トランプ当選の朝に見た街の様子
前回のコラムが公開になったのは、奇しくもアメリカ総選挙の結果が確定した11月6日だった。私が住むシカゴはアメリカ第3の大都市で、「ブルー・ステート(民主党が強い州)」であるイリノイ州の中でも特にリベラル層が多く、民主党の得票率はいつも80%を超える。今回は特に民主党大会がシカゴで開催されたこともあり、市全体をあげてカマラ・ハリス大統領選出に向けて盛り上がっていた。2016年のヒラリー敗北は集団トラウマのようになっており、アメリカ国内の根強い分断もよくわかっているので油断していたわけではないが、選挙終盤の「ハリスの猛追」という報道を受けて、みな勝利を信じていたと思う。
トランプが当選してしまったその朝、誰もが無口で街は覇気を失っていた。そんな中、黒人の年配女性の友人が私にこう言った。「Despite that, I am still gonna hold control of it. (それでも、私は自分でしっかりコントロールしていくつもり。自分の意志で進んでいくつもり)」。どんなに絶望的な状況でも決して流されず、周りのせいにせず、自分の価値観と決断で生きていくという彼女の強さと美しさに、救われ、学んだ朝だった。夕方、犬を連れてミシガン湖沿いの公園を散歩していると、誰が立てたのか「Help each other(助け合おう)」という小さな看板が置いてあった。その横で、泣いていたのだろうか、肩を抱き合っている人たちがいた。これから4年、私たちは今まで以上に助け合わなければならない。自分たちの信念を守り続けなければいけない。そのためにも、シカゴで見たアメリカ総選挙を私の視点で振り返ってみたいと思う。
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「ハリス圧勝」を予測していた世論調査
投開票日の3日前、11月2日夜6時頃、私のSNSフィードにアイオワ州の地元紙「デモイン・レジスター」による選挙直前の世論調査結果が流れてきた。それによるとアイオワ州ではハリスがドナルド・トランプを47%対44%でリード。特に年配女性と支持政党なしの女性がハリスを支持しており、2016年、2020年と2度続けてトランプを選出してきたアイオワ州の情勢を逆転させているという。このアイオワ州での調査結果から、他州も同じようなパターンになると考えるならば、ハリスが全ての激戦州だけでなく、前回トランプを選出した州さえも制して、圧勝するだろうという予測が躍った。
ところで、アイオワという選挙人数※1たった6名の州の一地方紙の調査がなぜそこまで注目に値するのかというと、それはこの調査を行った社会調査士アン・セルツァーの過去の調査精度の高さによる。彼女のデータ分析は毎回選挙の勝敗のみならず、得票率の差までほぼ的確に予測してきた※2。そのセルツァーが、3ポイント差でハリスがアイオワを制すると予測した衝撃はかなりのものだった。しかもその主な要因が女性票だということ──女が女を選び、この社会を守ること──に私は率直に興奮していた。
※1(編集部注) アメリカでは有権者が直接大統領を選ぶのではなく、州ごとの選挙で各党が指名した選挙人を選ぶ。選挙人は州ごとに割り振られており全米で計538人いる。一票でも多く得た候補が、その州の選挙人を総どりし、最終的に選挙人による投票で過半数以上を得た候補が大統領に当選する
※2 例えば2016年のヒラリー・クリントンとトランプの時には、他の世論調査が総じてアイオワは接戦と予測する中、セルツァーの調査は7ポイント差でトランプの圧勝を予測しており、実際の結果はその通り、9.5ポイント差でトランプ勝利となった。2020年のバイデンとトランプの時にも7ポイント差でトランプ圧勝を予測し、実際8ポイント差でトランプが勝利している。世論調査やスポーツデータなどの統計分析ウェブサイト「ファイブサーティエイト」はセルツァーを「政治についての最高の世論調査員」と評している(Malone, Clare. “Ann Selzer Is the Best Pollster in Politics.” FiveThirtyEight, FiveThirtyEight, 27 Jan. 2016,.)
争点になった「リプロダクティブ・ライツ」
保守系シンクタンクのヘリテージ財団が発表した「プロジェクト2025」(Project 2025)は900ページにわたり、保守的な価値観に基づくさまざまな政策を提言している※3。ヘリテージ財団は政治活動が制限されている非営利団体のため、特定の政党や政治家を支持することはできない。しかし、「プロジェクト2025」の執筆に関わった面々が前トランプ政権で要職を務めた元官僚や支持者であること、また内容がトランプ前政権の政策と一致することなどから、トランプの事実上のマニフェストとみなされている。その中身は、民主主義の手続きを損ない大統領の権限を強化するもので、前回のコラムで取り上げた批判的人種理論(CRT)についても教育現場からの排除やその拡散を防ぐための立法を推奨している。
この「プロジェクト2025」のなかで、とくに今回の選挙戦において議論を巻き起こしたのが「リプロダクティブ・ライツ」(reproductive rights)に関する政策提言だった。リプロダクティブ・ライツとは「生殖に関する権利」であるが、「プロジェクト2025」は中絶の禁止や緊急避妊薬(モーニングアフターピル/morning after pills)の保険適用除外など、政府による性の制限・管理を強めようとしている。そもそも「リプロダクティブ・ライツ」「リプロダクティブ・ヘルス」という言葉自体を法律、公文書から消去することすら提案しており※4、女性の性に関する自己決定権を根元から否定するもので、これは民主党の選挙キャンペーンにおいて主要な争点となった。
8月19日から22日までシカゴで開催された民主党大会では、「リプロダクティブ・ライツ、女性の権利の保護者としてのカマラ・ハリス」というメッセージが強く打ち出されていた。例えばスピーカーの一人として登壇したハドリー・デュヴァルは、継父から性的暴行を受け12歳のときに妊娠した経験をもつ、現在22歳の女性である。最終的に流産し子どもを産むことはなかったが、もしそのまま妊娠が継続していた場合、ケンタッキー州に住む彼女は、母体保護以外の理由での中絶を禁止する州法により出産以外の選択がなかった。
また、この大会にテキサス州委員会代表の一人として参加したケイト・コックスも自身の体験を話した。昨年、妊娠した胎児に遺伝子異常があることがわかり、仮に出産したとしても子どもは1週間以上生存することができないと医師から言われたという。そればかりか、妊娠を継続すれば、以後不妊症になってしまうという深刻な状況であった。しかし、最も厳しい中絶禁止法をもつテキサス州は医療上の理由でも中絶を認めなかったため、彼女はニューメキシコ州まで行き中絶手術を受けた。この悲痛な体験を話した締めくくりに、コックスは、中絶を決断したおかげで現在また妊娠していること、胎児も健康であることを発表した。
ちなみに「プロジェクト2025」では、中絶手術の総数、母体の居住州などの報告義務を各州に課すとしており、もし実施されればコックスのように州を超えて中絶手術を受けることがより困難になると予想されている。民主党大会では他にも沢山のリプロダクティブ・ライツに関するスピーチがあった。
※3 具体的には、移民の大量強制送還、環境規制の大幅な緩和、LGBTQ差別に対する法的保護の撤廃などが含まれ、いずれもバイデン政権の政策を否定しそれを無効化することを目指している。
※4 “The next conservative President must make the institutions of American civil society hard targets for woke culture warriors. This starts with deleting the terms sexual orientation and gender identity (“SOGI”), diversity, equity, and inclusion (“DEI”), gender, gender equality, gender equity, gender awareness, gender-sensitive, abortion, reproductive health, reproductive rights, and any other term used to deprive Americans of their First Amendment rights out of every federal rule, agency regulation, contract, grant, regulation, and piece of legislation that exists.” [次の保守派の大統領は、アメリカ市民社会の機関を “ウォーク(「目覚めている」という意味だが、リベラルな価値観を揶揄する表現として使われる)文化”にとって攻撃し難いものにしなければならない。そのためにまずは、性的指向やジェンダー・アイデンティティ(SOGI)、多様性、公平性、包括性(DEI)、ジェンダー、ジェンダー平等、ジェンダー公正、ジェンダー意識、ジェンダーに配慮した、中絶、リプロダクティブ・ヘルス(生殖に関する健康)、リプロダクティブ・ライツ(生殖に関する権利)、そしてアメリカ人から憲法修正第1条に規定された言論の自由の権利を奪うために用いられるその他すべての用語を、連邦のすべての規則、行政機関の規則、契約、助成金、法令、そして関連する法案から削除しなければならない。] Heritage Foundation. (2024). Project 2025: A Mandate for Leadership. pp. 4-5. Retrieved from https://static.project2025.org/2025_MandateForLeadership_FOREWORD.pdf
My body, my choice: 私の身体は私の選択
女性の権利が奪われることへの深刻な危機感は、民主党にとどまらず、無党派層、ひいては共和党の女性にも共有されていた感覚がある。だからこそ、アイオワ州の地元紙「デモイン・レジスター」でのアン・セルツァーの、「党派を超えて女性がハリスを圧倒的に支持している」という選挙直前の分析は、私には大変説得力があったのである。
“My body, my choice (私の身体は私の選択)” は、女性の性と生殖に関する自己決定権を主張するスローガンだ。トランプ陣営は、本人のみならず、側近たちまでもが数々の性暴力の告発を受けている。そんなトランプ政権によって「プロジェクト2025」のような女性の性や生殖の権利がさらに奪われる政策がすすめられたとしたら、この社会は一体どうなってしまうのか……こうした不安を、娘を持つ親たちから実際によく耳にした(トランプ当選後には、このスローガンを逆手にとり、“Your body, my choice[お前の体は俺の選択]”という、真っ向からリプロダクティブ・ライツを否定するトランプ支持者の男性による投稿がSNSで急増していることが報告されている)※5。
※5 Duffy, Clare. “‘Your Body, My Choice’ and Other Attacks on Women Surge on Social Media Following Election | CNN Business.” CNN, Cable News Network, 13 Nov. 2024,.
こんなに早く結果が出るとは……
そして、投開票当日の11月5日夜。東海岸から開票が始まったが、序盤の当確速報の内容には特に驚かなかった。トランプがレッド・ステート(共和党の強い州)を、ハリスがブルー・ステート(民主党の強い州)を制するという予想通りの展開だったからだ。
嫌な予感がしたのは数時間後、「ノース・カロライナ州でトランプ優勢」という、運転中に入ったラジオの一報を聞いたときだった。シカゴ時間で夜9時半ころのことだ。激戦州の一つであるノース・カロライナ州は、元々共和党よりであるものの、ハリスが猛追しており、逆転の可能性があると言われていたのである。アン・セルツァーの選挙予測を読んでいた私は、少なくともこんなに早い段階で「トランプ優勢」が出るとは思っていなかった。
10時半近くに帰宅すると、AP通信がノース・カロライナ州でのトランプ当確を出していた。そこからはズルズルと、ジョージア、ミシガン、ペンシルバニアと全ての激戦州をトランプが制していき、日付が変わる頃には、もうトランプ勝利が確定してしまった。「きっと明日の朝になるまで大勢は決まらないだろう」と友達と話していたのにもかかわらず。
結局、アン・セルツァーが「3ポイント差でハリス勝利」を予測したアイオワ州では、14ポイント差でトランプが勝った。実に17ポイントもの差で外したことになり、今でも信じ難い。セルツァー自身、なぜ予測と結果が乖離したのか分析を行なったが、「理由はいまだに謎だ」(“I’ll continue to be puzzled”)と結論づけている※6。
※6 “However, I’ll continue to be puzzled by the biggest miss of my career.” [しかし私のキャリアにおける最大のミスについて、私はこれからも困惑し続けるだろう] Selzer, Ann. “Iowa Poll: Ann Selzer Review and Analysis.” DocumentCloud, November 2024,.
なぜ「ハリス優勢」の予測は外れたのか
選挙後、ありとあらゆる人がこの事前予測を外した選挙結果の分析を始めた。仮説の一つとしては、現バイデン・ハリス政権のイスラエル・パレスチナ問題への対応に対する不満から、民主党の中でも特にパレスチナを支持する層、若者を中心とした急進的左派の票をハリスが集めきれなかったというものがある。
日常的に学生たちと接する私にも、ある程度その実感はある。また実際、住民の55%がアラブ系移民であるミシガン州のディアボーン市では、ハリス36%に対しトランプが42%と6ポイントもの差をつけて勝っている。デアボーンで共和党が勝利するのは2000年の第一期ブッシュ以来初めてで、さらに注目すべきは、アメリカ総選挙においては泡沫候補扱いである緑の党のジル・スタインが、なんと18%をも獲得していることだ※7。
イスラエル・パレスチナ問題の対応をめぐるリベラル層内の不和は、私のごく周辺でも起きていた。前述したようにシカゴで民主党大会が開催されたとき、私の友人も何人かボランティアとして党大会に参加し、会場内の熱気を興奮しながら伝えてくれていた。ところが同時に、別の友人たちは会場の外で抗議活動をしていたのである。
実は、党大会開催中の4日間、数千人が会場の周辺に集まりイスラエルへの武器提供を続けるバイデン・ハリス政権を批判し、民主党大会でのパレスチナ系スピーカーの登壇を求める抗議活動が行なわれていた。党大会ではハマスにより拉致されたイスラエル系アメリカ人の若者、ハーシュ・ゴールドバーグ=ポーリンの両親が、人質の返還と即時停戦を求めるスピーチを行った。ちなみに、イスラエルによるパレスチナ入植政策に批判的であったハーシュもその両親もシオニストではない。彼は両親が党大会でスピーチを行った約1週間後、ガザで遺体となって発見された。
イスラエル系と同等の発言機会を求める抗議グループ代表は、民主党委員会と交渉を続けていたが3日目の夜に決裂し、結局パレスチナ系スピーカーが登壇することはなかった。これは、民主党の難しい立場を象徴する出来事だったといえる。アメリカにおいて、ユダヤ系ロビーに真っ向から対立して選挙に勝つことは不可能だ。その上で、イスラエルによる大量虐殺と人権侵害に異を唱えないことは、社会正義と多様性の尊重を標榜する民主党のアイデンティティを揺るがすことになる。
党大会最終日、ハリスは大統領候補指名受託スピーチで、即時停戦により「イスラエルの安全確保と人質解放」のみならず、「ガザの苦しみの終結」、そして「パレスチナ人が尊厳、安全、自由、そして自決の権利を実現」することを目指す(“to end this war such that Israel is secure, the hostages are released, the suffering in Gaza ends, and the Palestinian people can realize their right to dignity. Security. Freedom. And self-determination.”)と述べた※8。それまでのバイデンの声明よりもかなり踏み込んだ内容であったが、パレスチナの支持者からは不十分と受け止められた※9。前述のミシガン州ディアボーン市での情勢も、民主党大会への失望をきっかけにトランプ支持が高まったと報告されている※10。
※7 “Trump Wins Dearborn and Makes Gains in Hamtramck.” Detroit Free Press, 6 Nov. 2024,.
※8 Harris, Kamala. Remarks as Prepared for Delivery: Vice President Harris Acceptance Speech. August 2024.
※9 Mithani, Jasmine, and Candice Norwood. “Harris’s DNC Speech and Reactions to Gaza.” The 19th, August 2024,
※10 Householder, Mike. “Trump’s Visit to Dearborn and Harris’s Focus on Arab Americans Highlight Michigan’s Pivotal Role.” Associated Press, 6 Nov. 2024,.
生活苦や物価高による不満
イスラエル・パレスチナ問題は、確実に左派陣営内の不和をもたらした。しかし、それがトランプの圧勝を牽引する理由であったかというと疑問が残る。9月に行われたギャラップ社の調査によれば、投票にあたって重視する争点で、「中東情勢」は15位にとどまっている。この調査では圧倒的1位は「経済」だった※11。選挙結果が出た翌日、バーニー・サンダースが、「労働者階級を見捨てた民主党が、労働者階級に見捨てられたのは当然の結果である」(“It should come as no great surprise that a Democratic Party which has abandoned working class people would find that the working class has abandoned them.”)という声明を出した※12。各社の出口調査の分析もこれを裏付けており、経済を最重要課題と答えた有権者の圧倒的多数が、トランプに投票したことが明らかになった。総じてインフレによる物価高、生活苦が現政権への不満として現れたという分析結果になっている※13。
この分析は、きっと正しい。バイデン政権の下、GDP成長率、雇用数、失業率、株価市場などの指標によれば、実はアメリカの経済状況は4年前よりも回復している。しかし、コロナ禍の流通混乱やロシア・ウクライナ情勢によるインフレで物価上昇率は20%に達し、市民の生活は実感として確実に苦しくなった。その中で「アメリカを再び偉大に!」(Make America Great Again!)というトランプのスローガンは、── 面倒な価値観に煩わされることもなく、大量の移民もいなかった、男は男らしく、女は子を産み育てた──「あの頃のアメリカは良かった」という情緒に直接共鳴するだろう。 一方で、民主党が打ち出した中絶の権利、多様性、アイデンティティ、共生、民主主義の尊重などが、「ガソリン代をどうやりくりするか」という毎日の切迫した懸念の前には二の次、三の次になったことは容易に予想がつく。
※11 「中東情勢」:非常に重要31%; とても重要33%; ある程度重要29%; 重要ではない5%。「経済」:非常に重要52%、とても重要38%、ある程度重要9%、重要ではない1%。“Economy Remains Most Important Issue in 2024 Presidential Vote.” Gallup, 20 Nov. 2024,.
※12 Sanders, Bernie [@BernieSanders]. “Sanders Statement on the Results of the 2024 Presidential Election.” X, 6 Nov. 2024,.
※13 例えばCBSによる調査。De Pinto, Jennifer, Fred Backus, and Eran Ben-Porath. “How Trump Won the 2024 Election — CBS News Exit Poll Results.” CBS News, updated 8 Nov. 2024,.
大統領になるには「まだ足りない」?
しかし、である。「生活が苦しくなったから人々はトランプに投票したのだ」というこの分析にも、釈然としない気持ちが残る。それは、この国において、いつも最も経済的に苦しく、最も不公平に扱われ、最も困難な立場にあり続けている黒人の女性たちの92%がハリスに投票したという事実があるからだ※14。
彼女たちはいつも決してぶれない。2020年は90%がバイデンに※15、2016年は94%がヒラリーに投票している※16というこの圧倒的な事実を前に、生活苦だからといって性差別を容認し、多様性を否定し、公正を顧みず、民主主義を蹂躙することすら厭わない人物に人々は票を投じるものだろうか、本当は根深い別の理由があるのではないか、と思ってしまう。
9月に行われたハリスとトランプの唯一のディベート後、ゴッディズ・リヴェラ(God-is Rivera)という会社経営の黒人女性によるツイートが多くの女性たちの共感と反響を集めた。その言葉について、私はずっと考え続けている。
有能で資格のある黒人女性が、明らかに無能で錯乱した男性と役職を争わなければならないという事実は、黒人女性がこの世界で経験する現実をこれ以上ないほど的確に象徴している。( “The fact that a competent and qualified Black woman has to go up for a job against a clearly incompetent and unhinged man is such a spot on representation of so much of the experience of being a Black woman in this world #Debate2024”) ※17
もし大統領になったとしたら、ハリスは史上初めて三権(立法、行政、司法)全てにおいて経験をもった大統領になったはずだった。これまで女性、とくに黒人女性は、あらゆる場面で「Not enough(まだ足りない)」と退けられてきたが、ハリスのように有能で、これほどの経験があっても、大領領になるには「まだ足りない」のだ。
女性コメディアンのデジ・リディックは、選挙翌日のコメディ番組で、専門家たちによるハリスの敗因分析を取り上げて揶揄していた。
〈「左に寄り過ぎた」「中道に寄り過ぎた」「親イスラエル過ぎた」「親パレスチナ過ぎた」「バイデンとの違いを出せなかった」「バイデンとは違うと打ち出し過ぎた」……。みな結局のところ理由はわからないのだ。二人の有能な女性がどちらもこの国で最低の男性に負け、初の犯罪者大統領が誕生した。もうこうなれば、女性以外ならばなんでも「初」の大統領になれるということでは?! 初のアーミッシュ大統領。初のウォルバーグ一族大統領! あ、犬が大統領になっていけないという決まりもないよね……ただし雄犬なら!※18〉
ジョークとはいえ、私にとってこれほど納得のいった分析はなかった。イギリス在住の政策研究者・久保山尚氏によれば、#MeToo運動以降、全世界的に若年女性層が権利意識を高めリベラルに傾いているのに対し、若年男性層は既得権益の享受者として扱われることに嫌気がさし右傾化している。この選挙は根底に「男対女」の構図があったこと、トランプ陣営がこの若年男性層をターゲットにしたマッチョイズムに訴える戦略をとり、それが功を奏したことを指摘する氏の分析※19を読み、実感に裏付けを得た気持ちがしている。
※14 “Election 2024: Exit Polls.” CNN, 5 Nov. 2024,.
※15 “Election 2020: Exit Polls — National Results.” CNN, 3 Nov. 2020,.
※16 “Election 2016: Exit Polls.” CNN, 8 Nov. 2016,.
※17 Rivera, God-is (@GodisRivera). “The fact that a competent and qualified Black woman has to go up for a job against a clearly incompetent and unhinged man is such a spot on representation of so much of the experience of being a Black woman in this world #Debate2024.” X (formerly Twitter), 15 Mar. 2024,.
※18 ウォルバーグ一族とは、マーク・ウォルバーグをはじめとして多くの俳優、タレントなどがいる芸能一家として有名なウォルバーグ家を指している。あらゆる属性の中でいかに「女性」だけが大統領になることが困難かを強調するジョーク。The Daily Show. Desi Lydic Reacts to Trump’s Election Win & the Media’s Blame Game. YouTube, 9 Nov. 2016,
※19 KBYMScotland (@KBYMScotland). “トランプ勝利の要因についていろいろ分析があるが、あまり日本語で論じられていない点でかつ個人的に重要と思ったのが、今回の選挙は「男対女」という構図があり、トランプ陣営の特に若年男性層をターゲットにした戦略が功を奏したというもの。日本の暇空茜/Colabo問題にも通底するかもしれない。1/11.” X (formerly Twitter), 6 Nov.,
「それがアメリカの『普通』」
選挙から10日後、私は親友たちと隣のミシガン州に小旅行にでかけた。週末にのんびりと湖岸沿いのレイクハウスに泊まろうと前々から計画していた旅行である。まさか誰もお互いをケアし合うために必要な逃避行になるとは予想もしていなかった。
女友達5人だけの安心できる空間で、夜中までワインを飲み、それぞれ思いの丈をぶつけた。「ああだとかこうだとか、言葉を選んで、なるべく言わないようにしてるけど、結局そういうことじゃない。はっきり言えばいい、女だからダメなんだって!(That’s what it is! Just say it!) 」と苛立つ友達をみて、「ああ、そう感じていたのは私だけではなかったのだ」と思った。
5人のうち4人はフリーランスや非営利団体勤務なのだが、1人だけは大企業に勤めている。人事部の管理職として社内の多様性・包括性推進担当をしている黒人女性だが、その彼女が言った。「みんなあんまりわかってないかもしれないけど、企業文化って本当にびっくりするくらい差別的なの。これだけブラック・ライブズ・マターとか、女性の権利とか言われてて、多様性・包括性推進っていう部署があったって、ぜんっぜんまったくそんな意識がないの。そして、それがアメリカの『普通』なのよ。大部分なの。それが現実なの」
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シカゴの教育委員会の現状と選挙
ところで、アメリカ総選挙は大統領を選出するだけではない。連邦上院議員、連邦下院議員、州上院議員、州下院議員、市のあらゆる役職、そして裁判官を選ぶ選挙があり、その投票用紙は4ページにもわたる。私が住むイリノイ州では、大統領をはじめ各議員への投票結果は、ほぼ間違いなく民主党多数になるが、それでも投票率は70%前後。今回は、前回の72.9%よりやや下がり70.4%だった※20。
その中で今回、シカゴ市民にとって大統領選の次に大きな関心事だったのは、市の教育委員の選挙であった。ロサンジェルス、ヒューストンなどの大都市を含め、アメリカのほとんどの地方自治体では教育委員は公選制である。しかし、シカゴは長年、市長による任命制をとっていた。任命制では、教育委員会は実質上、市長のコントロール下にあり、教育行政に関する実際の責任を問うことができない。公教育に関して、シカゴでは歴史的に民主主義がほとんど機能していなかったのである。
それが今回、市民による何十年にもわたる地道な運動が実を結んで、教育委員選挙が実現した。教育に携わるものにとっては非常に大きな出来事であった。結果は、公教育の公正を目指す立場の候補と、公教育の民営化を目指す立場の候補が、ほぼ半々で当選し、痛み分けというところになった。政治はワシントンD.C.だけで起きているのではない。次回は、このシカゴ市における公教育の公正の問題について書いてみたい。
※20 Illinois State Board of Elections. “Official Canvass: General Election November 5 2024.” Illinois State Board of Elections, 2, December, 2024,