原題は「Erasmus in Gaza」。エラスムスって人名じゃなかったっけと思って調べると、EUの交換留学制度「エラスムス・プログラム」のことだった。EU域内の留学制度として長い歴史をもち、映画の中の会話でも「エラスムス」がそのまま「留学」の意味で使われている。
本作は、この制度を使って初めてパレスチナ・ガザ地区に留学したイタリア人学生の経験を追うドキュメンタリー。主人公のリッカルドは救急外科医をめざす医学生で、爆発性弾丸による銃創の治療を研究テーマに、自らガザへの留学を希望した。
冒頭から立ちはだかるのは、ガザへ入域する手続きの複雑さだ。イスラエル軍のゲート、パレスチナ自治政府のゲート、そしてガザを実効支配するハマスの管理するゲート。それぞれで許可を得なくてはならず、何時間も待たされる。
リッカルドを受け入れるのはガザのイスラーム大学。美しい校舎の並ぶキャンパスで、彼は初の留学生として歓迎され、さっそく医学部で学び始める。言葉や教育制度の違いに戸惑いながらも、持ち前のフレンドリーさと積極性を武器に、ガザでの生活に溶け込もうと努力する。
そんな彼にとって大きな手助けになったのは、ホストファミリーであるジャッド家の年の近い兄弟たちと、大学で彼の世話役をつとめる医学生のサアディだ。彼らの楽しげな会話は、宗教や国籍の違いをあっさり乗り越える若者の力を感じさせ、見ているこちらの頬もゆるませてくれる。
驚くのはガザの教育水準の高さだ。ジャッド家の兄弟はそれぞれ弁護士などの専門職をもち、サアディら学生もリッカルドと同レベルの流暢な英語を話す。
けれども、彼らはガザの外に出ることができない。域外に出るビザを得るには、宝くじに当たるような幸運が必要だ。それを手に入れることは、すべてを手に入れるのと同じだと語りながら、彼らの表情には憧れと後ろめたさが同時に浮かぶ。ガザを出ることは、親兄弟を置いていくこと、自分の故郷を捨てることに等しいからだ。才能と野心を備えた若者たちが、未来に希望を見いだせないまま生きざるを得ない閉塞感が伝わってくる。
(C)2021 Arpa Films
途中、イスラエル軍による空爆が強まり、安全のためにリッカルドは一時ガザ域外に避難する。家族に無事を知らせるビデオ通話で彼は、絞り出すように言う。
「もう今すぐにでも帰りたいよ。…何が最悪かって、僕は帰れる。でもサアディは帰れない。アダムも帰れない。彼の家族も。…ただパスポートが違うってだけで。壁の反対側に生まれたってだけで」
この後ろめたさの感覚は、この半年以上、悲惨なガザの状況を画面ごしに見るしかない私たちの感じる苦しさとも通じている。
リッカルドの留学ははじめから期限が決まっている。彼はいずれ平穏な大学生活に戻る。しかし、それを知っているからこそなのか、彼はあえてハードな現場にも飛び込んでいく。
当時ガザでは「帰還の行進」と呼ばれる大規模な抵抗運動が起こり、イスラエルとの境界付近ではデモ参加者がイスラエル軍の狙撃によって次々と負傷していた。担ぎ込まれてくる負傷者をガザの医師と一緒に治療するリッカルド。20歳そこそこの医学生には過酷すぎる現場だ。
しかし、これが昨年10月7日のハマスによる越境攻撃(と、そこから始まったイスラエル軍の過剰な報復攻撃)のはるか以前から続く占領の現実なのだ。負傷者の中には10代の少年や幼児もいる。「過激組織ハマス」とイスラエルの対立、という図式とはかけ離れた現実がそこにある。
本作は、留学生であるリッカルドの目を通して、ガザの人々の日常と、それを覆う占領の現実、そして抵抗の信念を、「外国人」である私たちにも伝えてくれる。前記のように、決して暗く深刻なシーンばかりではない。若者たちの友情やジョークの応酬は明るい気持ちにさせてくれるし、素朴だが豊かなガザの生活文化を知ることもできる。
しかし、映像の中に登場する大学も病院も、そして街並みも、昨年来の攻撃ですでに破壊されつくし、この世にはもう存在しない。その事実を知りつつ見ることは大きな喪失感を伴うが、それでも見てほしい。ここに確かに存在した人々の営みを知るために。
(鰯田礁)
(C)2021 Arpa Films
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6/22(土)①14:00-15:45 ②18:30-20:15「医学生 ガザへ行く」上映会@多摩
主催:多摩からパレスチナを想うワークショップ
会場:日野市東部会館(多摩モノレール「万願寺」駅から徒歩5分)
https://tama4gaza.peatix.com/
6/23(日)14:00-16:30 映画『医学生 ガザへ行く』上映会&トーク
主催:特定非営利活動法人 パレスチナ子どものキャンペーン
会場:東京大学駒場キャンパス 18号館ホール(京王井の頭線「駒場東大前」駅から徒歩5分)
https://ccp-ngo.jp/news/#1559
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『医学生 ガザへ行く』 公式HP
https://unitedpeople.jp/archives/4501