第687回:『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』で取材した、この国の外国人を取り巻くリアル。の巻(雨宮処凛)

 「自分はまわりにいる友だちとは全然違って、生きる権利を持っていないことを知りました」

 この言葉は、日本に住む16歳(当時)の女の子・みさきさん(仮名)のものである。ある集会で、彼女の音声が紹介された。

 なぜ、「生きる権利」がないのか。それはみさきさんが「仮放免」だから。仮放免とは簡単に言うと、日本に滞在するための合法的な資格(在留資格という)がない状態だ。

 「じゃあ、いろいろ権利がなくても仕方ないじゃん」と思う人もいるだろう。が、彼女が生まれたのは日本。以来、この国で暮らし教育を受けてきた。両親が外国人ということを除けば、周りの日本人と変わらない中で育ってきたわけである。

 しかし、彼女の日常には多くの制約がある。仮放免だと、働くことは禁じられているのでバイトができない。健康保険証もなければ住民票もない。よって、身分を証明するものがない。自分の住む都道府県以外に行く時にも、いちいち許可を取らなければならない。例えば東京都に住んでいる人が隣の埼玉県に行くにも許可が必要なのだ。

 この発言をした時の彼女は、高校生。将来についてもっとも考えなければならない時期だが、働くことが禁じられている彼女は自由に「この先」を描けない。授業で「将来の夢」について発表する際は、就けるはずのない職業について考えなければならないのが苦痛だ。

 まわりの友人のようにアルバイトもできないし、友人と県外に出かけようという話になっても嘘をついて断るしかない。

 そんな中でも特につらいのは、「相談できる人がいなかったこと」。自分のような立場の人はなかなかいるものではないし、制度の説明も難しい。だから先生にもカウンセラーにも、そして友人にも自分の境遇を話せない。

 集会ではもう一人、みゆきさん(仮名)という20歳(当時)の大学生の言葉も紹介された。

 日本で生まれ育った彼女も両親が外国人で、やっぱり仮放免。大学3年生で就活準備の年だというのに、このままでは就職もできない。

 「それでも就活準備の授業は毎週あり、正直、気が滅入ります」

 就活自体はできるものの、在留資格がないことはやはり大きな壁になる。彼女は悲痛な声で言った。

 「みんなが持つ子どもの権利は、なぜ私たちに適用されないのでしょうか。不思議で仕方ありません。これらはみんなが持っていて当然の権利です。私たちがそれを欲するのも間違っていないはずなのです。私は就職活動がうまく行かなかった場合、大学を卒業してしまえば、いつ入管に強制送還されるか、いよいよわかりません。私は、ただみんなと同じように日本で働いて生活したいのです」

 日本で生まれ育ったのに、言葉もわからない「母国」に強制送還される一一。こんなことに怯える若者がこの国に存在することを、どれくらいの人が知っているだろう?

 さて、こんなことを書いたのは、8月27日、『難民・移民のわたしたち これからの共生ガイド』を出版するからである。今年のはじめから猛烈に取材してきた一冊がとうとう世に出るのだ。

 思えば2006年から貧困問題に取り組む中で、多くの外国人に出会ってきた。

 「現代の奴隷制度」といわれた外国人実習生・研修生をはじめとして、この連載では1990年代にイランから逃れてきたものの20年以上難民認定されないジャマルさん(その後、カナダにわたって無事に難民認定される)にも取材。また、2015年には徴兵制から逃れて韓国からフランスに亡命したイ・イェダさんに出会い、ともに日本の外国人記者クラブで会見もおこなった。

 2020年からのコロナ禍では、困窮した外国人と多く対峙することになった。ざっと思い出すだけでも、ミャンマー、コンゴ、チリ、トルコ、フィリピン、パキスタン、ガーナ、ネパール、イランなどなどの人の顔が浮かぶ。

 コロナによってさまざまな現場が止まるなどし、仕事を失う外国人が続出したからだ。もちろん日本人も失業したわけだが、首を切られる順番はたいてい外国人が一番先、ついで非正規女性、非正規男性という具合にほぼ決まっていたことを覚えている。

 そうして多くの外国人があっという間に困窮に陥ったわけだが、20年に取材したある外国人は基礎工事の仕事で月収が30万円あったものの、ゼロ円になったと途方に暮れた様子で語った。

 それだけではない。先に「仮放免」だと働けないことに触れたが、そんな仮放免の外国人でも生活できたのは、同国人コミュニティの支えがあったから。働ける在留資格の人が仮放免の人を支える仕組みが機能していたのである。

 しかし、コロナ禍でそれも難しくなった。そうして大勢の外国人が困窮に至り、結果、支援団体にSOSが殺到したというわけである。

 ここにある数字がある。それはコロナ禍、外国人への支援を続けてきた「反貧困ネットワーク」「北関東医療相談会」「移住者と連帯する全国ネットワーク」の3団体が20年4月から22年9月までに外国人支援に使った額。その額、実に1億7324万円。

 人数は、のべ1万人以上。支援金の使途の内訳は、「生活費(食費含む)」が68%、「シェルター・家賃」が18%、「医療費」が14%。給付金の原資の多くは寄付金だが、民間の団体が、2年半で2億円近くを出すというのは「異常事態」である。

 さて、このことから明らかになったのは、それほどこの国には「外国人への公的支援がない」ということである。ネット上には「外国人は生活保護を受けやすい」などのデマが飛び交っているが、それならなぜ、これほどまでに民間団体にSOSが殺到しているのか。

 しかもコロナ禍では、住まいさえ失い路上生活となる外国人も多く生み出された。

 私が世話人をつとめる「反貧困ネットワーク」ではコロナ禍、住まいのない人のためのシェルターを33室新たに開設したが(自前で開設しないと受け入れ先がないという状態のため)、そこに入っている約半分、17世帯が外国人。うち4人が路上からの保護だ。

 ちなみに生活保護についての基礎的なことを書いておくと、働けない仮放免の人は、日本の福祉の対象外でもある。というか、そもそも日本の生活保護制度は日本国民を対象としていて、外国人に対しては「準用」という扱い。『外国人の生存権保障ガイドブック』(生活保護問題対策全国会議)によると、総在留外国人の47.5%がこの「準用」措置の対象外。その結果、生活保護を利用する人のうち、日本人96.7%に対して、外国人は3.3%。「外国人は生活保護を受けやすい」は、現実とかけ離れている言説なのである。

 そんなことからコロナ禍で何度も開催してきた政府交渉の場で、私たちは「外国人への公的支援を」と訴え続けてきた。しかし、今に至るまでゼロ回答。

 唯一ある支援は、国の外郭団体であるRHQ(難民事業本部)の保護費だが、条件は厳しい。

 保護費には生活費、住居費、医療費の3つがあり、生活費はだいたい1人につき月約7万円、住居費が4万円(単身の場合)、医療費は実費が出る(が、一度は自分で立て替えが必要)。

 しかし、原則1回目の難民申請の人に限られ、現在は6ヶ月待ちの状態。支援される期間は基本的に4ヶ月間(延長もできる)。が、そのためには厳しい審査を突破しなければならない。よって受けられる人は少数。また、支援を受けられていても難民申請を却下されてしまえば打ち切られる。

 一方、日本の難民認定率は極端に低く、21年で0.7%。ちなみにイギリスは63.4%、カナダは62.1%、アメリカ32.2%、ドイツは25.9%だ。

 そんな日本で今年6月、「改正」入管法が施行された。

 難民申請を3回以上している人は強制送還の対象になりうることなどを盛り込んだ内容には全国から反対の声が上がり、23年5月の入管法改悪反対デモには7000人が集まったわけだが、この悪法がすでに施行されてしまったのだ。私の周りにはすでに3度以上難民申請をしている人もいる。そんな外国人の多くが、もし強制送還されたなら。良くて刑務所、最悪は死が待っているような状況だ。「強制送還されるくらいなら自殺する」という言葉をいったい何度耳にしただろう。

 そんな「改正」入管法が施行されるのと時を同じくして、最近では「税金滞納」で外国人の永住権を取り上げるような「改正」までもが議論されている。一方、SNS上ではクルド人ヘイトがすごい勢いで広まっている。

 このような状況だからこそ、さまざまな誤解を解き、理解を深めたいと本書を書いた。「14歳の世渡り術」シリーズなので、中学生でも理解できるよう、とにかくわかりやすい作りにした。

 登場してくれる人は難民当事者、支援者、また子どもたちなどさまざまだ。

 まず1章では、ミャンマーから逃れてきた民主活動家でロヒンギャのミョーさん、そして「赤ん坊を殺す儀式」を命じられ、それを拒否したことで殺害予告されアフリカ某国から逃れてきたアリーヤさん(仮名)、また父親がチリの独裁政権に近い仕事をしていたことから命を狙われるようになったペニャさんにご登場頂いた。

 2章では困窮した外国人を支援する「つくろい東京ファンド」の大澤優真さんと「在日クルド人と共に」理事である松澤秀延さんにご登場頂き、3章では外国人の子どもたちに話を聞いた。

 子どもたちの取材では、何度深いため息をついた。

 時に外国人の子どもたちにも向けられる「帰れ」という心ない言葉。

 「でも、私の家族は全員日本にいるし、私も小さいころから日本にいる。帰っても精神的にダメになるかもしれないってことは友だちとも話してます」

 そう語る女子高校生は、6歳で来日。日本語がわからない大人たちが病院や役所に行く時は通訳をし、甥っ子や姪っ子の面倒を見るなど「ヤングケアラー 」的な一面もある生活を送っている。

 もう一人、話を聞いた男子大学生のアリさん(仮名)は、9歳で来日。サッカー少年だったものの、どんなにサッカーが上手くても県外の大会には出られず(仮放免なので県外移動が難しい)、また、親が犯罪者と同一視され、「犯罪者の息子、帰れ」と同級生に言われたこともある。それが嫌で一時期は学校に行かずに公園などで時間を潰していたが、そのことで先生から電話がかかってきても親は日本語がわからないので本人が対応することになる。

 「先生になんて言われたの?」と親に聞かれても、誤魔化すことができてしまうというのは外国人の子どもあるあるかもしれない。また高校生になり、友達みんなでディズニーランドに行こうという話になっても入管に許可されず、一人だけ不参加。入管に行けば、職員からは「(サッカーで)すごいチームからスカウトが来ても、君、就職が禁止だからダメだよ」「どんなにサッカー上手くてもサッカー選手になるのは不可能、国に帰りな」などの言葉を浴びせられる。

 もし、自分だったら、と想像してみてほしい。多感な時期に、ことごとく選択肢を奪われる。しかも、自分の実力とはなんの関係もないところで。

 が、彼はめげなかった。勉学に励み、有名大学に合格したのだ。しかし、このままでは就職もできない。そんな彼に昨年末、大きな転機が訪れた。なんと家族全員の在留資格が出たのだ。14年にわたる「仮放免」の生活が、やっと終わったのである。これで就職もできるしバイトもできる。県外移動もできるし健康保険にも入れるし銀行口座も作ることができる。

 そんな状況を受け、彼は「やっと頑張れる」「やっと未来の計画ができる」と本当に嬉しそうに口にした。

 「大げさかもしれませんが、牢屋から解放された気持ちです」とも。

 そんなアリさんの夢は、国連職員。それを目指して今は猛勉強中で、平和構築や移民の「1.5世」について研究しているという。1.5世とは、子どもの頃に別の国に連れてこられた人。まさにアリさんのような立場だ。

 他にも、日本の難民・移民政策の流れについてを東大准教授の高谷幸さんに、さらに入管問題や「どうしたらウィシュマさんを救えたのか」について、ウィシュマさん遺族の代理人である指宿昭一弁護士にも取材。

 最終章では、「難民・移民フェス」の仕掛け人である金井真紀さんに話を聞いた。

 「日本に住む難民・移民を知る、関わる、応援することができるチャリティフェス」が始まったのは22年6月。これまで都内の公園で5回にわたって開催されてきたのでご存知の方もいるだろう。

 私も参加してきたが、さまざまな肌の色をした人たちが集い、いろいろな言語が飛び交い、あちこちからジャンベ(打楽器)の音やエスニックなスパイスの香りが漂う場所はまさに「多様性」「共生」という言葉が具現化したような空間だった。

 そんな「フェス」のきっかけは、金井さんと仮放免のコンゴ人男性・ジャックさんとの出会いから。働くこともできず、しかし、さまざまな才能溢れる外国人がこの国に多くいることを知った金井さんとその仲間は、「みんなが好きなものとか得意なもの持ち寄って、祭りみたいにしたら面白いんじゃないかって思いついちゃった」ことからフェスを企画。

 そうして、「欲しい未来を一日だけ先取り」するような「難民・移民フェス」が始まった。普段は仮放免で働けないため支援者に頭を下げながら生活している外国人たちが、この日は料理を作ったり、演奏したり歌を歌ったり雑貨やアクセサリーを作ったりとそれぞれの才能を発揮して生き生きと輝く。みんなから「ありがとう」と言われる立場になる。「日本に来て、今日がいちばん嬉しかった」と口にした人もいるという。

 難民・移民に対して自分に何ができるだろうと考えると、なかなか答えは出ない。が、このようなフェスに参加したり、一緒に楽しむことが第一歩なのだと改めて気づかされる思いだ。金井さんの「支援者にはなれなくても友だちにはなれる」という言葉に、「共生」へのヒントが詰まっている気がした。

 今、日本で暮らす100人に3人が外国人。50年後は10人に1人が外国人になると言われている。

 文化も言語も歴史的背景も何もかも違う人々との共生では、軋轢が生まれるのは当然だ。綺麗事だけでは済まないだろう。でも、知恵を絞ってそれをどう乗り越え、ごちゃまぜでカラフルな未来を描いていくか。考えるだけで、私はなんだかワクワクしてくるのだ。

 ということで、「どうして日本にいるの?」「何に困ってるの?」「在留資格って何?」などなどの素朴な疑問に答える、おそらく世界で一番わかりやすい「難民・移民」の入門書となった。

 世界の難民の数が過去最多の1億2000万人となり、80人に1人が難民状態にある今だからこそ、知ってほしいこと、知っておくべきこと、また共生へのヒントを詰め込んだ一冊。ぜひ、手にとってみてほしい。

※『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』の目次はこちらで公開しています。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。