松本准平さんに聞いた:唯一の被爆国に生きる私たちの思いが重なった~映画『長崎―閃光の影で―』~

8月1日全国公開(7月25日長崎先行公開)予定の『長崎―閃光の影で―』は、80年前の8月9日の原爆投下直後から被爆者の救護に当たった看護学生たちの40日間にわたる物語です。約500人いたともいわれる看護学生の中から、作品では幼馴染の3人の少女(田中スミ、大野アツ子、岩永ミサヲ)に焦点を絞り、被爆地の救護所における彼女たちの献身的な姿が丁寧に描かれています。ご自身も被爆3世である松本准平監督に、どのような思いでこの映画を撮ったのかを中心に話をお聞きしました。

原爆投下後の長崎を描きたかった

――監督は長崎県出身。長崎で被爆されたおじい様は当時のことをあまり話されなかったそうですね。

松本 孫であるぼくは、祖父の経験を聞く機会はありませんでした。しかし、被爆の経験を広く伝える運動はしていました。ぼく自身、カトリック信者として、原爆の投下は人類が犯してしまった過ちであると考えており、いつかこのテーマで映画を撮りたいとは思っていました。

――本格的に取り組むきっかけは何だったのですか。

松本 2019年に企画の中村佳代さんから持ち込まれました原案の『閃光の影で―原爆被爆者救護 赤十字看護婦の手記―』(日本赤十字社長崎県支部)を読んだことです。プロデューサーの鍋島壽夫さんからは、黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』(1988年)の続編をつくりたいとの提案をいただきました。

――『TOMORROW 明日』は8月8日、長崎に原爆が投下される前の日の人々の暮らしを描いた作品ですね。本作品のような、原爆投下直後から1カ月以上に及ぶ日々を描く映画は見たことがありませんでした。

松本 唯一、挙げられるのは『ひろしま』(1953年、関川秀雄監督)という映画くらいでしょうか。原爆投下後の人々を描くというのは中村さん、鍋島さんの強い思いでもありました。

©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会

――冒頭と最後に、当時救護活動をされていた山下フジヱさんが登場し、長崎で被爆された歌手・俳優の美輪明宏さんのナレーション──忘れられん、思い出があったとです。こいが私ん命に刻み込まれたあん日々の影ですたい──が入ります。

松本 美輪さんの語りを入れるというのは、ぼくの強い希望でした。

――美輪さんは自伝『紫の履歴書』で8月9日のことも記されています。当時10歳で、黒焦げになった死体、皮膚がめくれて真っ赤になったまま歩いている人、傷口に蛆がわいているシーンなど、伝えるべきところは伝えました。

©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会

戦争という理不尽に対する態度

――投下から17日後、スミ、アツ子、ミサヲが焼け野原で負傷者をリヤカーで運びながら、これからの人生を憎しみながら生きるのか、この理不尽で不条理な世界を許すべきなのか、本音の言葉をぶつけあいます。人の心の深奥をみるようなシーンでした。

松本 あのようなやりとりは手記には記されてはいません。ぼくと共同脚本の保木本佳子さんが書きました。瓦礫となった地で3人が心を露にするところを描きたかった。あのシーンは長回しで撮りきることにしていました。演じる側もとてもハードで、撮り直しも数回しかできません。しかし、最初のカットでOKでした。菊池日菜子さん、小野花梨さん、川床明日香さんの演技には芝居を超えたものも感じました。

――アツ子の「あと1週間早く敗けていれば┅┅」という言葉にも気持ちを揺さぶられました。

松本 彼女の一言はぼくが書きました。敗戦の1週間前は8月8日なので、広島への原爆投下の後になるのですが、当時は広島がどうなったのかは国内でもあまり知られていなかったはずです。映画の冒頭で、スミの乗っているバスの乗客の一人が1面見出しに「広島に新型爆弾」と書かれている新聞を読んでいるシーンがあります。その時点では、広島の人以外、誰も原爆の恐ろしさを知らなかったことを示唆しました。

――婦長さんの存在も印象的でした。軍人を父に持つ彼女は仕事に厳格であり、かつ献身的なのですが、敗戦を経て変わっていく。

松本 婦長が隠れて米兵に会うシーンですね。実際には当時、普通の日本人が米兵と接触するのは、もう少し後のことなのですが、どうしても入れ込みたかった。軍国主義を象徴するような人物が敗戦を境にどう変わったのか。敗戦後の日本がたどる道のりを暗示させると考えたからです。

――日本のこれからという点では、救護所で出産し、その後亡くなった女性の子ども、空広(あきひろ)くんには、作り手のいろいろな思いが込められていると感じました。空広くんは救護所から、ポーランド人神父が立ち上げたカトリックの修道院に預けられます。

松本 修道院を訪れたスミが、神父を支えるために兵庫から来たという令子さん――『TOMORROW 明日』の三姉妹の次女役だった南果歩さんが演じています――に「その子は生きるとでしょうか、死ぬとでしょうか」と聞くのがまさにそう。空広くんは体内被曝しています。これから生きていけるか、そうではないか、未来への希望と不安がないまぜになった存在です。

©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会

――スミが修道院を訪ねる前に、久しぶりに会ったアツ子から「忘れんば生きられんこともあるたい」と言われます。そして令子さんには「私たちは生かされている。生きて忘れないこと」と。2人はスミに逆のことを言っているようですが、両方とも一人の人間のなかにある気持ちなのだと思って胸が熱くなりました。

松本 ぼくのなかにも、過去を語ることができない人に寄り添いたいという気持ちと、悲惨な経験を語り継ぐことが大切さだという思いがあります。双方がスミの最後のセリフに結実しました。

80年前の歴史が想像力を喚起する

――後半の途中で長崎に落とされた原爆「ファットマン」のモノクロの記録映像が挿入されます。その意図は何だったのでしょうか。

松本 原爆投下後のキノコ雲はどうしても描きたかったのですが、主人公の少女たちの目線では入れることはできません。彼女たちはそれを見ていないわけですから。米国が撮った、落とした側の目線の記録映像をあのタイミングで挿入することで、観客が生き残ったスミをより身近な存在に感じられるのではないかと思ったんです。

©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会

――監督は現在、40歳。主人公の少女役を演じた俳優さんたちも20代です。この映画の完成する前と後で変化はありましたか。

松本 ウクライナやガザなど、いまも世界で戦争が起きています。80年前の長崎に思いを馳せることで、いま戦火の中にいる人々がどのような日々を強いられているのかへの想像力も働かせてほしいと思っています。主人公の少女たちを演じた彼女たちだけでなく、出演してくださったすべての俳優さん、そしてスタッフが一緒になって、原爆をテーマにした映画製作に取り組みました。世代によって戦争観は違うけれども、唯一の被爆国である日本に住む人間の思いが重なり合って生まれたのがこの作品です。それを観る方々にも感じてもらえればうれしいです。

(取材・構成/芳地隆之)

まつもと・じゅんぺい 1984年12月4日、長崎県生まれ。被爆3世。 東京大学工学部建築学科卒業、同大学院建築学専攻修了。吉本総合芸能学院(NSC)東京校12期生。カトリックの家庭に生まれ、幼少期からキリスト教の影響を強く受ける。友人たちとNPO法人を設立し、以降、映画製作を始める。2012年、劇場デビュー作となる『まだ、人間』を発表。14年の商業映画デビュー作『最後の命』が、NYチェルシー映画祭でグランプリ・ノミネーションと最優秀脚本賞をW受賞。その他の作品に、身体障害とパーソナリティ障害の男女の恋愛を描いた『パーフェクト・レボリューション』(17年)、盲ろうの大学教授・福島智とその母・令子の半生を描いた『桜色の風が咲く』(22年)、歌舞伎町に生きるゲイと女子大生とホストの三角関係を描いた『車軸』(23年)などがある。

映画『長崎―閃光の影で―』
7月25日(金)長崎先行公開 / 8月1日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか 全国公開
https://nagasaki-senkou-movie.jp/
 

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