世界各地で戦争が止まない今日、国際社会は放置すれば裂けてしまうような危うさをはらんでいます。そんな時代に、政治体制による分断のミシン目を包摂し、再び結びつける役割を果たせるのは「法の支配」ではないでしょうか。国際社会の「法の支配」における最後の砦というべきICC(国際刑事裁判所)の現代的課題を取り上げつつ、日本が果たせる国際貢献について、弁護士で一般社団法人国際人道プラットフォーム代表理事の菅野志桜里さんにお話しいただきました。【2024年12月20日@東京校】
個人の中核犯罪を裁く国際裁判所
ICC(International Criminal Court=国際刑事裁判所)は、極めて重大な国際犯罪である「中核犯罪」を対象に、個人の刑事責任を追及する独立した常設の国際裁判所で、オランダのハーグに本部があります。
ICCが対象にしている中核犯罪とは、「ジェノサイド」「戦争犯罪」「人道に対する罪」「侵略犯罪」の4つです。「ジェノサイド」は、ある特定の集団の構成員を殲滅させるという許し難い犯罪です。「戦争犯罪」はたとえ戦争中であっても、非戦闘員を攻撃してはならない、捕虜を虐待してはならない、生物化学兵器は使ってはいけないなど、戦争のルールを破った場合に問われる罪です。「人道に対する罪」は、一般市民に対する組織的な殺害・迫害など。そして「侵略犯罪」。ロシア大統領であるプーチンのウクライナ侵攻は、まさにこれに当たります。このように対象となる犯罪を極めて重大な4つに絞っているという点がICCの一つ目の特徴です。
二つ目の特徴は「個人の刑事責任を問う」という点です。ICCと間違えやすい組織にICJ(国際司法裁判所)がありますが、こちらは国家間の紛争を解決することを目的としています。イスラエルを例にとれば、ガザへの攻撃をやめなさいという勧告をイスラエルという国に出しているのがICJ、一方、イスラエル首相のネタニヤフ個人に「人道に対する罪」「戦争犯罪」を犯したとして逮捕状を出しているのはICCです。対象が個人か国家かというのが、一番大きな違いです。
3つ目は「常設」という点です。常設でない臨時の裁判所としては、国連の安全保障理事会によって設立されたルワンダ国際刑事裁判所や旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所などがあります。これらは、ある出来事が起こった後、それを裁くために設けられる一時的な裁判所です。これに対してICCは、あらかじめ決められたルール、システムがあって、それに則って裁判する組織で、そこに意義があります。
第二次大戦後の東京裁判やニュールンベルク裁判では裁判では、戦勝国が敗戦国を一部事後法(実行時には犯罪とされていなかった行為について、後から刑事責任を問うことを定める法律)を用いて裁いたのではないかという問題を残しました。そうした歴史を踏まえ、よりフェアで納得のいく仕組みを作ろうということで作られたのが、ICCなのです。
アメリカ、中国、ロシアは非加盟
ICC設立のきっかけとなったのは、ナチスのホロコーストです。一つの民族、国民・人種、宗教集団など、その属性そのものを丸ごと殲滅するという犯罪がナチスによって可視化され、「ジェノサイド」という概念が生まれました。今後はいかなるジェノサイドも見逃してはならない、主導者は厳しく処罰する。こうした国際社会の決意は1948年の「ジェノサイド条約」として結実しました。
条約には裁判所を作ることも書かれていましたが、その後世界は東西冷戦時代に入り、国連の中で二つのブロックが対立し合意形成できず、実現には至りませんでした。冷戦終結後、ルワンダや旧ユーゴスラビアなど各地で頻発した紛争によって国際裁判所の必要性が高まり、ようやくICC設立が実現したのは1998年のことでした。
ICCには現在、国連加盟国193カ国中124カ国が加盟しています。地域別に見るとアフリカが33カ国、アジア太平洋が19カ国、東ヨーロッパが19カ国、中南米が28カ国、西欧その他が25カ国となっています。アフリカ、中南米など、いわゆる途上国が多いのは統治のシステムが脆弱な国ほど、国際裁判所を必要としているといえるかもしれません。
反対にアメリカ、中国、ロシアは非加盟で、安保理常任理事国の6割が入っていないことになります。大国、強国ほど、国際的な司法システムに関わることをよしとしないということなのでしょうが、ICCは半世紀かけて人類が築き上げた世界平和の枠組みであることを、強調しておきたいと思います。
プーチン、ネタニヤフへの逮捕状
ICCが日本で広く知られるようになったのは、2023年3月17日、ロシアのプーチン大統領に逮捕状が出されたことがきっかけでした。被疑事実はウクライナの占領地域からロシア側への子どもたちの不法な移送という戦争犯罪です。
子どもの移送について、プーチンは「ウクライナの子どもたちをロシアの子どもとして育てるため、養子縁組を整えよう」と、子どもの権利担当大臣と話し合っている動画を自ら配信しています。プーチンには他にブチャの虐殺などの容疑もかかっていますが、こうした明白な証拠があることから、まずは子どもの連れ去り容疑で逮捕状を出したものと思われます。
逮捕状が出たことについてロシアは「言語道断」「法的に無効」「子どもは救済している」と反論しています。
一方、ウクライナは「正義の歯車が回った」と歓迎、欧州加盟国も支持し、捜査に協力すると言っています。アメリカは非加盟国ではありますが、このICCの決定には賛同し「プーチンの戦争犯罪は明らか、逮捕は正当」とポジティブなコメントを出し、協力を申し出ています。そして日本は「捜査の進展を重大な関心を持って注視」。極めて日本的なコメントですね。
イスラエルのネタニヤフ首相へのICCの逮捕状が出たのは2024年11月21日、被疑事実は「民間人に対する意図的な攻撃指示」「飢餓を戦争手段にした」などの人道に対する罪、および戦争犯罪です。
ちなみにICCはハマスの指導者3人にも逮捕状を出していますが、そのうち2人がすでに死亡しており、無効になっているという状況にあります。
逮捕状についてイスラエルは「反ユダヤ主義的行為である」「偏見と差別のある政治団体であるICCの虚偽かつ不条理な告発を全面的に拒否する」と強い言葉で反論しています。
欧州は、プーチンへの逮捕状にはこぞって賛成したのに、ネタニヤフに対しては割れています。オランダ・スイス・アイルランド・スペイン・カナダ・イタリアは支持。ドイツ・フランス・イギリスは消極的です。加盟国はICCの決定に協力する義務がありますから、プーチンなりネタニヤフなりが自国に入ってきたら、拘束してICCに引き渡さなければなりません。ですがフランスは「現役の国家元首である限り、逮捕は免れる。加盟国としての法的義務は免責される」とコメントしています。
そしてアメリカは「イスラエルとハマスに同等性はなく、(双方に逮捕状を出すのは)言語道断」と反論、さらにICCに対して制裁をかけるとまで言っています。日本はどうか。「捜査の進展を重大な関心を持って注視」と、プーチンの時と一言一句変わらないコメントを出しています。
存亡の危機に立つICCと日本の役割
プーチンはICCから逮捕状が出されたことで、外遊の範囲が狭まり、外交の手足が縛られるという事態に陥っています。対象国が大国であればあるほど、ICCの世界情勢に与える影響力、存在感は増すのです。しかし同時にハレーションも起き、風当たりも強くなってきています。「一国の元首を逮捕するなんてできるのか。戦争をなくすことができるのか、国際裁判所なんて意味がない」という、その存在意義を問う声も出てきて、今やICCは存亡の危機に立たされています。
でも考えてみてください。戦争がやまない世界で、最低限のルールを作り、それを破ったら国際社会が許さない、公正に処罰する。一国の独裁者を、その国ではできなくても、国際的な裁判所が裁く。そういう仕組みを50年かけてやっと作ったのに、一瞬でなくなったらどうなるのでしょう。力が支配する世界に戻ってしまうのではないでしょうか。
いかに建前であっても、建前として維持し続け、少しでも実現させることが大事なのです。建前がなくなった世界は本当に怖いと思います。
アメリカと中国が加盟していないこともあって、日本は現在ICC最大の分担金拠出国になっています。そして現在のICC所長は赤根智子さんという日本の女性裁判官です。ICCには18人の裁判官がいて、そのうち11人が女性、全員が異なる国の出身者で構成されています。日本は創設以来ずっと裁判官を出し続けており、赤根さんで3人目、ちなみに全員女性です。
存亡の危機に立つICCの維持強化のために、日本が今すぐにでもできることは何か。
まずはICCの独立と判断に対する尊重を提唱し、行動で示すこと。経済的政治的理由で、法的な義務を怠ってはなりません。
具体的には、同盟国アメリカにICC制裁をやめるよう働きかけること。日本政府は口をひらけば日米同盟と繰り返し、アメリカとの仲の良さをアピールしています。そうであれば、同盟国アメリカに対し、ICCという国際的な司法システムを一国の思惑でぶち壊すようなことをしてはならない、法の支配の息の根を止めてはならないと働きかけるべきです。
そして本年度拠出金を速やかに完済すること。円安の影響もあって、日本はまだ本年度の拠出金を払いきっていません。ICCはいま逆境にありお金が必要なので、これは早急実現してほしいと思います。
さらに中期的には、ICCの日本人スタッフを増やし、活動の幅を広げることが望まれます。現在ICCには1000人の職員がいますが、うち日本人は10名、負担金の割合から言っても三十数名はほしいところです。
アジア地域には未だICCに加盟していない国も多くあり、各地で中核犯罪が疑われる事象も起きています。政治体制の如何にかかわらず、「力で国境を動かしてはいけない」「虐殺は許されない」「子どもを親から引き離してはいけない」など、人間の心に訴えるようなルールを物差しにしてアジア地域の共存共栄をはかる。人間社会としての基本的道義を土台とした各国協調関係の構築という目標に向かって、日本がアジア地域のICC拠点として活躍することが求められています。
中核犯罪は通常犯罪として対応できるか
日本がそうした役割を果たすためには、まず国際刑法を法体系の中に位置付けることが必要不可欠です。そもそも日本には国際刑法という概念がありません。日本の刑法には、殺人罪、内乱罪、窃盗罪、誘拐罪などさまざまな罪がありますが、ジェノサイド罪をはじめとする中核犯罪を犯罪化しておらず、そのためジェノサイド条約にも加盟していません。
「ジェノサイドは殺人の集合体として通常犯罪についての法律で対応できる。新たに〈ジェノサイド罪〉を設ける必要はない。その他の中核犯罪も通常犯罪についての法律で対応できる」というのが日本政府の立場です。日本は刑法体系を変えることに極めて慎重で、中核犯罪を犯罪化することに後ろ向きなのです。
こうした日本政府の解釈は妥当なのでしょうか。保護法益(法によって保護されるべき利益や価値)の観点から検討してみましょう。
ジェノサイド罪は特定の集団を殲滅する国際法上の犯罪で、その保護法益は国際社会全体の公共的な利益、すなわち国際的法益です。であれば個人の生命を保護法益とする殺人罪などの通常犯罪では、適切に把握できないのではないか。
あるいは国家による子どもの連れ去りという犯罪の保護法益は、身代金目的の誘拐罪と同じなのだろうか。
こうした疑問を残しつつ、一般の殺人罪や誘拐罪などと同じように扱ってしまうと、中核犯罪としての法的烙印をえられず、被害者集団の重大な関心、思い、要求に答えられないのではないでしょうか
他にも、一般の刑法では、一つの目的で統合された行為態様をまとめて捉えることができず、殺人や重傷害、誘拐などバラバラに評価せざるをえません。そのことで処罰の間隙が生じる可能性もあります。さらに、通常犯罪のような時効がないなど、中核犯罪には通常犯罪を対象にした法律では対応しきれない特殊性が多々あるのです。
やはり日本は、中核犯罪を国際法上の公共的な利益に反する犯罪と位置付け、その本質に見合った国内ルールを作って対応し、その上でジェノサイド条約に加盟することが必要なのではないでしょうか。
ジェノサイドはどこでも起きる
ここで「ジェノサイド」とは何かについても、改めて考えておきたいと思います。条約第2条によればジェノサイドとは〈国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を、集団それ自体として破壊する意図を持って行われる殺害、重大な肉体的または精神的危害、肉体的破壊をもたらす生活条件の強制、出生阻止、子どもの強制移送〉をその内容とします。
殺害だけでなく、子どもを産ませない、あるいは隔離して別の集団の一員にしてしまうなどの行為も「ジェノサイド」なのです。「集団殺害」という和訳は不十分というだけでなく、誤解を生むものだと思います。
ジェノサイド条約に加盟しているのは国連加盟国193カ国のうち153カ国。アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮も入っています。一方、入っていないのは40カ国。日本もその一つです。条約の加盟には「ジェノサイド罪」の国内整備が不可欠で、日本はその点で不十分だからです。
日本がジェノサイド条約に加盟していないと、どういう問題があるのか。
まず国際社会から国際貢献度が低い、存在感の薄い国と見られてしまいます。国際社会で起きたジェノサイド疑惑に対し、国連や国際司法裁判所に措置要求、訴訟提起をすることもできません。
また日本の主体的関与が困難と見なされ、ICC管轄が優先される可能性もあります。
例えば日本でジェノサイド罪を疑われる事件が起きたとします。日本にはジェノサイド罪がないので、通常の殺人罪などで裁かれるわけですが、「それでは不十分だ、より適切な裁判をすべく被疑者の身柄をICCに引き渡しなさい」と要求されることもあり得るのです。
ちゃんとした司法制度がある立憲国家なのに、自国民を裁くこともできないなど、残念すぎます。やはりきちんと条約に加盟して、日本は法の支配を大切にしていますということを、国際社会に行動で示す必要があります。
日本ではジェノサイド条約の加盟について、ずっと「その必要性について検討中」というスタンスだったのですが、ようやく一昨年加入に向けて国内法整備を検討するというところまで来ました。
日本ではジェノサイドなんてあり得ないとよく言われますが、例えば旧優生保護法下の障害者に対する強制不妊手術。その原点はナチスによるホロコーストの端緒でもあった断種法(遺伝病子孫防止法)にあります。あのようなおぞましいことは決して繰り返してはならないと、人類はジェノサイド条約を作りました。その直後に日本の国会で成立したのが旧優生保護法です。
旧法が、条約が規定するジェノサイド罪に当たるか否かは別にしても、日本がもしジェノサイド条約に入っていれば、一つの属性集団の殲滅を招くような法律を作っただろうか、と思わざるを得ません。いつでもどこの国の誰もが、ジェノサイドの被害者にも加害者にもなりうるということを肝に銘じたいと思います。
法曹を目指す若いみなさんにICCの活動、役割を知っていただき、広く世界に目を向けて、キャリアの選択肢を広げていただければ嬉しいです。
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かんの・しおり 弁護士、国際人道プラットフォーム代表理事。仙台生まれ、東京育ち。東京大学法学部卒業後、検察官に任官。2009年より3期10年衆議院議員を務め、待機児童問題・皇位継承問題・憲法問題・人権外交などに取り組む。現在は弁護士、一般社団法人国際人道プラットフォーム代表理事、消費者庁「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」委員。その他に、「人権外交を超党派で考える議員連盟」アドバイザー、対中政策に関する列国議会連盟IPAC(Inter-Parliamentary Alliance on China)日本コーディネーターなども務める。