聴会だったことか、参加したのは建設賛成の人ばかりで、反対者はほんの数人だったと言われている。
 そのように、「原発は絶対安全」「地域発展をもたらす」と、町内会、婦人会、子ども達を利用して徹底的に宣伝を繰り返した。反対する人は「地域の発展を妨害する人」として村八分状態にまで追い込まれた。今の、汚染水海洋放出も似た構図だ。

福島被災地の状況

 帰還困難区域といって住民が戻れない地域は、東京23区の半分ほどの広さの地域だ。そこに帰還を促すため、除染したとして「特定復興拠点」をつくっているが、人は点では生活できない。高線量地域がまだら状に広がる地域での暮らしは安心、安全とは言えないが、戻る戻らないの選択はさまざまな事情によるもので自由だ。子育て世代は難しいが高齢者を中心にして少しずつ帰還が始まっている。
 原発過酷事故は、想定外の地震と津波によるものであるとして、事故の責任は誰も取っていない。もしこれが東京で、23区の半分が100年間は人が住めない地域になって、その責任は誰も取らないとなったらどうだろう……福島なら許されるのか。
 私も10年間裁判をやって、国・東電の責任を追及してきたが、結果としては2022年6月17日の最高裁判決は、「たとえ国が東電に対策を取らせていたとしても、想定外の津波だったから事故は防げなかった」という判決で、誰も責任を取らされていない(東電の賠償責任のみ、22年3月の最高裁で確定)。刑事事件でも東電の旧経営陣3人の責任を追及しているが、いまだに誰も責任を取らないままだ。
 チェルノブイリ原発では所長など3人が収監され技師長は自殺未遂、発狂するくらい、責任を追及された。しかし日本の原発は国策民営で動かされていて、「原子力ムラ」という巨大な原子力マフィアによって、司法までが食い物にされているということを、この10年間でまざまざと知った。

復興予算を使って放射能まみれの暮らしへ

 今年も3月11日に向けてのTV放送などでは、避難先から故郷の福島県に戻っていない人の数を23,000人とか3万人弱などと報道するのだろうが、これは全く違う。国も県もどこに何人が避難しているかなど、一切明かしていない。実際の帰還率など、知られると都合が悪いからだろう。
 避難指示が出された12市町村の2011年3月11日時点での住民登録数は、合計で147,428人だった。現時点での居住者数は64,000人ほど。約8万人は元のふるさとに戻っていない。12市町村以外から避難した「自主的避難者」を加えたらもっと多いはずだ。また12市町村についても、現時点での住民登録者の中には、元の住民だけではなく、新規転入者も含まれている。原発作業員が3ヶ月以上従事するためには住民登録をしなければならない。またその他の仕事、除染作業、復旧・復興作業の作業員も、住民登録者数に入っているから、ここに出た数字は、元の住民で戻ってきた人の数ではない。
 子どもたちの通学状況を見ても、2010年には12市町村で8,388人が小中学校に通っていたが、2023年は936人となっている。そして通学している子どもが、学校が設置されている地域に住んでいるとは限らない。避難先から通学バスで通っている例も少なくない。
 大熊町に開校された小中一貫校の「学び舎 ゆめの森」は就学前の子どもが通う認定こども園も併設した、56億円かけて建設された施設。50万冊の蔵書があり、教師、その他の職種を含め子どもの数よりずっと多い大人たちで行き届いた教育を目指しているが、子ども帰還率2.7%の大熊町で、どこまで「普通」の教育が叶うのか。2023年には26人が在校したが、今後の見通しは厳しい。川俣町の小学校のように、開校した翌年に児童数が集まらず閉校した例もある。避難指定区域にも小中一貫校は造られているが、通学者数は事故前よりは格段に少ない。そして学校のある地域からの通学ではなく、避難先から通学している子どもが多い。
 学校周辺は除染してあっても少し外れた場所や、また通学途中などには高線量の地域がある。こうして復興予算で箱物を造り、放射能まみれで暮らしていく道をつくっているのが、福島の現状だ。

震災関連死

 福島県の東日本大震災関連死は2,333人と言われている。地震と津波で生き残っても、希望が持てない。放射能まみれの故郷で暮らすわけにいかなくて避難先で生活する中で孤独死する人もいる。地震・津波の災害を生き延びて、普通の暮らしに戻れるはずなのに戻れない。生きる希望を失って亡くなっていく。被害が永く広域に広がる「放射能公害」事件の特徴だ。
 原発事故後の暮らしの中で仕事を失い、友達が避難していなくなり、周りの人々との放射能に対する考え方の差異で自分の気持ちがザワザワする、と心を病んで病院に通ったが、生きていく価値が見出せないまま34歳で自死した女性がいる。けれども彼女の場合は関連死にはならない。原発事故による関連死ではなく、個人の脆弱性による自死という扱いにされて、関連死とみなされない。このような例がたくさんある。でも彼女も、原発事故が無く自然災害だけだったら、自ら死を選ぶことはなかっただろう。
 避難住宅に行くと、じいちゃん・ばあちゃんが部屋の壁に孫が描いた「じいちゃんの顔」なんていう絵を貼っていたりする。被災前は一緒に住んでいた孫に会えない悲しさ、寂しいんだろうなぁと思う。若い家族は安全な都市部に行ってしまい家族バラバラ。じいちゃん・ばあちゃんは仏壇に手を合わせて、長生きを祈るのではなく「早く死なせてくんちぇ」と言って拝んでいる。
 須賀川のキャベツ農家だった樽川久志さんは学校給食に無農薬のキャベツを出していた。しかし原発事故後に出荷制限され「もうだめだ。生き甲斐を失った」と自死された。樽川さんの連れ合いのばあちゃんは東電に抗議に行った時、涙ながらに訴えた。
 「おらたちは、金が欲しいんでねえんだ。どうしてくんだ、この汚れた土地を。オレの孫の代まで農家で、キャベツ作ってかなきゃ、食ってけねえんだ。謝ってくれ。オレの父ちゃんに、線香一本あげて謝ってくれ」と言って抗議していた。樽川さんについては国は関連死と認めて、わずかだが東電から賠償金が出た。しかし、ばあちゃんは悔しくて悔しくてならない。東電は賠償金を振り込んだだけでおしまい。とうとう一本の線香も上げには来なかった。

加害者による被害者いじめ

 汚染水の海洋放出は絶対に許せないと、「ALPS処理汚染水放出差し止め訴訟」の原告団長になった小野春雄さんは、こう言っている。
 「『俺たちは、もし魚が獲れなくなっても金(賠償金)をもらえる。船の借金も払える。だから良いんだ』ということでは無いんだ。生き甲斐なんだ。自分たちが獲った魚がドラム缶に入れられて、汚れたものとして埋め立てられるような、そんなことだけにはなって欲しくない。命を貰って食っている俺たちが、命の大切さを一番よく知っている。だから水俣のような、自分が獲った魚を買い上げてそれをドラム缶に入れて処分しろ、その分だけ賠償金払うよなんて、そんなことは絶対に許す訳にいかんねぇ。汚染水の海洋放出はそういう事態を必ず起こす」
 そんな思いで原告団長になってくださった。
 福島では、一晩語っても語り尽くせないほどのこういう悔しさ、「最後は金目でしょ」という政治との闘いが、今も続いている。
 原発事故は、故郷を剥奪した。東電は3つの誓い(1、最後の一人まで賠償貫徹。2、迅速かつきめ細やかな賠償の徹底。3、和解仲介案の尊重)で最後の最後まで賠償していくと言ったが、なんのことはない。たとえば私は10年間群馬に避難して、原発事故の原因追及と完全賠償ということで裁判闘争した。避難では、自営業の夫の生業継続のため中古の家を購入、引っ越しやその他で2000万円くらいかかったので、その分を賠償して欲しいと、全て領収書をつけ、要求した。結果として裁判所が認めた賠償金額は25万円だった。2000万円に対して25万円。
 私は原発から34kmのところに住んでいた。30kmから外は「自主避難」とか「自主的避難」とか言われたが、私は「自力避難」と言っている。国は、東京高裁の第8準備書面で、簡単に言うと「自主避難した者に賠償をしたら、国土の評価が下がる」と陳述した。お前たちが勝手に逃げるから、避難区域が広がって汚れた地域が広がって、日本という国が放射能まみれと思われる。そんなことは困るから、お前たちには金はやらない、賠償しない、という理屈だ。
 国土の評価を下げたのは、自主避難者ではない。だが国は、国が決めた30km圏内の人には賠償するが、そこから1mでも離れた人に賠償するのは国土の評価を下げることになるから、一円も賠償しないということを言っている。私は10年間闘って25万円の賠償。国の責任も問えなかった。25万円では裁判印紙代にも、裁判所へ通った交通費にもならない。そうやって闘っているのを見ている人たちが、「ああ、オレはもうあんな裁判はやらないよ」と思ってしまう。避難指示区域では相応の賠償をされた人もいるが、いずれにせよ、お金で元の暮らしは戻せない。被災者同士の分断が起きている。コミュニティが壊されていく。

廃炉中期ロードマップ

 東電は、昨年の12月までに溶け落ちた福島第一原発の燃料デブリを取り出すと言っていたが、結局2号機から取り出すことはできず、今年の10月くらいから方法を変えてやると報道された。しかしまぁ、デブリ取り出しはできないだろう。仮に1〜3号機のデブリ全量推定880tを取り出せたとしても、最終処分の見通しはない。40年で廃炉を完了するというが既に12年経っているから、今後の28年間で取り出すとしたら、毎日休みなく80kgずつ取り出さなければならない。12年間で1gも取り出せていないのに。
 2022年3月には、1号機と3号機の原子炉格納容器の蓋(シールドプラグ)に途方もない高濃度の放射性物質が付着していることが発表された。その量は合計で、原発事故の際の拡散量の23倍以上だという。濃度が7京ベクレル(「京」は10の16乗の単位)ということから、福島では「7京問題」と呼んでいる。とてつもない数値だ。ただでさえ老化が激しい建屋、台風、大雨など廃炉作業中に何かあったら、関東全域が避難地域となるかもしれない。
 廃炉に伴い発生する「原子炉建屋構造物や制御棒」なども、国はこれを低レベル放射性廃棄物と言っているが、かなりの高線量廃棄物だ。これが28tもある。結局、廃炉とはどういう形を最終形とするのか、国は一切答えない。コンクリート詰めにして廃炉にするのか、元の更地にするのか分からないが、規制委員会は、全て地下70mより深く埋めて400年は東京電力が管理し、その後10万年は隔離保管と、平気で言う。400年間、東京電力があるわけがない。もちろん、私たちも生きてはいない。
 本当は、廃炉など現実的ではない。世代や時代を超えても終わらないのだと思う。そういうことを、しみじみと感じる。

喫緊の問題、汚染水処理

 2023年9月8日に福島地裁に「ALPS処理汚染水放出差し止め訴訟」を提起した。裁判を始めるにあたって、国が「ALPS処理水」と呼ぶ1000基のタンクに溜まった水を、「汚染水」と呼んでは最初から喧嘩になってしまうので、私たちはこれを「ALPS処理汚染水」と呼んでいる。ALPS処理をしたと明記しているから良いでしょう? でも汚染が取りきれていずに汚染水なのははっきりしているから「ALPS処理汚染水」と名付けて訴状を提出したら、裁判所はすんなり受け取った。何の疑問も持たなかったようだったから、裁判所職員も「汚染水」だと認めたのだろう。
 原発事故は、地震・津波・人災が重なって、日本史上最大の公害事件になった。この「公害」という言葉が嫌だと言う人がいる。公害というと、その地域は全て汚されてしまったというふうに聞こえる、そんな所で暮らしていると思われるのは嫌だから、公害と言わないでくれというわけだ。
 また被災者の中には「健康手帳」を配布してくれと言う人がいるが、それに対して「とんでもない。俺たちは放射能被害者だと言われ続けるのは嫌だ」と反対する人もいる。
 そういう中で私は、福島第一原発事故は「日本史上最大最悪の放射能公害」だと言うものだから、「丹治杉江は福島の歩く風評加害者だ」とレッテルを貼られている。何を貼られても構わない、地域の人にしてみれば、それくらい辛いことなのだと理解している。しかし、今回の汚染水問題は二重の加害になる。一度目は原発事故で地域を汚染し、暮らしを奪い、今度は意図的に汚染水であることがわかっているものを海に流し続ける。二重の加害だ。こんなことはまず、法律的な問題の前に道徳的な倫理の欠如であり、基本的生活権の侵害だということで裁判を始めた。
 国は「ALPS処理汚染水」は薄めて基準値以下にすれば海に流して良いと主張するが、そもそも基準値には異論があり、危険性のあるものは環境から隔離しておくのが安全対策の基本だ。海洋放出は漁業関係者の同意を得ておらず、「合意の捏造」だ。
 ぜひお配りしたお手元のニュースを読んでいただき、裁判を支援する会に入っていただけたらと思う。良心的なメディアの方からも「これは汚染水だ、それを処理水というのはおかしいと思ってもそう書くのはデスクが許さない、なかなか本当のことが書けない」という声を聞く。そして、「丹治さんたちが裁判をやってくれると『原告がこう言っています』と、自分が思うことを原告が言っているという代弁の形で書けるから、どんどん裁判をやってくれ」と言う。そこまでマスコミが落ちたかと情けなく思うが、本音なんだろう。「丹治さん、裁判ではこういう点が問題なのだとはっきりと言ってほしい。そうしたらそれをはっきり書かせてもらいます」と言う。
 だから裁判は国、東電に放出をやめさせるのが最大の目的だが、もう一つの目的は何が問題で何が民主主義に反しているのか、何が倫理観の欠如なのかをマスコミに書いてもらい、国民世論を広げることだ。3月4日、福島地裁で第1回口頭弁論が開かれる。ぜひご参加ください。
 大きな争点は二つある。一つは、「処理水」といわれているそれが紛れもない「汚染水」であること。もう一点は、別の処理法があるのになぜ海洋放出なのかという問題だ。原子力市民委員会座長で龍谷大学教授の大島堅一氏は、汚染水の海洋放出の代案を挙げている。「10万t級大型タンク建設による長期保管」案や「モルタル固化処分」案、「広域遮水壁」案があり、広域遮水壁は現在の「ダダ漏れ」凍土壁の半額で造れるという。
 さらに、今も続く汚染水の発生を止めなければ、いくら海に流しても、後から後からどんどん発生し、40年50年と廃炉が終わるまで海洋放出は続いてしまう。たとえ海洋放出しても、建屋に地下水が入って汚染されるのを防ぐ「長期凍土壁」の寿命も心配されている。まずは発生を止めることが重要だ。

『女性自身』の記事から

 『女性自身』2023年8月22、29合併号には、次のような記事が載っていた。大手メディアが書かないような記事を、しっかりと載せている。
 2020年の試算では、処分方法によってかかる年月と費用は下記のようになるとされていた。
 「地層注入」の場合は処分にかかる年月は8年8ヶ月で費用は3,976億円。
 「海洋放出」では処分に7年7ヶ月かかり、費用は34億円。
 「水蒸気放出」は10年かかり、費用は349億円。
 「水素放出」では8年10ヶ月かかって、1,000億円。
 「地下埋設」の場合は8年2ヶ月かかって、費用は2,533億円。
 これを受けて国は、海洋放出は他の4つの処分方法に比べても最も安価で、かかる年月も短く安全で、福島復興に一番良いと言っていた。しかし現在の試算では、30年以上かかり費用は海底トンネルなどの建設費用も含めて430億円となる。当初考えていた海洋放出のスキームがあまりにもお粗末すぎた。
 一方で政府は、海洋放出の安全性アピールのために多額の税金を注ぎ込んでいる。「ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策費」「ALPS処理水の海洋放出に伴う影響を乗り越えるための漁業者支援事業」「風評払拭・リスクコミュニケーション強化戦略」「原子力災害等情報発信事業補助金」などなどで合計1,300億円以上の血税が注ぎ込まれる。
 ここでいう「原子力災害情報発信事業」とは双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」における理解醸成のための資金で、予算は1.9億円となっている。職員の人材育成やそのための資料代などだそうだ。しかし、この施設は例えば原発事故による避難者数なども明示しておらず、被害の実相は伝わってこない。そうしたことを伝承するよりもむしろ、事故後に新たに起こされた産業や企業などについて詳しく紹介され、あたかも事故は収束して復興に邁進している印象を与える。「災害情報発信事業」の目的がはっきりとわかるのではないか。
 また、ALPS処理の作業でも作業員が汚染廃液を浴びて被ばくした。ジャーナリストのまさのあつこさんやおしどりマコさんが情報発信してくれているが、実態はなかなか分からない。

言葉を操るな!

 このトークの会でも配布されている「こどけん通信」という冊子のバックナンバーに、こんな記事があった。
 「『ここで生まれたし、ここで生きてきたんだ。それが、ここが汚れているとか何ベクレルとか言われても、自分にはここで生きていく現実しかない。ここで耕作して、魚も獲ってきたし、これからもそうするだけだ』。この一部の住民の語りが、『現実を受け入れ前向きに生きている』地元の人々のスタイルとして語り変えられ、利用されている。ルポ風の記事やドキュメンタリーに、地元住民に味方する素振りを見せながら、こうした語りを通じて汚染の事実を不問にし、汚染した者を免責するメッセージが忍ばせられている。
 『汚染してるとか、汚染地域とか、そんなことは地元民には関係ない。無意識に我々が使っている汚染という言葉が、いかに無神経か考えさせられます』などというTVのコメンテーター、司会者。これで締め括られれば免責のストーリーは完全に出来上がる。
 でも、この住民の言葉は汚染が生活と関係ないということを意味するものではないし、汚染の原因をつくった者の責任を問わないことを正当化するものでもない。にもかかわらず、その住民の言葉は一部の詩人や小説家、漫画家、映像作家たちにとって『大地に生きる者』『ふるさとに生きる者』の物語として、巧妙に語り変えられて、免責のために使われてしまう。そこに生きるしかない人が居るとしても、それは別の話だ。汚染の原因を作り、さらなる汚染を引き起こそうとしている者の責任は、しっかりと問われなければならない。
 言葉を操られてはいけない。いつか子どもたちが、今はない言葉で僕たちを蔑まないように、言葉を大切にしよう」
 こう書かれていた。

ふるさとは福島だ

 きっと今年の3月11日には「福島ではこんなお祭りが盛大に行われています」とか「地元にはこんなに大勢が帰ってきていて、生き生きと暮らしています」というようなことが報道されると思う。本当に復興が進んで、安心して暮らせる福島になっているかというと、それは違う。安心して暮らせるようになってはいない。こうした報道は、加害者を見えなくさせる。加害者を訴えて被害の実態を告発する私たちのような告発者(風評加害者? 風評ではない! 実害だ)を、応援してほしいと思う。
 避難先の群馬で10年間暮らして、そこから発信している時は言葉を発することが楽だった。「福島では今こういうことが起きています」と言っても誰からも文句を言われなかったが、いま福島で講演会をやろうものなら「やめてくれ、そういう話は。俺たちが住んでいる所が、差別、区別、偏見の対象になるだけなんだから、もうそういう講演会はやめてくれ」と言われることがある。福島で、被災地で暮らす苦しさがここにあることを感じる。
 でも、真実は伝えるしかない。こうした中で折り合いをつけながら懸命に、放射能と長期低線量被ばくと闘う人たちに寄り添うとはどういうことなのかを皆さんに一緒に考えていただきたい。声高に「原発止めろ」とか「被ばく者守れ」というのは簡単だが、残念ながら毎週金曜日に東京で行われていた、太鼓叩いて笛吹いてというあのデモに対して、私は違和感を持っていた。ちょっと違うんじゃないかという声を、避難者からもたくさん聞いた。
 避難した人は避難先で「避難者がいるから『ふるさと』を歌いましょう」と言われる。寄り添いたいと思っていただいていることはわかるが、この歌は本当に辛かった。私は原発事故前はあの歌は国歌にしても良いと思うほど、大好きな歌だった。だが、避難してからはあの歌は耐えられない。ふるさと福島の山は緑豊かで、水は清らかで、はるか海原の水は青い……。しかし今は汚されて、帰りたくても、帰ることをとまどう地域もあるのだ。そういう難しさがあることを、率直に知ってほしい。

「ALPS処理水について知ってほしい3つのこと」

 復興庁が学校現場に配布したチラシがある。見たことある人はいますか?
 「ALPS処理水に含まれている物質は身の回りにたくさんあって危険なものではなく安全だ」と言葉を連ねたチラシで、復興庁が文科省も通さず各自治体の教育委員会も通さず、日本中の学校に配布したものだ。
 教職員組合があるところは先生が気づいて配布しなかったケースもあるが、復興庁という国の機関が出しているものだからと、配ってしまった学校もある。こんなことが図入りで書かれている。
 1、トリチウム(三重水素)は、身の回りにたくさんあります。雨水、海水、水道水などにはもちろん、私たちの体の中にもあります。
 2、トリチウムの健康への影響は心配ありません。体内に入っても蓄積されず、水と一緒に排出されます。
 3、世界でも海に流しています。世界中の原子力発電所でも、トリチウムが海や大空に放出されています。
 そんなふうに書かれているチラシだ。
 こうやって、子どもたちを取り込んでいく。真実を伝えず、騙したり嘘をついたり、過小評価したりだが、こうしたことが原発の周りでは嫌というほど行われている。
 双葉町の伝承館には日本中の学校から修学旅行で子どもたちが来ている。事故を起こした原発から5kmほどしか離れていない伝承館に来させ、「復興している福島を学習」させる。トリチウムは137万リットルの処理水の中に目薬一本分しか含まれていないといい、実際の放射能の総量や放出期間、食物連鎖による内部被ばくなどについてはごまかし、嘘をつく。基準値越えの汚染水を海水で希釈して海に流すという。それは例えば、味噌汁の味が濃くてしょっぱいからお湯で薄めればいいということ? 結局、味噌汁を全部飲んでしまうのなら、味の濃い少量の味噌汁を飲むのも、薄めた味噌汁を大量に飲むのも、摂取した塩分量は変わらない。こんな小学生でもわかることを誤魔化して伝えるという信じられない不正義が行われ始めた。

能登半島地震と原発

 能登半島地震は発生から1週間以上も震度5強以上の揺れが発生していた。石川県の珠洲市には4、5mの津波が押し寄せ、能登半島の北側では海底が露出するほど地盤が隆起した。輪島では4mほどの隆起を観測、多くの被災者が出た。
 能登半島地震の震源地近くに北陸電力の志賀原発1、2号機がある。4基建設予定だったが住民の反対で2基になった。志賀原発建設以前に珠洲市でも関西電力、中部電力、北陸電力による「珠洲原発」建設計画があったが、住民の反対運動で実現しなかった。
 志賀原発1号機は1993年に稼働し、2号機は2006年に稼働していたが、1号機は3・11の少し前から、2号機は3・11後から、ともに動いていない。志賀原発が稼働していなくてよかった! 珠洲に原発が無くてよかった! 万一志賀原発が事故を起こしていたら、地元住民は避難路もなく逃げることもできず、見捨てられるだけだったろう。
 能登地方の断層は複雑で、大きな断層でないように見えても複数の活断層帯が連動して地震を引き起こす可能性が指摘されていた。そして、今回の震源となった150キロにわたる断層は、あらかじめ知られていた断層ではなかった。日本中が断層だらけ、危険な地震列島なのだ。
 原発の耐震基準は600〜1000ガル。今回の志賀町の観測点で2828ガルが観測された。2000ガルを超えるような地震が実際に観測されているのに、原発の耐震基準はこんなに低い。「そんな地震は滅多に来ない。活断層を避けて建設すれば大丈夫。耐震基準を高くするとコストが上がって割の合わない発電になってしまう」などが、その理由なのだろう。三井ホームの耐震基準は5115ガル、住友林業は3406ガルで、原発は一般住宅の耐震基準よりも低い耐震設計だ。地震大国で許される耐震設計でないことが明白な以上、原発はまず、全て止めて一日も早い廃炉方針に切り替えるしか国民の安全はない。
 志賀原発は事故を起こさなかったが、油漏れを起こし放射性物質を含んだ水が海に流出した。対処にあたった作業員の被ばくが心配される。モニタリングポストの一部も壊れた。放射能被ばくから逃れるには、遠く離れる、屋内で外部から遮断する、水で洗う、それしかない。しかし、道路は寸断され、家屋は崩れ落ち、断水。どうやって身を守ればよいのか。
 原発作業員の被ばく問題はなかなか表に出ない。作業員たちは皮膚についた放射能を落とすには、タワシで、ゴシゴシ体を擦り皮膚が擦れて血が滲むまで洗う、体毛を全部カミソリで剃るなどしたと、元作業員から聞いた。

人類と原発は共存できない

 3・11以降、政府は、可能な限り原発依存を低減し、新増設は考えていないと説明してきたが、岸田内閣は2023年5月にGX脱炭素電源法並びにGX推進法を成立させ、原発回帰を宣言し、建設から60年超の原発運転を認めた。原発回帰は、財界と電力会社の儲けのためだ。さらに核燃サイクルを手放さない理由として武器への転用があるとされる。岸田政権の、復興特別税の防衛費流用や原発政策はアメリカや財界の意に沿うことであり、私たち市民の願う社会とは真逆の道を進むものではないか。もし、本当に中国や北朝鮮が攻めてくると思うのなら、海岸沿いに設置されていて一番の攻撃目標となる原発は直ちに止めるべきだ。人類と原発は共存などできない。私たちは「原発事故を経験した」歴史の証言者として、声を上げ続けよう。

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。