都議選が終わった。
私の注目はやはり参政党の結果だったのだが、0議席から3議席獲得という結果になった。しかも、立候補した4人のうち3人が当選したのである。この事実を、非常に重く受け止めている。
ということで、そのことにも、来たるべき参院選にもものすごく関係あることなので、前々回の原稿「あの『炎上』を通して、参政党が躍進しそうな予感に包まれた選挙前」 を書いた経緯について、書きたい。
あの原稿を書いたのは、6月10日。
11日更新のマガジン9の締め切りはとうにすぎていて、前日に「今週お休みにします」と連絡していた。バタバタしていて書く時間がなかったのだ。
で、その日は急ぎの締め切りもなかったのでベッドでダラダラとスマホで複数のSNSを見ていたのだが、頭の中でパズルのピースがひとつひとつ、カチッカチッとハマっていくような感覚に囚われた。
え? これってどういうこと? 何が起きてる? 嘘でしょ??
慌ててベッドから飛び起き、パソコンを立ち上げて30分ほどで書いた原稿があれだ。ほぼ一発で書いて、ほとんど直しもしていない(だから言葉足らずなところもあった)。
それでは私がその日、何を目にしたのか。
美容や整形やダイエット、はたまたアイドルについてなどがメインの平和なアカウント(Xではない)が、急に政治的にというか排他的にというか、そんな感じになっている光景だ。
世代はかなり下だが、近しいところにいたり、あるいはこちらが一方的に知っていたりする女性たち。そんな彼女たちは私が知る限りこれまで一切、政治的な発信などしていなかったのに、急に何かに「目覚めて」いた。そして外国人から日本を守らなければ、このままでは日本はヤバい、と訴えていた。
いわば私が「現実逃避」のために見ていたようなキラキラ女子アカウントが、その日、突然変貌していたのだ。
そんな6月10日以前に何があったのか。
前々回の原稿でも書いたが、当時メディアを騒がせていたのは「中国系オーナーが突然板橋のマンションの家賃を2.5倍にし、民泊に転用」という報道。
同じ頃、アメリカでは移民の取り締まりに抗議するデモ隊に州兵が派遣され、「燃やされる車」や「暴徒化するデモ隊」などの映像がSNSで拡散されていた。
それ以前からやはりSNS上では、「日本の公共交通機関でルールを守らない外国人観光客」などの動画が真偽不明なまま、しかし多くの人の怒りを煽る道具として使われていた。
バラバラに存在するそれらのことと一人ひとりの「これからどうなるんだろう」という不安が絡み合い、この日、何かの臨界点を突破──。
そして「日本人ファースト」を掲げる政党の姿が、まったくバラバラに存在し、双方に関わりのないアカウント上に突然出現していたのだ。
そんな状況に戦慄したからこそ、ちょうどあった声優の「炎上」と絡めて書いたというわけである。
その原稿がアップされた4日後、参政党は三つの市議会選挙でトップ当選を果たしている。
そんな前々回の原稿には多くの反響が寄せられたことは前回書いた通りだが、「素朴な不安」についていろいろな意見が交わされているのが非常に興味深かった。
ちなみに「不安」について、あなたはどんなイメージを持っているだろうか。
私は「一人で抱えると危険」「早めにシェアすれば消えるもの」というイメージを持っている。小さなうちに誰かと共有すれば消えるものの、一人で抱え込んでこじらせると人の命を奪うほどにモンスター化するもの。
で、反響の中には「素朴な不安」を表明すること自体を危険視するものもあり、それもまた気づきだった。
が、私の知人などはそのようなものを目にして、「今って不安を表明したら差別主義者ってことになるんだね……」と呟いていて、いやいやそれは極端だろ! と思ったものの、確かに「不安表明」を問題視する声はあり、「なんか私、”不安表明罪”で裁かれてるみたいだな……」と思った瞬間もあった。
また、原稿への指摘として、「不安が何に基づくか考えるべき」というものもあって、思わず「貴族?」と叫んだりもした。
そんなこと、生まれてこのかた考えたこともなかったし、それができたらもうそれは不安じゃなくね? と思ったのだが、「不安のもと」、言われてみれば確かに重要だ。
ということで、私が令和7年(2025年)6月10日に目にした人々の「不安」が何に基づくか考えてみると、外国人観光客との経済格差などから日々突きつけられる「日本が/自分たちの立場が弱くなっている」というものを根拠にしているのだと思う。
そこでどうすればいいかを考えると、多くの人は「強さ」を求めるのではないか。もう一度、「経済大国」と言われたように「強く」なるジャパン。
同時に世界を見渡せば、ウクライナは侵攻され、ガザでは虐殺が続いている。よくわからないが「台湾有事」などの言葉も耳にする。そして日本には明らかに外国人が増え、中国系オーナーの「暴挙」も看過できない。「安くなった」日本では、今後このようなことはさらに増え、この国はじわじわと「侵略」されてしまうのではないか、私たちの未来は、生活は、いったいどうなるのか、国を守るために、もっと軍事的にも「強く」なることが必要ではないのか──。
想像だが、こういうことではないだろうか。
で、考えるべきことは、そのシナリオの最後から逆算して、私にはこれから何ができるのかということだと思う。
「日本人ファースト」以外の言葉で、いったいどういうことだったら、どんなアプローチをされたら「あれ? このことと私の中の不安って関係ある気がする」と思ってもらえるだろう? ということ。
なかなかの難題だが、これが今の私の中の大きな課題だ。
ちなみにこのところ、講演会やイベントでも「最近雨宮さんを知って来た」という新規の人の中にこの傾向の人が何人かいて、私を知るきっかけが自らの貧困で、貧困問題に取り組む私を「日本人ファースト」と思い込んでいたりするのだが(私が元右翼だからだろうか?)、ある意味での初期症状の人に対して、「不安への理解」と「事実」を提示することに効果を感じたことは書いておきたい。
さて、この十数年で書いた原稿を振り返ると、私は時代のキーワードとして「不寛容」と「剥奪感」ということを何度も何度も挙げている。「不寛容」は、なんでもかんでも「迷惑施設」として排除するような社会の不寛容さだ。
が、今は「不安」がブッちぎりのトップランナー。
一方、「剥奪感」はより大きくなり、「誰に奪われたのか」の方向性がはっきりした。少し前まで「誰のせい」なのかがわからずモヤモヤしている人も多かったのに、今、ターゲットとされたのは言うまでもなく外国人。
もうひとつ、今後はそこに「喪失感」も加わっていくだろう。
例えば先日、あるネット番組に出たのだが、そこで一緒に出た人から「最近ドイツに行ったが、両替所で両替しようとしたら『日本円は扱っていない』と言われた」と聞いて驚いた。ひと昔前ならありえないことで、別の両替所で無事両替できて事なきを得たそうだが、これから「日本人」は、じわじわとこの手の「喪失」を味わっていくはずだ。
これに耐えられるのは、非常に知識が豊富だったり、どれほど日本が没落しようと揺るがないだけの立場や資産を手にしている人くらいではないだろうか。
さて、私が「臨界点を突破した」と感じた3日後、イスラエルがイランを攻撃し、都議選投開票日には、アメリカがイランの核施設を空爆。
すでに先週や先々週とは比べ物にならない「不安」と先行きの不透明さが世界を覆いつくす中、この国は参院選に突入するわけである。
そんな中、何ができるのか、必死で考えていきたい。