裁判官の「良心」を活かす裁判~20年前の「球界再編」事件から~ 講師:竹内浩史 氏

憲法に記された「裁判官の良心」の意味を探求すべく、弁護士から裁判官に任官した竹内浩史氏。2004年に、球界再編事件で東京高裁の主任裁判官を務めた経験から、その「答え」を見出したといいます。プロ野球界が1リーグ10球団体制に再編される瀬戸際での逆転劇は、裁判官の良心をいかに示したのか──当時の新聞コラムを振り返りながら、語っていただきました。(2024年12月14日@東京校)

「正直」「誠実」「勤勉」を基準に判決を下す

 憲法76条3項に次の条文があります。「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、憲法及び法律にのみ拘束される」。私は裁判官に任官する前、16年間弁護士をしていましたが、なぜこの条文に「良心」という言葉が必要なのかが分かりませんでした。裁判官になれば分かるのではないか、というのが任官した動機です。裁判官になって2年目、東京高裁で主任裁判官を務めさせていただいた事件によって、その目的は早くも達成されました。
 裁判官の「良心」とはなにか。私は「主観的良心である」という少数説をとっています。憲法の教科書には、だいたい「客観的良心説」が書かれているので、私の見解は非常に独特に見えるかもしれません。私の考える主観的良心とは、①正直、②誠実、③勤勉を基準にしています。この三つの基準によって勝ち負けを判断し、あとから憲法や法律で理由づけするのが正しい裁判だという見解をとっています。
 この見解には、法律上の根拠があります。民法で最初に勉強する「不動産の二重譲渡」を思い出してください。ある人が、AさんとBさんに相前後して同じ不動産を売ったとします。AさんとBさんの間では「自分のものだ」と争いになりますね。この時、民法上どちらが勝つでしょうか。皆さんご承知のとおり、先に不動産登記をした方が勝ちます。これは民法177条の規定にあって、三つの基準のうちの「勤勉基準」に当てはまります。
 しかし、この「勤勉基準」を覆すケースもあります。それは、登記をした者が不誠実、つまり「背信的悪意者」と判断される場合です。例えば、BさんがAさんへの売買契約を知りつつ、その権利を横取りする形で先に登記を行ったとします。このような場合、いくらBさんが登記をしていても不誠実と判断され、権利を認められない可能性があります。これが「誠実基準」です。誠実な者を優先するのです。では、もしもAさんの売買契約が虚偽だった場合や、実体のない架空取引だった場合はどうでしょうか。最終的にBさんが勝つことになります。これは「正直基準」に則っています。
 このように、一番単純な不動産の二重登記の事案ですら、①正直、②誠実、③勤勉の基準によって法律と最高裁判例が決まっているのです。

近鉄・オリックスの合併構想に端を発した

 では、私が裁判官の「良心」の答えを見いだした事件についてお話ししましょう。2004年の「球界再編事件」です。この年、プロ野球は2リーグ12球団から1リーグ10球団へと再編されようとしていました。そのきっかけとなったのが、経営難に陥っていた近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併構想です。この合併構想は、日本プロ野球機構(NPB)の実行委員会でほぼ了承されました。朝日新聞の世論調査では、2リーグ制支持が1リーグ制支持をわずかに上回っているという状況でした。
 野球界の憲法と言われる「野球協約」には、選手契約に関わる審議事項は、特別委員会(実行委員会の下部組織)の議決を経て実行委員会に上程するという規定があります。この合併が1リーグ制を前提としたものなら、協約を根本的に書き換えなければなりません。野球協約を書き換えるには、実行委員会で4分の3の賛同が必要ですが、その前段階の特別委員会は委員10人のうち選手側から4人が参加しています。選手側3人が反対すれば議案は否決されます。そのため、NPB側は選手の同意は必要ないという姿勢で押し切ろうとしました。
 当時の日本プロ野球選手会の会長は古田敦也さんで、選手を代表して合併構想に反対しました。球団を減らして1リーグにするということは、「プロ野球の縮小であって考えられない。国民の声を聞け」という姿勢で戦っていました。仮に2リーグ制のままだとしても、近鉄とオリックスが合併すると2リーグ11球団という非常に中途半端なものになってしまいます。そこでNPBが考えたのは、もう一組球団を合併させることです。有力だったのが千葉ロッテマリーンズと、福岡ダイエーホークス、あるいは西武ライオンズを合併させる案でした。しかし、選手会の頑張りによって世論はだんだん変わっていきます。この時点の世論調査では2リーグ制維持が70%、1リーグ制を望む声は13%になりました。
 当時の様子を『プロ野球 再編 カウントダウン EYE 西村欣也2』(朝日新聞出版)を参照しながら振り返りましょう。この本は、朝日新聞で編集委員の西村欣也さんが連載していたスポーツコラム「EYE」をまとめたものです。
 8月3日のコラムでは「根來氏は指導力発揮を」というタイトルでした。この年、NPBのコミッショナーに就任した元東京高検検事長の根來泰周氏が、なにも指導力を発揮しないで「僕には権限がない」とだけ繰り返していたことを指摘しています。また、8月24日のコラムでは、「選手会避ける責任重大」と題し、プロ野球機構が選手会の労働組合性を否認し、団体交渉としては応じないことを批判しました。それが不当労働行為であるから、選手会と交渉すべきであると指摘しています。
 その後、8月31日のコラムでは、西武・堤義明オーナーが「もう一組の合併が進行中」と発言し、巨人・渡邉恒雄オーナーが「1リーグ制は究極の交流試合。何のマイナスがあるのか」と援護したことが書かれています。こうして1リーグ制への流れが一気に作られたのが、8月末の情勢でした。近鉄とオリックスの合併もほぼ規定路線になり、あとは正式な手続きを踏むだけという段階に来ていました。
 一方、古田選手会長は「立ち止まって議論を」という主張をしていました。朝日新聞の「論壇」というコーナーに古田さんが自分で原稿を書いて投稿し、8月31日頃の朝刊に掲載されています。

選手会が日本野球機構に「団体交渉応諾仮処分」を求めた

 そして9月はじめ、いよいよ私たち裁判官のところに事件がやってきました。選手会の古田さんら選手3人が東京地裁労働部に、2項目の仮処分申し立てをしたのです。一つは、選手も参加する特別委員会の議決を経ない限り合併を承認してはならないというもの。もう一つは、球団合併について選手会の団体交渉に応じろというものでした。
 東京地裁労働部は9月3日にこの申し立てを却下し、その日のうちに私がいる東京高裁に即時抗告が来ました。それが金曜日の17時過ぎです。私は主任裁判官でしたから、土曜日に休日出勤して記録を検討し、日曜日は裁判長と陪席裁判官にも出勤を要請して合議しました。そして9月6日の月曜日、非常に異例なことですが、われわれはまず特別委員会に関する申し立ての方を決定しました(第一決定)。なぜ急いだかというと、この日に特別委員会が行われることになっていたからです。残りの団体交渉の申し立てについては、もう少し時間をかけて考えました。
 第一決定では、球団合併が特別委員会の審議事項に当たるというのは無理であろうと判断しました。選手が反対したら合併が阻止されてしまうのと、合併は選手契約と直接関係がないとも言えるからです。
 その2日後、9月8日に出した第二決定では、球団合併は「義務的団交事項(労働者側から団体交渉の申し出があった場合、経営側が正当な理由なく対応を拒否することが許されない事項)に当たる」としました。なぜかというと、球団合併をすると必然的に1球団分の選手がくびになるからです。各球団の保有選手数に枠があることをご存知でしょうか。1球団あたり数十人ですから、1球団減ると、それだけの人数が仕事を失います。野球協約には、その場合に限って保有選手の人数を一時的に増やしていいと書かれていますが、NPB側はそれを発動しませんでした。したがって、これは義務的団交事項に当たるという判決をいたしました。
 ただ、結論としては原審と同じく、抗告棄却です。なぜ、団交を命じる仮処分を出さなかったかを、第二決定の後半に書いています。引用しましょう。

 相手方(NPB)は、当審においても抗告人(選手側)が労働組合法第17条2号の団体交渉権を有することを争うとの従前の主張を続けている。そのため、相手方がこれまで応じてきた交渉等が誠実さを欠いていたことは否定することができないし、相手方が応じるという9月9日からの交渉の法的性格等にも疑問の余地がある。
 しかしながら、相手方の代表者でもあるコミッショナーには、著名な法律家が就任しており、当裁判所が抗告人の団体交渉権について上記の様な判断を示しさえすれば、相手方は、9月9日からの交渉において、これを尊重し、実質的な団体交渉が行われることが期待される。また、万一、相手方が誠実交渉義務を尽くさなければ、労働組合法7条2号の不当労働行為の責任を問われる可能性等があるばかりでなく、野球の権威等に対する国民の信頼(野球協約第3条1)を失うという事態を招きかねない。
 抗告人の代表者は「我々は対話を求めている」と題された新聞への投稿で、「合併によって球団を減らすことが本当に発展につながるのか。ファンに喜ばれるプロ野球になるのか。その観点で十分な議論を尽くすべきです」などと論じており、抗告人の主張は、単に労働組合法上の権利を根拠として、これにこだわっているものではなく、とにかく十分な議論を尽くすべきであると訴えているものと理解することができる。

 もしも原審をひっくり返して団交命令した場合にどうなるかを想像してください。NPB側は絶対最高裁に許可抗告か特別抗告を持ち出しますよね。最高裁に行く場合、決定がひっくり返る可能性もありますし、時間がかかります。確定に日を要するうちにその時点での状況が既成事実化してしまう可能性があるので、この場合は仮処分を認めないのが正解だと思います。選手会の実質勝訴といえる内容で、形としてはNPB側は勝訴しているので最高裁には持っていけず、これで決定が確定します。

高裁の判断が、団体交渉に大きな影響を与えた

 その後どうなったかを、『スト決行』(朝日新聞スポーツ部著、朝日新聞出版)に収録された朝日新聞のスポーツコラム「EYE」から引用します。9月9日、われわれの決定が出た翌日に、こう書かれています。
 「東京高裁はこの選手会が労働法上の労働組合であることをはっきり認めた。さらに経営者側はこれまでの主張を繰り返し、誠実交渉義務を尽くさなければ不当労働行為の責任を問われる可能性があるばかりでなく、国民の信頼を失うという事態を招きかねないという判断を下した。経営者側が司法判断を考慮せず、暴走をやめないならストライキは避けられなくなる」
 さらに9月11日、「ファン無視の球界改悪に歯止め」というタイトルで「8日に東京高裁から出された判断が9日、10日の団体交渉を大きく左右した」と書かれています。それまでNPBは選手会を労働組合として認めず、団体交渉を拒否してきました。しかし9月6日に選手会が「ストライキの実施」を決議したこともあり、9月9日と10日に初めて選手会側との団体交渉が行われたのです。ホテルの大広間で、12球団のオーナー全員が選手会代表と向かい合いました。「東京高裁は『誠実交渉義務違反』と判断し、根來コミッショナーにも警告を与えた。このことで選手会がストライキを設定したことのプレッシャーが、大きく経営者側にかかった」とコラムに書かれています。
 でも、すぐに「合併をやめます」という話にはなりませんでした。9月14日のコラムには「ストはなんとか回避したいという姿勢が経営側に見えない」と書かれています。団体交渉の暫定合意で選手側はストライキの実施を1週間延期しましたが、なかなか話は進みませんでした。
 しかし、世論は選手会側を圧倒的に支持し、当時の世論調査でストライキ賛成が63%に上りました。ストライキがこれだけ支持を集めるのは非常に珍しいことです。同じく9月14日のコラムには、「巨人の渡邉恒雄オーナーが『(たかが)選手』と発言した時、『たかがファン』と言われているのと同じことだと世論が気づいた(※)」と書かれています。
 結局、交渉はいったん決裂し、選手会は土日にストライキを実行しました。このストライキが大成功して2リーグ制は維持されることになったのです。近鉄とオリックスの合併はそのまま進められましたが、パ・リーグに1球団、新球団の参入を直ちに認めることになりました。その結果、東北楽天ゴールデンイーグルスが生まれて2リーグ12球団が維持されたのです。

※この年7月、巨人の渡邉恒雄オーナーは、古田選手会長が経営者側との会談を求めていることについて問われ「無礼な事言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と発言、選手やファンの大きな反発を招いていた

「たかが選手」発言は正直だが不誠実

 さて、選手会はなぜ勝つことができたのでしょうか。冒頭でお話しした「主観的良心」の基準で説明すると、「議論」を求め続けていた選手会代表の古田さんは明らかに「正直・誠実・勤勉」ですね。一方、NPB側はどうでしょう。渡邉恒雄オーナーを例に挙げると、この人は「正直」ではあります。思ったとおりのことを口に出してしまいます。けれども「誠実」かというと疑問がありますね。選手たちのことを「たかが選手」とつい言ってしまったのは、正直だけど不誠実です。また、「勤勉」かどうかも疑問があります。問題をなんとかしようとは考えていませんでしたね。では、NPBの根來コミッショナーはどうか。この方は、「正直・誠実」を論じるまでもなく「勤勉」がバツ、職務怠慢でした。つまり、選手側に比して、NPB側に勝てる余地はなかったのです。冒頭に挙げたように、私はこの事件を通じて主観的良心の重要性に気付くことになりました。
 また、東京高裁の決定がどうだったかという以前に、選手会が裁判に訴え、ストライキを行って大成功したことは大変重要な歴史です。ストライキがそれだけの効力を発揮して、プロ野球選手たちが戦ったことは、労働者の権利は大切だということを示す非常に良い先例になりました。その意味でも、この事件は何度も見直して、学び直して評価し直すことが必要だと思っています。

 

たけうち・ひろし 1962年10月愛知県生まれ。県立時習館高校・東京大学法学部を卒業し、司法修習39期。1987年4月から名古屋で弁護士活動のあと、中部弁護士会連合会の推薦を受けて、2003年4月に弁護士任官。裁判官として東京・川越・横浜・大分・大阪・名古屋での勤務を経て、2021年4月から津地裁民事部総括。2023年11月に岡口基一裁判官側の証人として裁判官弾劾裁判所に出廷。2024年5月に『「裁判官の良心」とはなにか』(LABO)を刊行。2024年7月、津に転勤後の地域手当減率による減俸を憲法80条2項違反と主張して名古屋地裁に国を提訴。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!