第317回:ぼくは“頭ポンポン”の側には立たない(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

選挙後のうら淋しい光景

 まだ都知事選の余波がおさまらない。とくに蓮舫さんには、バッシング、揶揄、皮肉、罵倒などが、イヤになるほど押し寄せている。日本人の中に、こんなに薄汚い連中が多かったのかと、暗然たる気持ちになる。
 蓮舫さんは立派に戦い、そして敗れた。それだけではないか。
 敗因を分析したり、次の選挙に生かすことを考えたりするのは当たり前だ。ところが、そこに食いつく毒虫たちがわんさか湧き出てきた。うら淋しい光景だ。

 一躍“時の人”となった石丸伸二氏だが、選挙後に出演したテレビなどから、その本性がすっかりバレてしまった。ことに「女子ども」や「頭ポンポン」なんて発言は、「なんだ、コイツはこんなヤツだったのか感」丸出しである。さらに「一夫多妻制」まで持ち出すなど、常軌を逸している。
 まともに質問に答えず、答えをはぐらかし、わけの分からないヘリクツを述べ、さらにはマウントを取って相手をバカにし、挙句の果てに冷笑する。そんな石丸氏の話法には「石丸構文」との名称までつけられている。
 しかも、完全無党派を標榜しながら、実は裏で維新に接近していたことが報道された。「なんだ、維新を断ったのは単なる選挙戦術だったのか」と、がっかりさせられた人たちも多かったようだ。

興味深いインタビュー

 この石丸氏の選挙に関して、とても面白いインタビューが載っていた(朝日新聞7月13日付)。「『受け皿』になるために 問われる野党」という連載記事である。これは、石丸選対の事務局長を務めた藤川晋之助氏に訊いたものだ。
 この藤川氏というのはどんな人物か。あまり表には出てこないけれど“その筋”では超有名人らしい。この記事では藤川氏のプロフィールを、以下のように紹介している。

ふじかわ・しんのすけ
1953年生まれ。自民党議員秘書を経て大阪市議に。その後は選挙プランナー、政党事務局長などを務める。2022年に「藤川選挙戦略研究所」を設立した。かつては自民党田中派や民主党の小沢グループ、最近は東京を中心に日本維新の会の選挙サポートも担っていた。

 ちなみにウィキペディアにはこう書いていた。

参謀役を務めた選挙は141勝11敗であるとされ、「選挙の神様」とも呼ばれる。

 つまり、選挙の裏方を統括する参謀役として、政治の世界では知らぬ人のないほどの有名人なのだ。その朝日新聞の藤川氏インタビュー記事を少しだけ引用しよう。

都知事選 石丸氏165万票の理由
街頭で政策訴えず「長時間演説したって」

 (略)
──なぜ石丸氏は165万以上の票を獲得できたのでしょうか。

 街頭演説を200回超やったが、特徴的なのは、細かい政策を全く言わないことだった。(略)彼は「長い時間演説し、政策を主張したって、今までの政治家は政策や公約を守ったことがあるのか」と言う。有権者が本気になって、「この政策こそ必要だ」として投票するような選挙に、今は全くなっていない。

──政策競争ではなく、人気投票になったということですか。

 (民主党に政権交代した)2009年の衆院選挙では、マニフェスト(政権公約)のパンフレットを置いておくだけで100万枚があっという間になくなった。それくらい有権者が政策に関心を持っていた。しかし、民主党はマニフェストを実行せずに終わってしまった。(略)
 政策で勝負しても全然意味がない。(略)そこを直感的に理解した石丸氏だからこそ、ユーチューバーとして無党派層にアプローチするという本領を発揮できた選挙だった。

1回限りの手法 やはり政策必要
 (略)訪れた人たちみんなが投稿するから1回の演説で100万、200万回視聴になる。石丸氏の演説は15分~20分間。普通、演説を炎天下で30~40分聞いたら嫌になる。(略)物足りないと思う人が増えて失速するのではないかと不安があったが杞憂だった。(略)

──政策を街頭で訴えない手法は今後も通用しますか。

 この手法は1回限りだ。熱はやがて冷める。冷めた目で演説を聴いても「また同じことを」と思うだけ。石丸氏にはブレーンがいない。ブレーンを使って政策を組み立てていかないと続かない。やはり幅広い人たちに信頼される政策が必要だ。(聞き手・小林圭)

 藤川氏は、かなり率直に語っている。
 政策などは不要、とにかく顔を広めること、熱狂を拡大させることなどを主眼とし、一緒にやっている感を与えること……、それが基本戦略だったわけだ。政策論争などなくなってしまった現在の選挙戦を、しっかりと認識した上での戦術である。
 「政策を訴えても意味がない」として、政策論争ではなく、いかにユーチューブ等で拡散されるかに重きを置いた戦術だったというのは、まさに今回の石丸ブームを言い当てている。それを、もし石丸氏本人が意図的にやったとしたら、やはりこれは侮れない。だがどうも、これを仕掛けたのは、石丸氏本人ではなかったらしい。
 石丸氏の選挙事務所には、藤川氏の他にも老練達者な人たちが集まっていた。選挙対策本部長には「TOKYO自民党政経塾」塾長代理の小田全宏氏、また、自民党政務調査会会長室長や調査役を歴任した田村重信氏(この人は、統一教会系の世界日報のインターネット番組「パトリオットTV」のキャスターだという)などがいた。
 自民党系、維新系、統一教会系……。
 こういう方々の掌の上で転がされていたとすれば、石丸氏の周りにこれからどういうブレーンが集まるか想像がつきそうだ。

ケンカを売れよ、マスメディアよ

 その老練の選挙名人たちが、今後いかに石丸氏をコントロールして(操って)いくかが問題となるだろう。だがこの熟達者たちは、選挙戦術のプロではあっても、決して政策立案のプロではなさそうだ。
 それは、藤川氏自身が「これは1回限りの手法で、熱はやがて冷める」と言っていることからも分かる。その上で、「石丸氏にはブレーンがいない」と、ある意味で突き放した言葉を吐く。
 しばらくは、テレビ局はいわゆる情報番組を中心に、石丸氏をコメンテーター(らしきもの)として扱うだろう。すでに、民放各社にはかなり出演し始めている。そこで、司会者やアナウンサーが厳しい質問を突きつけるならともかく、言いっ放し、よいしょトーク、ご意見拝聴だけが罷り通るなら、テレビ(マスメディア)への不信感は増大するだけだ。それこそ(手垢のついた言葉だが)“真摯な”激論を期待するのは無いものねだりか。
 新聞はただでさえ各紙とも部数激減の様相だ。
 まるで夜道の臆病者のように、ほんの少しのネット上の批判にもブルってしまって、ケンカ腰の記事などトンと見かけなくなった。評判の悪い「両論併記」などではなく、記者本人、新聞社そのものの厳しい意見を、ぼくは読みたいのだ。石丸氏や小池氏にケンカを売ってみろよ、新聞よ。
 ところがネット上では、朝日新聞政治部の今野忍という記者までも、蓮舫叩きに加担していた。「(蓮舫氏は)共産党べったりなんて事実じゃん」などという、薄っぺらな“感想”をツイート(ポスト)する始末。
 ぼくは今でも「新聞は権力の監視役」であるべきと思っているが、この記者の矛先は「権力へ刃向かう者」へ向いている。彼には、小池都知事にケンカを売るなんて気持ちは毛頭ないのだろうなあ。もし自分をジャーナリストだと規定するなら、同じ熱量で小池氏へ批判をぶつけてみろよ。
 最近『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋、田畑書店)という本を読んだ。ぼくはほんの数回だが、外岡さんに会ったことがある。まさに素晴らしい“朝日新聞記者”だった。残念ながら早逝したが、せめてこの本でも読んでみてくれと、今野記者には伝えたい。恥ずかしくって読めないだろうけれど……。

“もの言う女叩き”に立ち向かえ

 世界は暴力の巷にある。
 トランプ氏が銃撃された。個人の武装社会アメリカを肯定していたトランプ氏が、その銃で撃たれてしまった。皮肉といえば皮肉だ。
 この事件に、TBS系「サンデーモーニング」の膳場貴子キャスターが「プラスのアピールにもなりかねない」と発言したとして、モーレツなバッシングを浴びていた。でもそんなことは、トランプ陣営は当然考えているだろう。
 トランプ陣営が、「銃撃にも屈せぬ我らがヒーロー」として、大々的に打ち出してくるのは、誰が見たって明らかだ。選挙プランナーなら、使わぬ手はあるまい。それこそ「プラスのアピール」である。
 弱々しいバイデンと、屈せぬトランプ。
 さっそく共和党の大統領指名大会では、トランプ・ヒーロー像を全面に押し出した。膳場さんがジャーナリストとして指摘したとおりになったのだ。しかし、そういう現象も無視して、膳場さんに凄まじいバッシングを浴びせる人たち……。
 つまり、この番組のややリベラルな感じが許せないというネット右翼諸氏が、ここぞとばかり吹き上げているのだ。それは実は、蓮舫バッシングにつながるものがある。膳場さんも女性で、しかもきちんとモノを言う。
 前号のコラムで、ぼくは「蓮舫バッシングの原因のひとつは、ミソジニー(女性蔑視・差別)にある」と書いた。同じことが、膳場さんの発言炎上にも見て取れるとぼくは思う。

 NHK朝ドラ『虎に翼』がとても評判がいい。あのドラマは、女性差別構造の中で、どう闘い、どう乗り越え、そしてどう生きて来たかという物語である。ぼくは、朝ドラはこれまではほとんど見たことがなかったのだが、あまりの評判のよさに見始めて、最近は主人公・寅子のファンになっている。
 けれど、あれはドラマの中だから、みんなが安全圏にいて「そうだそうだ」と言い立てているのではないか。もしほんとうに寅子に共感するのなら、現代の「闘う女」「はっきりモノを言う女性」叩きにも、毅然として立ち向かうべきではないのか。
 それでなければ「寅子」を論じる資格なんかない。

 ぼくは、蓮舫さんの側に立った。
 そして膳場さんの側にも立つ。
 決して“頭ポンポン丸”には与しない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。