「メディアでは毎日、『ガザ地区で〇〇〇人が亡くなった。すでに戦闘開始からの死者は〇万人に上る』という報じられ方がされています。それは単なるマスの数字であって、そこから人の顔は見えません。ガザに暮らす人々はどんな暮らしをしているのか。どんなところに住み、どんなものを食べ、どんな服を着て、どんな会話をしているのか。生活の細部を伝えることで、本当の戦争の悲惨さが伝わる。これは本多勝一さんのルポ『戦場の村』から学んだ手法です」
9月29日に専修大学7号館で行われた本作品の試写会終了後、土井敏邦監督は語った。同監督は、1993年9月にノルウェーの首都オスロで、クリントン米国大統領の仲介の下、イスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で調印されたパレスチナ暫定自治政府に関する原則宣言=オスロ合意直後から、ガザ地区の北部にあるガザ最大の難民キャンプ「ジャバリア」で暮らすエルアクラ家に住み込んでカメラを回し始めた。
一家はかつてガザから北へ十数キロのブレール村で農業を営んでいた。「農地は300ドナム(1ドナム=1,000㎡)ありました。ところが1948年、私が6歳の時です。イスラエルの武装組織に村を包囲されました。多くの村人が殺されるなか、私たち一家は何とか逃れたのです」。一家の長であるアリ・エルアクラは言う。土地はイスラエルに没収された。
アリ・エルアクラは、パレスチナ暫定自治政府をヨルダン川西岸地区とガザ地区に設立するとされたオスロ合意に批判的だ。これでは故郷に戻れないからである。
「父が耕してきた土地。せめて20ドナムでもいいから返してほしい」とアリ・エルアクラは低い声で語る。
本作の第一部『ある家族の25年』では、オスロ合意への世界の注目とガザの現実の乖離が伝わってくる。
難民キャンプでの生活は厳しい。長男のバッサムは30代。長く失業状態が続いている。三男のフサムの学費を払えないことが辛い。両親は「息子が25歳を過ぎて家庭をもてない」ことを嘆いている。
アラファト議長はパレスチナ自治政府大統領に選ばれるが、その自治政府はオスロ合意反対派を弾圧し、腐敗が顕著になっていく。
第二部『民衆とハマス』では、自治政府から離反していく民衆の心をイスラム主義組織をルーツとするハマスが引きつけるところから始まる。貧困層への金銭的な援助や子どもたちへのサポートなど福祉的な役割を担うハマスは2006年1月に実施されたパレスチナ立法評議会選挙と翌年のファタハ武装組織との内戦に勝利し、ガザを実効支配した。事実上、西岸とガザは分裂状態となり、パレスチナ立法評議会は機能を停止したまま現在に至っている。
イスラエルのパレスチナからの撤退を原理原則とするハマスに対し、イスラエルはガザの陸上、海上の国境を封鎖。イスラエルへの出稼ぎも禁じた。ガザの経済活動は行き詰まり、人々はますます困窮していく。にもかかわらず、ハマスは大量の武器を購入し、反対意見を排除する。権力の横暴で民衆が沈黙を強いられることは変わらず、それどころか、将来に絶望し、イスラム教では禁じられている自殺に走る者も続出した。
そのなかで起こったのが、2023年10月7日のハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃だった。イスラエル軍の報復攻撃による惨状は、土井監督の友人であるパレスチア人ジャーナリストMにより、SNSを通して伝えられる(ハマスやその支持者から危害が加えられる恐れがあるため、本作品では顔と名前は明かされない)。圧倒的な軍事力を有するイスラエルによって生活インフラをずたずたにされ、テント生活を余儀なくされた多くの住民はトイレも下水処理もない状況で過酷な生活を強いられている。
土井監督は言う。ガザ情勢を「イスラエル対ハマス」「イスラエル対パレスチナ人」という二項対立で見ると現地の状況を見誤る、と。
本欄で紹介した映画『ガザの美容室』では、ファタハとハマスとの間の戦闘で、否応なく美容室に閉じ込められる女性たちが描かれていた。エルサレムまでの通行許可証を発行しないなどのイスラエルによる嫌がらせに対する不満も語られるが、彼女たちが最も身の危険を感じているのはパレスチナ人同士の抗争であった。
土井監督はこうも語る。「イスラエルがガザの人々を殺戮すればするほど、ガザの民衆はハマスに頼らざるをえなくなる」「ガザに住むパレスチナ人の多くは『ガザを10月7日前に戻してほしい』と思っている」。そして、1995年に調印されたオスロ合意IIを引き合いに出し、ガザの将来を予測した。
オスロ合意IIは、西岸地区をA、B、C地域に区分し、A地区はパレスチナが行政と治安を管轄、B地区はパレスチナが行政、イスラエルが治安を管轄、C地区はイスラエルが行政と治安を管轄するとしている。同監督はは今後、B地区のような状態に置かれるのではないかと予想しているという。
再びイスラエルの占領下に置かれるかもしれないガザに対して、国際社会は何ができるのか。その問いに対する答えは見えない。第一部でアリ・エルアクラが語った「英国やトルコ、ドイツやソ連と同じように、米国やイスラエルだって永遠に強国でいられるわけはない」という言葉が最後まで耳に残る。
(芳地隆之)
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©DOI Toshikuni 2024
『ガザからの報告』(2024年日本/土井敏邦監督)
2024年10⽉26⽇(⼟)よりKʼs cinema(東京・新宿)ほか全国順次公開
※土井監督の公式サイトにリンクしています