「障害がある人には思いやりを」「みんなの優しさで共生社会へ」――。そんな言葉がよく聞かれます。でも、それだけで憲法が保障する人権が守られているのでしょうか。障害者差別解消法にある「合理的配慮」は、特別な親切や思いやりではなく、人権を保障するための仕組みです。人権の視点から社会を見直していく時、何が変わるべきなのか。引き続き、DPI日本会議の崔栄繁(さい たかのり)さんと、今村登さんに教えていただきました。【その1はこちら】
形式的平等ではなく、「実質的平等」「機会の平等」を求めている
――前回の記事で、障害の社会モデルとインクルージョン、合理的配慮について教えていただきました。法規範としては社会モデルがベースになっているものの、社会の理解が追い付いていないということでした。実際、障害者が配慮を求めることについて、ネット上では「わがまま」「特別扱い」など批判の声があがります。なぜでしょうか?
崔 それは「平等」にもいろいろな考え方があることを知らないからでしょう。
平等という概念は、まず「形式的平等」と「実質的平等」に分けられます。形式的平等とは、誰に対しても同じように接すること。例えば、「みんなに1人1個ずつ同じものを配る」といった考え方です。日本で平等と言えば、この形式的平等を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
でも、それだけでは本当の意味での平等にはなりません。そこで出てくるのが、実質的平等という概念です。これはさらに二つに分かれます。一つは、「機会の平等」。競争のスタートラインや条件を等しくしたうえで、あとは個人の努力や能力に任せましょうという考え方。“下駄を履かせる”とか“同じ舞台に上げる”という表現で言われるものです。二つ目は「結果の平等」で、これは所得や資源の再分配によって最終的な格差をなくしていこうという考え方です。障害者差別解消法の合理的配慮は、このうち「機会の平等」を保障するための仕組みです。
この考え方を一番わかりやすく表しているのが、最近インターネットなどでもよく見かける有名なイラストです。
崔 左側は、背の高さが違う人たちが同じ高さの箱に乗って野球を見ていますね。これが形式的平等です。真ん中は、身長に合わせて必要なぶんの箱に乗っています。これは実質的平等で、合理的配慮をしていることになります。それに加えて右端の絵では、もう箱すら必要ない。ついたてを撤去して見通しのいいフェンスにし、みんなが何の補助もなく等しく野球観戦できるようになっています。つまり、社会そのものの設計を変えてインクルージョンしている状態。これが社会モデルの理想形と言えます。
このように平等の概念はいくつもあることが、日本ではあまり語られていませんね。だから、「なんで障害者だけ特別扱いするんですか?」とか、「それは逆差別だ」といった反発がすぐに出てきてしまう。
子どものうちから「一緒に過ごす」が重要なわけ
――平等にはいろんな形があるということを、社会全体で共有していかなければならないですね。
崔 それともう一つ、やはり教育から変えていく必要があります。
みなさん、日本での教育の中で、障害のある子どもに会ったことはありますか? 日本では1979年から養護学校義務化が始まり、一定の障害のある子どもたちは盲・聾・養護学校に通わなければならないことになりました。だから、ほとんどの人は障害者に出会っていないんですよ。大人になってからいきなり共生社会と言われても、ピンと来ない。
でも、子どもの頃から障害者が身近だった人は、おそらく「特別扱い」という発想は出てこないと思います。大阪に住んでいる北村佳那子さん(下写真・黄色い囲み)の写真を見てください。現在40代の彼女が、小学生だった頃の写真です。佳那子さんは重い障害があり、歩くことや会話することができません。でも、小学2年生から通常学級に通っていて、運動会にも参加しています。
これは騎馬戦のときの写真で、ほかのチームは3人の子どもが立って上の1人を支えていますが、佳那子さんチームは上に乗った子どもを、2人の子どもと一緒に佳那子さんの車いすが支えています。佳那子さんが一緒に活動できるように、ちょっとしたルールを変更したわけですね。これも合理的配慮です。佳那子さんと右側に写っている女の子(赤い囲み)は今でも友達で、一緒にお酒を飲みに行ったりする仲だそうです。
前にも言った通り、障害者差別解消法の合理的配慮は、障害の有無によって分け隔てない共生社会の実現が目的です。そういう社会の姿を、この写真は非常に雄弁に語っているのではないでしょうか。
――一緒にいるということが大切なんですね。
崔 同じ空間にいて、同じものを見て聞いて、一緒に何かを楽しむ。それがインクルーシブ教育です。子どものうちからそうやって過ごすことで、お互いのことがわかっていくんですよね。運動会の徒競走でも、学校の先生は佳那子さんの車いすを恐る恐る押していたそうです。でも、子どもたちは佳那子さんの微妙な表情の変化がわかるらしくて、全力で押す(笑)。「手加減すると佳那子が怒る」と先生に教えていたらしいですよ。
今村 大人になればなるほど、理屈で理解しようとしますが、子どものうちから一緒だと、感覚的に理解していくんでしょうね。
崔 ほかにも、兵庫県の小学校を見学しに行った時のことです。発達障害と自閉症の傾向がある3年生のエリちゃんがいました。ほかの子どもたちはかけ算や割り算を勉強していますが、エリちゃんにとっては難しい。そこで担任の先生は、3年生用のドリルに足し算の問題を貼り付けました。同じ教室でエリちゃんにちょうどいい勉強ができるように合理的配慮をしたのです。
――低学年用の簡単なドリルを渡すのではなく、ほかの子たちと同じ3年生用のドリルに足し算の問題を貼り付けたところがポイントですね。表紙だけ見れば違いがわからない。
崔 そう。3年生のクラスの中でも、エリちゃんが学びやすいですよね。ほかの子どもたちも、一緒に過ごすことでエリちゃんのことがわかっていきますから、ドリルの中身が違うことを知っていても「一人だけずるい」みたいなことは言いません。子どもたちは慣れていくんですよ。学校の先生方からは「インクルーシブ教育は難しい」という声を聞くこともありますが、ちょっと工夫すればできることはいくらでもあります。
――インクルーシブ教育を経験していないと、「分離したほうが障害者自身にとってよいのでは」という感覚を持ちそうです。
崔 それは当たり前です。だって、障害のない人が作った社会ですから、その中に障害者がポンと来たって大変じゃないですか。いじめや虐待の対象になってしまうこともあるのが現実です。ここで「なんでそういう社会なの?」ということを掘り下げていかなければ変わりません。このままでは、日本は世界についていけなくなってしまうのではないかと思います。
バリアフリーは進んでいるが「権利性」が足りない
――ほかの国に比べて、日本は障害者の権利を守るための対応が遅れているのでしょうか?
崔 日本の場合は対応が遅れているというより、「権利性が低い」といったほうが適切ですね。障害者の権利を保障するという認識が薄く、「思いやり」「心のバリアフリー」といった文脈でものごとが進んでいます。それはそれで良い面もあるのですが、マジョリティの人が普通に行使している権利を、障害者にきちんと保障するという考え方がないと社会は変わらないんです。これは人権の問題だという視点が圧倒的に足りません。
今村 今までの諸先輩方の運動の積み重ねを上手に継承できたことで、ここ数年国交省は様々な分野の検討会などに当事者を交えて、事業者と直接意見交換できる場を設けてくれるようになったんですね。世界トップクラスのユニバーサルデザイン仕様が実現できた新国立競技場(東京都新宿区)や、車いすスペースが6席レイアウトされた新幹線の座席基準は、その象徴的なものです。鉄道をはじめ交通機関の総合的なバリアフリーについては、おそらく東京は現在世界一だと思います。
今村さんが仲間たちと一緒に、車いすスペースが6席ある新幹線車両に乗車したときの写真(写真提供:今村さん)
ただ残念ながら、障害者の権利が認められて整備されたわけではなく、東京オリンピックや社会の高齢化がきっかけだったりします。前回もお話ししたように新しくできた店舗なのに段差があったり、バスターミナルのバリアフリー化が進んでも車いすで乗れる高速バスがなかったり、都市部と地方の格差が広がったり、まだまだ解消されていない問題も多くあります。だから僕たちは、バリアフリー法(※)に「移動権」という文言を入れてほしいとずっと要望していますが、なかなか実現しません。
障害者権利条約では、障害者も自由に移動できることを「権利」として明確に認めています。でも、法律でその権利性を認めたら、国としてさらなるバリアフリーを進める責任が生じ、大きな費用がかかるというのがネックのようです。
※正式名称は「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」。2006年施行。法改正により、2025年6月からは障害者用のトイレ、駐車場、劇場等の客席の設置基準などが強化された
崔 お隣の韓国では、日本よりもずっと権利性が浸透しています。韓国の都市と都市を結ぶ2階建てバスは以前、車いす用の席が進行方向の正面ではなく、内側を向いていました。景色を楽しんだり、ぼんやり外を眺めたりすることができないのです。これについて、障害のある当事者が「障害のない人と同じような活動ができない」として裁判を起こしたところ、障害者差別禁止法違反という最高裁(大法院)の判決が出ました。このバスを運行しているのが大きな企業だったので、合理的配慮をするのに「過重な負担」はないと判断されたのです。韓国の人たちは権利性の意識が強いので、こうした差別はどんどん裁判と国家人権委員会(基本的人権の保護を目的とする韓国の国家機関)に訴えていきます。すると社会が変わるわけです。
これは外国人に対してもそうです。私の知人で車いすユーザーの日本人が韓国に行った時、障害を理由にカジノへの入場を拒否されたことがありました。これは人権侵害だとして申し立てを行った結果、韓国の国家人権委員会はカジノの運営会社に調停を立てて、差別行為として是正を勧告。再発防止のための研修実施を求めました。
――日本だと、そうした法的なアクションは活発ではないように感じます。
崔 日本には韓国の国家人権委員会のような人権救済機関がないという根本的な問題もあります。これは障害者だけでなく、外国人とか女性とか、あらゆる人権侵害が起きた時の相談先が非常に限られていることを意味します。
例えば、韓国の障害者が日本に来て、東京ディズニーランドなどの遊戯施設に行こうとしたけれど断られたとしましょう。もしも日本にも国の人権救済機関があれば相談先が明確だし、事例として国に報告することで情報が蓄積されていきます。でも、現状ではそうした機関がありません。
ただ、内閣府が試行事業として始めた「つなぐ窓口」が、今年度から本格始動しました。これは障害者差別に関する相談窓口で、障害者側も事業者側も利用できます。「つなぐ窓口」が相談を受け付けて、内容に応じて関係機関につなぐ仕組みです。これでやっと、相談事例が蓄積されていく“芽”が出たところですね。
「障害があるから仕方がない」で済ませない
――バリアフリーや合理的配慮の前に、人権に対する考え方が問われますね。
崔 もう一つ、知っておいてほしいことがあります。前回「社会モデル」の話をしましたが、最近、国連の障害者権利委員会ではこの言葉を使わなくなってきました。代わって出てきたのが「人権モデル」という考え方です。
社会のあちこちに、障害を理由とした権利制限があり、なんとなく「障害があるなら仕方ない」となっていますよね。例えば、日本では約20万人の障害者が入所施設で暮らしています。本人が望んで施設に入るケースはごくごく少数で、多くは「家族に迷惑をかける」などの理由で入所し、一度入ったらなかなか出られません。また、精神障害者は強制的に入院させることが認められ、精神科病院には27万人が入院していて、そのうち1年以上の入院は17万人に上ります。ある一定の「重い」知的障害や精神障害がある場合は、成年後見制度など法的能力の制限も正当化されています。
参政権にしても、十分に保障されているとは言い難い。少し前まで、選挙の投票会場が役所の2階にあることも普通で、車いすユーザーの障壁になっていました。正当な裁判を受ける権利についても、聴覚障害のある人に手話通訳をつけたり、知的障害のある人が心を開いて話せる人を同席させたりするような配慮は全くできていません。
――憲法で保障されている権利が守られていないわけですね。
崔 そうです。なぜこれが許されているのかをよくよく考えると、あまりきちんとした理由はない。障害者権利委員会の「人権モデル」は、それらを許さないとする考え方です。日本の合理的配慮は「過重な負担」を理由に差別行為が正当化されることもあるのですが、人権モデルでは障害を理由とした権利制限の例外を許しません。
障害者権利委員会はいろんな国に勧告を出している組織です。人権モデルについては、実効性の観点などから、法律の専門家でも「うーん」と思う人は多いかもしれませんが、20年30年後の世の中では、人権モデルの考え方に基づいて法律はどんどん変わっていくのかなと思います。
――当然のように見過ごされてきたことの中に、保障されるべき人権があるのですね。合理的配慮をすればいいという話ではなく、無意識に差別していないかを問い続けることが大切だと感じました。今日はありがとうございました。
(構成/越膳綾子 文中写真・資料/DPI日本会議提供)
*
崔栄繁(さい・たかのり/写真左)1966年神奈川県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、韓国のソウル大学大学院に留学(国際法専攻)。1999年にDPI権利擁護センターのスタッフとなり、現在、特定非営利活動法人DPI日本会議議長補佐。日本障害フォーラム(JDF)障害者権利条約に関するパラレルレポート特別委員会委員。1999年からDPI日本会議の事務局員、議長補佐。担当は障害者の権利条約関係、差別禁止法関係、インクルーシブ教育関係、韓国に関する業務など。JDF(日本障害フォーラム)、障害者権利条約パラレルレポート特別委員会委員。2002年より国連の障害者権利条約特別委員会にJDFのスタッフとして参加。2008年から 独立行政法人JETROアジア経済研究所外部委員、2022年から明治大学法学部比較法研究所客員研究員、2024年から東京大学非常勤講師も兼務する。
今村登(いまむら・のぼる/写真右)1964年長野県生まれ。1987年順天堂大学体育学部健康学科卒業後、日産スポーツプラザ(現コナミスポーツ)入社。29歳の時に不慮の事故により頸髄を損傷し、車いすユーザーとなる。2002年特定非営利活動法人自立生活センターSTEPえどがわを設立し、理事長を務める。DPI日本会議事務局次長も兼任し、障害者施策に関する政策提言等を行っている。
●DPI日本会議とは?
DPIとは「Disabled Peoples’ International」(障害者インターナショナル)。障害種別をこえた当事者団体の結集体。国際NGO。世界本部はフランスに設置準備中で、120か国に国内組織がある。DPI日本会議は、全国90団体のネットワークを持つ。障害者が障害のない人と平等に地域で育つ、学ぶ、くらす、働くことができるインクルーシブ社会の実現が目的。8つの部会(地域生活、バリアフリー、インクルーシブ教育、権利擁護、雇用・労働、障害女性、国際協力、尊厳生)がある。