想田和弘さん&柏木規与子さんに聞いた:牛窓で暮らして、「観察」して見えたこと──映画『五香宮の猫』

連載コラム「観察する日々」でもおなじみ、想田和弘監督の新作映画『五香宮の猫』がまもなく公開されます。3年半前、パートナーの柏木規与子さんとともに、米国・NYから岡山県の港町・牛窓に移住した想田さん。その牛窓で神社に集う猫と人間の日常を追った「観察映画」は、どのように生まれたのか? そして、新しい生活の中で見えてきたことは? 想田さんと、映画のプロデューサーでもある柏木さんにインタビューをお願いしました。

猫と神社を取り巻く「いろんな人たち」

──これまでの観察映画にも猫はよく登場していましたが、今回の『五香宮の猫』はまさに「猫」がメインですね。改めて「猫の映画を作ろう」と考えたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?

映画『五香宮の猫』より(C)2024 Laboratory X, Inc

想田 僕らは3年半前にNYから牛窓に引っ越してきたんですが、牛窓ってあちこちにたくさん野良猫のいる町なんですよ。で、もともと僕も規与子さんも猫好きなので、猫を見かけるとすぐに友達になっちゃうんですよね。

柏木 友達というか、奴隷だよね(笑)。

想田 猫が喧嘩していたら仲裁に行くし、ピンチに陥っている猫がいたら助けたくなるし。そんなことをやっているうちに、家の近くの「五香宮」という神社に暮らす猫たちとも関わりができて、規与子さんがそこでのTNR(※)活動に参加することになったんですね。当時、五香宮には猫が30〜40匹くらい住んでいて、糞尿などの被害が問題になっていました。

(※)TNR…「Trap・Neuter・Return」の略で、捕獲器などで野良猫を捕獲(Trap)し、不妊去勢手術(Neuter)を行い、元の場所に戻す(Return)こと。野良猫の数が増えすぎるのを抑制する目的で、市民グループなどによって行われている

──映画にも、地域の人たちが不妊手術を受けさせるために猫たちを捕まえる場面が出てきましたね。

想田 そう、あの場面です。最初から「映画にしよう」と思ったわけではないんですが、一応カメラは回しておこうかなと思って、撮影を始めたんですね。
 それで、2〜3日五香宮の境内に張り付いていたら「この場所ってすごい面白いんじゃないか?」と思えてきました。というのは、本当にいろんな人たちが自由に出入りしている場所だったからです。参拝に来る人はもちろんですが、掃除や草刈りをする人、猫の写真を撮りに来る人……放課後に子どもたちが遊ぶ場所でもある。地域の外から訪れる人たちもいて、「内」と「外」の交差点にもなっている。こういう、誰もが出入り自由な不思議な公共性のある空間って実は今、すごく貴重になりつつあるんじゃないか。そんなことを考えていたら面白くなってきて、結局2年くらい撮影を続けました。

──カメラは、その五香宮と猫の周りの「いろんな人たち」の姿を追っていきます。中には当然、猫があまり好きではない人、数が増えすぎるのは困ると考える人もいる。地域の会合での話し合いの場面もありましたが、おっしゃるような「公共性のある場所」を守るためには、意見の違いをどうすりあわせていくかを考える必要があるんだなと、改めて感じました。

想田 そうですね。僕自身、不妊去勢手術はやはり猫にとって負担が大きいので、それを人間が勝手に決めてやってしまうというのは非常に暴力的なことなんじゃないかとも思います。それに、現代社会のストリートは猫の存在さえ許容できない空間になりつつあるのかと思うと、複雑な気持ちになる。牛窓だけではなく日本全国、あるいは世界中の先進国がそうなのかもしれないけれど、町がどんどんきれいに、清潔になっていく一方で、猫のようにイレギュラーで制御不能な存在は暮らしづらくなっていて。それは公園から「ホームレス」の人たちが排除されるのと本質的には同じなんじゃないか、なんていうことも考えます。
 といっても、一方で地域の中にはたしかに糞尿や臭いなどの被害に困っている人たちがいる。であれば、そこで折り合いを付けるために「これ以上数が増えないように手術を受けさせるから、今いる猫の世話はさせてほしい」ということも必要なのかな、とも思います。でもやっぱり「手術を受けさせることができてよかったね」とは言い切れないし、難しいですね。

柏木 そこは私も揺れていますね。映画の中では私も猫の捕獲に参加していますけど、今はやっていません。あの時点では、人と猫が、そして意見の違う人どうしが共生するための最良の手段がTNRだと本気で思っていたし、だから参加したわけですが、TNRを続けていくと当然ですが猫たちが減っていくんですよ。

想田 五香宮の猫も、撮影していたときよりもだいぶ減っちゃいました。このままいくと、近い将来1匹もいなくなると思います。

柏木 その様子を見ていると、結局は自分本位、人間中心の考えで自然のサイクルに手を出してしまったんじゃないかという気がして。今も「手伝って」と頼まれることはありますが、「ごめんなさい、できません」とお断りしています。
 でも、だからといって「不妊手術は絶対するべきじゃない」と訴えたいわけではありません。考えの違う人と話していると「なるほどな」と思うこともあるし、「猫の糞尿被害がひどくて……」と聞けば、「ああ、一緒に対策を考えないと」とも思います。とにかく、猫とも人間とも仲良くしたいというのが私の気持ちなので、誰かと話すたびに揺れる。だから、前に話したのと全然違うことを言っちゃったりすることもあるんですけど、自分の中ではそこに矛盾はないんですよね。

映画『五香宮の猫』より(C)2024 Laboratory X, Inc

「作家」か「人間」か──ドキュメンタリー撮影のジレンマ

──もう一つ、今回の映画で特徴的なのは、NYから日本に来て撮影されていたこれまでの作品と違って、まさにお2人が生活しているその場所で撮られたということだと思います。映画作りの中で、何か感覚の違いなどはありましたか。

想田 たとえば、同じ牛窓が舞台の『牡蠣工場』と『港町』は、3週間くらい牛窓に滞在して同時に撮影したんです。そうすると、その3週間のあいだは、僕は100%「映画作家」なんですよね。常に手元にカメラを置いて、夜中だろうが明け方だろうが面白いことが起こればすぐにそれを撮影しに行っていました。
 ところが、ここで生活を始めてしまうと、それはちょっとできません。たとえば、家にいたら猫同士がひどく喧嘩している声が聞こえてきたなんてときも、まず「止めに行かなきゃ」という発想が優先しちゃうんですよね。

──「撮りに行かなきゃ」ではなく。

想田 そうなんです。それで喧嘩の仲裁が終わってから「あー、しまった、今のカメラ回せばよかった」と後悔する(笑)。今回の映画を撮っている間は、そんなことばっかりでした。要するに、「撮影者」としてではなく「人間」としてそこにいてしまうわけですよね。
 でも、これはドキュメンタリー撮影には常に伴うジレンマでもあります。特に、自分の人生にとっても非常に重要だと感じる瞬間には、作家としてではなく一人の人間としてそこに立ち会いたいと思うこともやっぱりある。その一方で、「こんな重要な場面に、どうして自分は作家として向き合わないんだろう」という思いもあって、本当に難しいところです。そのジレンマを強く意識するとともに、「日常を撮る」とはこういうことなんだなと思いました。

映画『五香宮の猫』より(C)2024 Laboratory X, Inc

柏木 私が感じたのは、当然ながら被写体との関係性が今までの映画とは全然違うなということでした。これまではあくまで私たちは「旅人」、どこの馬の骨かも分からない人間が行ってカメラを向けていたわけです。被写体の方たちもどこかよそ行きというか、お互いに「お客さん」同士、みたいな感覚があったんですね。
 それが今回は、被写体になってくださる方の多くが、すでに私たちをよく知っておられる。「近所に越してきた夫婦がカメラを回してる」感じなので、もっとあけすけに近づいてきてくださるんです。そうなれば、こちらも「お客さん」な態度はできませんよね。

想田 町内会にも入ってるし、近所の草刈りとかお祭りとかにも僕ら、住民として参加してますからね。そうして自分たちが属するコミュニティを撮らせていただいているわけだから、そこから自分たちを除外するわけにはいきません。自然と、これまで以上に僕自身も観察の対象になっていったし、規与子さんは被写体にもなっていったし……ということだと思います。

──おっしゃるように、本作では柏木さんは、かなり被写体としても出ておられますね。

想田 でも、カメラを向けるとすごい嫌そうに「撮るのやめて」とか言われて。「ちょっと待って、あなたこの映画のプロデューサーでもあるんじゃないの」と思いました(笑)。

柏木 今まで被写体になってくださった皆さんの気持ちがよく分かって、「申し訳ございませんでした」という気分になりました。カメラを向けられて「ここは撮らないでよ、分かってないな」「今は撮るより手伝うところでしょう」と思ったことが何度もあって。これまでなら被写体の方に対して「すみません、ちょっと撮らせていただいていいですか」と私が間に入って交渉していたわけですが、今回は私が一番止めていました(笑)。
 特に腹が立ったのは、ある1匹の猫が死んでしまって、みんなで穴を掘って埋めたときですね。私は「さっきまで生きてたのに……」と悲しい気持ちでいっぱいなのに、後ろで想田が「カメラの準備がまだだからちょっと待って」とか言ってるから、「そういう場合じゃないよ、場を読んでよ」と。

想田 もちろん僕にも、みんなが泣いてお墓を作っているときに一人カメラを回すのには、人の心の中に土足で踏み込んでしまっているような、倫理的によくないことをしているみたいな感覚はありましたよ。同じ理由で撮影するのが憚られて、撮らなかった場面もたくさんありました。
 でも、あの死んでしまった猫を埋める場面は、映画としてはやっぱりあったほうがいいんですよ。野良猫って飼い猫よりも寿命が短いし、病気になることも多い。それは絶対に避けて通れない、目をそらすことのできない問題ですよね。
 
柏木 撮るのはいいんですよ。私が言ってるのは「遅い」ということ。猫を葬ろうという場面に最初から「いる」ならいいけど「待って」っていうのは違うだろうと思ったんです。だって普通の被写体には言わないでしょう。

想田 いや、僕ももちろん、他の被写体の方には「待って」なんて絶対に言いません。言った瞬間に「観察」ではなくなってしまって、関係性が変わってしまうから。でも、規与子さんはプロデューサーでもあるんだから、そんな意地悪しなくてもいいじゃん、「待って」と言っても隣の部屋にあるカメラを撮りに行くまでの10秒くらいなんだし、とか思っちゃう。

柏木 甘い甘い。

想田 ふだんどこかに出かけるときはだいたいいつも僕が待ってるんだから、少しくらい待ってくれても……と、この辺はもう、監督とプロデューサーというよりも、単なる夫婦げんかですね(笑)。

映画『五香宮の猫』より(C)2024 Laboratory X, Inc

「プロデューサー」の役割とは?

──ちなみに、被写体の方に柏木さんが「撮らせてもらえないか」と交渉する、とおっしゃいましたが、観察映画の「プロデューサー」としての柏木さんは、いつも具体的にどのような役割を担っておられるのでしょう? 「お金を集めるのが仕事です」なんておっしゃる映画プロデューサーの方もいらっしゃいますが、それとはだいぶ違いそうですよね。

想田 全然違いますね(笑)。規与子さん、お金のことにはまったく関わらないです。

柏木 私も他に仕事をしているので、基本的には映画は「想田の仕事」で、足りない部分を私が手伝っている、というスタンスです。撮影しているのを隣で見ながら、取りこぼしてるなと思うこと、できてないなって思うことを黙々とこなしていくという感じですね。

想田 黙々と? そうかなあ(笑)。

柏木 カメラを向ける相手に「撮らせてください」とお願いして調整していくのもそうですし、『牡蠣工場』のときは漁船の上での撮影が多かったので、カメラを回しながらよろよろしている想田のベルトをぐっと握って、一番いい角度で撮れるように「操縦」したりしていました。

想田 あと編集作業のときは、新しく編集したバージョンができてきたら必ず一緒に見てディスカッションします。

柏木 「ここはいらないんじゃないか」とか「こういうシーンがもっと必要なんじゃないか」とかどんどん言いますね。日常生活では、想田は私の言うことなんか全然聞きませんけど、映画の編集に関してはすごくよく聞いてくれる。「こうしたら?」と言ったら、「あ、そうか」とパッと動いて、その点についてはめちゃくちゃ素直です。

想田 それはね、そういうポリシーだから(笑)。ラース・フォン・トリアーというデンマークの映画監督の編集者であるモリー・M・ステンスガードが言っていたんですが、トリアーと彼女のポリシーは「Don’t discuss, just try」なんだそうです。「議論するな、とにかくやってみろ」ですね。
 で、これは本当にそうなんです。ああだこうだと議論するよりも、実際にやってみればどちらがいいのかは一目瞭然なので、それが一番早い。だから、どんなにとんでもない提案でも、とにかくやってみることをポリシーにしています。

柏木 「とんでもない」と思ってたの? いつもすぐに動いてくれるから、どの提案も全部「なるほど」なんだと思ってたのに。

映画『五香宮の猫』より(C)2024 Laboratory X, Inc

──でも「やってみる」のは、それで実際によくなったという経験が何度もあるからですよね?

想田 そうですね。『港町』のときなんか、「全編をモノクロにしてみたらどうか」と提案されて、「とんでもないな」と思ったんですけど、何しろポリシーなので(笑)やってみたら意外と良くて、結局そのまま全編モノクロにしたんです。
 規与子さんとは、日常生活では意見の合わないことばっかりなんですけど、映画をはじめ絵画やダンス、演劇などアートに関してだけは、意見が根本的に食い違うことはほぼないんです。だから、どんなに「とんでもない」と思った提案でも、そんなひどいことにはならないだろうと思っているところはあるかもしれませんね。

NYから牛窓へ。「自分たちも自然の一部」という感覚

──牛窓での生活についても伺いたいのですが、移住を決められたきっかけはやはりコロナ禍ですか?

想田 そうですね。2020年の4月に『精神0』のプロモーションで東京に来たんですが、滞在中にちょうど緊急事態宣言が出て、NYに帰れない、それどころか東京で借りていた部屋からほとんど出られない、という状況になってしまったんです。そのときに、『牡蠣工場』や『港町』を撮ったときに借りていた牛窓の家を思い出して、そこにしばらく滞在させていただくことにしました。それで海の見える部屋で寝転がってうとうとしていたときに、ふと「もうずっとここに住みたいなあ」という気持ちになったんですよね。

──とはいえ、長年暮らしたNYを離れるというのはかなり大きな決断だったと思うのですが……。

柏木 私のほうは、最初に提案されたときは抵抗感が100%でした。NYは人生の半分を過ごした街ですし、27年住んで、ようやく根っこが生えて少し花が咲いてきたかなというときなのに、それを根こそぎ抜いてまた新しい土地に植え替えるのか、とんでもないと思いました。
 ただ、コロナ禍が続く中でNYの街の様子もかなり変わってしまったんですね。自分がよく知っている、大好きなNYはもうないんだと感じて。それなら新しい場所で新しい生活を一から始めてみるのもありかと考えるようになりました。

想田 僕もNYで暮らしていてとても楽しくはあったし「自分の街」だと思ってはいたけど、もともと自分が一生そこに暮らすイメージはなかったんですね。なぜだか分からないけど骨を埋めるのは日本なんだという気がしていて、「そろそろ帰ろうか」みたいな話は以前からよくしていました。

柏木 それは多分、想田は仕事を通じて日本とすごく強くつながっているところがあったからじゃないかと思います。日本に帰ってきたときはいつも、すごく生き生きしていましたし。
 私は仕事もすべてNYで、日本に帰ってくるのはいつも想田の仕事に合わせてだったから、日本では「柏木さん」というよりも「想田監督の奥さん」。「奥さん」と声をかけられて、内心もやっとすることがあっても、自分の「ホーム」はNYで、日本にいる今は「仮の姿」だから「ここはおとなしくしときますか」と思えていたんですよね。
 その「ホーム」を離れて、一から自分の地盤を作っていかないといけなくなると、これまで「仮の姿」だと思っていた「想田監督の奥さん」が本当の姿になってしまうのかと、すごく焦った時期もありました。最近はようやく、だいぶ自分を「移植」できてきたかなあと思えるようになりましたが。

映画『五香宮の猫』より(C)2024 Laboratory X, Inc

──環境が大きく変わって、暮らし方や生活の中で見えてくるものも変わったのでは? 

想田 いろいろありますが、やっぱりコミュニティの関係が緊密なので、NYや東京にいるときのような「匿名性」はなくなりましたね。ある意味で他人の目をずっと気にしながら暮らしているわけで大変だなと感じることもありますが、それって多分コインの裏表なんですよね。関心を常に人から持ってもらえているともいえるし、「ご近所さんがみんな親戚のような存在」という安心感もある。
 多分、「匿名性のなさ」自体には色はついてなくて、周囲との関係性がよければすごく居心地がいいし、悪ければすごく気まずい。だから、そこでどういい関係を築いていけるかが課題なんだろうなと感じています。

柏木 私は、NYにいたときは、「何でも自分でコントロールできる」ような感覚がどこかにあったんですね。食べ物でも何でも、世界中から選りすぐりのものが集まってきて、お金さえ払えばいつでもそれが手に入る。お店も夜中まで開いているし、地下鉄も24時間動いていて、ものも時間も自分の好きなように使えるのが面白かったんです。
 でも、今の生活は逆に「何一つ自分ではコントロールできない」のが新鮮で、すごく楽しい。すぐには手に入らないものが多いし、自然との距離が近いからか、なんだかものすごく大きいものの中で翻弄されているような感覚があるんですね。洗濯一つとっても、NYにいたときは夜中でも思いついたときに洗濯して乾燥機にかけて、という生活でしたけど、今は朝起きて晴れていたらまず「あ、洗濯しなきゃ」と思います(笑)。

想田 今の家では、夏でも海からの風が入る日はエアコンなしで過ごすこともあります。だから、気温も湿度も毎日全然違うということに気がつくし、鳥の声や虫の声にも敏感になる。毎日、あるいは一日の中でも微妙にいろんなことが変化していくし、自分たちもその自然のリズムの中で生きているんだなとよく感じますね。

柏木 自分も自然の一部なんだなと実感することで、すごくhumble(謙虚)になれる気がしています。「頑張れば何でも自分でできる」と思っていたけど、そうじゃないんだということが身に染みて分かります。
 一方で、いろんな文化が混じり合っているNYという街ならではの、「人のことをあれこれ言わない、気にしない」という感覚がちょっと恋しくなることはあります。ここだと、やっぱりみんなある程度決まった価値観の中で暮らしていて、そこから外れると「変わった人」みたいになってしまうところはある気がしますので。
 家の表札に「柏木・想田」と二つ名前を並べていたら、「想田さんには他に奥さんがいるらしい」とか、根も葉もない噂が流れたこともありましたし(笑)。今は何を言われても、まあいいやと思ってますが、最初は「何!?」と思いましたね。

牛窓の猫たち、人間と自然との関わりについて描いた想田監督のフォトエッセイ『猫様』(ホーム社)。10月18日発売予定。

目的を定めず、プロセスを楽しむ──観察映画の作り方

──さて、現代は効率やパフォーマンスが何よりも重視される時代だといわれます。「テーマや内容を事前に定めない」という観察映画のあり方は、そうした風潮に逆行するようにも思いますが、どうでしょう?

想田 たしかに今の社会は、目的を重視しすぎる傾向があると感じています。はっきりした目標を設定して、そこに最短距離でたどり着くことが何より大事であるかのようにいわれる。でも、僕はそうした考えは人間をどんどん不幸にしていくと思うんです。
 なぜなら、目的や目標を達成するまでのプロセスが全部そのための「手段」に過ぎなくなってしまうから。つまり、最終的に目標が達成できなければそれまでの時間は単なる無駄になるし、達成できたとしても、目的に至るまでの時間やプロセスをゆっくりと味わう、楽しむといったことはなくなってしまうわけです。歩くのは目的地に着くためであって、意味もなく散歩するなんて無駄、ごはんを食べるのは栄養補給のため、人と話すのも何かの目的のためで、おしゃべり自体は意味がない……という具合ですよね。しかも、ある目標を達成したところで、必ずまた次の目標を設定して、そこにできるだけ早く到達するようにと競争させられるわけです。
 でも、いつもそうして目標を達成できる人なんて稀じゃないですか。人生、なかなか思い通りにならないことのほうがずっと多い。だから、うまくいかなかったことも含めて、目標に向かうその過程、プロセスそのものを楽しむことがどうしても僕たちには必要なんじゃないか。観察映画は、それを映画でやろうとする試みなんだと思っているんです。

──あらかじめ「こういう映画を作る」という目標を定めないというのは、まさにそうですね。

想田 そう。テーマなどは何も決めずにカメラを回して、出会った人たちや目の前の状況をよく見て聞いて、そこから何かを学ぼうとするのが観察映画です。それはつまり、「見て聞いて、学ぶ」時間そのものを楽しむということなんですよね。
 しかも、こういう映画作りは効率が悪いように見えて、実はすごく効率がいいんです。

映画『五香宮の猫』より(C)2024 Laboratory X, Inc

──そうなんですか?

想田 だって、ゴールがないわけだから、自分たちで面白いと思えれば、どんな映画になったってOKなんですよ。ということは、失敗のしようがない。「移動」しようとして目的地に着けないことはあっても、「散歩に失敗する」ことはないのと同じですよね。実際、僕らは日本の映画作家の中でも、かなり速いペースで映画を作って公開しているほうだと思います。
 さらに言えば、僕にとっては牛窓への移住も、目的のある「移動」から「散歩」への転換だったのかもしれません。NYにいたときは常に自分の中の優先順位のトップが仕事で、それ以外は全部「仕事の邪魔をするもの」という認識でした。ごはんを作るとか食べるとか、掃除や洗濯をするとか、友達と時間を過ごすとかも全部、できるだけ最小限に、仕事の邪魔にならないようにしようと思っていたんです。
 ところが、牛窓に来てからはそれがまったく逆で、そういう時間が生活のメイン。で、時間があるときに仕事でもしようかな、という感覚になっている(笑)。でも、本来の人間の生活ってこうだったんじゃないかな、と感じるんです。そしてそれは、目的を定めないという観察映画の作り方と、すごく重なっているようにも思いますね。

──パートナーとして、プロデューサーとして、一番近くで「観察映画」を見ている柏木さんは、お聞きになっていていかがですか。

想田 なんか「ふーん」って、興味なさそうな顔をして聞いてましたけど(笑)。

柏木 いやいや、ちゃんと聞いてましたよ。私はいつも、想田が観察映画を撮っていて本当によかったなあ、と思うんです。ふだんは何をするにも「これはこうあるべきだ」とかごちゃごちゃ頭でものを考えがちな想田が、カメラを回しているときだけはすごく素直に、謙虚に目の前のことそのものを見ている気がするので。その意味で、支えてくださっている観客の皆さんや配給会社の皆さんには、感謝しかないですね。

想田 好き放題言われてますね(笑)。

柏木 あとは画面に映し出されているもの、そして私たちが観察したものを、観客の皆さんもまた「観察」して楽しんでもらえたら嬉しいですね。特に今回の映画は、自分たちの日常を身も蓋もないほどさらけ出していますから、「何だよこれ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、よろしければご覧ください──という、humbleな言葉で締めさせていただこうと思います。

(取材・構成/仲藤里美)

映画『五香宮の猫』

10月19日[土] 東京 シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

シアター・イメージフォーラム初日10月19日(土) は10:50の回、13:30の回の上映後、想田和弘監督・柏木規与子プロデューサーによる舞台挨拶あり。ほか各地の劇場で舞台挨拶予定。詳しくは公式サイトをご確認ください。

そうだ・かずひろ 映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。これまで『選挙』『精神』『Peace』『牡蠣工場』『港町』『精神0』など、11本の長編ドキュメンタリー映画作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。

かしわぎ・きよこ 岡山県岡山市出身。夫・想田和弘の観察映画のうち10本の製作を担当。本業は太極拳師範、ダンサー・振付家。世界的な伝統楊式太極拳マスター William C. C. Chen(陳至誠)老師に師事し、ニューヨーク市立大学演劇学科などで太極拳を教えた。牛窓に移住後は太極拳道場「樂心舎」を開設。牛窓は母親の故郷でもある。

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