『マミー』(2024年日本/二村真弘監督)

 「和歌山毒物カレー事件」は、冤罪かもしれない。
 そんな話を初めて聞いたのは、故・鈴木邦男さんからだったような気がする。

 1998年の夏、夏祭りで提供されたカレーに混入していた猛毒のヒ素で、67人がヒ素中毒を発症、4人が命を落とした「和歌山毒物カレー事件」。やがて、近所に住む女性・林眞須美さんが犯人として逮捕され、2009年に最高裁で死刑が確定した。鈴木さんはその有罪に疑問を抱き、死刑囚として獄中にいる眞須美さんを「支援する会」の代表も務めておられた(詳しくはマガ9のコラムにも書いていただいた)。
 でも、最初に「冤罪だ」と聞いたときに頭に浮かんだのは、「えっ、まさか」だった。何も知らないのに、何が「まさか」なのか、という話だけれど、逮捕当時メディアにあふれかえっていた、取材陣にホースで水をぶっかける眞須美さんの映像や、「夫にもヒ素を飲ませて保険金をだまし取っていた」という話の印象があまりに強烈で、「冤罪」といわれてもにわかに信じられなかったのだ。でも、よく考えれば眞須美さん本人はずっと否認していたのだし、「ホースで水をぶっかけた」ことも、「保険金詐欺をした」ことも、カレー事件の無罪有罪とは何も関係がないのだった。
 本作の監督もまた、トークイベントで母親の無実を訴え続ける眞須美さんの長男の話を聞いたことをきっかけに、「冤罪なのかも」という疑問を抱いたという。その疑問に突き動かされるようにして、事件や捜査の関係者を片っ端から訪ね歩き、眞須美さんの長男である浩次さん(仮名)、そして夫の林健治さんにマイクを向ける。
 「仕事で扱っていたヒ素を興味本位で舐めて入院したら保険金が下りて、そこから病みつきになった」という健治さんが「保険金詐欺」の手口についてあけすけに語る場面は、なんとも生々しくて衝撃的だ。さらには「自分で飲んだヒ素の量が多すぎて」意識不明の重体に陥ったとか、浩次さんが語る「家に居候していた人が、睡眠薬を飲んでドブ川に頭から突っ込んでいた」なんていう話まで出てきて、頭がクラクラしてくる。ただ、それが本当ならば、当時メディアなどでさかんに語られた、眞須美さんが一人で詐欺を企て、健治さんや周りの人に無理矢理ヒ素を呑ませたり怪我をさせたりしていたという「ストーリー」は事実ではなく、あくまで合意の上での「共同詐欺」だったことになる。
 さらに、浩次さんが小学生のときのまま「マミー」と呼ぶ獄中の眞須美さんから送られてきた手紙からは、どこにでもいる「普通の母親」の姿も垣間見える。子どもたちに「ママね、今日……」と語りかけ、夫である健治さんとの出会いや、「この人と結婚しようと思った」ときの思いを振り返り……。「どこにでもいるようなおばちゃん」で「教育熱心な母親」だったという浩次さんの言葉に、そうかもしれない、という思いが浮かぶ。
 そして、有罪判決を支えるはずの「証拠」の危うさにも、カメラは切り込んでいく。林家にあったヒ素と、カレーに投入されたヒ素が同じものだった、という専門家の鑑定結果に突きつけられる新たな疑問。「林眞須美がカレーの鍋を覗き込んでいたのを見た」という目撃証言も、かなり離れた場所からのものだったり、眞須美さんの髪型や服装が実際と違っていたり、そもそも「覗き込んでいた」のがヒ素が入っていたのとは別の鍋だったり……と、非常に危ういものだったことが分かってくる。
 しかし、その「危うい」証拠をもとに死刑判決は下され、再審請求は棄却され続けている。それに対する怒りなのか焦りなのか、「ジャーナリズム」の枠を踏み越えて暴走してしまう監督の姿もまた、スクリーンに映し出される……。

 事件の発生から26年。眞須美さんは現在、3度目の再審請求中だ。
 本当に冤罪なのかどうかは分からない。でも、少なくとも「証拠」の多くに疑義が浮かんでいること、そしてその事実がほとんど報道されていない(逮捕当時はあれほどワイドショーを賑わしていたにもかかわらず)ことは確かだ。 
 かつての私のように、「冤罪? まさか」と思った人にこそ、見てほしい。

(西村リユ)

映画『マミー』
8月3日(土)より[東京]シアター・イメージフォーラム、[大阪]第七芸術劇場ほか全国順次
https://mommy-movie.jp/

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