ポーランド政府は2021年9月、EU諸国への亡命を求める人々で溢れるベラルーシとの国境付近に非常事態宣言を発令した。シリアやアフガニスタンからの難民をロシア経由で受け入れたベラルーシが、ポーランドとの合意を得ることなく、鉄条網が張り巡らされた対ポーランド国境の一部をこじ開けて、送り込んだのである。人間を兵器のように扱う行為に、ポーランドは難民を強制的に送還することで対抗。両国が厄介者として押し付け合った結果、国境エリアに多くの難民が押し止められた。そこで何が行われていたのかを描いたのが本作品である。
物語を構成するのは4つの視点だ。「1.家族」 「2.国境警備隊」「3.活動家たち」「4.ユリア」。
1.はシリアから逃れてきた家族である。ベラルーシ航空でミンスクに到着したら、陸路と海路で友人のいるスウェーデンに向かうつもりだった。友人が手配した運転手と乗用車が空港で待っており、機内で知り合った、アフガニスタンから逃れてきた女性とともに対ポーランド国境へ向かう。内戦の続くシリアやタリバンの支配するアフガニスタンからヨーロッパへ。希望に胸を膨らませる難民を待っていたのは、粗野なベラルーシの国境警備兵だった。難民に賄賂を要求し、家畜のように扱って軍用トラックに乗せる。そして対ポーランド国境に到着するや、鉄条網を人が1人通れるくらいに開けて、難民を突き飛ばしたり、蹴飛ばしたりしながら、ポーランド側へ追いやるのである。
2.はポーランドの国境警備兵たちを指す。部隊のトップは兵士たちに言う。やつらは難民を装ったテロリストであり、獣姦者であり、幼児性愛者である。我が国に入れるわけにはいかない。もし死んだら、公にならないよう隠せ。精神的につらいこともあるだろうが、専門のカウンセラーがいるので安心しろ、と。 ポーランドの国境警備兵は命令に従い、嫌がる難民たちをベラルーシへ送り返す。森の中に乳幼児の泣き声が響く。ベラルーシに戻るのは嫌だと抗う黒人の妊婦は国境の柵の上からベラルーシ側へ投げ飛ばされた。
3.は難民を救おうとするポーランド人の活動家たちだ。彼ら、彼女らは非常事態宣言で立ち入り禁止区域にされた国境地帯で動くことのできない難民に、食料や水、衣服や寝袋を渡す。同区域での活動が国境警備隊に知られると、難民たちを強制送還する口実を与えることになるので、立ち入り禁止区域からは自力で脱出するよう促す。ポーランドへの亡命を求める者には難民申請書類の書き方をサポートし、さらに西を目指す者はそのまま行かせた。
4.は国境エリア近くに住む精神科医のユリアである。ベラルーシへの強制送還から逃れ、森の中を彷徨ううちに沼にはまった、上述のアフガニスタン女性を助けたことで、違法入国者を匿ったとして刑務所に拘留される。そこで難民の置かれている状況を知った彼女は釈放後、自宅を活動家の拠点として提供するが、難民救済を快く思わない友人からは関係を断たれてしまう。それでも活動を続けるユリアと並んで、この物語の救いになるのは国境警備兵のヤネクだ。彼は妻の出産を控えていた。難民の子どもたちが泣き叫ぶ姿を見るのはつらい。自己嫌悪に苛まれ、精神が壊れそうになったヤネクはあるとき小さな抵抗を試みる。
物語の最後は、ポーランドによる非常事態宣言発令から約半年後の2022年2月26日、ポーランド・ウクライナ国境に転じる。その2日前、ロシア軍がウクライナ東部に侵攻。戦火から逃れるべく、多くの女性や子どもがウクライナ西部の都市、リヴィウからポーランドに避難していた。ここでは難民を受け入れるポーランド側はフレンドリーだ。そのなかにはヤネクの姿もあった。国境警備兵として、ウクライナ人を避難先へ向かうバスへと誘導するヤネクは、同僚に「ベラルーシでもその優しさがあればね」と皮肉を言われる。バスの窓から外を見るウクライナ人女性の悲しい表情。そこからスクリーンは暗転し、テロップが流れる。ポーランドがロシアの侵攻から最初の2週間で受け入れたウクライナ難民の難民は約200万人。一方、対ベラルーシ国境では2014年以降、3万人の難民がポーランド入国を果たそうとしているが、いまも多くの人が国境で死んでいる、と。
欧州の人々(ウクライナ)と非欧州の人々(シリアやアフガニスタンなど)の非対称性。アグニエシュカ・ホランド監督は前作『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』において、スターリンにより引き起こされたウクライナで発生したホロドモール(人為的に起こされた大飢饉)を取り上げた。本作品では、現在のベラルーシ・ポーランド国境で起こっている非人道的な事態を、ドキュメンタリータッチで描く。邦題の『人間の境界』(オリジナルタイトルは“GREEN BORDER”。森のなかの国境を指す)の意味は、国と国を隔てる国境以外にも、救われる人間と見捨てられる人間を画する一線があるという意味か。
大ベテラン監督の現実に立ち向かうエネルギーは衰えていない。
(芳地隆之)
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