「シリーズ・憲法と国際人権法による人権保障」の5回目は子どもの人権を取り上げます。講師は国連子どもの権利委員会で8年間委員を務められた弁護士の大谷美紀子さん。弁護士としての実務、NGO活動、国連での活動など幅広い経験から、子どもの権利をめぐる今日的課題と議論や法律家の役割についてお話しいただきました。[2025年6月13日@東京本校]
「国連で働きたい」と大学へ
私は小学校に入った頃から、なんとなく「人の役に立つことをしたいな」と思っていました。もちろん子どもですから、クラスに困っている子がいたら助けてあげたいという程度のことではありましたが、次第に将来は社会のために役立つ仕事をしたいと思うようになりました。
高校2年の時、姉の友人から「国連という国際組織があるよ」という話を聞き、大人になったらそこで働きたいと、「社会に役立つ仕事」を具体的にイメージし始めました。当時はインターネットも普及しておらず、国連がどういうところか、そこで働くにはどうしたらいいかなどの情報を得るのも難しかったのですが、上智大学法学部に国際関係学科という、外交官や国連職員を目指す人のために作られた学科があることを知り、そこに進学を決めました。1983年のことです。
ところがその1983年、アメリカが「ユネスコ(UNESCO、国連科学教育文化機関)は政治的に偏っている」としてユネスコを脱退します。当時は国連職員になったら世の中の役に立てると理想主義に燃えていたので、このニュースにはショックを受けました。国際組織よりアメリカ一国の方が強いのか。結局政治は力で、国連なんか無視されてしまうのでは、と思うようになり、国連職員になるという夢は急に萎んでしまいました。
では国際社会で役立つ仕事をするためには何をしたらいいのか、他に具体的なイメージが湧いてきません。ならばとにかく大学生の今は、勉強して自分の専門だと思える力をつけよう、自分の背骨となるものをしっかり持てば、社会に役に立てる仕事にきっとつながると思うようになりました。
国際関係学科は法学部の中にあるので、1年生の時から憲法や民法、刑法などは必須科目として学んでいました。法律を勉強して専門的な力を持てれば、社会の仕組みやルールには全て法律が関係しているので、将来やりたい仕事が見つかったときに必ず役に立つだろうという確信を持ちました。
文章を読み解く力、文章で表現する力、論理的なものの考え方など、法律家として必要な能力、専門知識を自分の土台に据える──この時の選択は間違っていなかったと今振り返って実感しています。
こうして法律家になるというところまで将来の姿が固まりました。その次は研究者か実務家かという選択でしたが、小さい頃から社会の役に立ちたいという気持ちだけははっきりしていたので、進むべきは実務家だろう。ならば司法試験を受けようと方向性が定まり、予備校に入って勉強し、卒業した1990年に合格することができました。
人権ってなんだろう?
私が弁護士になった頃は、弁護士の数が今とは比べ物にならないほど少なく、女性の割合はわずか5.6%でした。
また当時は弁護士の広告が禁止されていて、どこにどんな弁護士がいるのか明らかでなく、弁護士に頼み事をするには、誰かに紹介してもらわなければならないという時代でした。
また、いまのように専門性を持った弁護士も少なく、民事も刑事もなんでもやる、相談事が来ればなんでも引き受けるのが弁護士だと思われていました。
そんな中、弁護士になって1〜2年目の頃、若い女性たちに向けて人権の話をしてほしいという依頼を受けました。駆け出しとはいえ、一応大学や司法試験の勉強を通して一通りの知識は持っている。でも人権の歴史や法解釈について、若い普通の人の前で話してもピンとこないのではないか。一般の人に「人権」を理解してもらうためには、どうしたらいいのだろうと、悩みました。
弁護士としての日常の仕事の中に何かヒントはないだろうか。「人権問題でご相談が」と言ってくる依頼人はいませんが、よく聞いてみると差別を受けている、理不尽な思いをしている、不当な仕打ちを受けているといった話が出てくる。それは全て人権に関わる問題ではないか。「人権」という言葉は使われなくても、それこそが「人権問題」なのではないかと気づきました。
私自身も、弁護士になって女性ゆえの差別を感じることがありました。当時所属していた事務所には十数人弁護士がいましたが、女性は私を含めて2名。そうすると家族問題に関わる案件は全て私たちに回ってきます。私は家事事件が好きで、担当することに不満はなかったのですが、明らかに割り当てられる仕事が男性とは異なることを実感しました。また結婚、出産、育児を経験して感じる差別もありました。
そのように、人権の話を頼まれたことをきっかけに、自分が実感した差別や依頼者の抱えている問題を通して、人々の意識や価値観に人権を根付かせること、弁護士が人権感覚を磨くことの重要性を考えるようになり、そのためにもっと勉強したいという気持ちが膨らんできました。
人権教育というテーマ
弁護士の人権活動というと、人権問題の被害者の方の司法救済など、人権弁護士としての仕事がまず思い浮かびます。あるいは弁護士会の人権委員会に入って、人権問題に関する提言、政策立案などに関わる方法もあります。
けれど私がやりたいと思ったのは「人権教育」というテーマでした。人は全て平等で、等しく価値があって大事にされなければならない存在なんだということを、一人ひとりの行動や考え方に落とし込んでいく。そうして差別のない公正な社会を実現する。そのために必要なのは「人権教育」だと考えたのです。
そこで図書館に行って調べてみたのですが、人権教育というキーワードで出てきたのはほとんどが部落差別を解消するための同和教育の本でした。たしかに同和教育は日本の人権教育にとって欠かせないテーマですが、私が知りたかったのはもっと広い意味での人権教育、すなわち一人ひとりが人権とは何かを学んで自分のものにする、そのための方法でした。
ちょうどその頃、1993年にオーストリアのウィーンで世界人権会議が開かれ、そこで人権教育の重要性が確認されたということを、東京青山にある国連広報センターのニュースレターで知りました。
その後、国連が採択した「人権教育のための国連10年行動計画」では、すべての人にとって人権教育が必要である、それを単なる知識でなく、一人ひとりの価値観や行動様式に浸透させていかなければいけないといったことが書かれていました。高校生の頃は、国連職員になって社会のために役立つ仕事がしたいと漠然と考えていましたが、人権教育という自分が関心を持つ具体的なテーマに国連が取り組んでいることを知って、国連と再会したような感動を受けました。
同じ頃、ある弁護士の先輩から「子どもの権利条約」を勉強してみたらと勧められました。子どもの権利条約は1989年の国連総会で採択され、日本は1994年に批准しています。その第29条には児童の教育が目指すべきこととして「人権及び基本的自由並びに国際連合憲章にうたう原則の尊重を育成すること」とあります。これを読んだときに、すべての人に人権教育が必要だけれど、まだ何の偏見もない子どもの時から人権を学ぶことが、人権が守られる社会を築くための第一歩だと思い、子どもの人権に取り組んでいこうと思いました。
人権教育は全ての人にとって必要です。どんな職業、年齢の人も人権について学び、それを自分の行動に活かしていくことはもちろん大切ですが、何より重要なのは子どものうちから、人権意識を自然に身につけることではないでしょうか。そうすればその人が大人になって社会を構成する一員になったときに人権を尊重するようになり、差別のない公正な社会が実現するのではないでしょうか。
子どもへの人権教育というと、学校でどう教えるかという話になりがちですが、それ以前に子どもは周りの影響を受けています。例えば私の子どもが通っていた保育園にもいろいろな家庭の子がいて、子どもも親同士の会話や態度などから、その違いを感じ、大人の価値観に影響され始めているように思いました。
ですから学校で勉強するだけでなく、子どもと接する全ての大人、家族や先生、地域の人々、そしてテレビなどメディアが人権を基調にした行動を示して、子どもに接する。そうした中で子どもの人権意識は形成されるのだと思います。
人権の国際的保障のための国際人権法
人権は、もともと、国家と個人の関係の問題であり、国内法の範疇とされてきたのですが、第二次世界大戦の経験から国連が設立された時に、すべての国で個人の人権が守られ、差別がなくなることが、戦争を防ぎ平和を守るための基礎であるという考えから、国連の活動の目的に含められました。
人権を一国任せにせず、世界基準をもうけ、国連加盟国全てがそれを守るようにする──。こうして、国際的人権基準の設定とその実現のための国際的な実施措置の構築を通して人権を国際的に保障するための国際人権法が、国連を中心に発展してきました。人権は、各国の自由に委ねられる国内法の範疇から国際法が規律する対象になり、国連憲章や世界人権宣言、国際人権規約、拷問等禁止条約など、様々な条約や国際人権文書を中心に構成された国際人権法が本格的に生まれ、発展を始めたのです。
日本国憲法が保障する人権と、国際人権法が保障する人権は重なる部分ももちろんあります。一方、国際人権法には、マイノリティや障害者、高齢者の人権など、日本ではあまり議論されてこなかった分野もあり、こうした世界標準の普遍的な人権を日本に根付かせていくことも、日本にいながらでできる国際人権活動の一つです。
弁護士7年目に実現したアメリカ留学
人権教育と国際人権法を専門的に学びたいと思い、弁護士になって7年目にアメリカ留学を実現しました。夫と子ども2人と一緒に渡米し、ニューヨークのコロンビア大学国際公共政策大学院の修士課程で2年間学びました。
弁護士の留学というと、ロースクールに入ってどこかの州の司法試験を受けて、弁護士資格を取るのが一般的ですが、私の場合は国際人権法の勉強、特に国連の人権活動を学び、経験することが目的でした。帰国後も東京大学、青山学院大学で学び、法学博士号を取得しました。
帰国後は、弁護士の仕事に留学経験をどう活かすかも課題になりました。アメリカ留学中、現地の弁護士の多くが専門分野を持って、その得意な分野でやりがいを感じて活動している姿に刺激を受けました。
私の場合、弁護士を7年やってきて、好きだな、自分に合っているなと思ったのは家族法の分野でした。家族の問題は、男女のパワーバランス、親子関係などが絡み合った、法的な解釈だけでは解決できない奥深い領域で、できれば裁判でなく話し合いで解決することが望ましいと私は思っています。そのため社会福祉とか児童心理、子どもの発達などの知識も必要です。法律的な解釈や裁判での勝ち負け以上に、専門的なスキルを磨き、依頼者にいいアドバイスができるようになりたい。留学経験を経て、これからは、学んできた人権問題の知識や、特に女性や子ども、外国人の人権についての感覚を家族法の実務に活かしたいと思いました。
特に力を入れたのは、当事者が外国人だったり海外在住の日本人だったりと、国際的な要素が入っていて法的な解決が難しい渉外家事事件です。留学前にも日本に住む外国人の交通事故や離婚事件を扱ったことがあり、外国人として住む国で法律問題を抱え、弁護士の支援が必要になった時に、言葉の壁や弁護士の側の苦手意識、経験不足などによる難しさがあることを感じていました。さらに自分自身が留学して外国で生活する不安や困難を体験したことが、帰国後、外国人の司法アクセスに取り組むきっかけになりました。
子どもの権利委員会の委員として
さらに、日本に軸足を置きながらできる国際人権活動としてどんなことがあるか模索しました。途上国に実際に赴任して支援活動をしたり国連職員として働いたりするだけではなく、日本の実務弁護士で、日本に軸足を置いたままでも国際人権活動はできるんだということを、若い人に示したかったのです。私自身がそうでしたが、家族生活との両立などから、外国で働くことが可能ではない人もいます。日本の多くの弁護士が国際人権活動に積極的に参加するようになるためには、日本にいながら国際人権活動ができるという実例を作りたいと思いました。
その活動の一つとして、2017年から2025年まで、日本人初の国連子どもの権利委員会委員を務めました。
子どもの権利条約とはどんなものか。その歴史は古く1924年の国際連盟において作られたジュネーブ宣言が前身です。子どもは弱い存在なので、戦争や飢饉などから大人が守ってやらなくてはいけないという趣旨の宣言でした。
宣言は法的拘束力がないので、1989年、国連子どもの権利条約が国連総会で採択されます。これは女性差別撤廃条約、障害者権利条約などと並ぶ国連による主要な国際条約の一つです。
この条約により、子どもの権利に対する考え方はそれまでと大きく変わりました。それまで子どもは未熟で弱い存在だから大人には守る責任がある、それを子どもの権利という言葉で語ってきたのです。それを子どもの権利条約は、人権は人が生まれながらに持っているもので、子どももその例外ではないと、子どもを、それまでの保護の客体とする捉え方から、権利の主体へと明確に承認したのです。ここで言っている子どもの権利とは、大人と同じように契約ができるといった権利のことではなく、人が人間としてあまねく持っている人権のことです。すべての人に保障される人権は子どもにもある、ということです。
子どもの権利条約が保障する内容は、幅広く、具体的な権利が規定されていますが、特に、「生命、生存及び発達の権利」「差別されない権利」、「子どもの最善の利益が主として考慮される権利」「意見を聴かれる権利」は、権利であると同時に、他の権利の保障に際して同時に考慮されなければならない一般原則と取られています。特に、大人は子どものために良かれと思って大人目線でいろいろなことを決めがちですが、そうではなく子どもにとって何が一番良いかという最善の利益を最優先に考え、また、その最善の利益を判断する際にも、子ども本人の意見を聴き、子どもの発達段階に応じてその意見を考慮して決めていかなければならないことが、子どもの権利として保障されています。このことは、子どもが権利の主体であることを具体的に実現するために不可欠なのです。
このほか「親から引き離されない権利」「遊び、余暇の権利」などを定めた条項や、また罪を犯したと疑われた場合は大人とは別の、子どものための特別な司法制度のもとで裁かれる「少年司法」についての条項もあります。
子どもの権利条約は196の国が締結しており、日本は1994年に批准、ちなみにアメリカは批准していません。
国連は締約国がこの条約を守っているか、実行しているかを定期的に審査するため、18人の専門家からなる委員会を設置しています。締約国は条約実現の取り組み状況について委員会に報告、数年に一度委員会はそれを審査し、対面で議論します。その際、委員会は、他の国連機関やNGO、子どもたち自身から提出された情報も踏まえて、締約国との議論に臨みます。この建設的対話と呼ばれる審査の結果、委員会は、締結国に対して、具体的な勧告を含む総括所見を出します。
私はこの「子どもの権利委員会」の委員を8年間務めました。委員は年3回各4週間、スイス・ジュネーブでの会合に参加しますが、国連の職員という扱いではないので、交通費や滞在費などは支給されるものの、報酬はありません。こうした国連職員ではない「専門家」という立場での国連の人権活動への参加の可能性を、日本の実務弁護士や、将来、法曹を目指す人たちにも広く知ってもらいたいと思います。
私は、国連の子どもの権利委員会の委員を務めて、子どもの人権課題について、日本と国際社会では認識のずれがあることを感じました。例えば、環境問題が子どもの人権問題であるという認識が近年世界的に広まっていますが、日本ではまだ、環境問題について子どもの権利の問題として取り組む姿勢が足りないと感じています。
弁護士になって35年、女性、子ども、人権、この3つをテーマに日本に軸足を置きながらさまざまな場で活動してきましたが、今後も、国連子どもの権利委員会での活動を活かして、海外での活動を続け、世界に貢献したいと考えています。私の経験が若いみなさんの参考になれば幸いです。
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おおたに・みきこ 弁護士。大谷&パートナーズ法律事務所。1987年上智大学法学部国際関係法学科卒業、1990年弁護士登録(42期)。東京弁護士会所属。1997~1999年、国際人権問題を学ぶために、米国のコロンビア大学国際公共政策大学院修士課程に留学。帰国後、国際人権法の専門知識を活かして、弁護士実務では国際家族法事件に特化しながら、女性の人権・子どもの人権・外国人の人権の分野でNGO活動、弁護士会・法曹団体の活動、法科大学院での教育や国内外での講演・研修等に取り組む。2020年、青山学院大学より法学博士号(国際法)取得。2017から2025年まで、日本人初の国連子どもの権利委員会委員を務める(2021年から2023年まで委員長)。2024年、ジュネーブに事務所を置く国際的な子どもの人権NGOの国際的ネットワーク、Child Rights ConnectのPresidentに就任。