冤罪を学び、冤罪に学ぶ~元裁判官の弁護士による冤罪研究・救済の取組み~講師:西 愛礼氏

ある日突然、身に覚えのない容疑をかけられ、逮捕・拘留される。無実を主張しても聞いてもらえず、ついに起訴・有罪判決へ──。そんなことが、自分や家族の身に起こったらどうしますか? 
「冤罪」についての研究を続ける元裁判官で弁護士の西愛礼さんは昨年、初の単著となる『冤罪学 冤罪に学ぶ原因と再発防止』(日本評論社)を出版しました。なぜ冤罪は起こってしまうのか。どうすれば再発を防げるのか。ご自身の経験も交えてお話しいただきました。[2024年3月16日(土)@渋谷本校]

冤罪は「めったに起きない遠い問題」ではない

 冤罪とは辞書の定義によれば、罪がないのに疑われること、また罰せられることの両方を指す言葉です。そんなこと、めったに起きないのではないかと思う方もいるかもしれません。
 しかし、日本で一年間に起訴される刑事裁判は4万2278件もあります。どれほど優秀な裁判官だったとしても、間違う可能性がゼロということはあり得ません。仮に判断を誤る率を相当に低く、0.1%と見積もっても、年間に42件は冤罪が生まれることになります。あるいは、一人の裁判官が任官からの30年、年間100件の刑事裁判を担当したとしたら、誤る確率が0.1%だとしても、3件は冤罪を起こしているという計算になるわけです。
 こう考えると、人が必ず間違うものである以上、冤罪というのはそれほど私たちから遠いものではないといえるでしょう。
 私は千葉地裁で3年間裁判官をしていた間に、6人に対して無罪判決を宣告しました。すべて私一人の判断ではなく、合議体の判断として出した判決です。
 最初に無罪判決を言い渡したとき、涙を流して家族と抱き合う被告人の姿を見つめながらも、私は一つの不安を抱きました。その裁判は小さな事件で、メディアに報道されることも、判例としてどこかで取り上げられることも、おそらくはない。ということは、なぜ被告人が無罪なのに逮捕されてしまったのか、つまりなぜ冤罪が起こってしまったのか、その構造的な原因は誰にも究明されないまま終わってしまうのではないか。そうなれば、また同じような冤罪事件が起きてしまうかもしれない。そう考えたのです。
 しかしそのときは、まだ2年目の新米裁判官だったこともあり、その懸念に対して答えを見出すことはできませんでした。一人の裁判官にできることには限界があるし、世の中の全ての冤罪を防ぐなどというのは自分の手に余る。そう感じて、結局はもやもやを抱えたまま裁判官生活を終えることになったのです。
 その後、弁護士になった後に、私は再び冤罪事件と出会うことになります。一部上場企業「プレサンスコーポレーション」の社長であった山岸忍さんが、業務上横領の疑いで逮捕・起訴されたという事件でした。私を含む弁護団は、そもそも山岸さんが業務上横領に関与するような状況はなかったということを裁判で立証し、無罪判決を勝ち取ったのです。
 このときは、「なぜ冤罪が生まれたのか」という原因の一部が、取調べの録音録画によって明らかになりました。共犯者とされた2人に対する取調べにおいて、検察官が威迫して自分たちの見立てに沿うような供述をさせていたことが分かったのです。
 判決後、検察も控訴はせず無罪判決が確定。現在、逮捕・起訴は違法であったとして、国家賠償請求訴訟を起こしている最中です。また、山岸さんは「二度と同じような事件を起こしてほしくない、何があったのかを多くの人に伝えたい」と、一部始終を本にまとめて出版されました(『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』文藝春秋)。

「理不尽に立ち向かわなくてはならない」と思った

 私がこのプレサンス元社長冤罪事件に関わるようになったのは、山岸さんの保釈請求(起訴後、拘留されている被告人を釈放するよう求める手続。重大犯罪の場合、また逃亡や証拠隠滅などのおそれが高いと判断された場合などは認められない)を手伝ったのが始まりでした。相当に難しいだろうと思われていた保釈を手を尽くして実現させたのですが、最初に勾留中の山岸さんと接見したときのことが強く印象に残っています。
 山岸さんは一代で一部上場企業を立ち上げた、もともとパワフルでエネルギッシュな方です。その人が「なんとかしてください、このままだと本当に気が狂って廃人になってしまう」と、面会室のアクリル板の向こうから訴えかけてくる。その姿を見ていて、とても辛い気持ちになったのを覚えています。
 無実なのに逮捕されてしまった人は誰でも最初、「自分は無実なんだからきちんと説明すれば分かってもらえるはずだ」と考えます。山岸さんもそうでした。しかし、捜査機関は事件の犯人を検挙し、起訴して処罰を受けさせるのが仕事ですから、「無実です」と言ってもあっさり信じてもらえるとは限りません。そして、山岸さんが「どうして私は何もしていないのに、こんな目に遭わないといけないんですか」と繰り返し言っていたように、いわれのないことで長期間閉じ込められるというのは、それ自体がとても大きな苦痛です。
 さらに、「人質司法」という言葉があります。日本では、逮捕された人が罪を認めずに争っていると、「証拠隠滅や逃亡のおそれがある」といって、長期間にわたって身柄を拘束されたり、接見を禁止されたりする傾向があります。「罪を認めない限り外に出られませんよ」と、自分の体を人質にされて交渉されるわけですね。これを人質司法といって、日本の刑事司法の運用における問題点として批判されています。
 私も裁判官時代から、この人質司法は非常に大きな問題だと考えてきました。そして、山岸さんもまた、まさにこの人質司法に苦しめられていたわけです。
 結局、保釈が認められるまで山岸さんが勾留されていた日数は248日間。無実の人が、それほど長い間、狭い場所に閉じ込められ、太陽の光も浴びられないような状況に置かれていたわけです。これは、理不尽というほかありません。法曹として、この理不尽に立ち向かわなくてはならないと思いました。
 無罪判決を勝ち取る少し前に、山岸さんに「私は、もう二度とこんな事件を起こしたくない。そのための取り組みをしていきたいと思っています」と話したことがあります。山岸さんはそれを聞いて、「まさにそれは私がやってほしいと思っていたことです」と言ってくれました。裁判官時代にももやもやを抱えてはいたけれど、そのときは何も動き出すことができなかった。でも、山岸さんの保釈や無罪判決のために尽力する中で、諦めてはいけないということを学び、今度こそ行動を起こしたいと考えたのです。

冤罪に関する知見をまとめた著書『冤罪学』

 翌日から、冤罪についてのさまざまな本を読みあさりました。その中で感じたのは、過去の冤罪事件と同じ理由によって、また同じような冤罪が繰り返されているケースがいくつもあるということでした。私が裁判官のときに抱いた懸念──原因が検証されなければ、また同じことが繰り返されてしまう──が、的中してしまっていたわけです。
 たとえば、虚偽の自白。あるいは、プレサンス元社長冤罪事件のときのような共犯者の虚偽供述。どちらも、何度もいろんな事件で同じようなことが起こっていることが分かりました。それは、過去の冤罪の教訓がまったく生かされていないからです。再発防止策が十分に取られず、冤罪が起こる原因がそのまま放置されて、同じような冤罪事件が繰り返されてきたということになります。
 これを止めるために、では何をすればいいか。まずは冤罪を学び、冤罪に学ぶことではないか。それが冤罪の再発防止につながるのではないかと考えました。
 そこで、大量の文献を読み込み、世界中の冤罪に関する知見を一冊にまとめようと考えました。それが昨年出版した『冤罪学』です。さまざまな事例や知見を「冤罪原因論」「冤罪予防論」「冤罪救済論」の3つに分けて体系化してまとめました。
 心がけたのは、捜査機関と弁護人と裁判官、冤罪に関わる三者のうちの、どれか一つの立場に偏ったものにはしないということでした。冤罪を防ぐには、「検察が悪い」「裁判官が悪い」などと一部の責任だけを追及するのではなく、三者が協働しなくてはならないと考えたからです。そのために、心理学の知見なども援用しながら、冤罪という事象そのものについて中立客観的に分析するようにしました。冤罪が生まれるメカニズムとして、捜査機関の誤りだけでなく、なぜ弁護士が十分な無罪立証をできないのか、裁判官がなぜ誤った判断をしてしまうのかについても述べています。
 本の出版だけではなく、「冤罪学」を学問としてしっかりと確立させるため、国内外の学会での発表なども行ってきました。また並行して、冤罪被害者の救済活動や、冤罪について多くの人に考えてもらうためのシンポジウム開催などにも携わっています。

冤罪を防ぐことも、被害者を救うことも、一人ではできない

 ここまでいろいろとお話をしてきましたが、冤罪を防ぐための一番重要な方策は「学ぶこと」だというのが私の考えです。過去の事件を学んで将来に生かす。その姿勢が冤罪を起こさないことにつながるのだと思います。
 また、研究を重ねる中で、気づいたことが二つあります。
 一つは、冤罪は一人で作ることはできないということです。冤罪というのは、最初に起こった小さな一つの誤りに、それに連なるさまざまな誤りや思い込みが雪だるまのように積み重なって起こります。たとえば、最初に誤った証拠を見つけた捜査官だけではなく、それを認めた上司、覆せなかった弁護士、誤った判断をした裁判官など、冤罪が生まれるまでの過程にはさまざまな人たちが関わっているのです。私自身もこの先、冤罪を生み出してしまう可能性は十分あると思っています。誰もが冤罪を他人事とせず、全員で協働して冤罪を学び、冤罪に学ぶ必要があります。
 そしてもう一つは、冤罪に遭った人を救うこともまた、一人ではできないということです。冤罪というものがさまざまな誤りの積み重なりであるからこそ、それを解きほぐしていくには多くの人の努力が必要です。プレサンス元社長冤罪事件でも、無罪判決を得て山岸さんを助けられたのは、弁護団みんなの努力とともに、主張の下支えになった過去の判決や研究があってこそだったと思います。
 ですから、冤罪を防ぐことも、冤罪から救うことも、私一人の力では不可能です。ぜひたくさんの方に、この問題に一緒に取り組んでいただきたいと思っています。

にし・よしゆき 一橋大学法学部卒業後、司法試験に合格し、2016年に千葉地方裁判所判事補任官。東京地方裁判所判事補を経て、2021年に依頼退官。しんゆう法律事務所(2024年に後藤・しんゆう法律事務所に改称)に入所し、弁護士として活動。冤罪の研究・救済にも取り組む。著書に『冤罪学 冤罪に学ぶ原因と再発防止』(日本評論社、2023年)。

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