私が台湾で感じた「自由な空気」を伝えたい──ZINEを発行した田中ゆかさん

最近、独立系書店などでさまざまな社会問題をテーマに個人が制作したZINEを目にします。『私が見た台湾の民主と言論の自由』もそのひとつ。台湾に13年間住み、現在はオンライン書店「台南田中書店」を運営。台南での実店舗の書店オープンに向けて準備中という、田中ゆかさん。台湾で暮らすなかで感じた民主的で自由な空気を伝えたいとZINEを制作されたそうです。田中さんにZINEをつくられたきっかけと、込めた思いについて伺いました。

権利や自由を求めて声を上げやすい

――2026年1月に田中さんは『私が見た台湾の民主と言論の自由』というZINE(個人制作の小冊子)を出されました。これは、どういうきっかけで作ったものなのですか?

田中 私は20代のときから台湾に住み、日本語教師をしたり、結婚や出産などもあったりして13年間台湾にいました。去年の秋、久しぶりに日本に戻ってきたのですが、そのときに台湾と日本との違いを感じたことがこのZINEをつくったきっかけでした。

――というと?

田中 台湾の人たちは自分たちの権利や自由に対して敏感で、「自由でない」と思ったら声を上げやすい空気があるんです。デモも多いし、そういう民衆の声をくみとって法律もどんどん変わっていきます。私が台湾に暮らしている間に、台湾人が民主主義や言論の自由のために奮闘する姿を何度も目にしました。もちろんそれは、歴史的な背景、いまの政治状況や国際関係などがいろいろ重なって、民主的であることに関心を持たざるを得ない状況だからでもあるのですが。
 一方、日本に戻ってきて感じたのは、若者も大人も民主主義や言論の自由への関心が薄いということでした。私は専門家ではありませんし、台湾がいい面ばかりというわけでもないのですが、普通の市民として生活するなかで触れてきたことを日本でシェアしたいなと思って、このZINEをつくりました。

――2014年に学生たちが立法院(国会)を占拠した「ひまわり学生運動」のデモに参加されたときのことや、「言論の自由の日」のイベント、野外音楽フェスでのロックバンドの発言のことなどが、一市民の目線で綴られていて興味深かったです。台湾のなかにも、いろいろな意見があるということもわかりました。ZINEを出されてみて、日本での反響はどうでしたか?

田中 とくに売り込みもしていなかったのですが、思っていたよりも反応がありました。このZINEは自分でやっている「台南田中書店」というサイトでオンライン販売しているほか、これまでに15店ほどの独立系書店からも注文があって、自主制作なので部数は少量ずつですが全国各地に置いてもらっています。
 
――最近、独立系書店やイベント、SNSなどで社会問題をテーマにしたさまざまなZINEを目にする機会が増えています。田中さんがZINEという形を選んだのは、どうしてなのでしょうか?

田中 単純に、出版社を通して本を出すのは大変だけど、自主制作のZINEなら作りやすいという理由からです。このZINEは私にとっては2冊目で、少し前に台湾の日用雑貨を紹介するZINEも作っているんです。そのときにも日本の独立系書店が取り扱ってくれて、書店との交流が生まれていました。
 実は私もいま、台北から台南に引っ越したのを機に向こうで実店舗の書店を開こうと準備中なのですが、書店という場所を通じて、日台の交流拠点になるような場所がつくれたらいいなと思っているんです。

戒厳令で人権が制限された38年間

――ZINEでは冒頭に台湾での白色テロの話が出てきます。約50年におよぶ日本統治後に施政権を引き継いだ国民党政府によって、1949年から1987年までの38年もの間、戒厳令が敷かれていた。それによって集会・結社・言論の自由などが制限され、無実の市民も「政治犯」として捕まったそうですね。

田中 友人に国家人権博物館(※)に連れて行ってもらうまで、白色テロのことをあまり知らなかったのですが、めちゃくちゃ衝撃だったんです。私は 1986年生まれですけど、戒厳令が解除されたのは私の生まれた翌年。つまり、自分の両親が日本で青春時代を送っているようなときに、台湾では隣のお兄さんが突然捕まって拷問にかけられるような状況があった。そんなに大昔のことではないのが、ちょっと信じられませんでした。
 ただ、台湾でも白色テロ時代のことが注目され始めたのは割と最近のように感じています。もちろん二二八事件(※)が起きた 2月28日にはニュースで扱われていましたが、1990年代に李登輝政権で政府が初めて二二八事件被害者に対して謝罪したことから徐々に変化していって、2017年の民進党・蔡英文政権時に「促進転型正義委員会」ができたことが大きいのではないでしょうか。

※国家人権博物館:2018年開館。白色テロによって「政治犯」とされて捕まった人達の拘置や刑の執行が行われた場所を一般公開し、関連資料の保存、展示、研究などを行う

※二二八事件:1947年2月28日にヤミ煙草取締りに端を発して、民衆による反政府抗議とその弾圧が全国に広がった

国家人権博物館の様子(写真提供:田中ゆかさん)

――「転型正義」は日本語で「移行期正義」と訳されることが多いようですが、〈民主的な政治体制を実現させた国において、「その前の時代」に行われた虐殺、拷問などの組織的な人権侵害行為を究明し、責任者を処罰し、被害者に対しては救済の手をさしのべる試み〉のことですね。

田中 2016年に民進党が再び政権を握ってから、独裁政権時代のいろいろな不正義をもう一度検証して謝罪しようという動きがより活発になりました。促進転型正義委員会は2022年に役割を終えて解散しましたが、この委員会ができてから白色テロを題材した映画や文学作品などが増えた気がします。
 国家人権博物館では、白色テロの語り部として活動されてる当事者がまだいらっしゃるんですよ。高齢化でどんどん減ってはいるんですけど。たとえば、少し前に日本でも話題になった『台湾の少年』という漫画がありますが、それは白色テロの被害者である蔡焜霖さんという男性の実話なんですね。
 数年前に亡くなられるまでは、その蔡さんも語り部としてご活躍されていました。蔡さんは普通の高校生だったのですが、教師に誘われて参加した読書会がきっかけで逮捕され、長年収容されて拷問も受けました。そんな風に戒厳令によって無実の人たちもたくさん「政治犯」として捕まったんです。

――そうした歴史も、台湾の人たちの「権利や自由を守ろう」という意識につながっている部分があるのでしょうか。

田中 その影響はかなり大きいと思います。日本でも、こういう過去を振り返るような取り組みがもっとあったらいいですよね。

「ひまわり学生運動」で見た景色

――2014年の「ひまわり学生運動」は日本でもニュースになりました。2014年3月に、台湾と中国の貿易自由化を目的とする「サービス貿易協定」に反対する多くの学生たちが、台湾の国会を23日間占拠したときの映像を覚えています。そのデモに田中さんも参加されたのですね。

田中 台湾に住み始めたばかりのときだったので、まだ右も左も分からない状態ではあったのですが、友人と一緒に国会周辺で行われていたデモに参加しました。そのとき言われていたのが「サービス貿易協定」が結ばれると、中国資本がはいってきて、どんどん中国の影響が大きくなってしまうということでした。
 実際にデモに行ってみたら、もう大混雑で。それまで私はデモとは無縁だったので初めて見る光景でした。「台湾独立」や「ブラックボックス反対」(協定についての審議が「密室」で行われたという抗議)と書かれたプラカードを持って座り込みして、演説を聞いている人もたくさんいました。親子連れもめちゃくちゃ多くて。それがちょっと衝撃でしたね。当時私は独身だったのですが、デモに子どもを連れてくるなんてどうなのだろうと思っていました。でも、自分がのちに二児の親になったときに、「我が子の未来を守るために、この光景を見せておいたほうがいいと思ったんだろう」と、気持ちがわかりました。

――一方で、同じ会社の台湾人のご同僚が、ひまわり学生運動に対して冷めたコメントをされていた話も印象的です。

田中 その同僚は国民党支持(※後述)なのだと思うんですけど、「学生が騒いでるけど杞憂だよ」みたいな。「貿易が緩和されるだけなのに、学生が中国人に仕事をとられるとか言って怖がっているだけ。別にいますぐ中国に乗っとられるとかじゃないのにバカだね」みたいな言い方でしたね。そういう意見の人も結構いたと思います。でも、最終的には世論が学生運動に味方して、協定は凍結されました。

――市民みんなが同じ意見でまとまっているわけではないのですね。

田中 自由な空気があると言っても、やっぱりいろいろな意見があって対立している部分もたくさんあるんです。2019年5月に台湾で同性婚が合法化されて話題になりましたが、強く反対する人もいて世論は分かれていました。
 台湾ではデモをやって市民が声を上げて団結しているし、オードリー・タンのような人もいるし……と、日本ではいい面ばかりがフォーカスされがちですけど、現実はそこまでいいわけでもない。ただ、今の日本ではちょっと左派的な発言をすると、SNSですごい批判を受けることがあるじゃないですか。そんな感じではないんですよね。多分、意見が分かれていてもどちらにも一定の支持があって、その中間の立場や考えの人もいるし、多様性があるから声を上げやすいんだと思います。

――先ほど同僚の方は国民党支持で、というお話がありましたが、台湾の政党事情について簡単に教えてもらえますか?

田中 ざっくりと説明すると、現在の最大野党は国民党(中国国民党)で、1912年に孫文が設立して日本統治終了後の1945年から1987年まで一党独裁体制を敷きました。1986年に国民党以外の政党が初めて発足するのですが、それが現在の与党・民進党(民主進歩党)です。国民党は2000年に民進党に敗れて初めて野党になります。
 国民党は、中国本土から移住してきた「外省人」ルーツの人、他には親中傾向の強い人々などが支持しています。一方、民進党は台湾アイデンティティや民主化を重視する人々が支持している傾向が強いと思います。「外省人」に対して、1945年以前から台湾に住んでいた人たちを「本省人」と呼ぶのですが、民進党は本省人の支持者が多く、特に南部では強固な基盤があります。
 ただ、かつては「国民党(外省人)VS民進党(本省人)」という感じだったのですが、現在は新世代の政党も増えたのと、人々のルーツもすでに混在してきているので、その構図は変わってきています。

台湾の風景(写真提供:田中ゆかさん)

議員リコール運動で話題になった「同温層」

――台湾では若い世代も政治には関心があるのでしょうか。

田中 30代くらいの人と話していると「いまの若い世代は政治に関心がない」ということも聞くのですが、私から見ると日本と比べたら若い人も政治にちゃんと関心を持って見ているなと感じます。
 ただ、去年、議員リコールの住民投票のときに「同温層」という言葉がすごく話題になったのですが、同じ考えをもつ人達で集まってしまいがちという面はあります。「同温層」というのは、同じ温度感(意見や考え方)を持つ仲間たちみたいな意味ですね。

――議員リコールというのは、去年7月に行われた、台湾の最大野党・国民党の国会議員24人に対するリコール(解職請求)の賛否を問う住民投票のことですね。

田中 そうです。独立志向の与党に反対する国民党の議員をおろして民進党の議員をいれ、議会で過半数を取りやすくしようという運動で、「台湾のために頑張ろう」と周りにいる台湾独立派(台独派)の人達の間ではすごく盛り上がっていたし、住民投票のための署名活動もムーブメントになっていたんですよ。
 でも、ふたを開けてみたらどの選挙区でも否決されて、誰一人リコールできなかった。24人もいたのにゼロです。それで、みんなびっくりしていました。ネット上でも台独派の人たちが「同温層がこんなにも厚い層だったとは」とショックを受けていました。つまり自分たちは同じ考えの層だけを見ていて、全体から見たら実は小さい層だったんだっていう。

――それは、日本でも選挙のたびに私が感じていることと同じです……。台湾で毎年開催されている野外音楽イベント「メガポートフェス」でも、ちょっと驚いたことがあったそうですね。

田中 去年、私の好きなバンドがフェスに来ると聞いて初めて行ったのですが、人気バンドが政治の話をするのを見て、日本との違いを感じました。「拍謝少年(sorry youth)」という台湾のロックバンドも出ていたのですが、彼らは楽曲をすべて台湾語で作詞していて、台湾人のアイデンティティや社会問題をテーマにした楽曲をつくって高い人気を集めています。

――最近は日本でも政治や社会問題について発信するアーティストが増えてきましたが、それでも批判されやすい空気が依然としてあります。

田中 台湾のアーティストは、結構そういうのをバンバン言う人も多いですね。ただ、台湾の友人と話すと「音楽と政治は切り離したい」という意見の人もいるし、「政府は立場的に中国に何も表明できないから、音楽に代弁させるしかない」という冷静な人もいます。

――それは台湾独立の話だけでなく、脱原発や同性婚など、いろいろなイシューに対してアーティストも発言をされているということでしょうか。

田中 そうですね。LGBTQ当事者のアーティストがカミングアウトしていたり、原発反対についてもすごく発信したりしています。台独派の人たちのなかには、環境問題、脱原発、労働者への平等な権利を掲げた運動などにも参加している人が多くて、そういう部分では日本の市民運動の人たちともゆるやかにつながってきました。ただ、いまの台湾では例の「台湾有事」発言を受けて高市首相を支持している人たちが非常に多いので、そこの意識の溝に戸惑っている日本の人たちもいると聞きます。

排他的な雰囲気を、誰がいつの間に作り上げたのか

――去年久しぶりに日本に帰国したら、若い人も、年配の人も外国人に対する悪口を言っていることに驚いたという話もありましたね。

田中 私の実家が大阪の中心部にあるので、外国人の労働者や観光客を見かける機会が多いからかもしれないですけど、あるときは小学生が「おい、外人! ここは日本やぞ、日本語話せ!」と外国籍の同級生をののしっている場面を見かけました。
 飲食店で隣のテーブルにいた上品な雰囲気の年配の女性も、ごはんを食べながらめちゃくちゃ中国人のことを批判していて、こんなに日本人同士では空気を読み合って気遣いしているのに、どないしたんや……と。そんなことを大声で言える社会的雰囲気を、誰がいつの間に作り上げたのかなと思いました。

――田中さんは台湾では逆に移民という立場になりますが、そういう差別的なものを感じることはありますか?

田中 まったく何もないわけじゃないのですが、いまの日本の排他的な雰囲気を見ると、台湾は私を寛大に受け入れてくれてたんだなって感じます。でも、人間には人権として移動の権利があるわけだから、それに対して「ありがとうございます」みたいに思うのも、ちょっと違うんじゃないかなとも思います。
 台湾には、台湾人と結婚して台湾に定住した外国人や、台湾での労働許可を得て定住または永住を許された外国人を指す「新住民」という名称があるんです。中国や東南アジアから台湾人の配偶者として移住してきた人が多くて、台湾全体の人口の2.5%ほどが新住民です。政府が「新住民も台湾の一員なんだ」と強く主張しているので、真っ向からの移民叩きみたいなことは台湾ではないですね。それは、日本統治時代に自分たちが二等国民というような差別的な扱いを受けてきた歴史もあるからじゃないでしょうか。

――歴史的にも深い関係があり、地理的にも近い台湾ですが、知らないことがたくさんあります。国を越えて市民同士がお互いを知ること、つながっていくことが大事だと、いまあらためて感じています。

田中 日本と台湾は歴史的な背景も政治制度も違うし、台湾のなかにもいろいろな立場や考え方の人がいます。だから、「台湾のここを見習うべきだ」みたいな安易なことは言えないけれども、たとえば過去と向き合う移行期正義の取り組みだったり、多民族がどうにか共生している様子だったり、そういうところから学べることもあるんじゃないかと思うんです。そういうお手伝いがZINEや書店を通じて少しでもできたらいいなと思います。

 

たなか・ゆか
1986年大阪生まれ。2012年に日本語教師として台湾に移住。二児の母。生活を通して感じとった台湾の自由な雰囲気をZINEとして形に残したくなり、2024年に『台湾日用品カタログ』、2026年に『私が見た台湾の民主と言論の自由』を制作し、日台両国で販売。現在、台南に日台の本を扱う書店を準備中。

『私が見た台湾の民主と言論の自由』(田中ゆか)
https://twnitiyouhin.base.shop/items/131840838

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