笠井千晶さんに聞いた:再審無罪となった袴田巖さんの戦いの軌跡~映画『拳と祈り —袴田巖の生涯—』~

静岡地方裁判所は9月26日、1966年に当時の静岡県清水市で味噌製造会社の専務一家4人が殺害された強盗殺人放火事件(袴田事件)について、捜査機関によって証拠が捏造されたと指摘し、死刑が確定していた袴田巖さんに「再審無罪」を言い渡しました。袴田さんが逮捕されたのは30歳の時。以来47年7ヶ月、獄中に拘束され自由を奪われてきました。10年前に釈放されたものの、「確定死刑囚」のままで88歳を迎え、10月9日にようやく無罪が確定した袴田さん。彼の人生が私たちに問いかけるものとは何か。22年間にわたって袴田さんを追い続け、まもなく映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』が公開となるドキュメンタリー監督の笠井千晶さんにお話を伺いました。

死刑執行されるためだけに生かされている人がいるという衝撃

──笠井さんが袴田巖さんのことを知ったのは、静岡放送の報道記者をされていた時だそうですね。

笠井 はい、2002年の1月、報道記者2年目の駆け出しで県警の記者クラブに詰めていた時です。そこで「袴田事件」についてのレクチャーがあり、初めて袴田さんの存在を知りました。事件発生から36年、当時袴田さんは確定死刑囚として東京拘置所に収監され、再審請求の訴えもことごとく棄却されて、事件そのものが世間から忘れられようとしていた頃でした。
 この社会のどこかに、隔離された独房の中で家族や弁護士以外、誰の目にも触れず、声を聞かれることもなく、今この瞬間も孤独の中でひっそり息をしている人がいるという事実に衝撃を受けました。「確定死刑囚」とはまさに明日処刑されるかもしれない、死刑執行のためだけに生かされている存在です。そんな極限状態に置かれた人間のありように、若かった私は強烈にひかれ、いてもたってもいられなくなりました。
 レクチャーで配られたパンフレットに巖さんの獄中からの手紙が引用されていたのですが、この手紙の実物を見てみたいと強く思いました。死刑囚であるご本人に会うことは叶わないけれど、その人が実際に書いたという手紙をなんとしてもこの目で確かめてみたい。そこで姉の秀子さんに連絡を取りました。

監督の笠井千晶さん

──その手紙にはどのようなことが書かれていたのですか?

笠井 お母さんお元気ですか、お変わりありませんかなど、家族の安否を気遣うごく普通の手紙でした。事件のことも無実を訴えるようなこともなく、死刑囚というイメージからはかけ離れたもので、そのギャップも気になりました。

──巖さんの姉の秀子さんは、一貫して弟の無罪を信じて支え続けてこられた気丈な女性です。手紙を見たいという申し出にすぐに応じてくださったのですか?

笠井 秀子さんは巖さんからの手紙をきちんとファイルされていて、快く見せてくださいました。でもその時の秀子さんは今のイメージとは全然違いました。どこか心細げで、一人で取材を受けるのは心配だからと、支援者の女性に同席をお願いされていたくらいです。
 逮捕されてからずっと巖さんと秀子さんは自由に会うことは出来ず、会えたとしても面会室の仕切り越しで、しかも90年代以降は巖さんの精神状態から面会できない期間が続いていました。弟は明日にでも処刑されるかもしれない。そんな不安に秀子さんも囚われていたのだと思います。
 その秀子さんが変わったのは、2014年に再審開始が決まり、巖さんが釈放されてからです。48年近く遠いところにいた弟が、今自分の隣にいる。本当に生きているのか元気なのか確かめようのなかった弟が、今は目の前にいる。それ以来、秀子さんは本来の自分を取り戻したのだと思います。

──この映画のもう一人の主人公は秀子さんだと思いました。90歳を超えてなお背筋をしゃんと伸ばし、はっきりものを言う女性で、見事です。

笠井 秀子さんは、働く女性の草分け的存在。女は結婚して当たり前、それが幸せという時代に、自分の足で立って自活して、人生を切り開いてきた方です。それが信念の強さに繋がっているのだと思います。
 誰に何を言われようと周りがどう言おうが、気にしない。気にして思い悩んでもいいようにはならないのだから、もう悩まない。弟を信じる。信じる力の強さに圧倒されます。
「今の巖には、自由こそが薬」と確信して、怪我をしたり迷子になったりする心配はあっても、巖さんを自由に外出させるその姿勢には感心します。

生きて歩く死刑囚との出会い

──2014年3月、第二次再審請求を受けた静岡地裁で、再審開始決定とともに死刑及び拘置の停止決定が出され、袴田さんは拘置所から釈放されます。監督にとっては秀子さんとの出会いから12年、支援活動に奔走する秀子さんを通して朧げに知るだけだった巖さん本人に、ついにまみえるチャンスが巡ってきたのですね。


笠井 47年7ヶ月ぶりに拘置所から出てこられたその瞬間に立ち会うことができて、本当に夢のようでした。第一次再審請求の頃は地裁、高裁、最高裁でいずれも棄却され、なかなか結果が出ませんでしたから、再審は無理かもしれない、生きている巖さんに会える日はこないかもしれないと思ったことさえありました。その巖さんが元気に自分の足で歩いて拘置所を出てくる姿を見た時には、こういう奇跡が起きることもあるのかと、感極まりました。
 当時私は名古屋の中京テレビに勤めていたのですが、休日にプライベートで秀子さんに付き添う中で、巖さん釈放の場面に立ち会って記録を残せたことに運命的なものを感じました。その時、これは自分の作品として残さなければと思いました。それで退社してフリーになり、袴田さんの家の近くに引っ越して、家族のような目線で姉弟の日常を追い続けることになったのです。

映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』より©Rain field Production

──巖さんは笠井さんをすぐに受け入れてくれたのでしょうか?

笠井 巖さんは秀子さん以外の他人にはあまり関心を示しません。ただ秀子さんが私を信頼して自由に出入りさせてくださっているので、それが巖さんに伝わって、受け入れてもらえているのかなと思っています。
 巖さんは当初、知らない人に対する警戒心、猜疑心が強く、特に大勢の男性を見ると連れ戻される恐怖を感じるのか、布団に潜って出てこないなどということもありました。最初の頃は、空を見つめるような視線で、表情も乏しく、心の内を読むことは困難でした。
 それが秀子さんとの生活を続けるうち、薄皮をはぐようにだんだんと表情が柔らかくなって、相手の目を見て会話できるようになっていきました。ある時巖さんが大きなあくびをするのを見て、ああ、やっとリラックスできたのだなと、秀子さんは安心したと語っています。

──笠井さんと将棋をさしたり、一緒にコーヒーを飲んだりしている巖さんは、とてもリラックスしているように見えます。

笠井 秀子さんは巖さんに対して、「好きなようにさせる」「否定はしない」という明確なスタンスを持っていて、私もそれに倣って接してきました。こちらからむやみに働きかけたり質問したりしない。巖さんが何を考えているのか、伝えたいのか、言いたいのかに耳を傾ける。巖さんからの働きかけを待つ姿勢で向き合ってきたので、映画にも出てくるように「コーヒー飲みませんか」と言って頂いた時は嬉しかったです。
 将棋は、巖さんは子どもの頃から得意だったらしく、一時期は来る人来る人を捕まえて対戦し、連戦連勝という時期がありました。私は駒の動かし方くらいしか知らなかったのですが、喜んでもらえるならとお相手しました。

──巖さんの「食べる」シーンも印象的です。特に甘いものがお好きなのですね。

笠井 血糖値が高くて本当はいけないのですが、アイスクリームとか菓子パンなど子どものように幸せそうに召し上がる。見ている方も幸せな気持ちになりました。好きなものを食べる、これこそが自由なんだ。当たり前のようだけれど、本当に尊いことなのだと思わされました。

理想の世界を作るためにひたすら歩く

映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』より©Rain field Production

──一方で、釈放されてからの巖さんは自身を「神」と認識して、歩く、Vサインをする、合掌する、日記を書く、小さな子どもに小遣いを配るなど、独自のこだわりを持って行動しています。

笠井 荒唐無稽に見える巖さんの精神世界の真意を知りたい、ビジュアル化したいというのが作品の制作動機であり、主題でもありました。巖さんの行動を「拘禁反応による妄想」の一言で片付けてしまうのはあまりにも残念。巖さんなりの想いがきっとあるに違いないと考え、時間をかけて向き合おうと決めました。雨の日も風の日も黙々と町中を歩く巖さんの姿に、私は並々ならぬ覚悟と深い祈りを見出しました。
 それは自分が「神」になって、ゼロから平和で穏やかな安心できる世界を作り直したいうという強い意志です。町中を歩き回って、Vサインを出したり、子どもにチップをあげたりするのは、神の利益を他者に分け与える利他の行為なのではないか。意味不明に見える仕草も、巖さんにとっては理想の世界を作るために欠かせない大切な「祈り」の儀式なのではないか。自分の冤罪をはらすとか名誉を回復するとか、個人的願望を超えたもっと大きな理想の世界、高みを目指して、巖さんは歩き続けているのではないか、そんなふうに見ています。

──本作では、事件前のボクサー時代の袴田さんを知る人や、アメリカで同じ時期に冤罪事件に巻き込まれた元ボクサーなど、ボクシング関係者も多数登場します。

笠井 メディアでは事件後の姿しか報じられませんが、本作ではそれ以前のボクサーとして活躍した20代の巖さんの人生を伝えたいと考えました。巖さんが過酷な獄中生活を生き抜くことができたのは、プロボクサーとして夢を追った20代の日々があったからこそだと思うからです。
 日本のボクシング界は早くから袴田さんの支援活動を展開してきました。アスリートが社会的に声を上げることの少ない日本にあって、これだけ業界が一つになって活動を続けてきたことについて、日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会の新田渉世さんは「ボクシングというのは相手に打撃を与えてダウンを取ることで勝利するというスポーツ。そうしたスポーツ特性が分かり合える仲間同士の絆は強い。ボクサーのみが知る痛み、辛さなど共有できるからこそ、自分も獄中の袴田さんと面会してボクシングの話をするなど、支援活動を続けてこられたのではないか」と語っています。

映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』より©Rain field Production

──9月26日に静岡地裁は、ようやく「再審無罪」の判決を出し、10月9日に検察の控訴断念により無罪が確定しました。いわゆる「袴田事件」は、事件捜査や再審のあり方、また死刑制度についてなど、日本の社会にさまざまな問題を投げかけていると思います。笠井さんは現在の日本の司法制度について、どのようにお考えですか?

笠井 第一次再審請求から今日の再審無罪までをリアルタイムで追ってきて痛感するのは、証拠開示がもっと早くされていれば、巖さんの人生は全く違っていたのではということです。第一次再審請求ではほとんど門前払いで、再審開始の片鱗も見られなかったのに、第二次再審請求に入り「5点の衣類」(※)などに関する証拠開示がされたことで事態が急転し、ついに再審の扉が開いたのですから。やはり再審や証拠開示に関する法整備を急ぐべきだと思います。
 ようやく無罪判決を見届けた今、心からほっとしています。ただ、失われた58年の歳月を思うと、喜んでばかりもいられません。袴田さんのように、冤罪で死刑判決を下される人が現にいて、そういうことが二度と起きないように今回の再審無罪を生かすことが、今後の私たちに与えられた宿題だと思います。そして私はこれからも、袴田さん姉弟の記録を続けます。

※事件の発生から約1年後に、現場近くの味噌タンクから見つかった血痕のついたシャツ、ズボン、下着など5点の衣類が、犯行時袴田さんが着ていたものとされ、有罪判決の決め手となった。しかし、2010年「5点の衣類」の鮮明なカラー写真が証拠開示され(再審について定めた現行の法律には証拠開示に関する規定がないため、それまで検察は開示要求に応じてこなかった)、血痕の赤みが不自然であることを弁護側が指摘、再審開始に繋がった。今回の静岡地裁判決では「5点の衣類」は捜査当局による捏造とされた

──一人でも多くの人にこの映画を見てもらい、死刑制度、再審制度などに関心を持つきっかけにして欲しいと思います。ありがとうございました。

(取材・構成/田端薫)

かさい・ちあき ドキュメンタリー監督、ジャーナリスト。テレビ局の報道記者を経て2015年独立。Rain field Productionを立ち上げ、テレビやインターネットでドキュメンタリーを発表。『Life 生きてゆく』(2017年)で第5回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。

映画『拳と祈り ―袴田巖の生涯―』
https://hakamada-film.com/
10月19日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

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