2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが1978~2004年という四半世紀以上の年月をかけて書き上げた作品である。第二次世界大戦期の「絶滅戦争」といわれた独ソ戦に従軍した、当時15~30歳だった500人を超える女性たちから聞き取った記憶の集積だ。録音したカセットテープは500本を超えたという。
同書の前半では主に前線で体験したことが語られる。ソ連では多くの女性が自ら進んで戦場に向かった。その一人、アリヴィナ・アレクサンドロヴナ・ガンチムロワは、戦争が始まった1941年、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の学校を卒業して、専門学校へ願書を出したばかりであったが、軍への入隊を志願。上級軍曹として斥候(敵軍の動静・地形などを探り、監視するために、部隊から差し向ける兵)の役割を担った。しかし、敵はドイツ兵だけではなかった。当時、スターリンの命令227号なるもの――戦場で後退したら銃殺――が発令されていた。敵の包囲から脱出した者や捕虜で脱走した者も選別収容所行き。アリヴィナの部隊の後方には阻止分遣隊が退路を断っていた。敵ではなく、味方を狙う部隊である。彼女は、森の中のどろんこに跪き、命乞いをするインテリ風のロシアの若い兵士が額を撃ち抜かれたところを目撃している。
ベラルーシの首都、ミンスクのアレクシエーヴィチの自宅近くに住んでいたジナイーダ・ワシーリエヴナは、かつて騎兵中隊の衛生指導員として、姉のオリガとともに激戦地であるスターリングラード(現ボルゴグラード)やクバンへと転戦した。そこはドイツ兵に切り落とされたソ連兵の脚が入ったままのブーツが凍って、塹壕の前に並べられるような凄惨な場であったが、ジナイーダは味方の負傷兵の手当だけでなく、ドイツ兵も手当てしたという。片足を打ち砕かれた彼は、目の前の相手が女性だとわかって自動小銃を捨てたのだった。ドンバスでは大腿部に破片が突き刺さったこともある。手持ちの応急品で処置をして、兵士の手当に駆けずり回った。彼女は当時16歳。女の子がお尻にケガしたなんて恥ずかしくて言えなかった。そして出血多量で気を失った。軍靴のなかは血だらけだった。
幼子がいながらパルチザンとして戦う女性もいた。ライーサ・グリゴヴエナ・ホセニェーヴィチはベラルーシの村に住む姑に幼稚園児だった息子を預けた。姑はライーサに「孫は引き取ってあげよう。でも、もう二度とここへは来ないでおくれ。お前のせいで私たち皆殺しにされてしまうよ」。ドイツ軍に狙われていたライーサはその後、2歳になる娘を連れながら、数年間、戦場を生き延びた。
後半では、直接の戦闘よりも、そこがどのような場だったのかが語られる。下着についた大量のシラミを、男性のように裸になって火に炙って払うわけにはいかず、彼らのいないところまで移動してから脱いで、手で振り落とした、戦中に生理が止まってしまった、任務から戻ってがくがく震えている時に、タバコを吸って落ち着いたなど、彼女たちの言葉は、寒さやかゆみ、たばこの味、空腹、硝煙や血の臭い、あるいは傷口への手当てなど、読み手の皮膚感覚に訴えてくる。
戦場だけではない。狙撃兵として従軍していたクラヴジヂア・Sは帰還後、地元の女性からこうなじられた。
「あんたたちが戦地で何をしていたか知っているわ。若さで誘惑して、あたしたちの亭主と懇ろになっていたんだろ。戦地のあばずれ、戦争の雌犬め……」
戦闘は終わっても、戦争は終わらない。戦争による勝利の代償はあまりにも重い。
本書の根底にあるのは戦争がもたらす悲劇の普遍性だ。だから長く読み続けられる。だから戦争を遂行しようとする者からは攻撃の対象となる。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチはロシアによるウクライナ侵攻に反対し、プーチン大統領に同調するベラルーシのルカシェンコ大統領に批判的な姿勢を貫いており、現在はドイツの首都、ベルリンで事実上の亡命生活を送っている。
本作をモチーフに製作された映画も紹介したい。『戦争と女の顔』(2019年ロシア/カンテミール・バラーゴフ監督)。祖国へ帰還し、レニングラードの病院で働く、2人の元女性兵士を主人公にした作品である。『戦争は女の顔をしていない』を見事に映像化している。アマゾンプライムで視聴可能なので、ご関心のある向きはぜひ。
(芳地隆之)
*