第676回:ギャンブル依存症が背景にあった「池袋通り魔殺人事件」の巻(雨宮処凛)

 「水原一平さんは仲間です」

 4月27日、そんなキャッチコピーを掲げた「こわれ者の祭典」に出演した。

 さまざまな病や障害や生きづらさを抱える人たちのパフォーマンスイベントである「こわれ者の祭典」については前回の原稿で書いた通りだ。この日、こわれ者メンバーたちは閉鎖病棟に入院していた時期や強烈な自殺願望を持っていた時期を振り返る渾身のパフォーマンスを披露。会場を爆笑と涙と共感の渦に包んでいた。

 そんなイベントでのトークで、話題はやはりギャンブル依存症のことに。

 ちなみに私が依存症について詳しく知ったのも「こわれ者の祭典」がきっかけだった。ちょうど田代まさし氏が何度目かの逮捕をされた頃に開催された「こわれ者の祭典」でその話題になったのだが、当時の世間は田代氏にドン引きムード。そのことに触れた月乃光司さんは、そうやって社会的信用を失って孤立していくことこそが依存症の症状で、それを責めるのは一番意味がないという内容のことを力説。その手の話を始めて聞いた私は深く納得したのだった。

 さて、では今回、ギャンブル依存症問題について話したことを改めて書きたいと思う。

 私が話したのは、ギャンブル依存症がきっかけとなって起きたある事件について。

 犯人は、私と同じ1975年生まれ。23歳で事件を起こし、2007年、死刑が確定。今は死刑執行を待つ身である。

 その人の名は、造田博。99年に起きた「池袋通り魔殺人事件」の犯人だ。

 事件が起きたのは9月8日の午前11時半頃。造田は池袋の繁華街で包丁と金槌を手に、「むかついた、ぶっ殺す!」と叫び、次々と通行人に襲いかかる。死者2名、負傷者9名。白昼の大惨事だった。

 犯行当時、東京の新聞販売所に住み込みで働いていた造田だが、出身は岡山県。ここで『池袋通り魔との往復書簡』を参考に彼の生い立ちを振り返ると、大工の父とミシンの内職をする母のもとに生まれ、幼少期は安定した暮らしぶりだったようだ。

 そんな生活が一変したのは、80年頃、同居していた祖父母が他界したことによる。遺産が入った父親はパチンコや競艇などのギャンブルにハマり、ついで母親も同じような状態になってしまうのだ。

 が、そんな中でも造田は目標に向かって努力していた。中学3年生で猛勉強を始め、県内有数の進学校に合格。学者か医者になりたいという夢を持ち、大学進学を目指していた。

 しかし、そんな彼の夢は両親の借金によって奪われる。ギャンブルに明け暮れた両親が消費者金融や知人から重ねた借金総額は5000万円。借金取りが押し寄せる家に両親は寄り付かなくなり、深夜、造田に食費だけ渡すと姿をくらます生活が一年ほど続き、彼が17歳の頃、ついに失踪してしまうのだ。

 「うちの両親、どこに行ったか知りませんか?」と近所の家に慌てて駆け込んだ彼は、事件後も両親の失踪について、「思い出すと今でも悲しくなり涙が出る」と供述している。

 そうしてギャンブルによって両親が消えた17歳から事件を起こすまでの6年間、彼は嫌というほど辛酸を舐め尽くす。

 猛勉強して入った進学校は学費が払えず、すでに退学になっていた。親戚を頼ろうにも、両親が借金をしているので頼れない。兄を頼って広島県福山市に行きパチンコ屋でバイトを始めたのを皮切りに、彼は全国を、職と住む場所を求めて漂流していく。ついた仕事はビルの清掃や自動車下請け工場、土木作業員、船の塗装、機械工場など。どれも住み込みだ。そうして仕事のない時期は駅や公園でホームレス生活。「ネットカフェ難民」などまだ存在しない90年代なかば、20歳そこそこの若きホームレスを、この国の誰一人として助けなかった。

 そうして両親の失踪から6年後、事件は起きる。

 彼がしたことは決して許されることではない。一方、ギャンブル依存という視点から見てみると、造田も一人の被害者ではないだろうか。

 もし、両親がギャンブルにハマらなければ。造田の未来が潰されることはなく、よって事件で二人の命が奪われることもなかっただろう。あるいは、もし両親がギャンブル依存症の治療を受けられていたら。しかし、当時の日本では依存症に対する理解もなく、つながれる場も絶望的に少なかったことが予想される。

 そうしてこのたび、世界的に有名な野球選手の通訳の違法賭博という形でギャンブル依存症が大きな注目を集めた。

 水原氏の事件を受けた報道を見ていると、ギャンブル依存症への理解は以前より深まりつつあるように思える。決して本人の「甘え」などではなく、精神論云々ではどうにもならないものであるという情報が広まりつつあるのを感じる。それはいいことだが、そんな報道を見ていて、ふと25年前の悲劇を思い出したのだ。

 もし、両親のギャンブルによって人生が激変しなければ。もう50歳近い造田博は死刑執行を待つ身ではなく、今頃、優秀な学者か医者になっていたかもしれない。

 殺害された人たちも、それぞれの夢を叶えたり、自らの道を進むなりしていただろう。

 四半世紀前、そんな悲劇が起きたこの国で、今、大阪でカジノ開業に向けた準備が進められている。

 このことに、大きな疑問を感じているのは私だけではないはずだ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。